第四章 帰る場所 後編
同じ頃。
リューベック連星国艦隊旗艦。
「帝国護衛艦隊を確認」
「侯爵本人も地上にいる可能性が高い」
「作戦を中止しますか」
司令官は、長い間答えなかった。
祖国は小さい。
帝国が本気で攻めれば守れない。
共和国が本気で攻めても同じ。
条約がある。
外交がある。
交易上の価値もある。
だが最後には。
特級がいるか、いないか。
それだけで、国の発言力そのものが変わる。
帝国三。
共和国二。
そして、帝国領内に新たな候補が出た。
「今を逃せば」
司令官が言う。
「次はない」
「しかし、子供です」
「だからだ」
声が苦かった。
「完成した特級を奪える国などない」
「……」
「十歳。正式教育前。覚醒したばかり。今なら、まだ確保できる可能性がある」
「確保後、本人が我が国に協力する保証は」
「ない」
即答だった。
「待遇を与える。教育を与える。家族として迎える。その上で、いつか理解してもらう」
「誘拐しておいて?」
「分かっている!」
司令官の拳が震えた。
「分かっている……」
国の命運を、十歳の少女へ背負わせる。
正しいはずがない。
だが。
「特級さえいれば」
誰かが呟いた。
誰も否定しなかった。
「我々にも」
続く声。
「『滅ぼすぞ』と言われた時に、否と言える」
司令官は目を閉じた。
「地上部隊へ通達。対象は絶対に殺すな」
「はい」
「民間人への攻撃も最小限。目的は占領ではない」
「了解」
「リナリエッタ・レーヴェンを確保する」
その命令で。
一つの国が、一線を越えた。
*
「リナ」
アルベルトは上着を脱ぎ、リナへ投げた。
「これを着て、家の中へ」
「父ちゃん?」
「護衛の指示に従え」
「何するの?」
「上へ行く」
「上?」
アルベルトが地面を蹴った。
轟音はなかった。
ただ、身体が浮く。
一瞬後には屋根より高く。
さらに。
空へ。
リナの目が輝いた。
「父ちゃんすげー! 空飛んだ!」
護衛騎士が思わずリナを見る。
「ねね、私にもあれできるかな?」
「……おそらく可能かと」
「ほんと!?」
「ただし今は絶対に試さないでください!」
「ちょっとだけ」
「絶対に!」
「けち」
「命に関わります!」
その時。空のさらに上で。何かがぶつかった。
リナが止まる。
「……」
「リナ様?」
「なんか」
胸のあたりを触る。
「ビリビリするね」
「何がです」
「分かんない」
でも。感じる。
父の魔力。
護衛艦隊の魔力。
そして。
それより遥かに多い、知らない人たち。
遠い空の上で無数の光がぶつかり合っている。
「父ちゃん、頑張ってる」
*
アルベルトは強かった。
上級魔術師。
通常戦争なら、一人で戦線の形を変えられる。
だが。
相手は、小国とはいえ国家が生存を賭けて差し向けた艦隊だった。
正面の巡洋艦を一撃で沈黙させる。
右から来た中級魔導師隊を押し返す。
護衛艦の盾が削られる。
後方では降下艇が惑星へ抜けようとしている。
『閣下、追撃を!』
「できん! 後ろを空ければ地上へ降りる!」
『左翼突破!』
「三番隊、穴を埋めろ!」
自分一人なら、もっと自由に戦える。
敵艦へ飛び込み、指揮系統を潰し、離脱すればいい。
だが今は。
守るものがある。
娘。
惑星。
護衛艦隊。
民間人。
全部を背負ったまま、数で押してくる艦隊と戦わなければならない。
「……多すぎる!」
*
地上にも黒い船が降りてきた。
「敵兵!」
「リナ様を屋内へ!」
護衛が前へ出る。
魔法が飛ぶ。
土が跳ねる。
村人たちは逃げる。
リナは、何が起きているのか、よく分かっていなかった。
「なんで私?」
「後で説明します!」
「みんな怒ってる?」
「敵です!」
「それは分かるけど!」
兵士たちは、明らかにリナを殺すつもりがなかった。
「対象を傷つけるな!」
「護衛のみ排除!」
「少女を確保しろ!」
数で押し込まれる。
護衛が一人、二人と後退する。
とうとう、リナのいる家の前まで兵士が来た。
「下がれ!」
護衛騎士が叫ぶ。
一人の敵兵が踏み込む。
その間へ。
鍬を持った老人が立った。
「ゴル爺?」
「家の中におれ」
「何してんの!」
「見りゃ分かるじゃろ」
「分かんないよ!」
敵兵も困った顔をした。
「老人。どけ」
「嫌じゃ」
「我々は少女を殺さない」
「知らん」
「国家の命運がかかっている」
「もっと知らん」
ゴルは鍬を構えた。
「そいつは神子でも特級でもない」
リナの目が大きくなる。
少し前。
村人を笑った時と、同じ言葉だった。
「わしんとこのクソガキじゃ」
「ゴル爺!」
「連れてくなら、わしをどかしてからにせい」
兵士は苛立った。
殺すつもりなどなかった。
武器すら使わなかった。
「邪魔だ!」
ただ、片手で押した。
魔力で身体を強化した軍人にとっては。
本当に。
軽く押しただけだった。
ゴルの身体が浮いた。
「……え」
数メートル。
飛ぶ。
石壁へ。
鈍い音。
落ちる。
「ゴル爺?」
リナの声が小さくなった。
兵士も固まった。
「……そんな」
想定していなかった。
自分たちの世界なら。
転ぶだけの力だった。
「ゴル爺」
リナが駆け寄る。
老人の口から血が出ている。
「ねえ」
肩を揺らす。
「起きて」
目が。
少しだけ開く。
「……うるさいのう」
「医者呼ぶから!」
「耳元で……叫ぶな」
「すぐ治るよ。父ちゃんのとこ、すごい医者いるから!」
「リナ」
「なに?」
「飯……」
「え?」
「ちゃんと……食えよ……」
「何言ってんの」
「お前……すぐ腹減ったって……うるさいからの……」
「ゴル爺?」
息が。
止まった。
「……ねえ」
手が落ちる。
「ゴル爺」
初めて。
返事がなかった。
*
リナの顔から表情が消えた。
「……」
泣かない。
叫ばない。
怒鳴りもしない。
薄い赤の瞳が。
ゆっくり光った。
近くにいた兵士たちが、一歩下がる。
「対象の魔力反応――」
「待て」
誰かが呟く。
「何だ、これ……」
地上だけではない。
軌道上でも。
戦闘中の魔導師たちが、一斉に気づいた。
空間全体に何かが満ちていく。
リナには。
見えた。
いや。
感じた。
父ちゃん。
護衛。
知らない敵。
あそこ。
あそこ。
あそこにも。
無数の魔力。
線みたいに。
星の海に広がっている。
「……ビリビリする」
誰に言ったのか。
自分でも分からない。
そして。
口から知らない言葉が零れた。
帝国語ではない。
この世界の言葉でもない。
昔。
別の世界で。
読んだのか。聞いたのか。
それすら覚えていない。
ただ。
歌うように。
「――天より、火は降り」
周囲の兵士が息を呑む。
「――罪ある地を、覆い」
意味を理解できないのに、祈りのように聞こえた。
神々しいと。
そう感じた者すらいた。
*
軌道上。
アルベルトが敵艦を押し返した瞬間、戦場全体が静かになった。
「……何だ?」
敵も。
味方も。
魔法を止めたわけではない。
ただ。
もっと大きなものへ、全員の意識が引っ張られた。
惑星から、娘の魔力が立ち上がっている。
「リナ……?」
次の瞬間。
敵艦が一隻、消えた。
爆発しない。
砕けない。
光にもならない。
ただ。
そこから消えた。
「……は?」
二隻目。
三隻目。
十。
敵艦だけが。
次々と消えていく。
『右舷敵艦群、消失!』
『転移反応なし!』
『残骸ありません!』
『友軍は!?』
『無傷です!』
アルベルトが振り返る。
自分の護衛艦隊はそこにいる。
敵だけが消えた。
リューベック艦隊司令部では、絶叫が飛び交っていた。
「何が起きている!」
「攻撃魔法、観測できません!」
「退避!」
「星間門まで持ちません!」
「全艦、散開しろ!」
意味がなかった。
逃げる船も。
止まる船も。
惑星から遠い船も。
一つずつ。
等しくなくなる。
司令官は消えていく星図を見ていた。
特級さえいれば。
そう思った。
特級が一人いれば、大国へ否と言える。
だから子供なら奪えると思った。
違った。
子供だから。
まだ自分の力を知らないから。
怖くないのではない。
むしろ。
「……化け物」
最後の言葉と共に、旗艦が消えた。
数秒だった。
リューベック連星国が集めたほぼすべての主力艦隊が。
星の海から消えた。
*
「地上へ戻る!」
アルベルトは叫んだ。
『閣下、残敵――』
「軌道上にはいない!」
自ら惑星へ落ちるように降下する。
大気が魔力障壁を焼く。
そんなことはどうでもよかった。
娘の魔力が。
まだ。
冷たい。
*
地上に残ったリューベック兵たちは。
通信が切れたことに気づいていた。
「旗艦、応答せよ!」
「第二群!」
「誰でもいい! 応答しろ!」
何も返らない。
一人が震える手で観測端末を見る。
「……ない」
「何が」
「艦隊が」
「何を言ってる」
「全部……ない」
兵士たちがリナを見る。
少女は。
ゴルの横に立っている。
泣いていない。
赤い目だけが光っている。
「ば……」
誰かが後退する。
「化け物……」
その言葉にもリナは反応しなかった。
そこへ。
「リナ!」
空からアルベルトが降りてきた。
地面が揺れる。
父は兵士たちを一瞥しただけで。
娘へ向かった。
「リナ」
返事がない。
「私を見ろ」
薄赤の瞳が。
ゆっくり動く。
「……父ちゃん?」
その一言で。
光が消えた。
リナが瞬きをする。
一度。
二度。
周囲を見る。
「何で……父ちゃん、下にいるの?」
「戻ってきた」
「上は?」
アルベルトは、すぐには答えられなかった。
リナはまだ知らない。
自分が何をしたのか。
視線が地面へ落ちる。
ゴル。
「……あ」
表情が。今度は普通に。崩れた。
「ゴル爺」
アルベルトが娘を抱きしめる。
「父ちゃん」
「ああ」
「ゴル爺、起きない」
「ああ」
「ご飯持ってきたのに」
「ああ」
「お酒も」
「ああ」
「さっき飲んでたのに」
声が震える。
「なんで」
アルベルトは答えを持っていなかった。
ただ。
娘を抱く腕だけは。
離さなかった。




