第六章「旅立ちと決意45」
「面倒だな……。あの子は普段はあんなに聞き分けのいい子なのに……どうしてこんな時に限ってわがままなんだ!」
「そうだよ! 今は避難しなきゃいけない時なんだぞ! もし何かあったら、その責任は誰が取るんだよ――!」
「やめて!」
皆のひそひそ話を聞いた私は、とっさに飛び出そうとした。
だが、その瞬間――誰かの手が私の腕を強く掴んだ。
「カイアさん、放してください! どうして皆さん、そんな――」
「ルミナを責めるな、と言いたいんだろ?」
「……」
「こんな状況で、まだ情に流されるつもりか? 今は子どもの感情だけで動く場面じゃない。」
カイアは冷たい視線で私を見つめていた。
それは、本気で子どもを叱る大人の目だった。
私は――怖かった。
でも。
相手はルミナなんだ。
誰よりもこの村を愛していた、あの優しい女の子なんだ。
「ルミナは……あんなに皆のことが大好きだったのに……! どうして、そんな言い方ができるんですか! 今話し合うべきなのは、どうやってルミナを助けるかじゃないんですか!」
自分でも何を言っているのか分からない。
感情だけが先走り、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
ルミナを助けなきゃ。
そのことばかり考えているのに――何かもっと大事なことを、私は忘れている気がした。
その時、不意に昨日の朝、ルミナに言われた言葉が脳裏によみがえる。
『楓玲さん。宴会の日の明け方のこと……覚えていますか?』
あの夜。
皆、何かを話していた。
私はその時も、今と同じように胸の奥がざわついた。
なのに――どうしても思い出せない。
私は自分の額を叩こうと手を上げた。
すると、シャオチーが静かに肩へ舞い降り、小さな翼でそっと私の頬を撫でた。
「ご主人様……今回は、ボクもカイアに賛成です。」
「……シャオチー?」
「勇者の役目は、『スヴァータ・ヘイム』を止めることじゃありません。この問題は……村の人たち自身に任せるべきです。」
「な、何を言ってるの……シャオチー?」
「ご主人様!」
シャオチーが初めて私に向かって声を荒げた。
すぐに声色は落ち着いたものの、その瞳には必死な願いと不安が宿っていた。
「お願いです、ご主人様! 『スヴァータ・ヘイム』は勇者一人でどうにかできるものじゃありません! 昔の王国がどうなったか、ボクはお話ししましたよね? もうそんな甘い考えは捨ててください!」
「私はただ……この村を守りたいだけ。『スヴァータ・ヘイム』を倒したいだけ。それの何が悪いの? それに――シャオチーだって知ってるでしょ? あの日、広場では……私はまだ本気を出していなかった!」
「――目を覚ましてください、ご主人様!」
「っ……!」
その一喝は、まるで鞭のように私の胸を打った。
シャオチーから放たれる厳しい気迫に、私だけではなく隣にいたカイアまで目を見開いている。
「何度も言いましたよね? 勇者の力は戦うためのものじゃありません。旅を最後まで続けるための力なんです! もうその力に頼って、無理やり答えを出そうとしないでください!」
「そ、それくらい……言われなくても分かってるよ――!」
「本当に分かっていますか?」
シャオチーは静かに問い掛けた。
「もし、ご主人様が勇者じゃなくて……ルミナと同じ、ただの普通の子どもだったとしても。
それでも今と同じように、迷わず同じ選択をしますか?」
「そ、そんなの……」
ずるい。
そんな聞き方は、ずるすぎる。
だけど――。
今ここで助けに行かなかったら、誰がルミナを助けるの?
私は力を持っている。
助けられる可能性がある。
それを考えない理由なんてない。
それに私は信じている。
もし勇者じゃない、もう一人の私だったとしても。
同じ状況に立たされたなら――きっと迷わずルミナを助けに飛び出していた。
そのことだけは、絶対に間違っていない。
だって。
もし今ここに座っているのが私じゃなく、ルミナだったなら。
彼女だって、きっと迷わない。
たとえ帰って来られないと分かっていても、必ず一歩を踏み出す。
私はそう信じている。
シャオチーは私の瞳をじっと見つめていた。
その決意が揺るがないことを悟ったのだろう。
数秒の沈黙の後、小さく俯き、諦めたような表情を浮かべる。
そして、静かに背を向け、羽をゆっくりと羽ばたかせた。
「ご主人様が、それでも人を助けに行くと決めたのなら……。
本当に申し訳ありません。
ボクは……ここで、お別れです。」
「……」
「おい! シャオチー!」
私は耳を疑った。
隣でカイアが慌てて引き止める。
しかしシャオチーは振り返ることなく、窓辺まで飛んでいった。
窓枠へ降り立つと、そこで初めてこちらを振り返る。
「ありがとうございました、ご主人様……そして、カイア。」
「ボクは高く飛ぶことはできません。
でも、神獣としての持久力には自信があります。」
「……」
「ボク一人なら、このまま隣町――ウレリアまで飛んでも、半日もあれば辿り着けます。」
「……」
「お前まさか……!」
私が状況を理解するよりも早く、カイアが窓へ駆け寄り、手を伸ばした。
しかし――間に合わなかった。
シャオチーは大きく翼を広げ、教会の窓から青空へと飛び立っていく。
「ボクはずっと、ご主人様の仲間でした。」
「でも同時に――」
一度だけ言葉を切り、勇気を振り絞るように続けた。
「――女神様から勇者を守るよう託された神獣でもあります。
勇者であるご主人様の命を守ること。それが、ボクにとって何よりも大切な使命なんです。」




