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第三章 「サブリル村冒険の旅・前編28」

「楓玲さん!」


「うん!」


 ルミナの顔に浮かんだ恐怖の色を見た瞬間、私は説明を聞くまでもなかった。


 気づけば足が勝手に動き出していた。


 ルミナと一緒に、村へ向かって駆け出す。


 さっきの――爆発音。


 あの短い静寂のあとに聞こえてきたのは、混乱した叫び声だった。


 アダディ工場は村からそれほど離れていない。


 村には大勢の住民がいるのだから、人の声が聞こえること自体は不思議じゃない。


 でも――


 これは違う。


 何かが起きている。


 根拠なんてなかった。


 それでも私もルミナも、なぜか確信していた。


 私たちは子供なりの全力で走った。


 それでも私はさらに速度を上げる。


 まるで自転車の変速機を坂道用のギアに切り替えたみたいに。


 一歩ごとに地面へ力を噛み込ませながら前へ進む。


 たぶん、これが今の私の限界速度だった。


 けれど――


 胸の奥には、どうしても消えない罪悪感が残っている。


 ルミナはさっき言っていた。


 この世界の人たちは皆、勇者が早く旅立って『黄昏期』を終わらせてくれることを願っている、と。


 なのに私は――


 友達とお喋りをして。


 森の小道をのんびり歩いていた。


「楓玲さん!」


 考え事をしているうちに、いつの間にか村の外れまで辿り着いていた。


 その時だった。


 一人の男性が村の方角からふらふらと飛び出してくる。


 私たちが駆け寄ろうとした瞬間――


 その人は糸の切れた操り人形みたいに、その場へ崩れ落ちた。


「オードおじさん!」


 ルミナが悲鳴を上げる。


 すぐに駆け寄り、その場へしゃがみ込んだ。


 手際よく身体を確認したあと、彼女は小さく息を吐く。


「外傷はない……。たぶん、驚きすぎて腰が抜けただけ。」


 その頃には、他の村人たちも次々と村から逃げ出してきていた。


 誰もが青ざめた顔をしている。


「いったい何があったんですか!?」


「ま、魔……魔物だ! 魔物が村を襲ってきた!」


「えっ!?」


 ルミナの表情が固まる。


 周囲の大人たちも、怯えた顔で何度も頷いていた。


 でも私には意味が分からなかった。


 だって村にはクリス隊長率いる自警団がいるはずだ。


 なのに、どうして皆こんなにも絶望した顔をしているの?


「まさか……『スヴァルタ・ヘイム』が……?」


 ルミナが小さく呟いた。


 その言葉を聞いた瞬間、大人たちの顔色がさらに悪くなる。


 聞いたこともない言葉だった。


 私は慌てて尋ねる。


「その……ヘイムっていうのは、そんなに恐ろしいものなの?」


「…………」


 誰も答えない。


 まだ恐怖から立ち直れていないようだった。


 だから――


「ねえっ!!」


 私は思い切り声を張り上げた。


 その声に、村人たちはびくりと肩を震わせる。


「そのヘイムっていうのは、村に入ってきた魔物のことなんですか!?」


「い、いや……違う。それは――」


 やつれた顔の女性が答えようとした、その時だった。


「きゃあああっ!!」


「助けてぇぇぇ!!」


 再び村の方から悲鳴が響く。


「ルミナ! 行こう!」


「うん!」


 ルミナはオードおじさんをそっと地面へ寝かせると、勢いよく立ち上がった。


 私たちが全力で走り出そうとした瞬間。


 背後から震える声が飛んでくる。


「こ、子供がそんな危ない場所へ行っちゃ駄目だ!」


 その声は耳に届いた。


 けれど私たちは振り返らない。


 さっきよりも速く。


 もっと速く。


 村へ向かって走る。


 本当なら私一人の方がもっと速い。


 でも隣にはルミナがいる。


 彼女の呼吸はすでに乱れ始めていた。


 だから私は速度を合わせる。


 並んで走る。


「ルミナ! 魔物が村に入ったなら、どこにいる可能性が高い!?」


「はぁ……はぁ……広場……!

 屋台もあるし……人も集まるから……!」


「じゃあ広場だ! この道で合ってる!?」


「方向は……合ってる!

 でも村に入ったら曲がり角が多いの! 最短ルートで行くから付いてきて!」


「分かった!」


 そう叫んだ次の瞬間。


 ルミナは急に右へ曲がり、そのまま森の中へ飛び込んだ。


 道なき道。


 木の根。


 石。


 折れ枝。


 障害物だらけの細道。


 それなのにルミナは軽やかに飛び越えていく。


 速度はまったく落ちない。


 勇者の身体能力がなければ、とっくに置いていかれていたと思う。


 私は走りながら叫んだ。


「スヴァルタ・ヘイムって何なの!?

 今の状況と関係あるの!?」


 ルミナは振り返らずに答える。


「分からない!

 でももし本当にスヴァルタ・ヘイムなら……最悪の事態!」


「最悪って!?」


「魔物が一匹とか、そういう話じゃ済まないから!」


「どういう意味!?」


 子供しか通れないような狭い道を抜けながら、ルミナは叫んだ。


「スヴァルタ・ヘイムは黄昏期の初期に必ず起きる現象なの!」


 ひとつ障害物を飛び越え。


 そのまま続ける。


「魔物の大移動――魔物の大群襲来!

 何万もの魔物が集まって移動し、進路上のすべてを破壊するの!」


「なっ――!?」


 思わず言葉を失う。


 それはもう災害じゃないか。


「サブリル村は……今回のスヴァルタ・ヘイムの予測進路上にあるの……」


「…………」


 その瞬間。


 今までの違和感が全部繋がった。


 静かすぎた村。


 夜影への厳しすぎる訓練。


 エイスさんとルミナの会話。


 そして――カイア。


 ルミナが押し殺すような声で呟く。


「サブリル村は……もう終わりなの。」


「だったらどうして逃げないの!?」


 思わず叫んでいた。


「避難した人もいるよ!」


 ルミナは叫び返す。


「でも……残る人もいるの!」


「どうして!?

 そんなの本当に死んじゃうかもしれないんだよ!?」


「分かってるよ!! でも――!」


 彼女は立ち止まった。


 振り返る。


 そして。


 大粒の涙をこぼした。


「ここは私たちのサブリル村なんだもん……!」


 声が震える。


「生まれた時からずっと暮らしてきた場所で……家で……大切な場所なんだもん……!」


 私は立ち尽くした。


 何も言えない。


 慰めたい。


 何か伝えたい。


 それなのに喉が塞がったみたいに言葉が出てこない。


 泣いている彼女を見ていることしかできない。


 数秒後。


 ルミナは涙を拭いた。


 苦笑いを浮かべる。


 そして再び走り出しながら言った。


「村から出たことのない私にとって、サブリル村は世界そのものなの。」


 彼女は笑う。


 無理やり作った笑顔だった。


「知らない場所へ行くなんて……世界から消されるみたいなものだよ。」


 一度だけ言葉を止める。


 そして。


「それに――」


 小さく微笑んだ。


「急いで引っ越すって、動けなくなった家族を置いて逃げるみたいじゃない?」


「…………」


 何も言い返せなかった。


 だって。


 その気持ちは分かるから。


 病院のベッドで眠る晞夏。


 異世界へ呼ばれた私。


 胸の中で色々な感情が渦を巻く。


 無力感。


 悔しさ。


 情けなさ。


 そして――忘れかけていた決意。


 私は弟みたいに賢くない。


 特別な才能だってない。


 それでも。


 今の私にできることは一つだけだ。


 この村を守ること。


「――諦めなければ、まだ希望はある!」


「えっ?」


 ルミナが驚いたように声を漏らした。


 私は手を振る。


 前へ行こう、と。


 広場が近づいてきた頃。


 ルミナが独り言みたいに呟いた。


「本当に……楓玲さんが勇者様だったら良かったのにな。」


「…………」


「もちろん分かってるよ。

 勇者様だって、一人で何万もの魔物の前には立てない。」


 彼女は苦笑した。


「歴代の勇者様だって、スヴァルタ・ヘイムには関わらなかったし。」


 それでも。


 彼女は続ける。


「だけど……それでもお願いしたくなるんだ。」


 そして。


 私を見た。


「だって勇者って――世界を救うために来るんでしょう?」


「…………」


 その言葉に、私は立ち止まりそうになった。


 決意したはずなのに。


 それでも身体が震える。


 脳裏によみがえったのは、広場でカイアが言っていた言葉。


 ――この村は教会と仲が悪い。


 ――下手をすれば、君たちは魔物に立ち向かうための生贄にされる。


 あれは冗談じゃなかった。


 脅しでもなかった。


 カイアは。


 本当に私たちを心配してくれていたんだ。


 ――カイアさんって、本当に優しい人なんだな。

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