第三章 「サブリル村冒険の旅・前編29」
「チッ! なんでこんなことに!」
広場はすでに大混乱に陥っていた。
目の前に広がる光景に、思わず舌打ちしたくなる。
破壊された屋台。
崩れ落ちた噴水。
我先にと逃げ惑う人々。
あちこちから聞こえてくる悲鳴と子供たちの泣き声。
それらが入り混じり、息苦しくなるような――災害を作り出していた。
「あ……あぁ……」
ルミナは恐怖で顔を青ざめさせ、息もまともにできない様子だった。
そして私もまた、身体が硬直しそうになるほど怯えていた。
村を襲っている魔物は、巨大な蟻のような姿をしていた。
けれど大きさは蟻の十倍――いや、百倍はある。
全身を覆う銅色の甲殻。
長剣のように揺れる巨大な大顎。
そんな化け物が、この広場に三体。
一体は肉屋の商品を夢中で漁り、
一体は狂ったように家々を破壊し、
そしてもう一体は、誰かと激しく戦っているようだった。
私は震える足を叩きながら広場を見回す。
腰を抜かしている人は多い。
でも幸い、今のところ重傷者はいないようだった。
「みんな逃げて! 工場の方へ逃げてください!」
恐怖を振り払ったのか、ルミナが声を張り上げる。
その叫びで我に返ったのだろう。
立ち尽くしていた村人たちが少しずつ動き始めた。
けれど――まだ多くの人が取り残されている。
恐怖で動けない人。
瓦礫につまずいて倒れた人。
気絶している人。
さらに、一度は逃げ出したはずなのに、知り合いを助けるため戻ってくる人までいた。
そのせいで、自分まで危険に晒されている。
(クリス隊長はまだ来ないの!? このままじゃ間に合わない!)
私は肉を食い荒らしている魔物と、建物を壊し続ける魔物を見た。
もしあいつらが人間の存在に気付いたら――。
きっと大惨事になる。
(気付かれる前に、みんなを避難させないと!)
そう思った直後だった。
さらに多くの人が広場へ戻ってくる。
取り残された人を助けるために。
(無理だよ……こんなの避難させきれない!)
逃げろ。
見捨てろ。
そう叫びたかった。
でも――。
危険だと分かっていながら、人を助けるため戻ってくる彼らを見てしまったら。
どうしても言えなかった。
こんな絶望的な状況でも。
誰一人、仲間を見捨てようとしていない。
さっき頭をよぎった言葉が、急に恥ずかしくなる。
自分で自分を殴りたくなるくらいに。
(だったら……私が戦う?)
(でも……本当に勝てるの?)
(いっそ……逃げ――)
その考えが浮かんだ瞬間、胸がぎゅっと締め付けられた。
森で立てた誓いが脳裏をよぎる。
――この村を守る。
――諦めなければ希望はある。
さっき自分で言ったばかりじゃないか。
なのに今の私は、真っ先に逃げようとしている。
ダメだ。
絶対にダメ!
「ああああああっ!」
その時。
ルミナが悲鳴を上げて広場へ飛び出した。
私は反射的に視線を追う。
崩れた家屋の瓦礫の中。
小さな子供が倒れていた。
まだ幼い。
幼稚園くらいの年齢だろう。
灰まみれのまま、ぴくりとも動かない。
そしてそのすぐ近くで――。
暴れ狂う魔物が巨大な大顎を振り回していた。
ルミナの叫び声に、広場中の人々が振り返る。
倒れている子供を見た瞬間、誰もが息を呑んだ。
何人もの村人が助けに向かおうとする。
もちろん私もその一人だった。
だが次の瞬間。
視界の端で何かが動いた。
「ルミナ!」
建物を破壊していた魔物が止まった。
何かに気付いたのだ。
巨大な大顎がゆっくりと子供へ向く。
「ダメッ!」
ルミナは迷わず飛び込んだ。
子供を抱きしめ、その身体を庇う。
そして。
二人まとめて噛み砕けそうな巨大な顎が振り下ろされる。
「――あっ!」
考えるより先に身体が動いた。
しかも。
普通じゃない。
自分でも叫びたくなるほどの速度だった。
次の瞬間。
私の目の前には、魔物の巨大な複眼があった。
右拳を引く。
そして――。
「どっか行けぇぇぇぇぇぇっ!!」
放たれた拳は弾丸のように突き刺さり。
頑丈そうだった甲殻を粉々に砕いた。
魔物は低い悲鳴を上げながら吹き飛ぶ。
空中で何度も回転し。
その身体から赤と緑の粒子が舞い上がった。
そして――。
次の瞬間には、跡形もなく消えていた。
「な、なに今の……?」
呆然としていると――。
「きゃあああああっ!!」
別の悲鳴が聞こえた。
肉屋を襲っていた魔物が食料を食べ尽くし、今度は倒れている女性へ向かっていたのだ。
巨大な顎が開かれる。
獲物を捕食するように。
私は地面を蹴った。
気付けば。
魔物と女性の間に立っていた。
今度はもう驚かない。
私は本能のまま、その巨大な大顎を両手で掴んだ。
「ギギギギギィィィッ!!」
魔物が暴れる。
だが離さない。
「くらえぇぇぇぇぇぇっ!!」
そのまま。
私は魔物を頭上まで持ち上げ――。
ぬいぐるみでも投げるように土壁へ叩き付けた。
轟音。
壁一面に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
我に返った時。
私は自分より何倍も重そうな魔物を投げ飛ばした事実に気付いた。
右手を見る。
足を見る。
軽く地面を踏んでみる。
疲れない。
痛くもない。
力を使った感覚すらない。
やがてその魔物も赤と緑の粒子へ変わり。
最初の一体と同じように消滅していった。
「どういうことなの……?」
そう呟いた時だった。
背中に無数の視線を感じる。
嫌な汗が流れた。
(い、いやいやいや……)
(みんな逃げるのに必死で見てないよね?)
(見てたとしても数人くらいだよね?)
(ごまかせるよね!?)
私は後頭部を掻きながら振り返る。
「おかしいなぁ~? 魔物さんたち、どこ行っちゃったんだろうね~?」
「…………」
「え?」
人、多くない?
よく見れば。
オードおじさんたち。
クリス隊長と自警団のみんな。
アダディ工場のエイスおじいちゃんたち。
避難していた人たちまで。
全員いた。
私はごくりと唾を飲み込む。
答えは分かっていたけれど。
それでも聞かずにはいられなかった。
「その……今の、見てた?」
次の瞬間。
全員が同時に頷いた。
ぽかんと口を開けながら。
しばしの沈黙。
そして。
ひび割れた壁から瓦礫が一枚落ちた音を合図に――
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
村人たちの歓声が爆発した。
「すげぇぇぇぇぇっ!!」
「今の何だったんだ!?」
「とんでもない子だ!」
「ありがとう!」
「君の名前は!?」
「サブリル村の救世主だ!」
「その速さ、アダディの靴のおかげか!?」
「おい! 胴上げだ! 胴上げしろ!」
あっという間に私は人だかりに囲まれた。
ただ無我夢中で動いただけなのに。
こんなにも感謝されるなんて。
胸の奥が少し熱くなる。
――その時。
「あっ! そうだ! まだ一匹!」
私は慌てて人混みを抜け出した。
そして最後の魔物がいた方向を見る。
しかし。
そこには何もなかった。
代わりに三つの見慣れた姿がこちらへ歩いてくる。
真っ赤な羽毛を生やした朱雀の小七。
髪も服も汚れた夜影・シャルル。
そして。
その夜影に肩を貸されながら歩く、銀髪の天才魔法使い――カイア・エクリス。
……うん。
その光景は。
その光景については。
とりあえず――
見なかったことにしよう。
うん。
何も見てない。
本当に何も見てない。




