第七章「決戦! スヴァルタ・ヘイム!50」
十分ほど走り続けただろうか。
気づけば太陽は真上近くまで昇り、降り注ぐ陽射しが森一面を明るく照らしていた。
周囲の木々も次第にまばらになり、私はそのまま数秒ほど走り続ける。
その時はまだ気づかなかった。
いつの間にか、足元の土は柔らかな草原へと変わっていたことに。
そして、ふと顔を上げた瞬間――
目の前の景色が、一変していた。
「……ここが、カナン草原……!」
思わず立ち止まり、声を漏らす。
そこに広がっていたのは、果てしなく続く緑の大地だった。
まるで大地そのものが一枚の絨毯になったかのように、地平線の彼方まで続いている。
その向こうでは、澄み渡る青空と草原が溶け合い、一枚の絵画のような景色を描いていた。
都会育ちの私にとって、こんな景色は生まれて初めてだった。
あまりにも広く。
あまりにも美しく。
その瞬間だけは、自分が何のためにここへ来たのかさえ忘れてしまうほどだった。
(……ここ、本当に異世界なんだ。)
(すごい……綺麗……。)
――いや、違うっ!!
私は勢いよく頭を振り、無理やり意識を現実へ引き戻した。
(今は観光してる場合じゃない!)
(私はルミナを探しに来たんだから!)
素早く周囲を見渡す。
草原は見渡す限り開けていて、身を隠せる場所はほとんどない。
だからこそ、遠くまで一望できた。
最初は何もないように見えた。
だけど、すぐに私は違和感に気づく。
(……あれは?)
地平線の向こう。
小さな黒い点が一直線に並んでいる。
目を細めてよく見る。
岩でもない。
魔物でもない。
あれは――
「樽……!」
木樽だ。
大量の木樽が、等間隔に一直線に並べられている。
まるで誰かが意図的に配置したかのように。
「ルミナが工場から運び出した、廃棄用のタロの実だ!」
私は勢いよく地面を蹴り、一気に樽の場所まで駆け寄った。
近づいて確認すると、やっぱり予想通りだった。
樽の中には、タロの実がぎっしり詰め込まれている。
周囲を見回して数えてみると、二十個以上。
しかも、すべてが一直線になるよう綺麗に並べられていた。
さらに樽と樽の間には、細い黒い縄が一本ずつ繋がっている。
たぶん……
導火線みたいなもの、なんだろう。
どこでこんな物を集めてきたのかは分からない。
でも、この導火線で全部の樽を一気に爆発させるつもりなんだ。
(そうすれば……)
(あの腐ったタロの実が放つ強烈な悪臭で、魔物たちは本能的に近寄れなくなる。)
(その隙に『スヴァルタ・ヘイム』の進路を変える……。)
(……すごい。)
心の底から、そう思った。
驚きと尊敬が入り混じる。
(こんな大胆な作戦……。)
(どこで覚えたんだろう。)
(知識も、判断力も、それに……。)
(命を懸けることすら迷わない、その勇気も。)
(まだ子どもなのに……。)
私は足元の樽を見下ろす。
果汁で汚れ、鼻を突く刺激臭を放つタロの実。
その光景を見つめていると、不思議な気持ちになった。
そして――ふと気づく。
(……あれ?)
(私もルミナと同い年だった。)
一瞬だけ固まる。
……うん。
でもすぐ首を振った。
いいの。
ルミナは私とは違う。
あの子は特別なんだから。
私は子どもっぽい理由で、自分を納得させるしかなかった。
でも――
正直に言えば。
「子どもの思いつき」なんて言われるかもしれない。
それでも、現場を見た今なら分かる。
これは十分試してみる価値のある作戦だ。
どうせこのタロの実は捨てる予定だった物。
誰も困らない。
だったら、一度くらい挑戦してもいいじゃないか。
私は頭を掻きながら、小さく呟いた。
「……これくらい、試させてくれてもいいのに。」
考え方が甘いのは、自分でも分かっている。
でも、この作戦は命を賭けるものじゃない。
もし何もしないまま逃げて。
あとになって「実は成功していたかもしれない」と知ったら。
その方が、きっと一生後悔する。
そう思いながら、樽の配置をもう一度確認しようとした、その時――
「あっ!!」
雷に打たれたように目を見開いた。
「ルミナ探しに来たんだった!!」
慌てて辺りを見回す。
その瞬間――
「きゃあああぁぁぁっ!!」
「……!」
今の声は……!
森の奥から響いてきた少女の悲鳴。
間違いない。
ルミナだ。
「ルミナ!!」
考えるより先に身体が動いていた。
風のように駆け出し、茂みを突っ切る。
枝が腕を掠めても気にしない。
全力で走る。
そして――
私は、その光景を目にした。
ルミナは魔物の群れに完全に囲まれていた。
襲いかかっているのは、以前私が戦ったあのブラウンウルフたち。
その前方には、もう一匹。
人間の子どもほどの体格をしているのに、顔だけが異様に醜く歪んだ魔物。
目も鼻も口も、無理やり押し潰したような不気味な顔だった。
ルミナは腕を怪我しているのか、その場に座り込んだまま動けない。
その魔物は木の棍棒を振り上げ――
今まさに、振り下ろそうとしていた。
「そこから――離れろぉぉぉっ!!」
私は地面を強く蹴る。
村で戦った時と同じように、勇者の力を全開にする。
棍棒が振り下ろされる寸前――
私は渾身の拳を叩き込み、その醜い魔物を勢いよく吹き飛ばした。
そのまま地面を滑るように着地し、ルミナの前へ立つ。
彼女を背中で守るように。
「楓玲……さん?」
「待たせちゃったね――私のお姫様。」
子ども向けアニメの王子様みたいに。
ちょっと格好良く決めようと思った、その瞬間――
「危ないっ!!」
ブラウンウルフたちは、そんな空気を読んでくれる相手じゃなかった。
左右から同時に飛びかかってくる。
「きゃっ!」
「わわっ!」
ルミナが悲鳴を上げる。
だけど私は思わず笑ってしまった。
ひらりと身体をひねって二匹の飛び掛かりをかわし、そのまま首根っこを掴む。
「よいしょーーっ!」
勢いよく放り投げる。
二匹のブラウンウルフは空高く舞い上がり、木々の天辺を突き抜け、そのまま視界の彼方へ消えていった。
残されたブラウンウルフたちは、一斉に後ずさる。
まるで、とんでもない怪物でも見たような顔をしていた。
「今の二匹が、一番強かったのかな?」
私はニヤリと笑う。
すると、ちょっと悪戯心が湧いてきた。
両手をゆっくり前に突き出し、指を鉤爪みたいに曲げて――
「うおぉぉぉぉぉぉーーっ!!」
思いっきり唸ってみる。
すると――
ブラウンウルフたちは全身を震わせ、一斉に尻尾を巻いて逃げ出した。
あっという間に森の奥へ姿を消し、残ったのは風に揺れる草と、あちこちに散らばった狼の毛だけだった。
私はふぅ、と息を吐く。
視線を先ほど吹き飛ばした醜い魔物へ向けると、その身体は赤と緑の光となり、ゆっくり空へ溶けていった。
ルミナはまだ草原に座り込んだまま、呆然と私を見つめている。
さっきの出来事が、まだ信じられないのだろう。
私は大きく息を吸い込み、彼女の方へ向き直った。
「楓玲……さん?」
震える声。
戸惑いと安心が入り混じった表情。
そんな彼女を見ていると、なんだか少しだけ腹が立ってきた。
私は両手を腰に当て、ぷくっと頬を膨らませる。
そして、小さく文句を言った。
「ルミナ!」
「お出かけするなら、ちゃんと私も誘ってよ!」




