第四章 「サブリル村冒険の旅・後編33」
「リンちゃん、美味しい?」
「うん! すっごく美味しい!」
フレアおばさんは私の頭を優しく撫でると、ふと思い出したように首を傾げた。
「でも、リンちゃんの好みってちょっと変わってるわねぇ。それ、食べてみると案外普通の味じゃない? 何か特別な思い出でもあるの?」
私は顔を上げず、箸を止めることもなく、和風オニオンを次々と口へ運びながら答えた。
「うん! だって、これね。昔、お母さんの得意料理だったんだ!」
「なるほど、お母さんの味――って、え? 昔……?」
フレアおばさんの表情が一瞬固まった。
近くにいたおじさんもしゃがみ込み、慎重な口調で尋ねてくる。
「お嬢ちゃん、『昔』っていうのは……今は違うってことかい?」
「うん」
私は頷きながら、相変わらず箸を動かし続けた。
「昔のお母さんはもういないから。今のお母さんはね、あんまり料理が得意じゃないんだ」
「『……』」
その瞬間、周囲がしんと静まり返った。
不思議に思って顔を上げる。
すると周りの大人たちはもちろん、少し離れた場所にいたカイアさんやエースおじいちゃんまで、なぜか固まっていた。
私は首を傾げながらオニオンをもぐもぐと咀嚼する。
目の前のおじさんは慌てたように目元を拭いながら言った。
「そ、それは……大変だったなぁ」
「大変? なんで?」
「え、いや、その……」
おじさんは口を開いたまま言葉を失う。
するとフレアおばさんが笑顔で私の頭を撫でた。
「だって今は、こんなに美味しいオニオンをなかなか食べられないものね?」
「あー、うん。それはそうかも」
その言葉を聞いた途端、みんな一斉にほっと息を吐いた。
よく分からないけれど、私は気にせずまた和風オニオンを頬張る。
「でもね、昔みたいにいつでも食べられるよ?
今のお母さん、お小遣いをくれるから。好きなもの買って食べなさいって」
「そ、そうなんだ……」
また少し変な空気になった。
でも私にとっては、今目の前にある和風オニオンの方が大事だった。
もう一口食べてから顔を上げる。
「そうだ。フレアおばさん、ありがとう!」
「え? ど、どうしたの?」
「この和風オニオンね、本当にお母さんが作ってくれたのと同じ味なんだ!」
「……」
フレアおばさんは少し黙り込んだ。
けれど口元は嬉しそうに緩んでいる。
私もつられて笑顔になる。
おばさんは誰かから受け取ったハンカチで目元を拭くと、さっきよりも優しく私の頭を撫でてくれた。
しばらくオニオンばかり食べていたらお腹が膨れてきたので、今度は別の料理へ箸を伸ばす。
やっぱりフレアおばさんの料理はどれも美味しい。
食事を終えた私は果汁を一口飲み、改めてお礼を言った。
「ごちそうさまでした、フレアおばさん! 本当にすごく美味しかった!」
その時になって、私は彼女の目が少し赤いことに気付く。
オニオンのせいかな、と考えていると、フレアおばさんが尋ねた。
「お腹いっぱいになった?」
「うん! それに本当に美味しかった。弟にも食べさせてあげたいなぁ」
「弟? 楓鈴さんって弟さんがいるの?」
「やっほー、ルミナ! 夜影!」
「こんばんは、楓鈴さん」
「……」
いつの間にかルミナと夜影が近くへ来ていた。
「うん。二歳下の弟だよ。
すごく頭が良くて可愛いんだけど、ちょっと生意気なんだよね」
そう言いながら私は口を尖らせた。
けれど、その声には隠しきれない自慢が混じっていたらしい。
ルミナも周囲の人たちも優しく微笑んでいる。
「そう言われると、楓鈴さんと弟さんって少し似ているかもしれませんね」
「何言ってるの?
私なんて全然賢くないし、可愛くもないよ?」
「ふふっ。たぶん、そう思っているのは楓鈴さん本人だけですよ?」
「えっ……?」
思わず周囲を見回す。
すると案の定、みんなが妙に温かい目でこちらを見ていた。
褒められるのは嬉しい。
でも、こんなに大勢から見られるのは恥ずかしい。
私はぎゅっと目を閉じて叫んだ。
「私と弟は全然似てないもん!」
しかし次の瞬間――
『そんなことないよ!』
全員が見事に声を揃えた。
「で、でも……私たち血が繋がってないし!
だから似てるわけないよ!
もし誰かに似てるっていうなら、雪澈おじさん――今のお父さんの方だもん!」
「『……』」
あれ?
どうしたんだろう。
みんな急に変な顔をしている。
誰も何も言わない。
もしかして……また私、何か変なこと言った?
勇気を出して謝ろうとした、その時だった。
いつの間にか背後に回っていたフレアおばさんが、ぎゅっと私を抱き締める。
そして優しく頭を撫で始めた。
「フレアおばさん……?」
「大丈夫よ、リンちゃん。全部、大丈夫だからね」
「わっ、ちょ、ちょっと! やだやだっ!」
気付けばフレアおばさんだけではない。
周りの大人たちまで次々と集まってきて、順番に私の頭を撫で始めた。
髪はぐしゃぐしゃ。
しかもフレアおばさんに抱き締められているせいで身動きも取れない。
勇者の力を使って抜け出そうにも、誰が触っているのか確認することすらできない。
必死に耐えていると、ようやく撫でる手が減ってきた。
――今だ!
私は勇者の力をほんの少しだけ使い、勢いよく顔を上げた。
「……え?」
「『……?』」
そこにいたのは見慣れた三人だった。
一人は何とも言えない気まずそうな顔をしているカイアさん。
一羽は目を見開いて固まっている小七。
そしてもう一人は、慌てて酒杯を持ち上げて何事もなかったふりをするエースおじいちゃん。
三人はほぼ同時に手を引っ込めると、気まずそうに別のテーブルへ逃げていった。
私は呆然とその背中を見送る。
……なんで逃げるの?
髪をぐしゃぐしゃにされたまま立ち尽くしていると、
一人の顔を真っ赤にしたおじさんが酒杯を掲げて叫んだ。
「今夜は我らが小英雄を囲んで――朝まで歌って飲んで騒ぐぞー!」
『おおおーーーっ!!』
「……え?」
(……もう部屋に戻って寝ようかな)
私はそっと宴会場から離れようとした。
だが、その行く手を二人の少女が塞ぐ。
「ルミナ? 夜影?」
「今日は帰しませんよ、楓鈴さん!」
「お前も……一緒に飲め!」
「『えっ?』」
夜影は手に持っていた杯の一つを私へ差し出した。
中身は柑橘ジュースではない。
明らかに大人たちが飲んでいる酒だ。
私とルミナが慌てて止めようとするより早く、
夜影はぐいっと一気に飲み干してしまった。
「どうしよう、ルミナ」
「私にも分かりません、楓鈴さん……」
私たちはただ見守ることしかできなかった。
夜影の頬はみるみる赤くなり――
「もう一杯だぁーーー!」
そう叫んだからだ。
そして――
その夜。
私は結局逃げることができず、そのまま宴会へ参加させられた。
日が沈んでから朝日が昇るまで。
歌って、騒いで、笑って。
髪は乱れ、喉は枯れ、足は踊り疲れて今にも攣りそうだったけれど――
それでも。
今日という日は、私の人生の中で一番充実していて、
一番刺激的で、
そして一番賑やかな一日になったのだった。




