第二十九章 私が決める
皇帝に呼ばれた。そう聞いた時、リナが最初に言ったのは。
「今日?」
だった。
「今日だ」
アルベルトが答える。
「学校は?」
「午後から皇宮だ」
「算術ある」
「一時間だけ出ろ」
「帝国語は?」
「午前だ」
「じゃあ休みたい」
「行け」
「父ちゃん!」
「都合の悪い授業だけ避けるな」
「皇帝に呼ばれたのに!」
「皇帝陛下を帝国語から逃げる理由に使うな」
「偉い人なのに使えない!」
ユリウスが朝食を食べながら笑った。
「陛下に言ってみろよ」
「言う」
「やめろ」
アルベルトが即答した。
*
午前の授業を終え、リナは皇宮へ向かった。制服のままだった。
「礼服じゃないの?」
車の中で聞く。
「陛下の許可が出ている」
「やった」
「喜ぶな」
「だって楽」
襟を引っ張る。
「これなら走れる」
「皇宮で走るな」
「走らないよ」
「信用できん」
「父ちゃんひどい」
少しして、リナが窓の外を見る。
「今日、何の話?」
「お前の今後だ」
「今後?」
「軍」
リナの顔から少し笑みが消える。
「また?」
「ああ」
「私を入れるかどうか?」
「それも」
「戦わせるか?」
「ああ」
「……」
アルベルトが娘を見る。
「嫌なら」
「行く」
リナが答えた。
「聞きたい」
「そうか」
「私の話なんでしょ」
「ああ」
「じゃあ行く」
*
皇宮。
以前特級認定で来た場所。
国葬でも来た。
今日は。
少し違う。
大きすぎない会議室。
皇帝。
ミレイア。
サイラス。
軍務高官。
魔力管理院の代表。
アルベルト。
そして。
リナ。
「多い」
入口で言った。
アルベルトが横で額を押さえる。
「リナ」
「聞こえてる?」
「聞こえている」
皇帝が奥で答えた。
「あ」
リナが姿勢を正す。
「こんにちは」
「うむ」
「呼んだ?」
「呼んだ」
「何の話?」
軍務高官がわずかに目を見開く。皇帝は少しだけ笑った。
「座れ」
「はい」
リナは空いていた椅子へ座った。
足が少しだけ床に届かない。
*
「リナ」
皇帝が言った。
「まず」
「うん」
「謝らねばならん」
部屋が静かになる。
「何を?」
「共和国へ白冠と天壁を送ったことだ」
ミレイアがわずかに皇帝を見る。
「帝都に」
皇帝は続ける。
「お前を残した」
「うん」
「余が承認した」
「うん」
「その結果」
断界。
カール。
来た。
「お前は戦った」
「うん」
「勝った」
「……たぶん」
「圧倒したと報告されている」
「でも危なかった」
「そうだ」
皇帝が頷く。
「危なかった」
リナが少し驚いた。
勝った。
だから成功。
そう言われると思っていた。
「陛下」
軍務高官が口を開こうとする。皇帝が手を上げる。
「今日は」
老人が言う。
「まず本人に聞く」
リナを見る。
「お前は」
「うん」
「戦いたいか」
いきなりだった。リナが目を丸くする。
「分かんない」
答えも早かった。軍務高官の眉が動く。
「分からない?」
「うん」
「怖いか」
「怖い」
「では戦いたくない?」
「それも違う」
「なぜ」
リナは少し考えた。
「父ちゃんとか」
隣を見る。
「兄ちゃんとか」
今日はここにいない。
「クラウディアさんとか」
それから。
「カイルとか」
学校。
「先生と教官も」
ミレイア。
サイラス。
「危なかったら」
自分の手を見る。
「助けたい」
「それは」
軍務高官が言う。
「戦うということだ」
「うん」
「なら」
「でも」
リナが顔を上げる。
「共和国に行って、誰か殺してこいって言われたら嫌」
室内が静かになる。
「敵国だぞ」
「知ってる」
「帝国を攻撃した」
「知ってる」
「破軍閣下を殺した」
「知ってる!」
少し、声が強くなった。リナは息を吸う。
「知ってる」
もう一度。
静かに。
「だからカールさん嫌い」
「……」
「でも」
手を握る。
「殺さなくてよかったって思ってる」
軍務高官はすぐには返せなかった。
*
「では」
皇帝が聞く。
「お前は」
「うん」
「どうしたい」
リナは困った。今まで、いろんな大人が答えを持っていた。
戦わせるべき。
戦わせるべきではない。
学校へ行かせるべき。
軍へ入れるべき。
守るべき。
使うべき。
全部。
誰かの答え。
「私」
少し、時間をかける。
「学校行きたい」
軍務高官が何とも言えない顔をした。
「まずそれか」
「大事だよ」
ミレイアの口元が少しだけ緩む。
「帝国語は嫌だけど」
「リナ」
アルベルトが言う。
「今はそこではない」
「でも学校は行きたい」
「分かった」
皇帝が言った。
「続けろ」
「訓練もする」
「何の」
「壊さないやつ」
サイラスが小さく頷く。
「赤だけ止める」
「それだけか」
「今は三個」
「増えたな」
皇帝が少しだけ笑った。
「難しいんだよ」
「そうか」
「あと」
リナが真面目な顔になる。
「戦う時」
「うむ」
「私にも言って」
「何を」
「何しに行くか」
部屋が静かになる。
「誰と戦うか」
「……」
「なんで戦うか」
「……」
「殺すつもりなのか」
ミレイアの目が少しだけ揺れる。
「それ聞いて」
リナは言う。
「私も考える」
*
「国家機密を」
軍務高官が低く言う。
「十歳へ全て開示すると?」
「全部じゃなくていい」
リナが答える。高官が少し驚く。
「私、全部決めたいって言ってないよ」
「……」
「艦隊どこ行くとか」
「……」
「何時に出るとか」
「……」
「そういうのは分かんないし」
少し、考える。
「たぶん聞いても忘れる」
「忘れるな」
アルベルトが言う。
「大事なら覚える」
「帝国語も覚えろ」
「父ちゃん!」
皇帝が咳払いした。笑っていた。
「続けろ」
「はい」
リナが少しだけ頬を膨らませる。
「でも」
高官を見る。
「私が誰か殺すかもしれないなら」
「……」
「それは教えて」
「……」
「私にも決めさせて」
*
「決めさせる」
高官が言う。
「つまり」
「うん」
「拒否する権利を求めると?」
リナが止まる。
「拒否?」
「嫌なら行かないと言えるようにする」
「……」
「そういうことか」
リナは少し考えた。
「たぶん」
「たぶん?」
「でも」
眉を寄せる。
「帝都にカールさん来た時」
「……」
「私が嫌って言ったら」
「……」
「誰が止めるの?」
高官が答えない。
「先生と教官は向こうだった」
「そうだ」
「父ちゃんは上級」
「……」
「軍の人いっぱい死ぬ?」
「可能性はある」
「じゃあ」
リナが言う。
「嫌だから行かないって言えば終わり、も違うと思う」
サイラスが眼鏡の奥からじっと少女を見る。
「なら」
彼が聞く。
「どうする」
「だから」
リナは少し困った顔で言う。
「一緒に決める」
それだけ。
「私だけでもなくて」
「……」
「大人だけでもなくて」
「……」
「一緒に」
*
皇帝はしばらく何も言わなかった。
「サイラス」
「はい」
「どう思う」
サイラスはすぐには答えない。
「制度としては」
堅い声。
「曖昧です」
「うん」
リナが頷く。
「聞いてない」
「本人に言っている」
「え」
「だが」
サイラスは続ける。
「今は、それでいいと思います」
軍務高官が顔を上げる。
「天壁殿」
「十歳へ、国家安全保障上の最終決定権を与えるべきではない」
「当然です」
「同時に」
サイラスが言う。
「十歳だから、一切聞かなくてよい理由にもならない」
「……」
「戦場へ置く以上」
自分自身へ言うように。
「説明する義務は大人側にある」
*
「私は」
ミレイアが言った。
「一つだけ」
「先生?」
「リナ」
「うん」
「お前は」
銀色の目がまっすぐ少女を見る。
「戦わない選択をした時」
「うん」
「その結果、誰かが傷つくこともある」
リナの表情が少し硬くなる。
「分かるか」
「……うん」
「戦う選択をしても」
「うん」
「誰かが傷つく」
「うん」
「どちらを選んでも」
正解がない時がある。
「それでも」
ミレイアが言う。
「自分で考えたいか」
リナは少しだけ怖そうな顔をした。
「怖い」
「ああ」
「間違えたら?」
「間違える」
「先生も?」
「間違える」
「皇帝も?」
全員が老人を見る。皇帝は少しだけ笑った。
「間違える」
「教官も?」
「当然だ」
「父ちゃんも?」
「聞く必要あるか」
「ある」
「……間違える」
リナは少し考えた。
「じゃあ」
「うん」
ミレイアが待つ。
「一人で決めない方がいいね」
「そうだな」
*
皇帝が背もたれへ身を預けた。
「では」
老人が言う。
「当面」
全員が皇帝を見る。
「リナリエッタ・レーヴェンを、常設の軍籍へ編入しない」
軍務高官が口を開きかける。
「最後まで聞け」
「……はい」
「学校及び特級教育を継続」
リナの顔が少し明るくなる。
「やった」
「喜ぶのはまだ早い」
「はい」
「帝国防衛上」
皇帝が続ける。
「特級戦力として出動を求める可能性は残す」
リナの顔が少し真面目になる。
「ただし」
老人の声が重くなる。
「本人及び保護者へ」
アルベルトを見る。
「目的」
一つ。
「想定される相手」
二つ。
「可能な限りの危険」
三つ。
「それらを説明する」
「……」
「本人の意思を聞く」
リナが皇帝を見る。
「最終判断は」
皇帝が言う。
「その時々で、国家が責任を持って行う」
「私が嫌って言っても?」
「場合によっては」
誤魔化さなかった。
「行けと命じることもあるかもしれん」
アルベルトの顔が硬くなる。リナも少し嫌そうにする。
「やだな」
「余もだ」
「皇帝なのに?」
「皇帝だからだ」
リナにはまだ全部は分からない。
「だが」
皇帝が言う。
「少なくとも」
老人の目が鋭くなる。
「お前に知らせず」
「……」
「お前を戦わせるために戦場を作ることは」
ヴァイス。
軍過激派。
「二度と認めん」
リナがじっと皇帝を見る。
「ほんと?」
「皇帝の言葉だ」
「破ったら?」
「……」
部屋が。少し止まる。皇帝が眉を上げる。
「破ったら?」
「約束破ったら」
「お前は余へ何をする気だ」
「怒る」
「……」
「すごく」
ミレイアが顔を横へ向けた。サイラスが眼鏡を直す。軍務高官は天井を見た。皇帝が少しして、笑った。
「それは怖いな」
「私、怒ると危ないよ」
「知っている」
「だから守って」
「善処する」
「それ父ちゃんも言いそう」
「なら」
皇帝は言った。
「努力する」
「うん」
*
会議はそれで終わりではなかった。
軍務。
教育。
警護。
報道。
細かい話がまだ続く。
だが。
リナにとって、一番大事なところはもう終わった。
「ねえ」
途中で、小さく、アルベルトへ囁く。
「何だ」
「帰っていい?」
「駄目だ」
「もう私の話終わったじゃん」
「まだいる」
「お腹空いた」
「我慢しろ」
「お菓子ない?」
「皇宮だぞ」
「あるでしょ」
「何でそう思う」
「皇帝、お金持ちそう」
「リナ」
前から。
皇帝の声。
「聞こえているぞ」
「あ」
リナが姿勢を正す。
「お菓子あります?」
全員が。黙った。皇帝はしばらく少女を見る。
「ある」
「やった」
「会議が終わったらだ」
「頑張る!」
軍務高官が頭を抱えた。
*
帰り。
皇宮の長い廊下。
「父ちゃん」
「何だ」
「決まったね」
「ああ」
「私が全部決めるんじゃなかった」
「ああ」
「大人が全部決めるんでもない」
「ああ」
「これでいい?」
アルベルトは娘を見る。
「お前はどう思う」
リナが少し考える。
「分かんない」
「そうか」
「でも」
ニカッと笑う。
「前よりいい」
「なら」
アルベルトもほんの少し笑った。
「今はそれでいい」
リナは少し前を歩く。
「父ちゃん」
「何だ」
「明日学校?」
「当然だ」
「帝国語?」
「ある」
「皇帝と会議した次の日くらい休みでも」
「駄目だ」
「帝国第四特級なのに!」
「学生でもある」
「侯爵令嬢!」
「学生だ」
「灰の星の神子!」
「それは自分で否定しただろう」
「あ」
リナが止まる。
「そうだった」
「忘れるな」
「じゃあ」
少し考えて、笑う。
「リナだから休み」
「もっと駄目だ」
「なんで!」
皇宮の廊下に十歳の声が響いた。
帝国第四特級でも。
侯爵令嬢でも。
神子でもなく。
ただ。
自分の明日の授業を嫌がるリナの声だった。




