第96話 山の金貨ーー椎茸(2)
天正11年(1583年)7月下旬 近江・長浜城 羽柴源一郎秀成
「伊吹山の麓でございますか…」
片桐且元は、吸い込まれるように書状を見つめていた。
その整った眉が、困惑と興奮の間で細かく揺れている。
「若君、もしこれが上手くいけば、北近江の山々は文字通り『宝の山』に変わります。伊吹の麓は古来より霧が深く、日当たりも適度に遮られた影地が多うございます。何より、檪や楢の木など、薪にする以外に使い道のないほど生い茂っております。いわば、捨てていたものが金に変わるということ…」
片桐は、頭の中で長浜の地図を広げているようだった。
さすがは実務家、話の飲み込みが早い。
「片桐。これには相応の『元手』と『仕組み』が必要だ」
私は、懐からずしりと重い一袋を取り出し、机の上に置いた。
中から覗くのは、先日、秀吉から拝領した銀だ。
「これを、領民への手間賃や道具の調達などの元手にする。あとは、協力する村の年貢を低くする」
「年貢まで低くするのですか?」
「あぁ…これは領主直轄の事業とする。もし上手くいくのであれば、栽培方法は秘匿せねばならんからな」
「その協力に対する対価だ。先の検地のこともある。米づくりから、成功するかどうかわからん怪しい事業に借り出すのだ、それくらいせねば不満が溜まるだろう」
私の言葉に、片桐の表情がわずかに強張った。
検地は、土地の生産力を克明に暴き、百姓から余剰分を吸い上げる。
長浜の民も、表向きは従うかもしれないが、腹の底には煮えくり返るような不満が澱む可能性がある。
そして、それはいつ一揆の火種になってもおかしくない。
私は、且元の目を見て、言葉を重ねた。
「実ったものがあれば、多少出来が悪くても買い取ることにする。当然、相場よりずっと安くだがな」
「だが、自分たちが作ったものが売れて、金になるという実体験があれば、今後も率先して協力してくれよう。民に希望を与え、同時に我ら羽柴の蔵も潤う。これこそが、真に治めるということだ」
片桐は、大きく息を吐き出した。
「恐れ入りました。若君は、長浜の、ひいては羽柴の安泰をそこまで深く考えておられたとは……」
「ははは、期待しすぎだ。だが、やるからには『天然もの』を超える品質と量を、安定して栽培せねばならん」
「そこで、片桐。もう一つ知恵を貸してほしい」
私は身を乗り出し、声を潜めた。
「栽培した椎茸を、どうやって干すかだ。天日に干すだけでは、湖北の長雨や雪に左右される。乾きが甘ければ腐り、売り物にならん」
「……そのとおりかと思います。北近江の冬は厳しく、お天道様を望めぬ日も多うございます」
「そこでだ。国友の知識と技術を活用できぬだろうか。彼らの鉄を打つ火の扱いと、鞴で風を操る技術を借りたい。……熱の力で、強制的に、かつ均一に椎茸を乾かす『室』を作れないか」
「国友の鉄砲技術を……乾燥に?」
片桐は驚いたように目を見開いたが、すぐにその意味を察した。
国友村は鉄砲鍛冶の聖地だ。
彼らは火力を一定に保ち、熱を効率よく伝える炉の構造を熟知している。
「国友の炉を応用し、煙を逃がしつつ熱だけを籠める部屋を作る。常に一定の熱で乾かせば、天然ものを凌駕する『干し椎茸』を、季節を問わず生産できるのでないか。どう思う?」
私が問うと、片桐は、机の上の椎茸を見つめながら熟考し、ぽつぽつと意見を述べた。
「鉄砲を打つ火で、椎茸を乾かす……前代未聞にございます。ですが… 国友の職人に『新たな火の使い道』を与えれば、彼らも喜んで知恵を絞りましょう」
「では、この方向で進めることにしよう。片桐、お主にこれを頼みたい。伊吹山の麓の村々を回り、木々の管理と小屋の設営を差配してくれ。国友の職人も動員してもらいたい。失敗しても良い。気負わずにやってくれ」
「明で実用されている手法であっても、我が国の風土に合うのかもわからん。まずは試しだ。ただし、栽培方法は秘匿せよ。すぐに広まっては我々の儲けが少なくなるからな」
私はそう言って、声を出して笑った。
数日後
片桐且元は、伊吹山の麓に点在するいくつかの村を回って帰ってきた。
長浜城に戻った彼の表情には明るさと熱がこもっていた。
「若君、伊吹山周辺のいくつかの村へ行って参りました。……各村の長、そして村人たち、みな一様に驚いてはおりましたが……反対はございませんでした」
且元は、そこで一度言葉を切ると、感極まったように声を震わせた。
「……そうか。反対はなかったか」
私の問いに、且元は深く頷いた。
「正直に申せば、『人の手で椎茸を生やす』など、最初は誰も信じてはおりませんでした。皆、口を揃えて『山神様の気まぐれを操るなど、夢のような話だ』と笑っておりました……しかし、これが若君の発案だと知ると、村人たちの目の色が変わったのです」
且元の話によれば、村人たちの心を動かしたのは、椎茸そのものではなく「羽柴竹若」という名だった。
この長浜で生まれ、長浜で育ち、羽柴の麒麟児として領民に慕われた「竹若」という存在。
「若君は、私が思う以上に深く、領民の心に根を張っておるようです。『竹若様が我らのことを思って考えたことであれば、たとえ結果がどうあれ、協力したい』それが、彼らの答えにございました」
且元自身、北近江の出身だ。
その彼が、民の私への想いに触れてこれほどまでに感激している姿を見て、私の胸にも熱いものが込み上げた。
「……感無量だな。私の独りよがりな策だと思っていたが、彼らがそこまで言ってくれるとは」
「しかし、失敗が前提のように思われているのは、少し癪だが」
私は、窓の外に広がる伊吹山の稜線を眺めながら、小さく笑った。
「且元。彼らの思いを裏切るわけにはいかないな。まずは、日当たりの良い斜面を避け、湿り気の多い影地をいくつか選定してくれ。それと、国友の職人にも使いを出そう。乾燥のための『室』の設計を急がせる」
「ははっ」
且元の力強い返事が、静かな書院に響いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
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