第93話 羽柴の力の源泉「人」
天正11年(1583年)7月 近江・長浜城 羽柴源一郎秀成
そんな会話を聞きながら考えた。
秀吉晩年の大坂は、単なる軍事拠点ではなく、権力と富が集中する巨大経済都市となっていた。
堺や摂津などから商人を強制移住させ、さらに全国の大名に屋敷を構えさせることで、巨大な消費市場を人工的に創り出した。
また、河川網を活用し、瀬戸内海からの大型船を城下へ直接引き込むなど、舟運を意識した街づくりを行い、物流の拠点としても発展した。
これらの整備の基盤の元になったのは、全国二百万石以上に及ぶ直轄地や、生野、石見、多田、中瀬などの鉱山群から吸い上げた大量の金銀だ。城内には大判数万枚に及ぶ金銀が備蓄されていたという。
※作者注
大阪城には現在の価値で数兆円に及ぶ金銀が保管されていたとも言われています。
秀吉亡き後、それらの金銀は秀吉直轄地に隠されたという埋蔵金伝説があるようです。
あくまで伝説で、見つかったことはありません。
金銀を蓄え、貨幣を回して、御用商人達に商売をさせ、そこから巨額の運上(税)を徴収し、それを元手に大規模な普請などのインフラ整備に多額の資金を投入。これを循環させ経済発展に繋げるという重商主義的感覚は、秀吉の抜群の経済センスに依るものだろう。
長い戦乱を抜け、安定期に入る日本という国は、人口増加の波も相まって、成長余力しかない発展途上国そのものだ。
この好循環がうまく回れば、長期にわたって発展していくこともできたはずだ。
そして、その頂点に羽柴家が君臨し続けることも、決して不可能ではなかったかもしれない。
この秀吉特有の経済感覚は、父・秀長をはじめ、石田三成や増田長盛、長束正家といった優秀な奉行衆にも共有されていく。
羽柴の経済政策の根幹を支える彼ら『経済官僚』もまた、蔵入地から湧き出る金銀と同じくらい、羽柴にとって掛け替えのない大切な存在だ。
銀の話が一段落したところで、私は竹中重門に命じて、木箱を一つ持って来させた。
「大谷殿、これは父にお送りしている滋養の丸薬です。生産量も増えてきましたので、ぜひ大谷殿にもお渡ししたい」
大谷は驚いたように、木箱と私の顔を交互に見つめ、
「これは噂の、美濃守様の体調を案じた奥方様と源一郎様がお作りになったという丸薬!」
「これを私に?良いのですか?」
銀二百貫よりも貴重なものを手にしたように叫んだ。
「ご存知なのですか?父とその家臣達にしか渡していないはずですが…」
「いやいや、夫婦と親子の愛情の物語として広まっております。確か、私は藤堂高虎殿から聞きました。あれ程の激務にも関わらず、美濃守様が疲れ知らずなのは、この丸薬のおかげと」
(あいつか。また調子良く、自慢げに喋ったのだろう)
(しかし、そうやって広まっているのは、都合がいい)
「そうなのです。伯父上の側で重要な政に従事されている石田殿や大谷殿に倒れられては、羽柴の土台が揺らぎます。羽柴の家にとっては、父と同じように大切なお方。ぜひ受け取っていただきたい」
私の言葉に、大谷は私の目を見つめたまま固まった。
「……源一郎様。身に余るお言葉に、何と申し上げてよいか分かりませぬ」
顔を上げた大谷の瞳は、いつもの涼やかなものではく、熱と湿り気を帯びていた。
彼は真っ直ぐに私を見据え、言葉を噛み締めるように紡ぎ出す。
「我らのような算勘や兵站を担う者は、戦場での華々しい一番槍の功に埋れ、裏方として軽く扱われることの多うございます。しかし、我らの働きを評価し、あろうことか羽柴の土台を支える美濃守様と同じように大切だとおっしゃり、この身を案じてくださった」
大谷は一度言葉を切り、薬箱を両手で大切そうに包み込んだ。
「この丸薬、家宝にさせていただきます」
その声には高揚と隠しきれない喜びが入り混じっていた。
私はそれに驚きつつも面白く、つい笑ってしまった。
「ははっ。薬は使っていただかないと意味はありません。これから定期的にお送りするので、毎日夕餉とともに飲んでください」
「過分なご期待、恐縮でございます。この大谷紀之介、身命を賭して羽柴家の土台を築くお役目を全ういたします。どうか、この命、お使い立てくださりませ」
大谷はそう言って深々と頭を下げた。
「そんな大袈裟にしてもらったら困ります。身体を大切にしていただきたいというだけですから。激務が続くでしょうが、この丸薬を飲んで乗り切っていただきたい」
私が笑って応じると、「ははっ」と大谷は深く、そして力強く頭を下げた。
大谷は、感情を表に出す男ではないが、その声は感情の昂りで僅かに揺れていた。
傍らに控える小堀や片桐らもまた、大谷の熱意にあてられたように、背筋を伸ばし、引き締まった表情でこちらを見つめていた。
私は、家臣たちに向き直り、
「皆は知っていようが、伊吹山で薬草栽培を進める。いずれ、長浜は日の本一の薬の産地となろう。私の大切な家臣達にも丸薬を飲んでもらいたい。もう少し待っていてくれ」
そう言うと、皆弾かれたように背筋を伸ばし、
「「ありがたき幸せ!」」と声を揃えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
稚拙な部分があるかもしれませんが、日々推敲しながら加筆修正していっています。
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