第107話 池田恒興
天正11年(1583年)9月中旬 美濃・岐阜城 池田恒興
美濃・岐阜城
かつて信長公が「天下布武」の拠点を置いたこの峻険な山城の広間で、池田恒興は重い溜息を吐き出した。
秋風が吹き抜ける中、眼下に広がる濃尾平野を見下ろす恒興の背中には、織田家宿老としての誇りと、どうしようもない焦燥感が入り混じっていた。
「父上、いかがなされましたか」
背後から声をかけたのは、長男であり、この岐阜城の城主を任された池田元助である。
その傍らには次男の輝政も控えていた。
賤ヶ岳の戦役が終わった後、池田家は秀吉から西美濃と岐阜城周辺(計十三万石程度)を与えられた。
恒興自身は大垣城に入り、元助はこの岐阜城、輝政は池尻城を任されている。
賤ヶ岳の戦に参加しなかったにも関わらず、旧領の十二万石からの加増。しかも織田家の本領を任されるという栄誉でもある。
しかし、恒興の心は晴れなかった。
「……元助。この美濃の景色、お前の目にはどう映る?」
「はっ。亡き大殿が天下を臨んだ地。我ら池田がこの地を任されたことは、筑前守様も我らの武威を頼みとしている証左かと。岐阜城の主として、身の引き締まる思いにございます」
元助の若く誇らしげな言葉に、恒興は自嘲気味に口元を歪めた。
「頼みとしている、か。……あの筑前が、わしを純粋に厚遇していると思うてか。まぁ、お主が言うように信孝殿の後にこの美濃を治めるのは我らが適任かもしれぬ。が...元助、輝政。我らは体のいい『盾』にされたのだ」
恒興の目には、鋭い光と深い苦悩が宿っていた。
「考えてもみよ。そもそも政治の中心は畿内。そこから美濃へ移るということは、影響力の低下を意味する」
「それに、この美濃のすぐ南には、家嫡流を自認する信雄様と、独立独歩、筑前に歩み寄らぬ三河の徳川家康殿がおる。筑前とあの両名が合い入れるとは思えん...万が一の時、真っ先に血を流して敵を食い止める防波堤……それが、美濃の最前線に置かれた我ら池田家の役目よ」
「まぁ、同じような役目を、能登の前田、越前の丹羽殿が担わされておるがな」
「な……ッ! 盾だと申されますか!」
元助が怒りに顔を赤くして膝を進めた。
「我ら池田家は、織田家の宿老! それが、あの成り上がり者の風下に立ち、盾にされているというのですか?! そもそも、筑前殿は幼き三法師様を傀儡にし、信雄様を蔑ろにして、織田家を簒奪しようとしているのは明白。父上はそれをお認めになるのですか!」
「……わかっておる。そんなことは百も承知だ」
恒興はギリッと奥歯を噛み締めた。
織田の重臣として、筋目を通すならば信雄殿につくのが道理である。
清須会議の折も、賤ヶ岳の折も、恒興の胸中には常に「自分は織田の臣だ」という強烈な自負があった。
「ならば何故、父上は筑前殿に従ったのです!」
「奴が……筑前という男が、底恐ろしいまでの『化物』だからだ」
恒興の絞り出すような声に、元助と輝政は息を呑んだ。
信長と共に数多の死線を潜り抜けてきた歴戦の将の口から出たのは、純粋な畏怖の念だった。
「中国大返しから山崎の戦いで見せた、神速の軍略。あの柴田殿を手玉に取り、実力を出させぬまま城ごと灰燼に帰せしめた冷徹な采配。さらに諸将の心を、金と領地で絡め取る人心掌握の術…そして今、奴は、大坂に亡き大殿の安土をも凌ぐ巨城を築こうとしておる。悔しいが、信雄様では束になってもあの男には敵わん。時流は完全に、筑前の掌の上よ」
かつては草履取りとして見下していた男。
その男が今や、誰も逆らうことのできぬ巨大な勢いで、主家である織田そのものを呑み込もうとしている。
恒興は、戦国の世を生き抜いてきた確かな眼力を持っていた。だからこそ、その残酷な現実から目を背けることができない。
かつての大殿への忠誠と、眼前にそびえ立つ秀吉という圧倒的な力量。その狭間で胸を引き裂かれながらも、宿老・池田恒興は、大勢に屈服するという苦渋の道を選ぶほかなかったのだ。
「……だがな、この池田勝三郎、ただ首を垂れるだけの男ではない」
恒興は低い声で、二人の息子を力強く見据えた。
「羽柴との間に強固な縁を結び池田の家を更に大きくするため… 以前の約定の通り、お前たちの妹(史実では生誕年不詳であり、ここでは信吉の年齢を考えて元助と輝政の妹としています)は、三好信吉殿へ嫁がせることとする。近々、輿入れの手筈を整える」
父の口から告げられた決定に、元助と輝政は、弾かれたように顔を見合わせた。
「あの、山﨑の戦いの前に交わされた約定ですか?」
元助が身を乗り出すと、恒興は重々しく頷いた。
「そうだ。我らは大勢に屈し、羽柴の軍門につく……だがな、池田家はこのままでは終わらん。元助、輝政。よく覚えておけ。乱世の世にあって、家を保ち、大きくするには、武功のみでは足りぬ。これからの時流の中枢に深く食い込む、太き血の縁が必要なのだ」
恒興の言葉には、戦国の世を泥臭く泳ぎ切ってきた者だけが持つ重みがあった。
「わしはな、骨の髄まで知っておる。『血と縁』が持つ絶大なる力を。だからこそ今度は、羽柴家との間に強固な縁を結び、新たな政権の中枢に我ら池田の確固たる居場所を築き上げる」
「なるほど……」
輝政が深く感じ入るように呟いた。
「これを、強者に阿る卑怯な振る舞いと嗤う者もおりましょう。しかし父上は、自ら絆を作り出すことで、家を盤石になさるおつもりなのですね」
「いかにも。血の恐ろしさと頼もしさを知る我らだからこその戦よ。これが、非情な乱世を生き抜くための、わしなりのやり方だ」
恒興が言い切ると、部屋には張り詰めたような静寂が落ちた。
やがて、元助が顔を上げ、静かに、しかし決意の籠った言葉を発した。
「…父上の深きお考え、得心いたしました。なればこそ我らも、言葉や縁だけでなく『池田の武勇ここにあり』と天下に示さねばなりませぬな」
次男の輝政も目を輝かせた。
「兄上の申される通り。筑前殿に『やはり池田がいなければ天下は護れぬ』と思い知らせてやりましょう。さすれば、奴とて我らを蔑ろにはできまい」
「頼もしいことだ。お前たちのその働きに期待しておるぞ」
二人の息子の頼もしい姿に、恒興の顔に野心に満ちた笑みが浮かぶ。
血の絆という布石と、戦場での圧倒的な武功。その二つが揃ってこそ、池田の家は真の盤石となる。
「「ははっ!!」」
天下の主が織田から羽柴へとすげ替わろうとも、池田の血を絶やすことなく、家をさらに太く逞しく育て上げる。
秋風に揺れる岐阜城の広間で、池田父子は自家の栄達に向けた決意を新たにしていた。
【作者註】
史実において、恒興の娘(若御前)と秀吉の甥・三好信吉(秀次)の婚約は、前年の「山崎の戦い」の直前、秀吉が恒興を自陣営に引き入れるための懐柔策として結ばれました。
実際の輿入れ(結婚)は天正11年(1583年)頃とされており、本作ではその時期を秀吉の権勢が周知の事実となった秋としました。羽柴政権の中枢に食い込もうとする池田父子の「能動的な生存戦略」として描いています。
強烈なプライドと功名心への焦りが、やがて翌年の「小牧・長久手の戦い」において彼らを無謀な三河中入り策へと駆り立て、有能な父子を揃って破滅の死地へと引きずり込むことになります。
諸説ありますが、筆者は、秀次の独断で実行されたというより、歴戦の諸将の後押しもあったものと考えています。
これが、本作においてどのように描かれていくのか、お楽しみにしてください。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
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