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17.真実 前編

怒りに我を忘れた次元竜。


それは女がいくつか見た未来視の中でも、最悪の出来事だった。

見たとは言っても、それがすべて現実になるわけではない。いくつもの過去の要因がすべて揃った時にだけ必然として起こるものであり、どれか一つでも違えばその未来は違うものへと変化した。

だが、一番外れて欲しかったその未来視が今、目の前で現実に起きている。


今にも次元竜に踏み潰されそうになっていた人間をとっさに助け、それはシーベスに任せて次元竜に向き直る。

「……これだけは外れて欲しかったのに、ついに現実になってしまったか」

女は逆巻く風に吹き飛ばされないよう、抉れた地面に足を踏ん張り悲しげに呟く。

「次元竜、私の声がまだ聞こえるかい? 私にはあんたを止められない。被害を最小限に止めることはできても、あんたの怒りを鎮めることはできない。あんたの怒りはあんたで収めるしかないんだよ」


その声が聞こえたのか、次元竜が女の方を向いた。赤い目でじっと見つめる。

だが、女の思いは今の次元竜には届かなかった。

次元竜は大きな動作で尻尾を振る。女は後ろに跳んで難なくそれを避けたが、風に煽られ態勢を崩し、その場で膝を突く。

次元竜を睨みつけ、女は叫ぶ。


「もう聞こえないのかい? 私の声はあんたに届いてない? あんたはそんなに根性なしだったかね」


うねるような風が女の細い身体に叩きつけられる。それでも女は引かなかった。それどころか挑むようにきつく睨みをきかせ、叩きつける風を手で払い退ける。

荒れていた風が嘘のように消えた。女の声が静まり返った森の中に響く。

「いい加減におし。次元竜ともあろう者が小者の一人や二人にいちいち腹を立てるんじゃないよ。あんたの力はこんなことをするためにあるものじゃないだろ? あんたが気に入っていたこの森の死期を、あんた自身が早めるっていうのかい?」

言葉で呼び掛けるものの、次元竜に反応はない。


次元竜と女は睨み合いを続けたまま、互いに動かなかった。だが、それも長くは続かない。先に動いたのは、女の方だった。

「森の精霊の守護のもとに、束縛と沈黙を。天の精霊、白き天の使者よ舞い降りて魂鎮めを」

早口に呪文を唱える。そして、女は次元竜の背後へと素早く移動した。


地面から這い出た木の根が生き物のように次元竜に絡まり、その動きを一時的に止める。だが、それも長くは続かないだろう。次元竜の抵抗に、木の根はミシリミシリと悲鳴を上げていた。

晴天だったはずの空が曇天になり、そこからヒラヒラと白い物が舞い降りてくる。緩やかな風に揺られて降ってくるそれは雪だった。


「あんたには直接的な精霊の力が効かない。だから、間接的に使わせてもらったよ」

女は高く飛び上がり、木の根の拘束からようやく逃れた次元竜の首の付け根を思い切り蹴り飛ばす。

「多少乱暴な方法だが、これで少しは目も覚めるだろ」

ドシンと次元竜が地面に倒れただろう地響きの音。

地上へときれいに着地した女が、背後を振り返る。次元竜は頭を地面につけ、目を閉じて横たわっていた。


首は多くの生き物にとって急所となる。次元竜にもその法則が効くかは疑問だったが、例外なく効果があることはこの様子からも実証された。


「足りないならもう一発食らわせてやるよ。……起きたかい、次元竜」


不敵に笑い、女は次元竜を顔を見下ろす。ゆっくりと目を開けた次元竜は、天から舞い降りる雪を見つめていた。

その瞳はもう赤くない。それは次元竜の怒りが解けたことを示していた。だが、虚ろな瞳はどことなく焦点があっていない。


雪は積もることなく、地に触れた側から消えていく。

どれほど降ろうとも、暖かいこの森では形を残すことはない。


「……もう大丈夫だ。世話を掛けた。ありがとう、魔女」

正気に戻った瞳で女を見て、次元竜はその顔に苦笑を浮かべる。

この森に来て、女と出会ってから忘れていたモノを、雪を見つめていて思い出した。老い先短い、何も残せない己の命の有様を。


地上を彷徨いどこまで行こうとも、伴侶となる相手は見つからない。

もうこの世のどこにも同胞はいないのではないかという絶望と。

探し続けていれば見つかるかもしれないという希望と。

相反する二つの思いのどちらも、捨てられないまま。


この森の穏やかさに慣れてしまい、そのことも忘れかけていた。今の時間がいつまでも続けばいいと思っていた。

それが油断に繋がり――己は今、さらに命の期限を縮めてしまった。


次元竜にとって、力は命に直結する。不相応な大きい力を使えば、命を削ることと同義だ。

その上――。


「困ったことになった。私の力の影響で、閉ざされようとしていたはずの次元の穴が再び開き出している。このまま放置すれば、この森がすべて飲み込まれるまで閉じることはないだろう」

頭をもたげ、次元竜は風の静まった辺りを見回す。まだ周りには影響が出ていないことに、安堵の吐息を零す。


「この穴を塞ぐ。手伝ってくれるか?」

「当たり前だろ。この森は私の家だよ。みすみす消えるのを黙って見ていられるか。あたしは何をすればいい?」

女がパシンと次元竜の背を叩く。

「私が再度力を使うことで出る、周りへの影響を食い止めてくれないか? 次元の穴を塞ぎ直すことは、私にしかできない。君は巻き込まれないように、少し離れていた方がいい」

「わかったよ」


女は頷き、次元竜がいいという距離まで後退する。そして、自身の力を使って透明な膜を張り、この場所一帯を外界から隔離した。

次元竜の力は特殊で、精霊の力を借りて作ったものでは防げない可能性が高い。

その力は精霊の力に酷似している。だからこそ、直接的な精霊の力は次元竜には効かない。同質の力は効く前に中和されてしまう。


その点、魔女の力はそれらとは異質なものだった。魔女の力は血によって受け継がれていく。

だが、どんな力を持とうと、次元に干渉できる者は次元竜だけだった。その他の種族が下手に干渉することは、死と同義だと言われている。

女が険しい顔で見つめる先では、次元竜が次元の穴と対峙していた。


じわりじわりと時間を掛けて己が閉ざそうとしていた穴は。

この森に留まる切っ掛けを作った、ようやく閉じようとしていた穴は。

再び開こうとしている。それもすごい速さで――。


穴が開いた場所は景色を歪ませ、中心に少しずつ黒一色の空間が現れ始める。それは収縮を繰り返し、徐々に全体の大きさを広げていた。

だが、それも次第に収まり、今度は徐々に小さくなっていく。そして、ついには次元竜の意思に従い、黒い空間は完全に消えたのだった。



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