第91話 伊吹山薬草園構想
天正11年(1583年)6月 近江・長浜城 羽柴源一郎秀成
「羽柴源一郎様、長浜城主へのご着任、ならびに元服、誠におめでとうございます!」
床に額を擦り付け、感極まった声を出したのは、近江きっての豪商に成長した伊勢屋宗右衛門であった。
彼は、私の城主就任を祝すべく、目も眩むような「祝儀」を携えて登城してきた。
「面を上げよ、宗右衛門。久しいな」
「はっ! 賤ヶ岳での比類なき功績、我が事のように喜んでおりました」
「今や『羽柴の麒麟児』の名は、堺や京の商人の間でも知らぬ者はおりませぬ」
伊勢屋は、本能寺の変を京から長浜へ知らせ、中国攻めから引き返す秀吉に長浜の安否を知らせに走るなど、羽柴に寄り添ったことで、その後の山崎城普請での物資調達や河内の木綿生産の独占など便宜を図られた。
それにより、莫大な利益を得ることができた。
全ては、二年前、長浜城下での私との出会いが発端になっている。
今回は、それら利権への「返礼」も兼ねている。
積み上げられた品々の中には、都で流行りの最高級の絹織物や、南蛮菓子やビードロの皿や器などがある。
「はははっ!それにしても、随分と羽ぶりが良さそうだな宗右衛門。商いは儲かっているか?」
私が上機嫌で問いかけると、宗右衛門も満面の笑みを浮かべ、
「ははっ。源一郎様のお力添えもあり、伊勢屋は近江だけでなく、京、摂津でも有数の商家へと成長いたしました」
「全て、源一郎様のおかげでございます」
そう言って、畳に頭が埋まるのではないと思うほどの勢いで平伏した。
私は、その姿をしばらくの間、楽しく見つめた。
かつて伊勢屋は京、近江、美濃で木綿や油などを扱う、ほどほどの商家だった。
後継の修行として長浜の店を任されていた宗右衛門が、めざとく私に近づいてたことが伊勢屋の運命を変えた。
この男は羽柴の一門である私の価値を正しく読み取り、そして伊勢屋の行く末を賭けた。
そして、その賭けに勝った。
この男にとって、私は家を大きくした恩人であり、切っても切れない縁で結ばれた者同士だ。
羽柴の家がある限り、自身の商いを支援してくれる限り、忠節を誓ってくるだろう。
それほどの儲けと商いの可能性を伊勢屋に授けた。
「宗右衛門」
私は、平伏したままの宗右衛門にゆっくりと話しかけた。
「我らは戦と政争に勝った。今、一番天下に近いのは羽柴だ…」
「これからも頼りにしている。我らとともに更に大きくなろうではないか」
宗右衛門は、下げている頭を更に畳に押し付け、
「ははっ。喜んで儲けさせていただきます」
と、緊張気味に答えた。
なんとなく間違えているのではと思う言葉に、私がクスッと笑うと、宗右衛門もそう思ったのか、小刻みに肩を揺らして笑い出した。
「頭をあげてくれ」
私がそう言うと、宗右衛門がゆっくりと頭を上げ、姿勢を正した。
「宗右衛門らしい言葉だ。それで良い。お主が儲かるということは羽柴が更に大きくなるということだ」
小さく頷く宗右衛門に、言葉を続けた。
「結構な祝いの品々、感謝する。ありがたく受け取らせてもらう」
「見たところ女ものの品も多いな、気を遣わせたようだ。すまんが、これらを京の母上とねね様、そして京で静養することとなるお市様と姫君方へ届けてもらいたい」
「お市の方様や姫様方にもでございますか?」
「きらびやかな品を手に取れば、心も晴れるかもしれんと思ってな……しかし、それでは、伯父上の女たらしを受け継いだと噂されそうだな」
そんな冗談を言って笑うと、宗右衛門もふふっ笑い声を出した。
「真っ先に女性への贈り物を口にされたところは、あながち間違いではないかもしれませんが…ふふっ」
「承りました。それぞれに相応しい品を見繕ってお届けいたします」
宗右衛門が、少し茶化しながら答えた。
「そんなつもりはないのだがな。まぁ致し方がないか」
「…そんなことより、宗右衛門、新しい儲けの話だ」
宗右衛門の目が、商人特有の鋭さを帯びた。
私は膝を乗り出し、窓の外にそびえる伊吹山を指差した。
「この長浜を『日の本の薬箱』にしたいと考えている。相談に乗ってほしい」
「薬箱、でございますか?」
「そうだ。伊吹山には、古来より様々な薬草が自生している」
「お主も知っていると思うが、かつて信長公が、ポルトガルの宣教師を招いて、伊吹山の麓に広大な薬草園を作ろうとされたと聞いている。南蛮の薬草も植えようとされたとか。それを、現実のものとしたい」
「これまでは、野山に生えるものを採るだけだったが、これからは育てるのだ。そして、それを使って薬の一大生産地に変えたいと思っている。お主にはそれを任せたい」
あまりに大きな話だったのか、宗右衛門がポカンとした顔をしている。
私は懐から一通の書状を取り出し、宗右衛門の前に差し出した。
「これは以前、父の体調を慮って薬師に調合させた漢方の製法だ」
宗右衛門が書状を手に取り、目を通す。
「源一郎様が美濃守様のために調合させ、お送りしているという例の丸薬のことでしょうか」
「そのとおり。長浜に居を構える薬師に作らせ、定期的に父上に送っている」
「病を治すのではなく、病にならぬ身体を作る滋養の薬・補中益気湯』だ」
「人参、黄耆、当帰、地黄、棗などの調合の仕方、それを飲みやすい丸薬にするための製法が記してある」
「まずは、これを北近江一帯で大量に作り、売り捌きたい」
宗右衛門は書状を食い入るように見つめ、喉を鳴らした。
「……しかし、これほどの薬種を安定して揃えるには、専門知識と相当の人足が必要となりますが」
「人手のことは心配しなくてもよい。北近江の山間部には、米を作るには不向きな険しい土地が広がっている。村々に栽培を奨励し、米作りから転向させる。猫の額のような田で米を作るよりはるかに生産性が高い。薬草が高く売れるとなれば、彼らも喜ぶことだろう」
「専門知識については、京の薬師と宣教師に、長浜へ来るよう手筈を整えている」
「宣教師は、異国の医術と薬草の知識に長けているそうだ。薬師と協力させ、薬草園の管理と精錬の技術を指導させる」
宗右衛門が、不安そうに目を細めた。
「宣教師を呼ぶには多額の寄進が、それに、薬草園の造成にもそれなりの費用がかかりましょう」
「銭の心配は無用だ。宗右衛門、私を誰だと思っている?」
私が口元の笑みを作ってそう言うと、宗右衛門がはっとした顔をして、
「これは失礼を」と言って頭を下げた。
「ははっ、よいよい。宗右衛門」
「宣教師らが到着次第、職人たちと引き合わせろ。和漢の伝統に、南蛮の知識を融合させる」
「補中益気湯以外にも、人々を病や怪我から救う薬を試作し、生産してほしい」
私の言葉に、宗右衛門は深々と頭を下げた。
宗右衛門が頭を上げ、落ち着くのを待ってから、私は話を続けた。
「もう一つ、頼みがある」
「はっ、何なりと」
「天下の医師、曲直瀬道三殿に接触してほしい。千宗易(後の利休)殿に仲介を頼めばよいだろう。道三殿にこの丸薬の効能を認めさせ、『お墨付き』をもらいたいのだ。さらには、宮中の有力な公卿の方々にもこの薬を献上し、朝廷が認めたという『箔』がほしい」
宗右衛門が、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「……源一郎様。朝廷のお墨付きとなれば、誰もこの薬を疑いませぬ。武家も公家も、こぞって求めるようになりましょう」
「これは急がなくてもよい。先ほどの生産手段が整ってからだ。ただし、曲直瀬殿への接触は早めにな。書状と丸薬の現物を持たせる」
「ははっ! 承知いたしました。京にいる父とも相談し、早速根回しに動きとうございます」
宗右衛門はそう言って、弾かれたように部屋を辞した。
宗右衛門の背中を見送った後、私は静かに目を閉じた。
朝廷の権威を利用し、「病にならぬ強靭な身体を作る薬」として信用を得る。
これは金儲けのように見せて、実態はそうではない。
父を通して、大谷吉継や堀秀政、そして従弟の小吉(秀勝)といった、豊臣の将来を担うべき者たちにこの知識と薬を届けるための準備だ。
史実において、彼らを襲った病魔が何であったかは不確かだ。
しかし、例えば、大谷吉継を苦しめることになった「癩病」は、現代の知識で言えば感染力は極めて弱く、良好な栄養状態と免疫力さえあれば発症は防げるものだ。
「病は、かかってから治すのではない。かかる前に防ぐものだ」
その意識を羽柴の内に植え付けられるかどうかが、羽柴の行方を左右する。
一見すれば地味な内政のように見えるが、その根幹は、羽柴という組織を強化し、早すぎる死という呪いから一族を解き放つための、私にしか打てぬ一手であった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
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