第99話 新たな命と、動き出す羽柴の家
天正11年(1583年)8月中旬 山城・山崎城 羽柴源一郎秀成
山崎城での、旧世代の名将・滝川一益の降伏と謁見が無事に終わった。
しかし、そのまま長浜に戻るというわけにはいかない。
ここ山崎城の奥御殿には、産月を迎えた母が大きなお腹を抱えて私に会うのを楽しみにしている。
張り詰めた空気が漂う表の広間から、母たちがいる奥御殿へと足を踏み入れると、ふわりと焚き染められた香の匂いが鼻をくすぐった。案内された部屋の襖を静かに開ける。
「母上、源一郎にございます。ただいま役目を終えて参りました」
部屋の奥、ゆったりとした打掛を羽織り、脇息に寄りかかっていた母・お初が、私の顔を見るなり満面の笑みを浮かべた。
「源一郎殿! まあ、よく来てくれました。さあ、もっと近くへ」
弾んだ声に呼ばれ、母のそばへと膝を寄せる。
最後に会ったのは二月ほど前だが、目の前の母のお腹は、その時とは比べ物にならないほど大きくせり出していた。
「母上……お腹、また一段と大きくなられましたね。お身体は辛くありませんか?」
「ええ、もう重いのなんの。しかし、戦場の殿(秀長)を思う心労に比べたら、辛いことはありません」
「ならばご安心を。父上は、戻られた後に待ち受けている母上の『お説教』の方が恐ろしくて、無茶な真似はできないはずですから」
俺が冗談めかして言うと、母は声を立てて笑った。
「ふふっ、この前の説教がそれほど恐ろしかったのかしら……効き目があったようでよかったわ」
「それにしても源一郎殿、二月見ない間にまた大きくなったのではないですか? 顔つきも、少し精悍になったような気がします」
母は愛おしそうに目を細め、私の頬や肩をペタペタと触って確かめる。
子供扱いされるのは気恥ずかしいが、母のこの温もりが心地よいのもまた事実だった。
「長浜では羽田や本多が、育ち盛りだと言って山のように飯を食わせるのです」
「まあ、あの者達は相変わらずですね。でも、戦場を駆け回るより、長浜で政務に励んでたくさん食べてくれる方が、母としてはずっと安心です」
母はくすくすと笑いながら、ふと自身のお腹に手を当てて「あっ」と小さく声を漏らした。
「母上? 痛みますか?」
「いいえ、今、この子が蹴ったの。源一郎殿の声を聞いて、喜んでいるのかもしれませんね。ほら、触ってみなさい」
促されるまま、私は恐る恐る、せり出したお腹にそっと手のひらを当てた。
最初は衣の感触と温もりしか分からなかったが、数秒後、手のひらの下でポコッ、と力強い胎動を感じた。
「……動きました。すごい、本当に元気だ」
「そうでしょう? これだけ元気なのだから、きっと貴方に負けないくらい、やんちゃな子が出てくるわ」
母は優しく私の手を包み込み、そのままお腹の中の小さな命の鼓動を共に感じていた。
「男子であれ、女子であれ……私が必ず、この子と母上を守ってみせます」
真顔で決意を込めてそう言うと、母は少しだけ驚いたように目を丸くし、やがてふわりと微笑んだ。
「頼もしいこと。でも源一郎殿、あんまり無理をして背伸びをしては駄目よ。母にとっては、貴方も、このお腹の子も、同じように大切な宝なのだから」
そう言って俺の頭を優しく撫でる母の手のひらは、とても温かく、心を深く満たしていった。
その後、長浜城代としての私の政務や、母が古くから知る家臣たちの働きぶり、城下での他愛のない話などをしながら、のんびりとした団欒の時間を過ごした。
やがて話が、領内で進めている薬草生産のことに及んだのを機に、以前から考えていた環境整備について切り出した。
「南蛮の医術によれば、お産を控えた母体や生まれたばかりの赤子にとって、目に見えぬわずかな塵や穢れが大きな病を引き起こすそうです。南蛮では、産屋や寝所は徹底して清潔を保つと聞きました」
前世の衛生観念を『南蛮の知識』という建前で包み、周囲に控える侍女たちにも聞こえるようにはっきりと伝えた。
手や体を拭く布は必ず熱湯で煮沸して干したものを使うこと。
お産に関わる産婆や侍女たちはこまめに手を洗い、できれば度数の高い酒で指先を清めること。
汚れはすぐに片付け、適度に風を通して空気を入れ替えること。
この時代の産褥熱や乳幼児死亡率の恐ろしさを知る私としては、母と生まれてくる子の命を守るために、できるだけ良好な環境を整える必要があった。
これまでの私の言動を知るねね様と母は、単なる子供の戯言とは受け取らなかった。
二人は真剣な面持ちで頷くと、すぐさま侍女たちへ厳格な清掃と湯沸かしの準備を徹底するよう命じてくれた。
翌日
秀吉の居室で、今後の大坂の街づくりについて話を聞いていたとき、慌ただしい足音が飛び込んできた。
「申し上げます! お初様が、いよいよご産気づかれました!」
その声に、秀吉は、広げていた大坂の絵図面をバサリと畳の上に放り出した。
「おおっ、ついに来たか!」
私も弾かれたように立ち上がり、部屋を飛び出そうとした。
しかし、秀吉の鋭い声がそれを制した。
「待て、源一郎。そなたはここにおれ」
「ですが、伯父上! 母上が――」
「お産は女の戦じゃ。産屋に、男が近づくことは許されん。ねねも付いておるし、腕の立つ産婆も呼んである。我らはここで吉報を待つのが、男の習いぞ」
普段の陽気な秀吉とは違う厳しい声に、私は足を止めた。
父親でさえ、もしここに居たとしても産屋には入れないのだ。
ましてや播磨の統治に追われ、山崎に戻れない父上に代わって、ここにいる私が取り乱してどうする。
「……はい。申し訳ありません」
私がその場に座り直すと、秀吉はふっと表情を和らげ、私の肩をポンと叩いた。
「心配するな。お初殿は、磯野員昌の血を引く芯の強い女じゃ。それに、初産でもない。現にお主が元気に育っておるのではないか。必ず元気な赤子を産んでくれよう」
そこからの時間は、私は目を閉じ、昨日母や侍女たちに伝えた衛生管理が徹底されていることを信じ、ひたすらに無事を祈り続けた。
お産は命懸けだ。この時代の産婦と乳幼児の死亡率を知っているからこそ、嫌な想像ばかりが脳裏を過る。
江戸時代の調査を記憶している。確か、生まれた赤子が一歳未満で亡くなる割合は、推定20%から25%前後だった。四、五人に一人が亡くなる割合になる。
私が生きていた時代(令和)では、確か0.17%程度。約150倍の死亡率だ。
背景として、免疫力のない赤子にとって、へその緒を切る際の不衛生な刃物による破傷風や、わずかな細菌感染が致命傷になったようだ。
怖いのは新生児破傷風。
破傷風菌は、土や泥、動物の糞便など、自然界のあらゆる場所にいるありふれた菌だ。
戦国時代や江戸時代、出産の際にへその緒(臍帯)を切るのに使われていた刃物(小刀やハサミ、あるいは竹の刃など)は、滅菌・消毒されていない。そもそも刃物を煮沸消毒という概念がない。
その不衛生な刃物を使ってへその緒を切ることで、切断面から破傷風菌が赤ちゃんの体内に侵入する。
破傷風菌が出す猛毒によって、生後数日から数週間の間に全身の筋肉が激しく痙攣し、口が開かなくなって母乳も飲めなくなり、極めて高い確率(ほぼ100%に近い致死率)で死に至る。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
襖の間から熱をまとった風が吹き抜けた時、奥御殿の方向から「オギャア、オギャアッ!」という、力強く甲高い産声が響き渡った。
「生まれた……!」
私と秀吉が同時に立ち上がったところへ、汗だくになった侍女が満面の笑みで駆け込んできた。
「おめでとうございます! 母子ともにご無事! 丈夫な、丈夫な若君にございます!」
(続く)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
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