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戦国転生したら秀長の息子でした ~宰相の子として豊臣を滅亡から救います~  作者: 丸三(まるぞう)
連枝の絆

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第95話 山の金貨ーー椎茸(1)

天正11年(1583年)7月下旬 近江・長浜城 羽柴源一郎秀成

長浜城の一角、外の喧騒が届かぬ書院。

城主が執務を行う場所だ。

城代となった私は、かつて秀吉や父・秀長が使ったであろう部屋で静かに座っていた。


目の前の机には、籠に入れられた干し椎茸(しいたけ)が置かれている。

この当時、()()椎茸は想像もつかないほど「希少な贅沢品」だ。

マツタケ、あるいはそれ以上に「幻の存在」と言っても過言ではない。


この時代、椎茸は「栽培」するものではなく、猟師や炭焼き職人が、山の中でたまたま見つける「天然」ものしかない。

椎茸が生える場所を知っている者は「一生の宝」として家族にも教えないと聞いたことがある。


だが、単に珍しいというだけで、このきのこが贅沢品になっているのではない。

まず、圧倒的な「旨味」だ。

飽食の時代においても、干し椎茸から出る出汁は別格だった。


ましてや、肉食が禁忌とされた僧侶や公家にとって、椎茸は「肉を超えた肉」であった。

しかも、調味料も乏しいこの時代。

乾燥させた椎茸からでる出汁の旨味は、味気ない精進料理を、舌を震わせるほどの料理へと変える。


一度その味を知れば、椎茸なしでは生きられぬ身体になる。

権力者たちは、全国から届くわずかな献上品を奪い合うようにして求めていた。



そして、今の私が最も必要としているのは、その栄養価だ。

この時代、誰も本当の正体を知らない。


現代の知識が脳裏をかすめる。

日光を浴びて乾燥した椎茸は、骨を強くし、血を清め、免疫力を底上げする。

戦場での粗食、ビタミン不足による脚気、そして免疫力の低下にる感染症の罹患。

これらは戦国大名がどれほど軍略を練ろうとも防ぐことができない死神だ。


この椎茸の栄養があれば、羽柴の一門や重要な家臣たちを蝕むかもしれない病の影を、振り払えるかもしれない。

実際、体調を崩した高僧や修行僧には、滋養強壮の特効薬として「椎茸の出汁で作った粥や汁物」が与えられていたという。おそらく中国から伝わった医学書などで知った知識なのだろう。



さらに言えば、これは山で作ることができる金貨だ。

乾燥させれば数年は持つ。

驚くほど軽く、一石あたりの価値は米の数十倍となる。

これを栽培することで、長浜の経済規模を、表の石高以上に変貌させることができる。


「……天然ものを待つなど、あまりに悠長すぎる」


指先に力を込め、椎茸の硬い感触を確かめる。


伊吹の霧、湖北の広葉樹、そして私が持つ知識。

これらが噛み合うことで、椎茸の栽培は可能となる。



私の目の前には、相談相手として片桐且元を座らせている。


片桐は、史実では賤ヶ岳七本槍に数えられる武勇の持ち主である一方、真面目な行政官の一面も持つ。

いや、そちらの能力の方が高かった。

秀吉からの信頼が厚く、幼い秀頼の家老として豊臣家の実務を取り仕切った。

関ヶ原の戦い以降、徳川との折衝に奔走した。

バランス感覚も良かったようで妥協案を模索し豊臣が生き残る方策を探り続けた。

しかし、それが仇となり、徳川への内通を疑われ、最終的に大坂城を追放された。



すでにその片鱗を見せており、長浜の台所事情を理解し、村々の統治に奔走するとともに、兵站整備の役目にも嬉々として従事している。

石田三成のように頭でっかちでもなく、それぞれの立場を理解し尊重しながら、うまく物事を運んでいる。

自身が槍働きもでき、前線経験もあることから、文治・武断の間に立てる貴重な人材だ。


そんな彼が、私の前に積まれた椎茸をじっと見つめながら、私の言葉を待っている。



私は、机の上に一通の書状を広げた。

越前の曹洞宗の大寺・永平寺の高僧に、寺が保有する漢籍(中国の書)の知識を書きつけてもらったものだ。


「片桐、これを見てほしい。永平寺の高僧に書いてもらったものだ。あの寺には唐土から伝わった貴重な書が数多くある。その中の『王禎農書』という農書の一部を、我々でも読みやすいように書き下してもらった」


「ほう!唐土には農学に関する書があるのですか。しかし、私はそれを知っている若君の方に驚いておりますが …」

片桐が、書状と私の顔を交互に見ながら小さく言った。


「はははっ、私もこの書について知っていた訳ではない。漢籍の中で『あること』を書いているものがないか探してもらったのだ」


「なるほど…で、若君がお探しになった『あること』とは、一体何でございましょう?」


「椎茸の栽培方法だ」


片桐は、目を丸くして身を乗り出した。

「栽培……まさか、椎茸を、人の手で生やすと仰るのですか? あれは山神の気まぐれで生えるもので、村人や狩人が懸命に探しても見つからず、偶然見つけるような、謂わば『山の宝』ではございませぬか」


「その通りだ。だが、明の国ではすでに椎茸を栽培する方法が広まっているそうだ」

私は、書状を手に、その中に書いてある文字を読んだ。

「・(しい) 小楢(こなら)(くぬぎ)が相応しい。

 ・鉈目(なため)を入れること。 ※木にナタで傷をつけること

 ・木を叩いて刺激を与えること。

 ・水分管理や日よけが重要であること。」


「他にいろいろ書いてあるが、私はあまり農事に詳しくない。木を伐り、適度な傷を穿ち、湿り気を与えれば、椎茸を栽培することができるとある。明では実用されているというから、あながち嘘ではあるまい」

「これを伊吹の麓で大規模に実践しようと思う。このあたりは古来より薬草を育んできた土地。きのこの類も数多く育っていると聞く。湖北の気候は栽培に適しているかもしれん」



(続く)



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。

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― 新着の感想 ―
椎茸栽培に挑む戦国なろうは多々ありますが、実際、ホダ木への自然付着による栽培は室町時代から記録があるようです。わりと運任せの方法ですし結果が出るまでに数年かかるのですが、さて。
戦国もので椎茸チートは数あれど、椎茸栽培(ソースあり)は初めて見たかも。元代の頃から原木栽培があったんですね
でたよ、ご都合主義の椎茸栽培・・・
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