第二十八章 本人
共和国では、帝国第四特級《虚空》について毎日新しい報告書が増えていた。
出力。
能力。
戦闘映像。
空間干渉。
断界への対処。
感情変化。
詠唱。
宗教運動。
世論。
そして。
最近新しい項目が加わった。
『死亡記録』
*
「死んでるらしいわよ」
共和国軍中央病院。
病室。
アナスタシアが言った。
ベッドの上で資料を読んでいたカールが顔を上げる。
「誰が」
「リナ」
「……」
「十年前に」
「……」
「書類上」
「先にそれを言え」
「面白くないじゃない」
「面白くする話か?」
「帝国の記事の見出しがもっとひどいわよ」
アナスタシアが端末を見せる。
『死んだはずの第四特級』
『灰の星から帰った少女』
『神子伝説と死亡記録の奇妙な一致』
「ほら」
「……」
「宗教屋が喜びそう」
「すでに喜んでいるだろう」
「でしょうねえ」
アナスタシアは椅子へ深く座った。
「実際の記事は意外とまともだけど」
「内容は」
「十年前に死亡登録がある。現在本人が生存している以上、記録に虚偽か重大な誤りがある。侯爵家と帝国当局が調査中」
「それだけか」
「それだけ」
「なら」
カールは端末を返す。
「見出しが悪い」
「でしょ?」
「お前が書いたのか」
「なんでよ」
「好みそうだ」
「私を何だと思ってるの」
「面倒な女」
「病人じゃなかったら殴るわよ」
「病人でも殴るだろう」
「よく分かってるじゃない」
アナスタシアが笑う。カールもほんの少しだけ口元を動かした。
*
カールはまだ退院していなかった。
肉体はかなり戻っている。
だが。
魔力器官は別だった。
破軍との戦いで受けた損傷。
無理な早期復帰。
帝都侵入。
そして。
《虚空》との戦闘。
積み重なったものは簡単には消えない。
「今日の検査」
アナスタシアが言う。
「どうだった?」
「昨日よりは良い」
「便利な答え」
「事実だ」
「何割?」
「医者に聞け」
「本人でしょ」
「数字だけ聞いて一喜一憂するなと言われている」
「誰に?」
「医者に」
「ちゃんと聞いてるんだ」
「患者だからな」
「戦場では聞かなかったくせに」
カールの手が止まった。
「……そうだな」
アナスタシアも笑うのをやめる。
「ごめん」
「いや」
「嫌味のつもりじゃ」
「分かっている」
沈黙。
アナスタシアは窓の外を見る。
共和国首都。
生きている。
建物も。
人も。
空も。
あの時。
白冠と天壁が来た。
自分は。
二人を止めた。
カールは。
帝都へ行った。
そして。
帰ってきた。
投げ返されて。
「ねえ」
「何だ」
「あの子」
「……」
「どのくらい強かった?」
カールは少し考えた。
「報告書を読んだだろう」
「本人から聞きたいの」
「圧倒された」
「そこまで?」
「ああ」
「七割だったから?」
「それを言い訳にする気はない」
「でも事実ではあるでしょ」
「事実だ」
「万全だったら?」
カールはしばらく答えなかった。
「分からん」
「勝てた?」
「分からん」
「負けた?」
「分からん」
「珍しいわね」
「何が」
「あなたが分からないって連発するの」
「分からないものは分からない」
「成長したじゃない」
「四十六歳に言うことか」
「いくつでも成長はできるわよ」
「お前に言われると腹が立つ」
「なんでよ」
*
「ただ」
カールが言った。
アナスタシアが見る。
「一つだけ」
「何?」
「出力の問題ではない」
「……」
「俺の切断が」
空間。
距離。
接続。
今まで絶対ではなかった。
それでも。
技術として積み上げてきた。
「通らなかった?」
「止められた」
「どうやって」
「分からん」
「また?」
「観測側も分かっていない」
「そっか」
「転移も」
「うん」
「出口を作れなかった」
「うん」
「逃げられない」
「……」
「攻撃も届かない」
そして。
「向こうの攻撃だけが」
届く。
カールは自分の手を見る。
「戦術としては」
「最悪ね」
「最悪だ」
「怖かった?」
「ああ」
即答だった。アナスタシアが少しだけ驚く。
「そこも即答するようになった?」
「死ぬと思った」
「……」
「怖くない方がおかしい」
「そうね」
アナスタシアは笑わなかった。
*
「それで」
少しして、彼女が聞く。
「最後は?」
「何が」
「なんで生きてるの」
「……」
「能力の話じゃなくて」
カールが視線を落とす。
「彼女が止めた」
「自分で?」
「ああ」
「本当に?」
「何を疑っている」
「だって」
アナスタシアは帝国から回ってきた映像を思い出す。
無表情。
赤い光。
聞いたことのない言葉。
拡大する。
何か。
「報告だけ読んでると」
小さく。
「途中まで、止まれるようには見えないのよ」
「俺もそう思った」
「じゃあ」
「戻った」
「何で?」
「知らん」
カールは少しだけ目を閉じた。
『死ななくてよかった』
アナスタシアが以前伝えた言葉。
そして。
戦闘の最後。
少女の顔が。
変わった。
冷たい。
何もない顔から。
十歳の顔へ。
『……あっぶなー』
「……」
「何?」
「いや」
「今思い出した?」
「少し」
「何を」
「言わん」
「けち」
「言う必要がない」
「はいはい」
*
病室の扉が開いた。
「お二人とも」
共和国軍の士官。
「国家安全保障会議より出席要請です」
アナスタシアが露骨に嫌な顔をした。
「私も?」
「はい」
「病人の見舞い中なんだけど」
「第一特級殿」
「はい」
「至急です」
「逃げられない?」
「無理です」
「カール」
「何だ」
「代わりに行って」
「入院患者だ」
「便利ね、それ」
「便利にしたのは誰だ」
「共和国?」
「お前もだ」
「……ごめん」
士官が目を逸らした。
*
国家安全保障会議。
共和国大統領。
軍。
情報部。
外交部門。
そして。
アナスタシア。
カールは病院から通信で参加していた。
「帝国軍内部の情報漏洩について」
情報部長が言う。
「帝国側で複数名が拘束された模様です」
「こちらへ流れた情報の件か」
大統領が聞く。
「はい」
「我々の協力者か?」
「その表現は適切ではありません」
「なぜ」
「共和国のために動いた者ではない」
情報部長が資料を出す。
「帝国の共和国首都攻撃に反対した者」
一つ。
「特級同士の正面衝突を避けようとした者」
二つ。
「そして」
三つ。
「《虚空》を実戦へ出すため、我々から帝都へ圧力をかけさせようとした者」
会議室が静かになった。
「何だと」
軍人の一人が言った。
「我々を使った?」
「そう考えられる者が少なくとも一名」
「誰だ」
「帝国軍中佐」
「目的は」
「十歳の第四特級を、実戦戦力として既成事実化すること」
アナスタシアが目を閉じた。
「馬鹿」
小さく言う。だが、静かな会議室では十分聞こえた。
「星喰」
大統領が呼ぶ。
「失礼」
「意見は」
「今言いました」
「……」
「馬鹿です」
「もう少し国家安全保障会議向けの言葉を使え」
「帝国の軍人が、敵国である私たちに情報を漏らして、自国の十歳を戦場へ出そうとした」
アナスタシアが両手を広げる。
「どこを上品に言えばいいんです?」
「……続けろ」
「しかも」
赤い髪が揺れる。
「来るのがカールだとは思ってなかったんでしょう?」
「その可能性が高い」
「でしょうね」
アナスタシアは机を見る。
「知ってたらやらないわよ」
「なぜ断言できる」
「リューベック事件を知ってる軍人なら」
一度、止まる。
「断界をあの子へぶつける意味くらい分かる」
カールの通信映像が少しだけ険しくなる。
*
「結果として」
共和国軍の将官が言う。
「我々の作戦は一定の成果を得た」
アナスタシアが顔を上げる。
「まだそれ言う?」
「天壁を帰還させた」
「そうね」
「我が首都への圧力は軽減された」
「そうね」
「断界も生還した」
「そうね」
「なら」
「虚空に負けた」
カールが通信越しに言った。
将官が止まる。
「カール」
「事実だ」
「しかし作戦目的の一部は」
「俺が負けたことと」
カールは言う。
「作戦目的の一部が達成されたことは別だ」
アナスタシアが少し目を細めた、どこかで似たようなことをあの少女も言いそうだった。
「続けろ」
大統領が言う。
「俺は」
カールは淡々と話す。
「帝都へ侵入した」
「……」
「帝国に圧力をかけ」
「……」
「一名を帰還させるために」
「その通りだ」
「成功した」
「そうだ」
「そして」
一度。
間を置く。
「十歳の少女と戦った」
会議室が静かになる。
「特級だ」
将官が言った。
「知っている」
「虚空だ」
「知っている」
「帝国第四特級」
「全部知っている」
カールの声は変わらない。
「だが」
「……」
「特級であることは」
灰色の目が画面越しに将官を見る。
「十歳であることを消さない」
*
アナスタシアは何も言わなかった。共和国側の人間がカールの口からそれを言う。
少し前なら、考えなかったかもしれない。
「だから何だ」
別の軍人が聞いた。
「我々は敵国の年齢まで考慮して戦えと?」
「違う」
カールが答える。
「戦場に出た以上」
「……」
「相手は相手だ」
「なら」
「だからこそ」
カールが続ける。
「誰がそこへ出したかは考えろ」
「……」
「十歳が自分一人で国家戦略を組んだわけではない」
帝国。
皇帝。
軍。
侯爵。
そして。
漏洩した軍人。
「我々も同じだ」
カールは言った。
「破軍を殺せと決めたのは」
会議室を見る。
「俺一人ではない」
誰もすぐには返さない。
「だが」
カールの声が少し低くなる。
「殺したのは俺だ」
*
アナスタシアが口を開いた。
「ねえ」
「何だ」
「今さら真面目すぎない?」
「元からだ」
「そうだった」
少し、笑う。でも、すぐに笑顔を消した。
「じゃあ」
アナスタシアが聞く。
「もし」
全員が彼女を見る。
「また帝国と戦争になったら」
「……」
「あの子が出てきたら」
カールを見る。
「戦う?」
カールはすぐには答えなかった。
「必要なら」
答えた。アナスタシアの眉が少しだけ動く。
「そっか」
「ただし」
「うん」
「以前とは違う」
「何が」
「相手を知っている」
「……」
「強さ?」
軍人が聞く。
「それもだ」
「能力?」
「それも」
「なら何だ」
カールは少しだけ目を伏せた。
「殺せるのに」
喉。
切断。
何度も。
狙った。
「俺を生かした人間だ」
「……」
「だから何だ」
「何でもない」
カールは答える。
「戦場では」
「……」
「それも含めて判断するだけだ」
アナスタシアが少し笑う。
「面倒ね」
「ああ」
「嫌い?」
「誰が」
「リナ」
その名前を。
共和国の会議室で。
初めて。
《虚空》ではなく。
口にする。
カールは少し考えた。
「分からん」
「またそれ?」
「許される理由はない」
「うん」
「俺が破軍を殺したことも変わらない」
「うん」
「向こうも俺を嫌っている」
「そうね」
「なら」
「でも?」
カールがアナスタシアを見る。
「嫌われることと」
一度。
止まる。
「相手を一人の人間として見ることは別だ」
アナスタシアがゆっくり笑った。
「それ」
「何だ」
「本人に言ったら?」
「言わん」
「即答」
「会う予定もない」
「もし会ったら?」
「その時考える」
「謝る?」
「……」
「カール」
「謝罪は」
カールは少しだけ苦い顔をした。
「自分が楽になるためにするものではない」
アナスタシアが目を丸くする。
「あなた」
「何だ」
「本当に入院中に何かあった?」
「怪我だ」
「頭も?」
「切るぞ」
「病院で空間切断しないで」
*
会議は続いた。
軍事。
外交。
帝国の内部混乱。
宗教。
《灰の星の神子》。
「宗教運動については」
情報部長が言う。
「帝国外にも拡大しています」
アナスタシアが嫌そうな顔をする。
「共和国にも?」
「小規模ですが」
「勘弁して」
「なぜだ」
「敵国の特級を拝む共和国民をどう説明するのよ」
「信仰の自由があります」
「そういう正論いらない」
資料。
帝国の記事。
『死亡記録の存在』
『辺境で生存』
『神子』
「これが」
情報部長が言う。
「宗教的解釈を強めています」
「死んでないのに」
アナスタシアが言う。
「書類上は」
「紙に死ねって書いたら死ぬの?」
「そういう意味では」
「なら」
彼女は端末を閉じる。
「生きてる子を勝手に一回殺すなっての」
大統領が少しだけ笑った。
「星喰」
「はい」
「お前は随分、虚空を庇うな」
「庇ってません」
「では」
「嫌なのよ」
「何が」
「みんな」
アナスタシアは言う。
「あの子を何かにしたがるのが」
兵器。
災厄。
英雄。
神子。
「共和国までやる必要ないでしょ」
*
会議後、アナスタシアは病院へ戻った。
「疲れた」
「帰れ」
「見舞いに来たの」
「毎日来るな」
「寂しいくせに」
「帰れ」
「奥さん来るまでいる」
「妻は後で来る」
「じゃあそれまで」
椅子へ座る。
「ねえ」
「何だ」
「会わないの?」
「誰に」
「分かってるでしょ」
「……」
「リナ」
「予定はない」
「会いたくない?」
「それも分からん」
「また分からない」
「悪いか」
「いいえ」
アナスタシアが窓を見る。
「私も」
「何が」
「会わせていいのか分からない」
「……」
「まだ早い気もする」
「ああ」
「会えば何か変わる気もする」
「ああ」
「変わらない気もする」
「ああ」
「その『ああ』便利ね」
「便利だ」
「認めた」
二人で少しだけ笑う。
*
「ねえ」
アナスタシアが端末を見ながら言った。
「帝国の記事」
「まだ読むのか」
「暇なのよ」
「仕事をしろ」
「仕事で読んでるの」
「なら黙って読め」
「これ」
「何だ」
「《灰の星の神子》」
「……」
「英雄」
「……」
「災厄」
「……」
「帝国第四特級《虚空》」
「……」
「侯爵令嬢リナリエッタ・レーヴェン」
「……」
「いっぱいあるわね」
「そうだな」
「あなたなら」
アナスタシアがカールを見る。
「どれが一番正しいと思う?」
カールは記事を見る。
映像。
青銀の髪。
赤い瞳。
あの戦場では。
《虚空》だった。
国家にとっては。
帝国第四特級。
宗教にとっては。
神子。
世論にとっては。
英雄。
あるいは。
災厄。
だが。
最後。
攻撃を逸らした後。
顔を真っ赤にして舌を出した。
十歳。
「どれでもない」
カールが言った。
「じゃあ何?」
少し、考える。
「本人だ」
アナスタシアが黙った、それから、ふっと笑った。
「そうね」
帝国でも。
共和国でも。
ようやく少しずつ、その当たり前のことを覚え始めていた。




