第六章「旅立ちと決意48」
私の言葉を聞いた途端、村人たちは再びざわめき始めた。
「そんなこと……本当に可能なのか?」
「工場では、確かに昔、似たような事故があったけど……」
「で、でも今回は普通の魔物じゃないんだぞ! 『スヴァルタ・ヘイム』なんだ!」
「子どもの考えなんかで、どうにかなるはずがないだろ?」
「そうだよ。そんな無茶苦茶な方法で成功するわけがない!」
目の前で囁かれる疑問と嘲笑。
私は両手を強く握りしめ、大きく息を吸った。
そして、無理やり自分を落ち着かせる。
「ルミナは……たった一人でも、この村のために立ち上がったんです」
「だったら、大人である皆さんだって……少しくらい、この場所を守るために力を貸してくれてもいいじゃないですか!」
「私たちは――」
「駄目だ!」
続きを言おうとした瞬間、エイスが私の言葉を遮った。
彼は演壇を降り、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「村の皆! 我々の方針は変わらない!」
「――全村避難だ!」
「ど、どうしてなの!? エイスおじいちゃん!」
「なぜなら、この計画は――」
エイスは私の前まで来ると、両手を私の肩に置いた。
相変わらず、怖そうな顔をしている。
「危険すぎるからだ!」
「……」
そう言ったあと、エイスはゆっくりと腰を落とした。
肩に置かれた大きな手に、ほんの少しだけ力がこもる。
けれど、その手は不思議なくらい優しかった。
「三好さん……いや。やっぱり、小玲と呼ばせてもらおう」
「爺さんの話を少しだけ聞いてくれるか?」
「……」
「小玲から見れば、俺たち大人は冷たい人間に見えるかもしれない」
「まだ幼い女の子が村のために命を懸けようとしているのに、俺たちは自分たちが逃げることばかり考えている」
エイスはそこで一度言葉を止めると、優しく私の髪を撫でた。
「だがな、小玲……人にはそれぞれ、守りたいものがあるんだ」
「家族を守りたい者がいる」
「友人を守りたい者もいる」
「ただ、今までどおりの平凡な暮らしを守りたい者だっている」
「そして俺は――」
エイスは背後の人々へ視線を向けた。
「この村に住む、全員の命を守りたい」
私は息を呑んだ。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
「もしかしたら、ルミナの計画には本当に僅かな希望があるのかもしれない」
エイスの声が低くなる。
「だが……もし失敗したら?」
「村の全員が、逃げる機会さえ失ってしまう」
「俺はそんな『可能性』に、みんなの命を賭けることはできない」
エイスは深く息を吸い、もう一度私を見つめた。
「だから……すまないな、小玲」
「まずは村のみんなを安全な場所まで送り届ける」
「そのあとで、俺も一緒にルミナを探しに行く」
「……それじゃ駄目か?」
「……」
私は答えられなかった。
エイスの言っていることは分かる。
分かってしまう。
でも――
分かりたくなかった。
エイスは微笑み、もう一度私の頭を撫でた。
「ありがとうな、小玲」
「ただの旅人だったお前が、ルミナのために……そして、このセイビル村のために、ここまで真剣に考えてくれた」
「村長として、本当に嬉しく思う」
「……」
「だがな――」
エイスは立ち上がり、村人たちへ向き直った。
「俺は、まず皆をここから逃がさなければならない」
「安全な場所に着いたら……一緒に戻ってきて、ルミナを家へ連れて帰ろう」
「……な?」
私は分かっていた。
これが、エイスにできる最大限の譲歩なのだと。
もう一度、周囲にいる村人たちの顔を見る。
そこで初めて気づいた。
みんなが、とても優しい目で私を見ていた。
……正直に言えば。
私だって分かっている。
私の主張は子どもっぽくて、考えが足りない。
「では皆、すぐに避難の準備を始めるぞ!」
エイスが手を叩く。
それを合図に、村人たちは動き始めた。
フレアさんも私のそばへ歩み寄り、そっと肩に手を置く。
その手は震えていた。
それでも――
とても温かくて。
とても強い手だった。
フレアさんは、行方不明になった娘を心配している。
それなのに同時に、私のことも……そして村のみんなのことまで気遣っている。
フレアさんの優しさに背中を押されるように、私は顔を上げた。
そして、もう一度村人たちを見る。
誰一人、安心したような顔なんてしていなかった。
悔しそうに歯を食いしばる人。
うつむいたまま拳を握る人。
目に涙を浮かべている人もいた。
――ここは、本当に素敵な村なんだ。
私は心の底から、そう思った。
だからこそ。
ルミナの気持ちが、もっと分かってしまった。
「……私の、本当のお父さんとお母さんは」
気がつけば、私は口を開いていた。
「昔……事故に遭って、船と一緒に冷たい海の底へ沈んで……死んじゃいました」
自分でも、どうしてそんなことを話し始めたのか分からなかった。
これは私の心の一番奥に隠していた――
一番深くて。
一番痛い秘密だった。
周囲が静まり返る。
フレアさん。
エイス。
ヨカゲ。
クリス隊長。
そして村人たち。
全員が振り返り、私を見ていた。
自分がどんな気持ちでこの話をしているのか。
私自身にも分からない。
ただ、うつむいたまま、静かに続きを口にする。
「八歳の誕生日に……お父さんとお母さんが、私を海外旅行へ連れていってくれました」
「でも、その途中で事故が起きたんです」
「船には二千五百人以上の乗客が乗っていました」
「だけど……最後に助かったのは、たった九十七人だけでした」
「そして――」
喉が震える。
「その九十七人の中の一人が……私です」
「……」
教会の空気が凍りついたように静まり返る。
それでも私は構わず、話を続けた。
「私が助かった理由は……本当に簡単なんです」
「お父さんとお母さんが……ずっと私を二人の間に抱きしめて、自分たちの体温で守ってくれていたから」
「……」
「でも……正直に言うと」
「私は事故のことを、ほとんど覚えていません」
「病院で目を覚ましたとき……看護師のお姉さんや、お医者さんのお兄さんたちが私の周りにいて」
「みんな、とても優しい声で言ったんです」
「『お父さんとお母さんは、もういないんだよ』って……」
「……」
大人たちは何も言わなかった。
その沈黙を前にして、私は急に申し訳ない気持ちになった。
こんな話――
本当はしたくなかった。
するべきでもなかったのかもしれない。
だってこれは、ずっと心の奥に隠していた、一番苦しい秘密だから。
それでも。
今だけは――
どうしても伝えたい言葉があった。
「でも……あの事故が、私に教えてくれたこともあります」
「……」
「『どうしようもない』の反対は――」
私は顔を上げた。
「決して、『諦める』じゃないんです」
その瞬間。
周囲の大人たちが、何かに気づいたような顔で私を見た。
私は続ける。
「船の事故が起きたこと自体は……どうしようもなかったのかもしれません」
「でも……私が助かったのは、お父さんとお母さんが――」
涙が溢れた。
一滴。
また一滴。
頬を伝って落ちていく。
それでも私は、もううつむかなかった。
真っ直ぐに。
みんなを見つめる。
「私を助けるための、どんな小さな可能性も――」
「最後まで『諦めなかった』からです!」
フレアさんは涙を浮かべていた。
エイスはうつむいている。
クリス隊長は拳を強く握りしめていた。
周囲の大人たちも、みんな複雑な表情を浮かべている。
私の言いたかったことが――
ちゃんと伝わったのかは分からない。
でも。
もし少しでも伝わったのなら。
それでいい。
私は大きく息を吸った。
袖で涙を拭う。
そして――
今までで一番強い笑顔を浮かべた。
「そんなすごいお父さんとお母さんから、もう一度命をもらった私は――」
「私だって、『大切なものを簡単に諦めたくない』んです!!」
そう叫んだ瞬間。
私は勢いよく振り返った。
勇者の力を、両脚へ集中させる。
そして次の瞬間――
**ドォンッ!!**
私は教会から飛び出した。
「楓玲!」
「小玲!」
「小さな英雄さん――!!」
振り返らない。
ただひたすら前へ走る。
森へ飛び込む直前。
それでも私は、どうしても気になって、一度だけ後ろを振り返った。
教会の扉が開いている。
エイス。
フレアさん。
ヨカゲ。
みんなが外へ飛び出していた。
クリス隊長と自警団の人たちまで、こちらへ向かって走ってくる。
そして――
その瞬間。
教会の右側の窓辺で、ぼんやりとした人影が動いたような気がした。
誰だったのかは分からない。
でも。
もう、確かめる必要なんてない。
私は歯を食いしばり、再び前を向いた。
そして走り続ける。
……今回のことで。
きっとあとから、みんなにものすごく怒られると思う。
だけど――
飛び去っていったシャオチーの背中。
カイアさんに怒鳴られたこと。
エイスに諭されたこと。
その全部が、私に一つのことを教えてくれた。
自分が正しいと思う価値観を、他人に押しつけちゃいけない。
みんなに同じ選択を求めようとした私は――
きっと、すごく自分勝手で。
すごく子どもだった。
だから。
みんなにそれぞれ守りたいものがあるのなら――
今、この瞬間。
私――三好楓玲が一番守りたいものは。
「ルミナ!!」
心の中で叫ぶ。
「(待ってて、ルミナ!)」
「(たとえ私一人でも――私は絶対に、あなたの隣に立つから!)」
「(一緒に『スヴァルタ・ヘイム』と戦うから!!)」
足に、さらに力を込める。
この先がどれだけ危険でも。
どれだけ暗くても。
私はもう、止まらない。
これは――
私が『勇者』として選んだ道。
そして。
あなたの『友達』として選んだ道だ。




