第5話 壁際の男子首席と、聖女のお迎え
「では、昨日のお話の続きをいたしましょうか」
リリアナはそう言うと、何事もなかったように研究室の中央へ戻った。
俺の背後では重い扉が閉じられ、普通の錠前だけでなく紫色の封印術式まで淡く光っている。窓にも同じような術式が張られていた。
逃がす気がない。
ものすごく分かりやすい。
「話し合いっていうなら、まず扉を開けろ」
「逃げないと約束してくださるなら」
「逃げるに決まってるだろ」
「でしたら、開けられませんわね」
「それを話し合いとは言わない!」
俺が抗議する横で、ミナが肩を回していた。
「リリアナ様。もう帰っていい?」
「ええ。ご苦労さまでした」
「じゃあね、ユーリ」
ミナは俺へ手を振る。
「次はもう少し頑張ってね」
「次がある前提で話すな!」
「でも、三人とも結構強かったよ」
「男子としては、だろ?」
「うん」
「最後まで言わなくていい!」
ミナは楽しそうに笑い、そのまま研究室を出ていった。
扉が開く。
「今だ!」
俺も同時に走る。
「あ」
ミナの横を抜ける。
あと一歩。
外だ。
ばたん。
目の前で扉が閉じた。
「危ない危ない」
外側からミナの声が聞こえる。
「逃げるところだったよ」
「開けろ!」
「仕事は終わったから、あとはリリアナ様と話してね」
「仕事の最後に閉じ込めるな!」
足音が遠ざかっていく。
俺はゆっくり振り返った。
リリアナが椅子へ腰を下ろし、優雅に紅茶を飲んでいた。
「さて」
「さて、じゃない!」
「これで静かになりましたわ」
「僕の答えは昨日から変わってないぞ」
「まだ何も条件を提示しておりませんのに?」
「どんな条件でも断る」
「本当に?」
リリアナが立ち上がる。
壁際へ歩き、大きな本棚を指した。
「この研究室の蔵書を自由に使わせて差し上げます」
「……」
少しだけ目がそちらへ行った。
分厚い魔導書。
古い術式書。
男子向けの図書室には置かれていないような本も混じっている。
「火と風の高級触媒も提供いたしましょう」
「……」
「男子では閲覧許可が下りにくい古代魔法の資料もありますわ」
「……」
「中級魔法を使用したあとの魔力回路の管理も、わたくしがして差し上げます」
「…………」
「随分と静かになりましたわね?」
「ちょっと魅力的な条件を並べるな!」
危なかった。
普通に聞き入ってしまった。
リリアナは楽しそうに微笑む。
「悪いお話ではないでしょう?」
「条件だけ聞けばな!」
「では」
「でも断る!」
「なぜですの?」
「自由がないからだよ!」
俺は扉を指差した。
「外から鍵をかけて、魔法で封印して、人を無理やり連れてきておいて何が共同研究だ!」
「監禁ではありません」
「まだ言うか」
「保護ですわ」
「封印された部屋から出られない保護なんかあるか!」
「あなたが無茶をしなければ、閉じ込める必要もありません」
「順番が逆だ!」
駄目だ。
話していても埒が明かない。
なら。
自分で出る。
俺は研究室を見回した。
扉は正面。
封印術式はかなり複雑だ。
リリアナがいる状態で解析する余裕はない。
なら窓。
窓にも封印はあるが、扉より簡単に見える。
「ユーリ?」
「《追い風》!」
背中へ風をぶつける。
一気に加速。
「あら」
机の横を抜け、本棚の間を走る。
窓へ到達。
「これなら!」
窓枠へ手をついた。
術式が光る。
完全に壊す必要はない。
ほんの一瞬、乱せればいい。
「《風圧》!」
至近距離から封印へ風を叩き込んだ。
ガラスが激しく震える。
紫色の光が揺れた。
「弱くなった!」
今なら。
窓を開けて。
風で隣の窓か下の庇へ。
「惜しかったですわね」
「え?」
手首をつかまれた。
「いつの間に!」
振り返る。
リリアナがすぐ後ろに立っていた。
手首を軽く引かれる。
それだけで身体が窓から離された。
「離せ!」
「危険でしょう?」
「閉じ込められてるから脱出してるんだ!」
だったら。
俺は空いている手を上げる。
「《火炎弾》!」
「あら?」
狙いはリリアナじゃない。
天井。
火球をぶつけ、爆発と煙を起こす。
その隙に扉へ。
そう考えた。
「甘いですわ」
額へ指が触れた。
「え?」
組み上げた術式が。
崩れた。
火炎弾が火の粉となって消える。
「なっ……!」
「昨日、十分に見せていただきましたもの」
リリアナが俺の額から指を離す。
「あなたの火魔法も、風魔法も。術式の組み方はほぼ把握しましたわ」
「一日で解析するな!」
「〈賢者〉ですもの」
「便利すぎるだろ、その職業!」
俺は手首をひねった。
一瞬だけ拘束が緩む。
「今だ!」
振りほどく。
窓は駄目。
今度は扉。
走る。
十歩。
八歩。
五歩。
三歩。
「あと少し!」
取っ手へ手を伸ばす。
その直前。
金色の髪が視界へ入った。
「うわっ!」
リリアナ。
いつの間にか、扉の前にいる。
「どけ!」
「嫌です」
俺が右へ動く。
リリアナも右へ。
左。
左へ。
「通せ!」
「通しません」
「僕は帰るんだ!」
「わたくしは帰しません」
「堂々と言うな!」
なら。
脇を抜ける。
俺は姿勢を低くした。
リリアナの右側。
壁との僅かな隙間へ。
「そこだ!」
踏み込んだ瞬間。
ばんっ!
「っ!?」
俺の顔の横。
壁へリリアナの手がつかれた。
逃げ道が消えた。
「なら反対」
ばんっ。
反対側にも手。
「…………」
後ろ。
壁。
右。
リリアナの腕。
左。
リリアナの腕。
正面。
リリアナ本人。
「捕まえましたわ」
「これは捕まえたんじゃなくて、追い詰めただけだ!」
「同じことでしょう?」
「違う!」
リリアナが少し身体を屈めた。
金色の髪が左右から垂れ、視界へ入る。
「近い!」
「昨日より、随分と抵抗が激しいですわね」
「当然だ! 昨日より状況が悪い!」
「ですが」
リリアナは楽しそうだ。
「わたくしは嬉しいですわ」
「何がだよ」
「あなたが逃げようとするたび、新しい魔法の使い方を見せてくださることが」
「やっぱり研究対象じゃないか!」
「だから興味深いと申し上げていますでしょう?」
「褒められてる気がしない!」
下。
腕の下なら。
俺は腰を落とす。
「ここ!」
「あら」
潜ろうとした瞬間。
リリアナの膝が壁へつかれた。
「え?」
下の隙間まで消えた。
「これで逃げられませんわ」
「まだだ!」
壁。
俺の背後。
だったら。
「《反動風》!」
背中側へ風を撃った。
「っ!?」
壁へぶつかった風が跳ね返る。
反動で俺の身体が前へ押し出された。
さすがのリリアナも、僅かに目を見開いた。
「今だ!」
肩へぶつかる。
横を抜ける。
抜けた。
そう思った。
「本当に」
腰へ腕が回る。
「次々と思いつきますのね」
「うわっ!」
身体が浮いた。
「また持ち上げるな!」
そのままリリアナの胸元へ引き寄せられる。
「あと少しでしたわね」
「感想を言うな! 下ろせ!」
「このまま長椅子へ戻りましょう」
「戻らない!」
「でしたら」
腕がしっかり回る。
「このままお話しいたしましょうか?」
「もっと悪い!」
俺は両手で押す。
当然。
動かない。
「くそっ……!」
「諦めなさい」
「嫌だ!」
「本当に諦めませんのね」
「昨日から何回言わせるんだ!」
俺が必死にもがいた。
そのとき。
研究室の扉が。
白く光った。
「……?」
リリアナが振り返る。
扉の封印術式へ。
外側から別の光が入り込んでいる。
一つ。
消える。
二つ。
また一つ。
「まさか」
リリアナの表情が変わった。
「この解除の仕方……!」
「もしかして」
俺は扉を見る。
最後の封印が消える。
重い扉が。
ゆっくりと開いた。
「やはり、ここでしたか」
銀色の長い髪。
白を基調とした制服。
腰には細身の聖剣。
「ルーチェ!」
「迎えに来ました、ユーリ」
「助かった!」
その後ろには。
「よう」
ダン。
そして。
「悪い。遅くなった」
ルウまでいる。
「二人とも!」
「目が覚めてから、すぐ学園へ戻った」
ダンが言う。
「それでルーチェを探した」
「神殿から戻ったところだったから助かった」
ルウが俺を見る。
そして。
リリアナに抱えられている現在の状態を見る。
「……見事に捕獲されてるな」
「笑ってないで助けろ!」
「想像以上だった」
「感想はいらない!」
ルーチェの視線が。
俺。
そして。
俺を抱えているリリアナへ向く。
「リリアナ」
「何でしょう?」
「ユーリを離してください」
「お断りします」
「本人が嫌がっています」
「今から考えを変えていただくところですわ」
「その方法で変わるとは思えません」
「試してみなければ分かりません」
「僕が断ってるだろ!」
リリアナの周囲へ光が浮かぶ。
魔法陣。
一つではない。
火。
水。
風。
土。
雷。
光。
複数属性の術式が、研究室へ広がった。
「おい!」
俺はリリアナを見る。
「室内だぞ!」
「当然理解していますわ」
リリアナは俺を抱えたまま、ルーチェを見る。
「大魔法を使えば、ユーリも巻き込まれる」
ルーチェが言う。
「ですから」
リリアナが微笑む。
「あなたは攻撃できませんわ」
「…………」
「どうなさいます?」
「そうですね」
ルーチェは少しだけ考えた。
「では」
姿が。
消えた。
「え?」
次の瞬間。
身体が軽くなった。
いや。
違う。
リリアナの腕から。
俺が消えた。
「なっ!?」
リリアナが振り返る。
その頃には。
俺は。
「大丈夫ですか?」
ルーチェの腕の中にいた。
背中。
膝裏。
完全なお姫様抱っこ。
「……助かった」
「はい」
「でも」
「駄目です」
「まだ何も言ってない!」
「下ろしてほしいのでしょう?」
「分かってるなら下ろしてくれ!」
「今日は駄目です」
「どうして!」
「昨日はリリアナに連れ去られかけました」
「うん」
「今日はミナに連行されました」
「うん……」
「そのまま研究室へ閉じ込められました」
「僕のせいじゃない!」
「分かっています」
ルーチェは真顔で答えた。
「だからこそ、今日は男子寮まで私が運びます」
「歩ける!」
「先ほど逃げるために魔法を何度も使ったのでしょう?」
「……」
「MPも減っていますね?」
「……少し」
「かなり、ですね」
図星だった。
「それに」
ルーチェが俺を抱く腕を少しだけ強める。
「もう一度奪われる可能性があります」
「僕は荷物じゃないんだぞ!」
「確かに」
後ろからダン。
「完全にお姫様だな」
「言うな!」
ルウも頷く。
「聖女に助けられた小さな魔法使いの姫君」
「お前まで言うな!」
「結構似合ってる」
「黙れ!」
リリアナが魔法陣を消した。
「今回は譲りますわ」
「譲るも何も、最初から僕はお前のものじゃない!」
「ええ」
リリアナは穏やかに微笑む。
「ですが、諦めたとは申し上げていません」
「諦めろ!」
「次は」
少しだけ目を細める。
「あなた自身が、わたくしの研究室へ来たくなるようにいたしましょう」
「絶対に来ない!」
「楽しみにしていますわ」
「僕は楽しみにしてない!」
ルーチェが研究室を出る。
俺を抱いたまま。
「ルーチェ」
「はい」
「廊下に出たぞ」
「そうですね」
「下ろして」
「男子寮までです」
「本気なのか!」
「本気です」
「人に見られる!」
そして。
すでに遅かった。
「……」
研究棟の廊下。
何人もの女子生徒が。
こっちを見ている。
「ルーチェ様だ」
「抱えてるのって……」
「男子首席のユーリ?」
「また?」
「またって何だ!」
俺の叫びが廊下へ響く。
「聖女様がお姫様を救出したみたい」
「誰がお姫様だ!」
「銀髪の騎士様と、小さな魔法使いのお姫様」
「僕は男だ!」
あちこちから笑い声が上がる。
「ルーチェ! 本当に下ろしてくれ!」
「暴れると危険ですよ」
「精神的には今が一番危険なんだよ!」
「安心してください」
「何を!」
「私が抱いている限り、誰にも連れ去らせません」
「評判の話をしてるんだ!」
ルーチェは。
ほんの少しだけ。
頬を赤くしていた。
それでも。
俺を下ろす気はないらしい。
「ユーリ」
「何だよ」
「無事でよかったです」
「…………」
声だけは。
さっきまでとは違った。
からかいでも。
過保護な注意でもない。
本当に。
心配していた声だった。
「……ありがとう」
「はい」
「助かった」
「はい」
「でも」
「下ろしません」
「最後まで言わせろ!」
後ろからダンとルウの笑い声が聞こえる。
俺は天井を見上げた。
昨日。
〈賢者〉に負けて。
膝枕され。
研究棟へ持ち帰られかけた。
今日。
下級職〈拳闘士〉のミナに三人まとめて負けて。
肩へ担がれて。
今度こそ本当に研究室へ連行された。
そして脱出しようと何度も抵抗した末。
最後は。
助けに来た〈聖女〉にお姫様抱っこで連れ帰られている。
「……僕、男子首席なんだけどな」
「知っていますよ」
「もっと格好いい学生生活になる予定だったんだけど」
「十分、注目されています」
「こういう注目はいらない!」
ルーチェは小さく笑った。
こうして。
俺の人生で初めての本格的な連行事件は。
聖女による救出という形で、どうにか終わった。
ただし。
研究室から救出された俺が、そのまま自分の足で帰れたかどうかについては。
できれば。
今後、誰にも語らないでほしい。




