第97話 忠三郎と源一郎
天正11年(1583年)8月 山城・山崎城 羽柴源一郎秀成
天王山の緑を焦がすような夏の日差しが、山崎城の瓦を白く光らせていた。
眼下を流れる淀川の水面は、うだるような熱気を帯びてギラギラと反射し、吹き抜ける風すらも肌にまとわりついて重く、そして熱い。
半年前、雪空の下で火蓋が切られた「織田家の後継」を巡る大戦は、春の雪解けと共に加速し、そしてあっけなく決着を見た。
賤ヶ岳での激戦の末、北陸の猛将・柴田勝家は北ノ庄城で炎の中に消え、美濃で呼応した織田信孝は自刃へと追い込まれた。
そして今、ただ一人。
伊勢の長島城に立て籠もり、三ヶ月以上もの間、羽柴軍を相手に泥まみれの孤軍奮闘を続けていた男が、ついに力尽きて城を明け渡した。
「……長かったな。正月からこっち、よくもここまで粘ったものよ」
城の奥、風通しの良い広間の上座で、薄い単衣をはだけさせた秀吉が、ばさばさと豪快に団扇で扇ぎながら笑った。
伊勢の滝川一益が降伏し、ここ山崎で秀吉と面会することになったため、私が呼ばれた。
本来ならば父が座るべき位置に、今日は私が控えている。
父は今、西の毛利に対する押さえと播磨一帯の統治のために、休む間もなく奔走しており、ここには来ていない。
秀吉は団扇で扇ぎながら、気だるそうに問いかけてきた。
「ところで、長浜の領国経営はどうじゃ?捗っておるか?」
「はっ。おかげさまで、日々、格闘しております。まずは、過日頂戴した銀子、心より御礼申し上げます。あれのおかげで、新たな施策を躊躇なく進めることができています」
私は深く頭を下げた。秀吉は「かっかっか」と短く笑った。
「あの銀か。お主のことだ、つまらぬことには使わぬと思うておったが……して、その銀を何に変えた? 新たな施策とはなんだ?」
「はい。新たな産業の下ごしらえに使っております」
秀吉の細い目が、スッと細くなった。
「ほう。面白きことを言う。詳しく聞かせよ」
「現在、長浜では、伯父上に倣って検地に着手しております。土地の力を正しく知り、領国を掌握するには避けて通れぬもの。ですが、当然ながら民は反発しましょう。そこで、米以外の新たな作物栽培を進めようと思っています」
「ほう、河内でやっているような木綿か?」
「伊吹山は、古来より薬草の宝庫だそうです。信長公もそこに目をつけ宣教師を招き薬草園を作ろうとしたとか。私は、それを受け継いで、伊吹山の麓に『大規模な薬草園』をつくり、長浜を『薬の都』に変えたいと考えております。米だけに頼らぬ、新たな産業の柱にいたします」
私は、信長公の偉業を継ぐ事業であることを、あえて強調して話した。
「ほう、確か大殿がそのようなことを言っておったの。それを継ぐとは、また大仰なことを考えよる。さすがは我が甥よ」
秀吉はそう言って、満足そうな表情を浮かべ、「はっはっは」と大声で笑った。
「薬か。戦が続けば傷薬も要る、病を得れば煎じ薬も要る。それは金になるな……」
秀吉は顎をさすりながら、納得したように頷いた。
「伯父上からお預けいただいた家臣たちが、実によく働いてくれております。片桐は、民の懐に飛び込み、粘り強く説得に当たっております。加藤(嘉明)や平野(長泰)らも、兵站の整備や村々の統制に汗を流してくれております。彼らのような優秀な者を付けていただいたこと、重ねてお礼申し上げます」
私がそう言うと、秀吉は満足げに身を乗り出してきた。
「且元か。あやつは真面目だが、意外と融通も効き、使い勝手のよい男だ。加藤らも、槍を振らせるだけでは惜しい男たちよ。左様か、皆励んでおるか……」
「検地の不満を、新たな儲け話で封じ込めようというわけか。小一郎に似て、お主はなかなかに食えぬ男になってきたの」
「父上の真似事に過ぎません。追いつくには、まだまだ道半ばです。ですが、長浜は羽柴の根拠地。ここを豊かな地とすることが、伯父上の天下への道に繋がると信じています」
秀吉はしばらく私の顔をじっと見つめていたが、やがて団扇を扇ぎながら、大きく笑った。
「よい。面白い! 源一郎、その薬草園とやら、形になったら真っ先にこのワシに届けよ。わしも最近は、天下を転がすのに少々肩が凝ってのう」
「はっ。極上のものを用意させていただきます」
私は秀吉の目を見つめて、元気よく答えた。
秀吉の目は笑っていた。
しかし、その奥にある「品定め」の光に、私はどう映ったのか。
出過ぎたことはしていないはずだ。検地も薬草園も全て真似事の範疇であり、それを優秀な家臣達が形にしていっている。秀吉の庇護の下で、成長している姿を見せることが一番よい。
会話がひと段落した頃合いで、遠くの方から、廊下に足音が響いた。
すり足の衣擦れの音は規則正しく、そして静かな歩み。
「蒲生忠三郎、ただいま到着いたしました」
現れたのは、一人の偉丈夫であった。
年の頃は三十の少し手前。背筋は刃のように伸び、眉目秀麗とはこのような男のことを言うのだと思わせる。
※眉目秀麗;容貌のすぐれて美しいこと。特に、男性の顔だちが端正で整っていること。
蒲生忠三郎氏郷
近江日野の領主にして、かつて織田信長公が「只者ではない」とその器量を愛し、自らの実娘・冬姫を娶らせた男。先の伊勢攻略戦においては、秀吉の先鋒として亀山城や峰城といった要衝を次々と陥落させ、滝川一益の目論見を打ち砕いた立役者である。
「おお、忠三郎か! 待っておったぞ。伊勢では真に大儀であった!」
秀吉は団扇を放り投げ、立ち上がって氏郷を出迎えた。
その顔には、隠しきれない上機嫌な笑みが浮かんでいる。
「身に余るお言葉。なれど、滝川殿の粘り、流石は織田の宿老と感服いたしました。長島城の守りは固く、兵糧攻めにも容易には屈せぬ姿勢、最後まで恐るべき将にございました」
氏郷は優雅に、かつ深く一礼した。
「そうは言っても、織田の宿老・滝川殿も、忠三郎には敵わなかったと見える。そなたが亀山など諸城を瞬く間に落とし、一益の四肢をもいだ結果、やつは長島に押し込まれたのだからな」
秀吉はそう言うと、ふと悪戯っぽい目を私に向けた。
「ところで忠三郎、紹介しよう。そこに控えておるのは、小一郎、美濃守の倅、源一郎だ。この度の戦では、北近江の前線で柴田修理亮や美濃勢に対応してくれた。わしの自慢の甥よ」
突然振られ、私は慌てて居住まいを正し、氏郷に向かって深く頭を下げた。
「……羽柴源一郎にございます。蒲生殿の伊勢での目覚ましいご武勲、父と共に感嘆しておりました」
氏郷は涼やかな瞳を私に向け、流れるような所作で畳に手をつき、私に対して深く頭を下げた。
「はじめてお目にかかります。蒲生忠三郎でございます。お噂はかねがね。北近江が盤石であったからこそ、我らは背後を気にすることなく伊勢の攻略に専念できました。美濃守殿と源一郎殿の『鉄壁の守り』こそが、この度の戦の真の要であったと思っております」
「とんでもない。亀山城を一月足らずで降伏させた蒲生殿の『速さ』がなければ、我々は挟撃に耐えきれなかったやもしれません」
私が素直な称賛を返すと、氏郷は「過分な評価です」と短く答え、再び美しい所作で軽く頭を下げた。
その二人のやり取りを、秀吉は目を細めて見つめていた。
(……なるほど、そういうことか)
私は秀吉の意図を理解した。
百姓上がりの羽柴には、圧倒的な「武力」と「金」、そして「政治力」はあっても、大名としての「歴史」や「品格」が決定的に欠けている。一方で、蒲生氏郷は鎌倉以来の近江の名門であり、何より信長公の娘婿という「織田一門の威光」を一身に背負っている。
秀吉は、羽柴の血族である私と、旧織田体制の象徴とも言える氏郷を意図的に引き合わせることで、氏郷の心根を試そうとしているのではないか。氏郷が、内心では成り上がりの羽柴を見下しているのではないかと。
あえて、元服したばかりの甥に引き合わせ、氏郷がここで不満を顔に出したり、子供扱いして無礼な態度をとれば、彼はそれまでの男。逆に、秀成の器を正しく見抜き、主家の一門として敬意を払えるかという「忠誠心の踏み絵」を踏ませようとしている...
……いや、それだけではない。
秀吉は、私も試しているのだ。
私がこの名門の威圧感に気圧されず、羽柴の次代を担う者として、対等に渡り合えるかを。
「蒲生殿。戦の後は、いかに民を富ませるかの政にございます。南伊勢の海と北近江の湖を結び、いかに新たな富を巡らせるか……共に、天下泰平の世を作ってまいりましょう」
私が微笑みながら先の国作りを見据えた問いを投げかけると、氏郷は一瞬息を呑み、次いで清々しい笑みを浮かべて深く頭を下げた。
「この氏郷、ぜひとも、共に歩ませていただきたく存じます」
それを聞いていた秀吉が高笑いを響かせていた。
「わっはっはっは、よい光景じゃ! 忠三郎、源一郎! お主ら二人でわしを支え、新しい天下を背負うてくれい!」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
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