第七章 「決戦! スヴァルタ・ヘイム!49」
離れていく教会は、もう随分と遠くなっていた。
周囲を見渡せば、どこまでも続く深い森。
木々の隙間から差し込む木漏れ日が地面を照らし、辺りは耳が痛くなるほど静まり返っている。
時折、遠くから魔物か野獣のものと思われる咆哮が聞こえてきた。
近くで響くこともあれば、遠くでこだますることもある。
私が走っているのは、村人たちが普段使う獣道ではない。
森を一直線に突っ切る最短ルートだった。
行く手を阻むのは、絡みつく蔦、地面から突き出した太い木の根、そして倒れた枯れ枝。
だけど――今の私は違う。
勇者の力を、一切遠慮することなく使える。
(ルミナ……無事でいて。)
(教会でスギさんが話していた通りなら……ルミナは夜明けには村を出発している。)
私は空を見上げた。
太陽はすでに頭上近くまで昇り、もうすぐ正午を迎えようとしている。
時間は、本当に残されていない。
私はすぐに視線を前へ戻し、さらに速度を上げた。
(ダメ……このままじゃ間に合わない!)
(晞夏が前に教えてくれたよね……走る時の体力の使い方とか、呼吸の整え方とか……。)
目を閉じ、一瞬だけ記憶を辿る。
訓練していた頃の景色を思い出そうとした、その瞬間――
「きゃあああっ!? 危なっ!」
目の前に、とてつもなく巨大な古木が現れた。
止まれない。
私は咄嗟に、子どもの頃に習った体操の動きを思い出し、身体をくるりと一回転させる。
そのまま木の幹すれすれを滑り抜けた。
ゴツゴツとした樹皮が上着をかすめ、布が少し裂けたような感触が伝わる。
それでも私は止まらない。
迷うことなく、走り続けた。
(身体は前傾……重心を低く。)
(腕は……大きく振らない。それから……そうだ、晞夏が言ってた。何だったっけ……?)
走りながら、必死に記憶を探る。
喉まで出かかっているのに、どうしても思い出せない。
(何だったっけ……何だったっけ……)
その時だった。
頭の中で、何かが弾けるように思い出した。
(忍者みたいに走るんだ!)
一瞬だけ呆気に取られた。
だけど次の瞬間には、小さく笑ってしまう。
私は両腕を自然と後ろへ流した。
正直、この走り方は少し恥ずかしい。
格好いいとは言えない。
だけど――
姿勢を変えた瞬間。
はっきりと分かった。
速い。
明らかに、さっきより速くなっている。
森の風が真正面から吹き抜ける。
足元では枯れ葉や小枝が舞い上がり、景色がどんどん後ろへ流れていく。
跳ぶたびに。
着地するたびに。
勇者の力が身体の中を滑らかに巡っていくのが分かった。
今までみたいに、自分で無理やり抑え込んでいる感覚は、もうない。
今まではずっと、カイアさんの言うことを素直に聞いていた。
目立たないように。
勇者の力を隠すように。
そうしないと、聖光教会に見つかってしまうから。
だけど今は――
そんなこと、どうだっていい。
聖光教会なんて、もう関係ない。
私が今、一番したいことはただ一つ。
ルミナに追いつくこと。
そして一緒に――
『スヴァルタ・ヘイム』を止めて、この村を守ること。
(脚力は……まだ上げられる。)
(でも、これ以上速くすると、目も身体も追いつけなくなる……。)
(やっぱり……私はまだ、この勇者の力を完全には扱えてないんだ。)
走りながら、改めて思う。
勇者の力って、本当に反則だ。
普通の人じゃ考えられない速度で何分も走り続けているのに。
息は全然切れない。
疲れもしない。
それどころか――
走れば走るほど、身体が軽くなっていく。
(これが……私の『想像力』なんだ。)
(でもさ……私が願ったのって、『晞夏が元気でいてほしい』ってことだけだったよね?)
(それを『超人並みの身体能力』って解釈するなんて、このシステム、どういう基準なの!?)
思わず心の中でツッコミを入れてしまう。
だけど、その直後。
シャオチーとカイアさんの顔が脳裏に浮かんだ。
二人とも、いつも言っていた。
私は甘い。
未熟だ。
勇者の力は、好き勝手に使うものじゃない、と。
傷つくことを心配してくれた。
道を踏み外すことを心配してくれた。
取り返しのつかない選択をするんじゃないかって、心配してくれた。
分かってる。
本当に、分かってる。
二人とも、私のことを想ってくれていた。
でも――
もし勇者なのに。
この力を隠して。
責任から逃げ続けるだけなら。
そんな私が……
勇者を名乗っていいはずがない。
もちろん。
私だって『スヴァルタ・ヘイム』は怖い。
歴史の中で、いくつもの王国を滅ぼしてきた、絶望そのものなんだから。
だけど――
今回は違う。
今回は、ルミナの作戦がある。
私は、ルミナを信じてる。
心から、信じてる。
……そう思った、その時だった。
胸の奥が、小さく震えた。
まるで、もう一人の自分が問いかけてくるように。
(……本当に、大丈夫なんだよね?)




