第三章 「サブリル村冒険の旅・前編16」
白い木造のアーチには、この村の名前らしき文字が刻まれていた。
けれど、カイアさんが持っていた小冊子と同じで、私は一文字も読めない。
……これ、一体どこの国の文字なんだろう?
「Sabril」
シャオチーが小さく呟きながら訳してくれた。
私はもう一度看板を見上げる。
やっぱり読めない。
アルファベットに少し似ている気もするけれど、形も並び方も私の知っているものとはまったく違っていた。
そこで、ふと疑問が浮かぶ。
文字は読めないのに、この世界の人たちとは普通に会話ができる。
……それって、ちょっと不思議じゃない?
以前シャオチーが話していた「勇者の追加能力」のことを思い出し、もしかしてそれが理由なのでは、と考えた。
すると、私の考えを見透かしたようにシャオチーが答える。
「ご主人様、その通りだよ。」
「じゃあ、これも勇者の能力なの?」
「うん。勇者ならそうなるんだよ。」
「便利なんだね!」
どうして会話だけ自動で翻訳されて、文字はまったく読めないのかは分からない。
私が最初に思ったのは――
きっとまた、あのシステムの不具合なんだろう、ということだった。
ほかの追加能力はちゃんとしているのに、なぜかここだけ中途半端。
でも、文字が読めないのはやっぱり不便だ。
カイアさんに振り回されないよう、私たちはそのまま村の中へ足を踏み入れ、周囲を見渡しながら歩いていく。
建物は淡い灰色の石と黒い木材で造られていて、山間のログハウスのような家がゆったりと並んでいる。
家と家の間隔は広く、ほとんどが二階建て程度の小さな建物ばかり。
もちろん、元の世界のような鉄筋コンクリートのマンションなど存在しない。
赤レンガで舗装された道は中央の噴水広場へと続き、そこから放射状に村中へ広がっていた。
舗装されていない場所は、そのまま土の地面になっている。
素朴でどこか懐かしい、本当に田舎の村という印象だった。
道なりに歩き、私たちは噴水広場へたどり着く。
丸い噴水の周囲には色とりどりの植木鉢が並び、その少し先には露店がぐるりと並んでいた。
どう見ても村の中心なのに、人影はほとんどなく、露店も営業している様子がない。
私はきょろきょろと辺りを見回す。
少し離れた家の裏には村人らしき人たちが何人か見える。
でも――初対面の人に話しかける勇気なんて、私にはなかった。
「ずいぶん静かな村だね、ご主人様。」
「うん……静かすぎるくらい。」
「教会とか宿屋の場所を聞きたいなぁ。シャオチーも早くお風呂に入りたいし。」
「じゃあ……教会の場所だけ聞いてみようか。」
カイアさんの忠告はまだ気になっていた。
それでも今の私は、この世界でのんびりしている余裕なんてない。
晞夏のことが心配で仕方ないから。
だからまずはシャオチーの言う通り、聖光教会へ行って助けを求めようと決めていた。
……問題は。
私は人に道を聞くのが苦手なのだ。
しかも相手は初対面の大人。
それも地球人ですらない。
難易度、高すぎない!?
さっきカイアさんと普通に話せたのは、あまりにも色々なことが立て続けに起きて、勢いで会話できただけ。
でも今は違う。
見知らぬおじさんやおばさんに話しかけるなんて、無理だよ……。
露店の店員さんに聞こうとも思ったけれど、何を売っている店なのかも分からないし、買う気もないのに話しかけるのは申し訳ない気がする。
そんなふうに噴水広場の真ん中で立ち尽くしていると――
斜め前の道から、私と同じくらいの年頃の女の子が歩いてくるのが見えた。
その隣には、同じくらいの男の子も一緒だった。
私はシャオチーと顔を見合わせ、小さく頷く。
――よし。
子ども同士なら、きっと話しかけられる。
「す、すみませーん!」
「……何?」
「あなたたち、誰?」
私が手を振りながら呼びかけると、女の子は立ち止まってこちらを振り返った。
しかし隣にいた男の子はすぐ彼女の前へ立ち、木剣を構えて私を鋭く睨みつける。
女の子は琥珀色の瞳に、淡い金色の髪をゆるく結んだツインテール。
男の子は灰色の瞳と跳ねた黒髪で、幼い顔立ちとは裏腹に、その目には鋭い殺気が宿っていた。
その迫力に思わず足が止まる。
私は距離を保ったまま、おそるおそる声を掛けた。
「あ、あの……道を聞いてもいいですか?」
「あっ、はい! もちろんです!」
女の子は恥ずかしそうに目元を隠しながら答えてくれた。
その隣では男の子が警戒を解かず、私たちをじっと見つめている。
私はゆっくり近付きながら、もう一度尋ねた。
「あの……」
女の子はゆっくり手を下ろし、不思議そうに私を見る。
そして隣の男の子へ視線を向けた。
「ヨカゲ! またそんなことして! 木剣しまって!」
「で、でも……この人たち村の人じゃない。僕が守らないと。」
「私たちと同じ子どもじゃない! 危なくなんてないよ。ほら、しまって!」
ヨカゲはしばらく渋っていたが、彼女に言われるまま木剣を鞘へ戻し、静かに隣へ立った。
二人のやり取りを見ていると、昔の晞夏との日々を思い出してしまう。
思わず笑みがこぼれた。
「あの……どなたをお探しなんですか?」
「あっ、ごめんなさい。聖光教会はどこにありますか?」
「教会ですか? あちらですよ。あの大きな木の下にあります。」
彼女が指差した先には、噴水から続く緩やかな坂道。
その先には、ほかの家とは雰囲気の違う真っ白な建物が建っていた。
私は二人へお礼を言う。
ヨカゲは無言のままだったが、女の子は照れくさそうに笑いながら、
「いえいえ。」
と小さく首を振った。
そのまま教会へ向かおうとした時、不意に彼女が私を呼び止めた。
「あっ、待ってください!」
「はい?」
「でも……一昨日、神父様が隣町へ行かれて、まだ戻ってきていないんです。」
「えっ? じゃあ、いつ戻るって言ってましたか?」
「うーん……それが……」
彼女は言いづらそうに視線を伏せる。
ヨカゲも黙ったまま隣に立っていた。
事情は分からないけれど、神父様がしばらく戻らないことだけは理解できた。
私とシャオチーは同時にため息をつく。
「もし急ぎでしたら、隣町の闘技都市ウレリアへ行くといいですよ。あそこには大きな聖光教会がありますから。」
「この村から近いんですか?」
「はい! 急げば二日くらいで着きますよ!」
「……そうなんだ。」
私とシャオチーはもう一度ため息をついた。
今日中に教会へ相談する予定だったけれど、それはもう無理そうだ。
「あの……何かあったんですか?」
「ううん。ただ、ちょっと疲れちゃって。」
「それじゃあ、お泊まりする場所はもう決まりましたか?」
「まだです。」
私がそう答えた瞬間、女の子の目がぱっと輝いた。
とても嬉しそうな笑顔を浮かべながら、宿屋までの道順を丁寧に教えてくれる。
どうしてそんなに嬉しそうなのかは分からなかったけれど、私はシャオチーと一緒に頭を下げ、お礼を言う。
そして立ち去ろうとした、その時――
「あっ、ちょっと待ってください!」




