第1話 男子首席と、最初の冒険
放課後。
授業を終えた俺は、男子寮へ戻る道とは反対側へ歩いていた。
今日は、待ちに待った冒険者登録の日だ。
「いよいよだな」
右隣を歩くダンが、妙に嬉しそうな顔で言った。
男子としてはかなり大柄な方で、職業は〈戦士〉。前衛で盾を持たせれば、少なくとも俺より遥かに頼りになる。
「冒険者登録。依頼。報酬。そして合法的に授業を抜け出せる学外活動」
「最後のが本命になってるぞ」
反対側を歩いていたルウが呆れたように返した。
ルウは〈盗賊〉だ。
俺たち三人の中では一番身軽で、罠や索敵、鍵開けを担当している。性格も比較的冷静なので、勢いで突っ走りやすいダンを止める役になることが多い。
「ちゃんと学園から許可は取ってあるんだから問題ないだろ?」
「学外活動としてだ。授業をさぼっていい許可じゃない」
「細かいなあ。だから女の子に堅苦しいって言われるんだぞ」
「誰に言われた?」
「俺」
「お前か!」
いつものやり取りを聞きながら、俺は前方へ目を向けた。
学園都市の中心部。
学生向けの店が並ぶ通りを抜けた先に、石造りの大きな建物が見えてくる。
入口の上には、剣と杖、それから翼を組み合わせた紋章。
エルナード王国冒険者ギルド、学園都市支部だ。
「ようやくだな」
思わず口元が緩んだ。
八歳の頃。
異世界へ転生したと知った俺が思い描いていた冒険とは、ずいぶん違う。
俺は最強の勇者でもなければ、世界を救うために選ばれた英雄でもない。
男子首席とはいっても、女子まで含めれば学年二百位前後。
実技だけなら、さらに下だ。
それでも。
仲間と冒険者ギルドへ入り、自分たちで依頼を選んで外へ出る。
これは間違いなく、俺が昔から憧れていた「異世界の冒険」だった。
「何にやけてるんだ?」
ダンがこちらを見る。
「別に」
「初依頼が楽しみなんだろ」
「お前もだろ」
「俺は報酬が楽しみだ」
「台無しだな」
三人で扉の前へ立つ。
ダンが勢いよく押し開けた。
「失礼しまーす!」
「もう少し普通に入れ」
中へ入った瞬間、様々な匂いが混ざった空気が押し寄せてきた。
料理。
革鎧。
薬草。
木材。
金属。
そして微かに酒の匂い。
「おお……」
思わず声が漏れた。
広い。
正面には受付が並び、右側には酒場兼食堂。
左側の壁一面には、大量の依頼書が貼られた掲示板がある。
荷物運び。
薬草採取。
迷い犬の捜索。
街道の巡回。
小型魔物の駆除。
護衛。
遺跡調査。
見ているだけでも楽しい。
「冒険者ギルドだ……」
「そりゃそうだろ」
「分かってるけど、ちょっと感動するんだよ」
「ユーリは変なところで子どもっぽいよな」
ルウが笑った。
「うるさい」
もっとも、俺が想像していた冒険者ギルドと違うところもある。
まず、圧倒的に女性が多い。
掲示板の前に立っている冒険者も、酒場で食事をしている者も、装備の手入れをしている者も、大半が女性だった。
しかも大きい。
俺たち三人より頭一つどころか、二つ近く高い女性も珍しくない。
大剣を背負った女性冒険者が俺たちの横を通り過ぎる。
背負っている大剣だけで、俺の身長にかなり近かった。
「分かってはいたけど……」
ダンが小声で言う。
「本当に女ばっかりだな」
「危険な仕事ほど女性が多くなるからな」
これは当然のことだ。
魔法。
武器技能。
職業。
身体能力。
あらゆる面で女性の方が有利なのだから、魔物と直接戦う冒険者に女性が多くなるのも自然だった。
もちろん、男性冒険者がいないわけではない。
ただし、受付近くで書類を運んでいる男性や、採取依頼の説明を受けている男性を見る限り、やはり危険度の低い仕事を選ぶ者が多そうだった。
「だからこそだ」
ダンが拳を握る。
「俺たちは戦う依頼を受ける」
「最初から大物を狙うなよ」
「分かってる。ゴブリン百匹くらいからだ」
「全然分かってない」
「百匹はやめろ」
三人で受付へ向かった。
カウンターの向こうには、赤い髪を後ろでまとめた女性職員が座っていた。
俺たちを見ると、すぐに柔らかく微笑む。
「こんにちは。冒険者登録でしょうか?」
「はい。エルナード王国魔法学園から許可をもらっています」
俺は鞄から書類を取り出した。
三人分まとめて渡す。
職員はそれを受け取り、一枚ずつ確認していった。
「ダンさん。〈戦士〉、職業レベル三」
「はい」
「ルウさん。〈盗賊〉、職業レベル三」
「はい」
最後に俺の書類を見る。
そこで職員の視線が止まった。
「ユーリさん。〈魔法使い〉……職業レベル三」
「はい」
職員がもう一度、書類と俺の顔を見比べる。
「もしかして、学園の男子首席のユーリさんですか?」
「一応」
その言葉を聞いた途端。
周囲から、いくつかの視線が飛んできた。
「男子首席?」
「あの子?」
「へえ」
「魔法使いなんだ」
まずい。
予想していなかった。
学園内ならともかく、冒険者ギルドでまで知られているとは思わなかった。
「可愛い顔してるのに、男子首席なんだ」
「…………」
そっちは聞こえなかったことにした。
ダンが肩を震わせている。
「笑ったら殴るぞ」
「聞こえてたのか」
「聞こえる!」
受付職員は悪意なく続けた。
「男子でありながら、実戦速度で中級魔法まで使える生徒がいるという話は、こちらにも届いています」
「あんまり広めないでほしいんですけど……」
「珍しいですからね。ただし」
職員の表情が少し真面目になる。
「中級魔法を使用した後は、かなり消耗すると伺っています」
「まあ……はい」
痛いところを突かれた。
本来、男性の職業レベル三では安定して扱えない領域だ。
俺の場合は無理やり術式を成立させているだけなので、撃てばそれなりの反動が来る。
「冒険者活動では無理をしないでくださいね。魔物は模擬戦のように待ってはくれませんから」
「分かっています」
「三人とも職業レベル三ですし、男性パーティーとしてはかなり優秀です。ただ、最初の依頼は危険度の低いものからお願いします」
「やっぱり『男性パーティーとしては』が付くんだな」
ダンが小さくぼやいた。
「事実だから仕方ないだろ」
ルウが答える。
「分かってるけどさ」
俺にも、その気持ちはよく分かる。
男子首席。
男性としては優秀。
男子にしては強い。
子どもの頃から何度聞いたか分からない。
昔なら、その一言だけで少し苛立っていた。
今はもう慣れている。
それでも。
「そのうち、『男子にしては』が付かない仕事をしてやろうぜ」
俺が言うと、ダンが笑った。
「それだ」
「無茶をしない範囲でな」
ルウも小さく頷いた。
受付職員は三人を見て、少しだけ微笑んだ。
「では、最初はこちらはいかがでしょう?」
一枚の依頼書がカウンターへ置かれる。
俺たち三人が覗き込んだ。
【学園北側・旧水路の調査】
旧水路内でスライムの増加が確認されている。
通常個体の駆除、および発生原因の調査。
大型個体らしき目撃情報あり。
危険を感じた場合は戦闘を避け、即時撤退すること。
報酬、銀貨十二枚。
「スライムか」
ダンが少し残念そうに言った。
「最初ならいいだろ」
ルウはむしろ安心したようだった。
「閉所だから油断はできない。大型個体が本当なら、退路の確認も必要だ」
「火魔法は使えるけど、水路の中じゃ使い方を考えないとな」
俺も依頼書を読む。
悪くない。
むしろ、初仕事としてはちょうどいい。
三人だけでどこまでやれるか試せる。
通常のスライムなら危険は少ない。
大型個体がいたとしても、無理なら撤退すればいい。
「これにします」
俺が依頼書へ手を伸ばした。
その瞬間だった。
反対側から伸びてきた白い指が、同じ依頼書の端を押さえた。
「お待ちなさい」
「……え?」
聞き覚えのある声だった。
しかも、あまり聞きたくない部類の声だ。
ゆっくりと顔を上げる。
艶やかな金色の髪。
左右へ美しく巻かれた特徴的な縦巻き。
整った顔立ち。
そして、俺たち三人を完全に見下ろせる長身。
「リリアナ……」
「あら。きちんとご挨拶くらいなさいませ、ユーリ」
リリアナ。
俺と同じ三年生。
三年生総合次席。
そして、上級職〈賢者〉。
魔法と魔法理論については、学年首席のルーチェすら上回ることがある天才だ。
というか。
「なんでここにいるんだ?」
「冒険者ギルドへ冒険者がいて、おかしなことがありますの?」
「いや、お前が冒険者なのは知ってるけど……」
今日に限って、俺たちが依頼を選ぶ瞬間にいる。
嫌な予感しかしない。
リリアナは依頼書へ目を落とした。
「旧水路のスライム調査」
「そうだけど」
「大型個体の目撃情報あり」
「書いてあるな」
「危険ですわね」
「だから危険なら撤退する」
俺は依頼書を引こうとした。
動かなかった。
「……離してくれ」
「嫌ですわ」
リリアナは人差し指と中指。
たった二本で紙を押さえている。
それだけなのに、俺が両手で引いてもびくともしない。
「紙が破れるぞ」
「でしたら引っ張るのをおやめなさい」
「押さえてるのはそっちだろ!」
ダンが横から手を伸ばす。
「俺も手伝う」
「待て。それは絶対におかしい」
ルウに止められた。
その様子を見ながら、リリアナは満足そうに微笑んでいる。
「魔法使い一人」
俺を見る。
「戦士一人」
ダンを見る。
「盗賊一人」
ルウを見る。
そして最後に、俺たち三人をまとめて見下ろした。
「全員男性」
「それがどうした」
ダンが眉をひそめた。
「この程度の依頼なら、三人で十分だ」
「そうでしょうか?」
「危険なら撤退する。受付の人にもそう言われてる」
俺が言う。
リリアナの視線が俺へ戻った。
「特にあなたですわ、ユーリ」
「僕?」
「男子首席だからといって、無茶をしてよい理由にはなりません」
「無茶をするつもりはない」
「中級魔法を撃つたびに身体へ負担をかけている方が?」
「……必要なときだけ使う」
「その『必要なとき』を自分で作ってしまいそうだから心配していますの」
「余計なお世話だ」
「ええ。そうおっしゃると思いました」
どうやら、最初から俺の反応まで読まれている。
「依頼書にも書いてあります。危険を感じた場合は即時撤退する。僕たちはその条件で受ける」
「撤退する前に捕まったら、どうするおつもり?」
「捕まらないようにする」
「魔物があなたの都合に合わせてくださると?」
「だから三人で行くんだ」
俺が答える。
ダンが腕を組んだ。
「前は俺が受ける」
ルウも続く。
「俺が索敵と退路を担当する。ユーリは後ろから魔法だ」
「へえ」
リリアナの目が、ほんの少し細くなった。
「役割分担くらいは考えていらっしゃるのですね」
「馬鹿にするな」
「褒めていますのよ」
「絶対違うだろ」
それでも、リリアナは依頼書から指を離さなかった。
「ならば」
優雅な笑みを浮かべる。
「その依頼を受ける資格があるか、確かめて差し上げますわ」
「は?」
「三人でわたくしと戦いなさい」
俺たちは揃って黙った。
受付職員まで目を丸くしている。
「……何を言ってるんだ?」
「難しいことを申し上げました?」
「僕たちが受けようとしているのはスライム討伐だぞ」
「ええ」
「なんで試験相手が〈賢者〉なんだよ!」
「大型スライムより、わたくしの方が強いからです」
「基準がおかしい!」
広間のあちこちから笑い声が漏れた。
リリアナはまるで気にしない。
「ご安心なさい」
「何を安心するんだ」
「魔法は使いませんわ」
そう言って。
リリアナは自分の杖を受付へ預けた。
「これで条件としては十分でしょう?」
「いや待て」
ダンが俺の横で小声になる。
「魔法なしなら、三対一だぞ」
「だから何だ」
「ひょっとしたら、いけるんじゃないか?」
「相手は上級職だぞ」
ルウが冷静に突っ込む。
「魔法なしでも身体能力で負けてる可能性が高い」
「可能性じゃない。負けてる」
俺は断言した。
上級職は、魔法職だから身体能力が低いという存在ではない。
職業そのものの格が違う。
リリアナは純粋な魔法職の〈賢者〉だが、それでも俺たちより遥かに速く、強く、頑丈だ。
正面から戦えば勝ち目は薄い。
それでも。
俺は押さえられたままの依頼書を見る。
「……勝ったら、この依頼を受けても文句を言わないんだな?」
「もちろん」
「負けたら?」
「今回は諦めていただきます」
「今回は?」
「次にもっと成長してから挑めばよろしいでしょう」
意外だった。
完全に禁止するつもりではないらしい。
ただし。
「それと」
「まだあるのか」
「わたくしに、あなた方がどの程度戦えるのか見せていただきます」
紫色の瞳が俺へ向けられる。
妙に楽しそうだった。
「特にユーリ。以前からあなたの中級魔法には興味がありましたの」
「……嫌な予感しかしない」
「光栄に思いなさいませ」
「思えるか」
リリアナはようやく依頼書から指を離した。
そして踵を返す。
「訓練場へいらっしゃい」
「今からか?」
「当然です」
数歩進んだところで振り返る。
金色の縦巻きが、大きく揺れた。
「三人まとめて相手をして差し上げますわ」
その顔には、絶対的な自信があった。
「ご安心を」
そして、とどめのように付け加える。
「本当に、魔法は使いませんから」
俺はダンとルウを見た。
ダンが拳を握る。
「やるしかないだろ」
ルウがため息をつく。
「依頼を受けるだけだったはずなんだが」
「奇遇だな。僕もそう思ってた」
俺は前を歩いていくリリアナの背中を見た。
第0話の最後で考えていた。
冒険者ギルドへ行って。
登録して。
簡単な依頼を一つ選ぶ。
ただ、それだけのはずだと。
訂正しよう。
冒険者登録を終えてから、まだ十分も経っていない。
それなのに俺たちはこれから、上級職〈賢者〉と三対一で戦うことになった。
「やっぱり、この世界……思ってたのと違うよな」
俺の呟きに、ダンとルウが同時に頷いた。




