第0話 転生した世界は、思っていたのと違った
俺が異世界へ転生したと気づいたのは、物心がついてからしばらく経った頃だった。
前の世界でどうやって死んだのか、そのあたりの記憶は妙に曖昧だった。それでも、自分が日本という国で生きていたこと、電気も自動車もインターネットもある世界を知っていることだけは、はっきりと覚えていた。
そして何より、この世界には前の世界になかったものがあった。
魔法である。
「火よ」
まだ幼かった俺が、見よう見まねで手を伸ばす。
次の瞬間、指先に小さな炎が灯った。
蝋燭ほどの火だった。それでも俺にとっては十分だった。
「魔法だ……!」
剣と魔法の世界。
石造りの町。冒険者。魔物。職業。レベル。
前世ではゲームや物語の中にしかなかったものが、この世界には本当に存在していた。
俺は確信した。
これは来た。
異世界転生である。
だったら当然、これから待っているのは大冒険だ。
魔法を覚えて、強くなって、いつか伝説の魔法使いになる。ドラゴンや魔王みたいな、いかにも異世界らしい強敵と戦う日だって来るかもしれない。
もしかすると俺には、転生者だけが持つ特別な力まであるのではないか。
そんな期待に胸を膨らませながら、俺は火魔法と風魔法の練習を始めた。
そして八歳になった頃。
俺の輝かしい異世界転生計画は、一度粉々になった。
◇
「もう一回!」
「いいけど……ユーリ、本当にやるの?」
家の近くにある空き地で、俺は木剣を構えていた。
向かいに立っているのは、近所に住んでいる六歳の女の子だった。俺より二歳年下で、この頃なら背丈もまだそれほど変わらない。
腰まで伸ばした茶色い髪を後ろでまとめ、俺と同じ子ども用の木剣を握っている。
さっきから三回戦って、三回負けていた。
だが、それには理由がある。
一回目は油断した。
二回目は足元が滑った。
三回目は相手の動きを見誤った。
つまり、次ならいける。
前世込みなら精神年齢では俺の方が遥かに上なのだ。多少運動能力で負けていても、考えて戦えば二歳年下の女の子くらいには勝てる。
「今度は本気だからな」
「さっきも言ってたよ?」
「今度こそ本気なんだ」
「ふーん」
女の子は木剣を持ち上げた。
構えらしい構えでもない。
隙だらけに見える。
俺は地面を蹴った。
「もらった!」
正面から行くふりをして、直前で身体を横へずらす。
相手が反応したところへ、逆方向から木剣を振る。
子ども相手なら十分なフェイントだ。
そう思った。
ぱしん。
「え?」
俺の木剣が止まった。
女の子が片手で持った木剣に、真正面から受け止められていた。
「よいしょ」
「うわっ!?」
軽く押し返された。
たったそれだけで俺の身体が後ろへ飛ばされ、尻から地面へ落ちる。
女の子が追いかけてきた。
「まだだ!」
俺は転がりながら右手を向ける。
「風よ!」
小さな風の塊が飛んだ。
当てるつもりはない。目の前へ風をぶつけ、怯んだ隙に立ち上がる。
我ながら悪くない判断だった。
「あ、水よ」
女の子が左手を振った。
俺の風より、ずっと大きな水の塊が飛んできた。
「ちょっ」
ばしゃん。
頭から水をかぶった。
一瞬だけ視界が真っ白になる。
その間に木剣を弾き飛ばされ、気づいたときには背中から地面へ転がされていた。
胸元へ木剣の先が、ちょこんと置かれる。
「わたしの勝ち」
「…………」
空が青かった。
ものすごく青かった。
六歳児に完敗した八歳児が見上げるには、あまりにも爽やかな空だった。
「ユーリ?」
「……俺、八歳なんだけど」
「知ってるよ?」
「君、六歳だよな?」
「うん」
「二歳、俺の方が年上だよな?」
「そうだね」
「なんで俺が負けるんだよ……」
女の子は少し困った顔をした。
「だって、ユーリ男の子だもん」
何を当たり前のことを聞いているのだろう、という顔だった。
「…………男だから?」
「うん」
その日の夜。
俺は初めて、この世界について本気で調べた。
◇
調べてみれば、答えは呆れるほど簡単だった。
この世界では、女の子の方が強い。
しかも、少し強いとか、平均的には女性の方が強いとか、そういう程度ではない。
世界そのものが、そういう仕組みになっていた。
その始まりは、はるか昔に起きたという神々の大戦まで遡る。
女神エリシア。
男神ゼノス。
魔神。
職神。
武神。
かつて、この世界では五柱の神々が争っていた。
そして長い戦いの末、勝利したのが女神エリシアだった。
エリシアは敗れた四柱から、その力の大半を奪った。
現在の神々の力は、女神エリシアが四十六。それ以外の四柱が、それぞれ一。
四十六対一対一対一対一。
子ども向けの神話書にまで載っている有名な話だった。
だが、この数字は単なる宗教上の伝説ではない。
女神が魔神の力を得たことで、この世界の女性は誰でも魔法を使える。
武神の力を得たことで、女性は必ず何らかの武器技能を身につけることができる。
職神の力を得たことで、女性は職業を極め、別の職業へ進み、さらに条件を満たせば中級職や上級職へ到達することさえできる。
しかも、同じように経験を積んでレベルが上がっても、女性の成長量は男性より遥かに大きい。
つまり、最初から差があるうえに、育てば育てるほど差が広がる。
一方。
敗北した男神ゼノスの影響を強く受けた男性には、様々な制限が残された。
選べる職業は、ごく限られた五つ。
職業レベルの上限は三。
転職そのものを禁止されているわけではないらしいが、男性では必要な能力や技能へ届かず、実際にはほとんど不可能とされている。
魔法や武器にも大きな制約がある。
そして何より。
男性は十歳前後になると、肉体の成長そのものがほぼ止まる。
「いや、待って」
そこまで調べた俺は、母を捕まえた。
「でも、鍛えれば強くなれるんだろ?」
「もちろん強くはなれるわよ」
母は普通に頷いた。
俺は少し安心した。
「じゃあ、頑張れば女の人にも勝てる?」
「……相手によるわね」
微妙な間があった。
八歳の俺にも、その間の意味くらい分かった。
「普通の女の人には?」
「難しいわね」
「同じくらい鍛えた女の人なら?」
「もっと難しいわね」
「ものすごく頑張ったら?」
「女の子もものすごく頑張ったら、もっと強くなるわね」
「…………」
逃げ道がなかった。
「じゃあ、俺が百回頑張って、女の子が百回頑張ったら?」
「女の子の方がずっと強くなるわね」
「なんでだよ!」
「そういう世界だからよ」
世界法則に母親からとどめを刺された。
俺の想像していた異世界転生は、ここで静かに崩壊した。
◇
十歳になった頃、本当に身体の成長が鈍くなった。
去年まで俺と同じくらいだった女の子たちが、次々と俺の背を追い越していく。
十二歳。
十四歳。
十六歳。
年齢は重なっていくのに、俺の身体はほとんど変わらなかった。
もちろん、だからといって中身まで子どものままになるわけではない。
精神も知識も経験も、普通に年齢とともに成長する。
やがて俺も成人した。
ただし身体だけは、小柄なままだった。
最初の頃は、かなり悔しかった。
どれだけ鍛えても、同じように鍛えた女の子との差は縮まらない。
レベルを上げても、向こうの方が遥かに大きく伸びる。
それでも、何年もそんな世界で生きていれば、いつまでも嘆いているわけにもいかない。
どうせこの世界で生きるのだ。
だったら、ないものを欲しがり続けるより、あるものを使った方がいい。
幸い、俺には魔法があった。
男性としては魔力量もかなり多いらしい。
火と風。
二属性しかない。
けれど、二属性もある。
火を大きくするだけではなく、風で炎の軌道を変えられないか。
風で敵を吹き飛ばすだけではなく、自分自身の移動へ利用できないか。
火球を正面から撃つだけではなく、時間差で曲げたり、地面や壁へ当てて使ったりできないか。
前世で知っていた科学やゲームの知識が、そのまま答えになることはほとんどなかった。
それでも、違う考え方を持ち込むことはできる。
気づけば俺は、強くなること以上に、魔法の使い方を考えることそのものが好きになっていた。
そして、普通の男性魔法使いなら扱えないはずの中級魔法にまで手を伸ばした。
当然、楽に使えるわけではない。
職業レベルが足りない状態で無理に撃つのだから、魔力の消耗も反動も大きい。
それでも、使えた。
男子としては、かなり異例のことらしい。
「俺TUEEEは無理だったけど……」
ある日、魔法書を閉じながら一人で呟いた。
「まあ、異世界で魔法が使えるだけでも十分か」
我ながら、ずいぶん立ち直ったと思う。
◇
そして成人した俺は、エルナード王国魔法学園へ入学した。
そこで改めて、自分がこの世界でどのあたりにいるのかを思い知らされた。
男子の中では、俺は強かった。
魔法使いとしても異例の才能がある。
普通なら扱えない中級魔法まで使える。
努力を重ねた結果、三年生になった現在では男子首席。
男子の中では、一位である。
だが、学年総合ではおよそ二百位。
「……男子首席って、もっと格好いい響きだと思ってたんだけどな」
順位表を見上げれば、俺より上には女子生徒の名前がずらりと並んでいる。
実技だけなら、さらに悲惨だった。
そして、その頂点にいるのが学年首席のルーチェだ。
銀色の長い髪を持つ、上級職〈聖女〉。
全属性の魔法を操り、剣まで使いこなし、治療も防御も前衛戦闘もこなす。
俺がかなり無理をして放つ中級攻撃魔法より、ルーチェが普通に使う初級魔法の方が強い。
初めてそれを見たときは、さすがに笑うしかなかった。
八歳の頃。
二歳年下の女の子に負けて、青空を見上げた。
あれから何年も経った。
状況そのものは、それほど変わっていない。
今でも、勝てない相手は山ほどいる。
むしろ学園へ入って、さらに増えた。
けれど、今の俺はもう、負けたからといって空を見上げたまま動けなくなることはない。
勝てないなら、考える。
届かないなら、別の方法を探す。
失敗したら、次の手を考える。
それでも駄目なら、仲間と一緒に考える。
そうやって進めばいい。
そんな俺には、学園で二人の男子仲間ができていた。
戦士のダン。
盗賊のルウ。
力では女子に敵わなくても、三人ならできることは増える。
そして俺たちは、一つの計画を立てた。
冒険者になることだ。
学園の許可を取り、放課後や休日を使って実際の依頼を受ける。
魔物と戦い、素材を集め、実戦経験を積む。
女子生徒に守られてばかりではなく、自分たちだけでも冒険できることを証明する。
少なくとも、最初の一歩くらいは。
「男子三人で冒険者か」
申請書を受け取った日、俺は少しだけ笑った。
八歳の頃に思い描いたものとは、ずいぶん違う。
伝説の勇者でもない。
最強の魔法使いでもない。
女の子にだって、たぶん何度も負ける。
それでも。
異世界で仲間と一緒に冒険へ出る。
それくらいは、俺が期待していた異世界転生らしいじゃないか。
そして今日。
ついに、冒険者登録をする日がやってきた。
このときの俺は、まだかなり気楽に考えていた。
冒険者ギルドへ行って。
登録を済ませて。
簡単な依頼を一つ選ぶ。
ただ、それだけのはずだった。
少なくとも。
そこで学園次席の〈賢者〉に待ち構えられているなんて、考えてもいなかった。




