第90話 長浜検地
天正11年(1583年)6月 近江・長浜城 羽柴源一郎秀成
そして、最後に、最も難しい課題を突きつけた。
『検地』だ。
史実では、秀吉は1582年の山崎の戦い直後から、支配下の山城などで大規模な検地を実施している。
また、賤ヶ岳の戦いの後、越前でも検地を実施している。
これは後に「太閤検地」と呼ばれる一連の政策の先駆けであり、新たに得た領地の国力を正確に把握するとともに、中世以来の複雑な利権構造を打破する重要な一歩となったとされている。
私は、この北近江においてもこれを実施し、古い柵から領民を解放したいと考えている。
当然、統治をしやすくすることも目的だ。
皆の顔を見渡し、大きく息を吸ってから言葉を発した。
「この北近江で『検地』を実施したい。土地の広さと収穫量を一分一厘まで洗い出す」
広間に、先ほどまでとは質の違う、どよめきが走った。
「若君、それは……国人衆の反発は、尋常なものでは済みませぬぞ」
小堀が、顔を強張らせて進言した。
私は、懐から一枚の紙を取り出した。
北近江周辺の村々が書き込まれた地図だ。
そして、そこに書き込まれた一つの村を指差し、
「小堀。この村の年貢は、どこに納められているかわかるか?」
と尋ねた。
小堀は地図をじっと見つめ、少し悩んだ末に私の意図がわかったのか、ゆっくりと答えはじめた。
「はっ……詳細はわかりかねますが、国人衆が治める地域なら、まずは彼らに納められるでしょう。加えて、古くから権利を有する寺社や公家への年貢。他にも自分に権利があると主張する者がいれば、それらにも納めている可能性があります」
「そうだ。国人衆ならまだしも、百姓が額に汗して育てた米が、面も知らぬ都の公家どもや、戦にも出ぬ僧侶どもにも流れている。いわゆる、一地多主の状態だ」
私は、苛立ちを含んだ声で、百姓の現状を指摘した。
「これでは、百姓はいくら働いても豊かになれない。しかも、領内の土地からどれほどの力が湧き出ているのか、正確に測ることもできない」
静まり返る広間を見渡し、私は言葉を続ける。
「検地は、これら全てを断ち切る手段だ。一つの田に記される名は、実際に鍬を振るう百姓の名。そして、納める先は我らのみ。間に群がる有象無象の権利は、全て解消させる」
「その代わり、我らは命を懸けてこの土地を守る。百姓は誰に怯えることもなく耕し、我らはその石高をもって兵を養う。一つの土地に、主は一人」
「国人衆については、検知により明らかになった石高に基づき、我らへの忠義やこれまでの貢献に応じて改めて知行として与える」
「後は...村々が隠している隠田を明るみに出す。生産力を正確に把握してこそ、兵糧の備蓄も、いざという時の動員も、計算が成り立つ。そうではないか?」
私の言葉が止むと、広間には針が落ちても聞こえるほどの沈黙が降りた。
皆、事の重大さを噛み締めている。
中世から続く複雑怪奇な「利権」に手を入れることは、この地の歴史そのものを敵に回すに等しいからだ。
沈黙を破ったのは、眉間に深い皺を刻んだ片桐だった。
「……若君。仰ることは、まさに正道にございます。なれど、相手は京の公家や古き寺社、そしてこの地を古くから根城にする国人衆。彼らからすれば、飯の種を奪う暴挙に見えましょう」
「それに、隠し田を暴かれては百姓が手にする米が減ります。力ずくで進めれば、一揆や反乱の火種となる恐れがございます」
片桐の懸念は、もっともだ。
検地とは、既得権で喰っている者達にとって「死」を意味するような劇薬だ。
「だからこそ、今なのだ。且元」
しかし、私は平然と答えた。
「賤ヶ岳で羽柴の武威は日の本に轟いた。そして、伯父上から賜ったあの銀がある」
私は一度、家臣たちの顔を見渡した。
「それを元手に、新たな産業を育成するつもりだ。単に収入源を奪うだけではない。あとで伊勢屋を呼んで相談する」
「それでも反対する者には、金で解決できるなら良し、それも無理なら、軍勢をもって粉砕するまで……いいか、皆、政を正道に導くのは今しかないのだ」
小堀と片桐は顔を見合わせ、私の覚悟を理解したのか、やがて同時に深く頭を下げた。
「……承知いたしました。この小堀正次、若君が歩もうとされる正道を整えましょう」
「私も、若君の描く理想の礎となるべく、この身を賭して検地を成し遂げまする」
二人の声に、迷いはなかった。
じっと話を聞いていた祖父・磯野が、不敵な笑みを浮かべて口を開く。
「くく……果敢なことよ。心ゆくまでやってみよと言った直後からこれか。よかろう。磯野はそれに従う。これまでの貢献に応じて知行をいただこうか…ふふふっ」
「お祖父様、ありがとうございます。主に兵を率いる責任がある者には知行地を、奉行衆には石高に相当する蔵米を与えようと考えております。お祖父様には長浜城代に従う模倣となっていただけないでしょうか」
私は、磯野が割りを食うかもしれない提案を恐る恐るしてみた。
「何を遠慮がちに言っておる。命に従うと言ったではないか。自由にやって見れば良い」
「従わぬ国人どもがいれば、わしが蹴散らしてくれる。安心せよ」
家臣たちの瞳に、覚悟の火が灯った。
単に領地を治めるのではない。古い中世以降の仕組みを壊し、新しい統治を始めるだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
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