第3話 旧水路の大型スライム
冒険者ギルドの治療室で、俺は寝台の端へ腰を下ろしていた。
首筋には冷却布。正面には腕を組んだルーチェ。その隣では、ダンが投げられた腰をさすり、ルウが当て身を受けた腹を押さえている。
三人とも大きな怪我はない。
ないのだが。
「ですから、今日は依頼を取り消した方がよいと思います」
ルーチェが静かに言った。
「いや、待ってくれ」
「待ちません」
「まだギルドから一歩も外へ出てないんだぞ!」
「その状態で三人とも気絶しました」
「相手がリリアナだったからだ!」
俺が反論すると、ダンとルウも揃って頷いた。
「さすがに大型スライムと〈賢者〉を同じ基準で考えるのはおかしいだろ」
「俺たちが受けようとしているのは初心者向けの調査依頼だ。上級職との模擬戦じゃない」
二人の援護を得て、俺は冷却布を外した。
「危険だから何もしないっていうなら、僕たちはいつまで経っても実戦経験を積めない」
ルーチェが黙る。
「男子だからって、ずっと荷物運びと迷い猫探しだけをするつもりはない。危険なら撤退する。大型個体が手に負えないなら戻って報告する。それも含めて冒険者だろ?」
「ユーリ」
「それに」
俺はダンとルウを見る。
「僕一人じゃない」
ダンが前で受ける。
ルウが周囲を調べる。
俺が魔法を使う。
一人ではできないことを三人で補う。それが、俺たちが冒険者を始めようと思った理由でもあった。
ルーチェはしばらく俺たちを見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「分かりました」
「じゃあ」
「ただし、私も同行します」
「えっ」
三人揃って固まった。
「ルーチェが来たら、依頼が一瞬で終わるだろ」
「私は手を出しません」
「いやいや、スライムが出た瞬間に消滅させそうなんだけど」
「しません」
ルーチェは真顔だった。
「通常の範囲なら、皆さんだけで対処してください。私は後ろから見ています。明らかに皆さんでは対処できない危険が生じた場合だけ介入します」
ダンが俺の耳元へ顔を寄せた。
「要するに、保護者つき初冒険だな」
「聞こえています」
「すみません」
即座に姿勢を正した。
俺は少し悩んだが、最終的には頷いた。
「分かった。それでいい」
正直なところ、悔しくないわけではない。
男子三人だけでやってみたかった。
だが、初めての依頼で意地を張って大怪我をしても仕方がない。
「ただし、本当に危なくなるまで手を出すなよ?」
「約束します」
「あと、できれば歩かせてくれ」
「それは今の話と関係ありません」
「大事なんだよ!」
さっき治療室までお姫様抱っこで運ばれたせいで、廊下にいた冒険者たちから散々見られたのだ。
俺の冒険者人生は、出発する前から妙な方向へ転がり始めていた。
◇
学園都市の北側には、現在使われている水路とは別に、数十年前まで利用されていた旧水路が残されている。
完全に封鎖されているわけではなく、一部は雨水の排出や設備点検に利用されているらしい。
今回、スライムが増えているのはその地下区画だった。
「暗いな」
入口から少し入ったところで、ダンが呟いた。
「灯りをつける」
俺は指先へ小さな火を灯す。
「火を大きくするなよ」
ルウが注意した。
「分かってる。閉所だからな」
湿った石壁。
ところどころに苔。
足元には浅い水が流れている。
水路自体は人が二、三人並んで歩ける程度の幅があり、天井も俺たちには十分高い。
もっとも、後ろを歩いているルーチェにとっては少し低そうだった。
「頭、気をつけろよ」
「ユーリに心配されるとは思いませんでした」
「僕より四十センチくらい高いんだから当たり前だろ」
ルーチェは軽く身を屈めて梁をくぐった。
その姿を見て、ダンが小声で言う。
「こういうところだと、ちょっとだけ俺たち有利だな」
「何が?」
「天井」
「悲しい優位を見つけるな」
進み始めて十分ほど。
最初に異変へ気づいたのはルウだった。
「止まれ」
右手を上げる。
俺とダンが足を止めた。
「何かいるのか?」
「前」
ルウが指差す。
壁際。
薄暗い水の中で、半透明の何かが動いていた。
「スライムだ」
通常種。
大きさは俺の胴体ほど。
「依頼対象だな」
ダンが盾を構える。
「まず一体。俺が受ける。ルウは横、ユーリは後ろから」
「了解」
スライムが這い寄ってくる。
速くはない。
「来い!」
ダンが前へ出た。
スライムが身体を伸ばす。
盾で受け止める。
「今だ!」
ルウが横へ回り、短剣を突き込んだ。
表面が裂ける。
だが、すぐに粘液が傷口を塞いだ。
「やっぱり普通に斬るだけじゃ駄目か」
「核を探せ!」
俺は火球を小さく作った。
「《火炎弾》!」
直撃。
スライムの一部が蒸発する。
透明だった身体の奥に、小さな核が見えた。
「ルウ!」
「見えた!」
短剣が突き込まれる。
核が砕けた。
スライムの身体が崩れ、ただの粘液へ戻る。
「よし!」
ダンが拳を上げた。
「一体目!」
「まだ調査開始から十分だぞ」
「初討伐なんだから喜ばせろ」
俺も少しだけ笑った。
魔物一体。
相手は最弱に近いスライム。
それでも。
初めて自分たちで受けた依頼で、自分たちの力だけで倒した魔物だった。
後ろを見る。
ルーチェは約束どおり、何もしていない。
「どうだった?」
「問題ありません。ただ、ユーリ」
「何?」
「火魔法を使う前に、周囲の空気と可燃物を確認してください」
「……はい」
こういうところは容赦がない。
その後も通常種を何体か倒した。
最初こそ慎重だったが、次第に三人の動きが合ってくる。
ダンが正面。
ルウが核を探し。
俺が火や風で動きを制限する。
「模擬戦より楽しいな」
ダンが言った。
「相手がリリアナじゃないからな」
「比較対象がおかしいんだよ」
俺たちはさらに奥へ進んだ。
そして。
旧水路の広い区画へ出たところで、足を止めた。
「……でかくないか?」
ダンの声から、さっきまでの余裕が消えた。
通路の奥。
半透明の巨体が蠢いている。
高さだけでも俺たちの倍近い。
横幅は通路いっぱい。
人間なら、三人まとめて呑み込めそうだった。
「依頼書にあった大型個体か」
ルウが短剣を抜く。
「普通の大型種より大きい気がする」
俺は後ろへ視線を向けた。
ルーチェはまだ動かない。
つまり。
少なくとも、即座に逃げるほどではないと判断している。
「やってみよう」
俺は二人を見る。
「危ないと思ったら即撤退だ」
「ああ」
「分かった」
ダンが盾を構えた。
「まず俺が受ける!」
大型スライムが身体を伸ばした。
ダンの盾へ激突する。
「ぐっ……!」
通常種とは重さが違う。
ダンの足が石床を滑った。
「横だ!」
ルウが飛び込む。
短剣を突き立て、一気に横へ裂いた。
大きな傷ができる。
だが。
「戻るぞ!」
粘液が集まり、数秒で塞がった。
「核は?」
「見えない!」
身体が厚すぎる。
俺は風の刃を撃ち込む。
半透明の身体が大きく裂けた。
それでも核は見えない。
「ずいぶん奥だな……」
大型スライムが震えた。
「離れろ!」
三人が散る。
次の瞬間。
粘液の塊が放たれた。
壁へぶつかる。
じゅっ。
嫌な音がした。
「……おい」
ダンが壁を見る。
石の表面が溶けている。
「酸かよ!」
「普通の大型種じゃないな」
これは危ない。
直撃すれば、男子の身体では洒落にならない。
ルーチェが一歩前へ出かける。
「まだ!」
俺は手を上げた。
「もう少しだけやらせてくれ」
ルーチェの足が止まる。
「危険だと思ったら、私は止めます」
「分かってる」
正面から削っても再生される。
核まで届かない。
なら。
俺は周囲を見る。
何かないか。
壁。
水。
排水溝。
補修工事で置きっぱなしになったらしい古い板や木材。
「木……」
同じものを見たらしいダンが口を開いた。
「ユーリ。火は使えるよな?」
「当然。でも、水路で大きく燃やすのは危険だぞ」
「広げなければいい」
ダンが背負っていた荷物を下ろした。
中から、小さな油壺を取り出す。
「何でそんなもの持ってるんだ?」
「剣と盾の手入れ用だ。予備もある」
俺は油。
木材。
そしてスライムを見る。
「ああ」
分かった。
「本体へ火を当てるんじゃなくて、下から炙るのか」
「火なら再生するより早く水分を飛ばせるかもしれない」
「俺は?」
ルウが尋ねた。
俺とダンが同時に見る。
「囮」
「却下」
「お前が一番速い」
「それは盗賊だからな。でも、もう少し言い方があるだろ!」
「誘導役」
「最初からそう言え!」
三人で急いで準備を始めた。
ダンが木材を集め、油をかける。
俺は燃やしたときに煙がどちらへ流れるか、風の向きを確認する。
ルウは大型スライムの移動経路を見る。
「ここを通せばいいな」
「いける」
「じゃあ行ってくる」
ルウが石を拾った。
「おーい、でかいゼリー!」
投げる。
石がスライムの身体へ沈んだ。
「こっちだ!」
大型スライムが動き出す。
「来た!」
ルウが走る。
速い。
大型スライムは身体を波打たせながら追う。
「もう少し右!」
「分かってる!」
木材の横を飛び越える。
大型スライムもそのまま進む。
だが。
「止まった!」
木材の直前。
大型スライムが動きを止めた。
「気づいたのか?」
「知らないけど、乗ってくれない!」
「なら!」
ダンが盾を構えた。
「押し込む!」
「待て、危ない!」
「一瞬でいい!」
ダンが突進した。
盾が粘液へ食い込む。
「うおおおっ!」
大型スライムの身体が左右からダンを包もうとする。
「ダン!」
「まだだ!」
足を踏ん張る。
男子戦士として出せる限界近くまで力を込める。
当然、力比べで圧倒できるわけじゃない。
だが。
少し。
ほんの少しずつ。
大型スライムが動いた。
中心部分が油を染み込ませた木材の上へ乗る。
「ユーリ!」
「離れろ!」
ダンが盾を手放し、後方へ転がった。
俺はすでに術式を組んでいる。
「火よ、集え!」
狙うのはスライムじゃない。
足元。
「《火炎弾》!」
火球が木材へ直撃した。
一気に炎が走る。
「燃えた!」
油を吸った木材が激しく燃え上がる。
大型スライムを下から炎が包んだ。
巨体が大きく波打つ。
内部の水分が蒸発し、白い蒸気が噴き出した。
「ユーリ、火が弱くなる!」
「分かってる!」
水分が多い。
なら。
俺は属性を切り替えた。
「風よ!」
炎へ向けて送る。
「《送風》!」
空気が流れ込む。
火勢が一気に強くなった。
「おおっ!」
ダンが声を上げる。
大型スライムが炎から逃れようと横へ動く。
「逃がさない!」
ルウが走った。
あらかじめ確認していた古い板へ細縄をかける。
引く。
板が倒れ、通路の片側を塞いだ。
「そっちは通行止めだ!」
大型スライムが逆へ動く。
「ダン!」
「任せろ!」
今度はダンが盾で進路を塞ぐ。
完全に押し返す必要はない。
炎の中へ数秒長く留められればいい。
「まだだ!」
俺は風を送り続けた。
熱い。
魔力も減っていく。
それでも。
効いている。
大型スライムの巨体が徐々に縮んでいく。
透明だった身体が濁り。
水分が失われ。
そして。
「見えた!」
中心部。
赤黒い核。
「核だ!」
「ユーリ、狙えるか!?」
「まだ粘液が邪魔だ!」
火を止めれば、また包まれるかもしれない。
その瞬間。
後ろから。
「そこだけなら」
ルーチェの声。
細い水流が俺たちの横を抜けた。
「え?」
炎を消さない。
一本の針のような水。
正確にスライムの中央へ入り込み。
露出しかけていた核を外へ弾き飛ばした。
「今です!」
核が宙を舞う。
「ユーリ!」
「分かってる!」
もう火は要らない。
風。
「《風の刃》!」
三日月形の風が飛んだ。
核へ直撃。
真っ二つに割れる。
一瞬。
大型スライムの巨体が止まった。
そして。
どしゃっ。
形を失った粘液が、床へ一気に崩れ落ちた。
「……倒した?」
ダンが盾を構えたまま尋ねる。
ルウが恐る恐る近づき、割れた核を見る。
「動かない」
三人で顔を見合わせる。
「倒した……!」
思わず拳を握った。
「やった!」
ダンが叫ぶ。
「初依頼で大型種だぞ!」
「途中から変異種っぽかったけどな!」
ルウも笑っている。
俺も。
自然に笑っていた。
強かった。
正面から魔法を撃つだけでは駄目だった。
ダン一人では押し切れない。
ルウ一人では核へ届かない。
俺一人でも倒せなかった。
でも。
三人なら。
「三人で倒したんだ」
口から自然に出た。
すると。
後ろから小さく咳払いが聞こえた。
「私も最後に少し手を出しましたけれど」
「あ」
忘れていた。
「いや、でも、ルーチェは核を外へ出しただけだろ?」
「かなり重要な部分だと思います」
「そこは……ありがとう」
ルーチェは少しだけ笑った。
「でも、勝ち筋を作ったのは皆さんです」
俺たち三人を見る。
「力で押し切ろうとしなかったのは正解でした。木材、油、通路の狭さを利用し、役割を分担した。相手より能力が低くても、どう戦うかを考え続けた結果ですね」
「だろ?」
ちょっと得意になる。
「ただし」
ルーチェの表情が真面目になる。
「反省点もあります」
「やっぱりあるのか」
「ダン。酸性粘液を使う相手へ直接押し込むのは危険です」
「はい」
「ルウ。囮になる前に退路を二本確認してください」
「はい」
「ユーリ。閉所で油へ火をつけるなら、先に煙の排出経路を確認してください」
「……はい」
三人揃って頭を下げた。
「ですが」
ルーチェは最後に、もう一度だけ微笑んだ。
「初めての依頼としては、とてもよい戦いでした」
その一言だけで。
何となく全部報われた気がした。
◇
冒険者ギルドへ戻る頃には、すっかり夕方になっていた。
受付へ割れた核と調査結果を提出する。
「大型個体だけでなく、酸性粘液まで?」
受付職員が驚いた顔をした。
「はい。通常種より明らかに強かったです」
「分かりました。こちらでも確認します。無理に奥まで調査せず、個体を倒したところで戻った判断も適切です」
依頼達成。
その言葉を聞いた瞬間。
三人とも顔を見合わせた。
「やったな」
「ああ」
「これで正式に冒険者だ」
「登録した時点で冒険者だけどな」
「雰囲気の話だよ!」
受付職員が笑いながら、カウンターへ銀貨を並べた。
十二枚。
「こちらが報酬です」
「銀貨十二枚……」
自分で稼いだ。
この世界へ来て初めてではない。
でも。
冒険者として。
仲間と魔物を倒して得た、最初の報酬だった。
「四枚ずつだな」
俺が言う。
「待て」
ルウが手を上げた。
「俺、囮だったよな?」
「そうだな」
「危険手当」
「却下」
「一枚くらい増やしてくれてもいいだろ!」
「大型スライムを押した俺にも危険手当が必要になるぞ」
ダンまで乗ってくる。
「僕は火の近くで魔法を維持してた」
「じゃあ全員危険手当だな」
「元に戻ったじゃないか!」
結局。
仲良く四枚ずつになった。
◇
学園へ戻る途中。
男子寮と女子寮へ向かう道の分岐で、ルーチェが足を止めた。
「私はこのあと神殿へ報告がありますので、ここで別れます」
「今日はありがとう」
「私、ほとんど何もしていませんよ」
「最後に助けてくれただろ」
「あれは皆さんの作戦を仕上げただけです」
ルーチェはそう言ってから、少しだけ俺を見つめた。
「ユーリ」
「何?」
「今日は、まっすぐ男子寮へ戻ってください」
「……どうして僕だけ名指し?」
「心当たりはありませんか?」
ある。
ものすごくある。
今日だけで〈賢者〉に膝枕され、そのまま研究棟へ持ち帰られそうになった。
「リリアナのことなら大丈夫だろ」
「どうしてそう思うのです?」
「さすがに一日に二回は来ないだろ」
ルーチェはしばらく黙って俺を見た。
「その考え方は危険です」
「リリアナを何だと思ってるんだよ」
「今日のユーリを研究棟へ持って帰ろうとした人です」
「……反論できない」
ルーチェが少しだけ顔を近づけた。
「ダンとルウから離れないようにしてください」
「分かってる。二人も一緒だし、大丈夫だよ」
「本当に?」
「ああ」
俺が答えると。
ルーチェはようやく頷いた。
「では、また明日」
「また明日」
三人でルーチェと別れる。
帰り道。
ダンが報酬の入った袋を振りながら笑った。
「初依頼成功か」
「途中に賢者戦が挟まったけどな」
ルウが言う。
「むしろ依頼よりそっちの方が危険だった」
「忘れよう」
俺は即答した。
今日は十分だ。
初めての冒険者依頼。
初めて仲間と倒した大型魔物。
初めての報酬。
最後くらいは平和に終わっていい。
「今日はもう何も起きないだろ」
俺がそう言うと。
ダンとルウが足を止めた。
「ユーリ」
「何?」
「そういうこと言うの、やめた方がよくないか?」
「なんで?」
「朝から何回予定が狂ったと思ってるんだ」
「気のせいだ」
この日は。
本当に何も起きなかった。
俺たちは無事に男子寮へ戻り、初依頼の成功を祝った。
だから俺は。
少しだけ油断してしまったのだと思う。
翌日の放課後。
今度はリリアナ本人ではなく。
彼女から命令を受けた一人の女子生徒が、俺たちの帰り道を待ち伏せしていることなど。
このときの俺は、まだ知らなかった。




