■ 第四話 スケルトンシスター、怖い修道女に追われる
カッカッカ。吾輩は一羽のカラスである。トルディカの街を望む森の中。
エレノアは大きな木の根元に腰を下ろし、遠くに見える城壁を眺めておった。
「……さて、どういたしましょう」
先ほどから、何度も同じ問いを繰り返している。
お金はない。 身分証はない。 通行許可証もない。
おまけに、顔を見せれば衛兵たちが大騒ぎする始末。
「ううん……。やはり、正面から入るのは難しそうですわね」
エレノアは小さく首を傾げた。
「かといって、城壁をよじ登るのは淑女のすることではありませんし……」
カカカ。いや、そもそも城壁をよじ登るという発想が、
令嬢の口から出てくること自体が妙なのだが。
「どこかに、別の入り口でもありませんかしら?」
森の向こうを眺めてみる。当然、都合よく入り口など見つかるはずもない。
「……困りましたわね」
そう呟いたものの、エレノアは深刻そうな様子を長くは続けなかった。
視線の先で、茶色い小動物が草むらから顔を出したからである。
「あら……?」
小動物は、長い耳をぴくぴくと動かしていた。
「まあ、可愛らしい……!」
エレノアは、すっかりそちらに気を取られてしまった。
「こちらへいらっしゃい。怖くありませんわよ?」
ゆっくりと手を伸ばす。小動物は逃げた。
「あら、待ってくださいませ!」
エレノアも追いかけた。
カカカ。……おぬし、街へ入る方法を考えていたのではなかったか?
こうして、スケルトンシスターの悩みは、しばし森の小動物によって
棚上げされたのであった。
◇
一方、その頃。
トルディカの街にある聖堂では、少々気になる報告が司教の耳に入っていた。
城門の衛兵から届けられた報告書。身分証も通行許可証も持たず、
所属する聖堂も明かせない修道女。顔を隠し、確認を求めると逃走。
追跡したものの、森へ逃げ込まれ、取り逃がしたという。
司教は報告書を読み終えると、眉間にしわを寄せた。
「……修道女、ですか」
報告書には、身なりが通常の修道女とは異なり、
どこの聖堂に属する者かも不明と記されている。
「身分を明かせぬ事情があるのか。それとも……」
司教はしばらく考え込んでいたが、やがて控えの、側仕えの修道女へ顔を向けた。
「少し、頼みたいことがあります」
「はい、司教様」
「この聖堂に、今、滞在している方がおられるでしょう。ヴィルメ様です。
お手数ですが、探してきていただけますか」
側仕えの修道女は、一瞬だけ表情を引き締めた。
「ヴィルメ様、ですか。かしこまりました」
一礼すると、彼女は司教室を出ていった。
◇
聖堂の地下には、修道女や聖職者たちが食事や休憩に使う食堂があった。
石造りの壁に囲まれた室内には、焼きたてのパンの香りと、淹れたての紅茶の香りが漂っている。
昼の仕事が一段落した者たちが、思い思いに休息を取っていた。
その一角の席に、一人の修道女が座っていた。
黒を基調とした、ごく普通の修道服。頭を覆うヴェール。目立った装飾もなく、
遠目には他の修道女と何ら変わらない。
彼女はカップを持ち上げ、ゆっくりと紅茶を味わっていた。
そこへ、司教の指示でヴィルメを探していた修道女が足早にやってくる。
「ヴィルメ様。こちらにいらっしゃいましたか」
呼ばれた修道女は、すぐには顔を上げなかった。
一口。 もう一口。
そして、カップの中身を飲み干してから、ようやく視線を向けた。
「……何かしら?」
「司教様が、ヴィルメ様にご相談したいことがあるそうです」
「司教が?」
ヴィルメは空になったカップを静かに置いた。
「分かりました。すぐに参ります」
椅子から立ち上がり、乱れのない仕草で修道服を整える。
その動きには、余計なものが一切なかった。
カカカ。一見すれば、どこにでもいる修道女。
だが、彼女が立ち上がった瞬間、周囲の空気がわずかに変わった。
誰かが声を潜める。別の者が、無意識に道を空ける。
彼女自身は何もしていない。ただ歩き出しただけである。それでも、
彼女の周囲には、他の修道女たちとは明らかに異なる緊張感が漂っていた。
◇
司教室の前に到着すると、ヴィルメは扉を二度ノックした。
コン、コン。
「どうぞ」
返事を聞くと、彼女は扉を開けた。室内には、机に向かう司教の姿があった。
ヴィルメは無言で部屋へ入り、司教机の前に置かれたソファーに腰を下ろす。
司教は立ち上がり、恐縮した様子で頭を下げた。
「お務めの途中だというのに、申し訳ありません」
「なに、一段落したので立ち寄ったまでです。お気になさらず」
ヴィルメは淡々と答えた。
「それで、ご相談というのは?」
司教は机の上に置かれた報告書を手に取り、事情を説明した。
城門で発見された、身元不明の修道女。異様な身なり。顔を隠していること。
そして、確認を求められた途端に逃げ出したこと。話を聞き終えたヴィルメは、
しばらく黙っていた。
「……なるほど」
やがて、静かに口を開く。
「確かに、妙な話ですね。身分を証明できない修道女というだけなら、
事情を抱えている可能性もあります。しかし、顔を見せることすら拒み、
衛兵から逃げたとなると……」
「ええ。私も、ただの迷い人であればよいのですが、少々気になっておりまして」
司教は困ったように息をついた。
「この街の聖堂に何か用があるのかもしれません。あるいは、
何らかの事情で身を隠しているのか……」
「話は分かりました」
ヴィルメは立ち上がった。
「その件、私が見てまいります」
司教の顔が、ぱっと明るくなった。
「おお、助かります。あなたが偶然この聖堂に立ち寄ってくださって、
本当に助かりました。これも神の思し召しでしょう」
ヴィルメは、わずかに目を細めた。
「……そうかもしれませんね」
それだけ答えると、彼女は一礼し、司教室を後にした。
扉が閉じる。
司教は、ほっと胸を撫で下ろした。
カカカ。さて、エレノアよ。うかうかしてはおれぬぞ。
おぬしを探す者が、とうとう動き始めたようだ。
◇
森の中。エレノアは、まだ小動物を追いかけていた。
「あら、そちらへ行ってしまうのですか?」
木の根をまたぎ、草むらを覗き込む。
「もう少し、こちらへ来てくださいませ。わたくし、
あなたと仲良くなりたいのですわ」
小動物は、ぴょんと跳ねて茂みの向こうへ消えた。
「まあ……残念」
エレノアは少しだけ肩を落とした。
そして、ようやく思い出したように、遠くの城壁を振り返った。
「……そうでしたわ。街へ入る方法を考えなければなりませんのに」
カカカ。まったく、呑気な娘である。そのときだった。
「見つけたぞ! 怪しい修道女!」
背後から、鋭い声が飛んできた。
「……えっ?」
エレノアが振り向く。そこには、一人の修道女が立っていた。
黒い修道服。 深くかぶったヴェール。 静かな立ち姿。
見た目だけなら、エレノアと同じく、聖堂に仕える修道女にしか見えない。
だが、その眼差しは違った。相手を見定めるような、冷静で鋭い目。
そして、次の瞬間。 風が吹き、エレノアのヴェールが大きくめくれ上がった。
白い頭蓋骨。 金色の瞳。 むき出しの歯列。
その顔が、朝の光の中に露わになった。ヴィルメの目が見開かれた。
「……っ!」
一瞬の沈黙。 そして、彼女の表情が一変した。
「貴様……!」
低く、鋭い声。
「やはり、魔物か!」
エレノアは慌てて顔を隠した。
「ち、違いますわ! わたくしは、その……!」
「黙れ!」
ヴィルメの手が、修道服の内側へ伸びた。
そこから現れたのは、細身の剣。
華美な装飾はない。刀身は細く、鋭く、光を受けて冷たい輝きを放っている。
魔剣レイピア。 聖堂の修道女が持つには、あまりにも異質な武器であった。
「ま、待ってくださいませ! わたくし、何もしておりませんわ!」
「アンデッドが何を言う!」
ヴィルメは地を蹴った。 速い。
エレノアが驚く間もなく、細い剣先が目の前に迫る。
「きゃああああっ!」
エレノアは横へ飛び退いた。 剣先が、すぐ脇をかすめる。
「ちょ、ちょっと! お話を聞いてくださいませ!」
「問答無用!」
ヴィルメは間髪入れずに追撃した。 右から一閃。 左へ踏み込み、鋭い突き。
エレノアは、わけも分からぬまま、右へ左へと逃げ惑った。
「やめてえええっ!」
「逃げるな!」
「逃げますわよ! 剣を振り回されているのですもの!」
カカカ!なるほど、確かにその通りだ。だが、ヴィルメに聞く耳はない。
彼女は魔剣を構え直し、エレノアの動きを追い詰めていった。
その剣筋には迷いがなかった。
相手が人間であろうと、魔物であろうと、脅威と判断した以上、
ためらわずに無力化する。それが、彼女の務めなのだ。
「待ってくださいませ! わたくし、本当に怪しい者では……!」
「顔が骸骨の魔物を、怪しくないと言うつもりか!」
「そ、それは……そう言われますと……!」
エレノアは言葉に詰まった。確かに、どう言い繕っても骸骨である。
だが、だからといって、いきなり斬りかかることはないではないか。
「もうっ! どうして、皆様、わたくしを見ると逃げたり
追いかけたりなさるのですか!」
「黙れ!」
ヴィルメが踏み込んだ。エレノアは慌てて身を翻す。
その足が、地面から突き出した木の根に引っかかった。
「あっ……!」
バランスを崩す。身体が傾く。次の瞬間、エレノアは地面に尻餅をついていた。
「いたた……」
もちろん、骨だけの身体に痛みなどない。
だが、転んだという事実に、本人はすっかり動揺していた。
「ま、待って……!」
顔を上げる。 目の前には、魔剣を構えたヴィルメが立っていた。
その瞳に、迷いはない。
「これで終わりだ」
ヴィルメが剣を振り上げた。細い刀身が、木々の間から差し込む光を受けて輝く。
エレノアは、逃げようとした。だが、身体が思うように動かない。
恐怖で固まったのか、それとも、ただ転んだ拍子に立ち上がれなかっただけなのか。
本人にも分からなかった。
「い、いやああああっ!」
森中に、エレノアの悲鳴が響き渡った。
ヴィルメの魔剣が、渾身の一刀となって振り下ろされる。
カカカ……。エレノアよ。
どうやら、おぬしの旅は、街へ入るどころではなくなってしまったようだ。
そして、吾輩が目撃する限り。この一撃を避ける術は、もう残されておらぬ。




