第二十七章 帝国のために
最初の男は《虚空》を戦わせたかった。
二人目は。
戦争を止めたかった。
三人目は。
誰も死なせたくなかった。
そして。
三人とも。
同じ言葉を使った。
『帝国のためです』
*
帝国軍監察部。
聴取室。
「共和国へ情報を流したことは認めるか」
「認めます」
男は答えた。
四十代。
帝国軍の補給部門に属する士官。
共和国攻撃作戦の準備段階で、艦艇の物資配分、航路変更、特級用装備の移送、その一部を知る立場だった。
「目的は」
「攻撃を止めるためです」
「帝国の作戦を敵国へ漏らして?」
「はい」
「それを反逆と呼ぶ」
「承知しています」
「なぜ上官へ反対しなかった」
「しました」
監察官の手が止まる。
「記録があります」
男は続けた。
「共和国首都への特級投入は、報復の連鎖を拡大させると具申しました」
「却下された」
「はい」
「だから敵へ知らせた?」
「共和国が事前に備えれば」
男が言う。
「帝国側も奇襲を断念する可能性があると思いました」
「結果は」
「断念しなかった」
「共和国も特級を出した」
「……はい」
「帝都まで戦場になった」
「はい」
「虚空が暴走しかけた」
男の顔が歪んだ。
「……はい」
「それでも帝国のためだったと言うか」
男はしばらく答えなかった。
「その時は」
やがて。
「そう思いました」
*
次。
女性士官。
「私は共和国へ直接情報を送っていません」
「では何をした」
「経路を作りました」
「ヴァイス中佐たちが使った経路か」
「はい」
「目的は」
「戦争を止めるため」
「先ほどの男と同じだな」
「違います」
「何が」
「私は共和国に知らせたかったのではありません」
女性士官は姿勢を崩さなかった。
「帝国内部へ、漏洩の可能性を作りたかった」
「……どういう意味だ」
「作戦情報が安全ではないと判断されれば」
「作戦そのものを止めると?」
「少なくとも延期される」
「誰がそう判断すると」
「最高司令部が」
「しなかった」
「……はい」
「それどころか」
監察官が資料を見る。
「あなたが作った経路を、実際に別の人間が共和国への漏洩に使った」
「はい」
「ヴァイスも」
「はい」
「虚空を戦わせる目的で」
女性士官の顎が少しだけ強張る。
「それは知りませんでした」
「知らなかった?」
「知っていれば止めました」
「なぜ」
「十歳だからです」
即答だった。
「特級だぞ」
「十歳です」
「一国の主力艦隊を消している」
「十歳です」
「断界を圧倒した」
「それは」
女性士官が初めて声を強くした。
「我々が知っているのは、戦闘後です」
監察官が黙る。
「戦わせる前に」
彼女は言う。
「虚空が断界を圧倒できると、誰が保証できたのです」
「……」
「誰もできなかった」
だから。
「私は帝都防衛へ十歳を残す作戦にも反対しました」
「ならなぜ」
「止められなかった」
声が少し低くなる。
「正規の手続きでは」
そして。
「だから違法な経路へ手を出した」
「はい」
「後悔は」
「しています」
「作戦へ反対したことを?」
「違います」
女性士官は首を振った。
「自分だけは正しいと思ったことをです」
*
三人目。
老いた軍人だった。
「私は」
男が言う。
「共和国首都攻撃に賛成しました」
「ではなぜ情報漏洩へ」
「四特級の正面衝突を避けるためです」
「説明しろ」
「共和国の《断界》が戦闘不能」
「当時の帝国側認識だ」
「はい」
「なら共和国の稼働特級は《星喰》一人」
「はい」
「白冠、天壁の二名なら勝てる」
「勝てます」
迷わない。
「だが」
老人は机を見る。
「勝てばよいという話ではない」
「……」
「星喰が死ぬ」
「可能性は高い」
「共和国首都が損傷する」
「……」
「その瞬間」
老人が言う。
「共和国は、次に何をする」
監察官が答えない。
「帝国へ報復する」
「……」
「断界が回復すれば、また来る」
「……」
「あるいは別の国が共和国側につく」
「……」
「こちらもさらに攻撃する」
老人はゆっくり息を吐いた。
「終わらない」
「では攻撃へ反対すればよかった」
「それでは共和国は」
老人が言う。
「破軍を殺しても反撃されないと判断する」
「……」
「それも困る」
「だから」
「攻撃は必要だった」
監察官の眉がわずかに寄る。
「しかし本気で殺してはいけない?」
「そうです」
「都合がいいな」
「戦争とはそういうものです」
「開き直るな」
「開き直ってはいません」
老人は疲れた顔をした。
「私は、正解が分からなかった」
「……」
「だから」
情報を少しだけ外へ出した。
「共和国に備えさせ」
「はい」
「帝国に戦わせ」
「はい」
「互いに決定打を出させないつもりだった」
「自分で戦争の出力を調整した?」
「……そうなります」
「何様だ」
老人はしばらく黙った。
「軍人です」
「またそれか」
監察官が吐き捨てた。
*
報告書は厚くなった。
ヴァイス。
補給士官。
情報経路を作った女性士官。
老軍人。
他にも。
何人か。
目的は違う。
手段も違う。
同じだったのは、正式な命令系統の外で自分の判断を国家の判断より上へ置いたこと。
そして。
最後には。
必ず。
この言葉へ辿り着くこと。
『帝国のため』
*
皇宮。
会議室。
皇帝は報告書を閉じた。
向かいには。
ミレイア。
サイラス。
軍務の高官。
アルベルト。
監察部の責任者。
誰も。
喋らなかった。
「何人だ」
皇帝が聞く。
「現時点で」
監察官が答える。
「直接的な情報漏洩、経路作成、記録改変を含め、関与が確認された者は七名です」
「同じ組織か」
「いいえ」
「同じ思想か」
「いいえ」
「では」
皇帝が報告書を指で叩いた。
「何なのだ」
「……」
「誰も答えられんか」
サイラスが口を開く。
「陛下」
「何だ」
「彼らは」
一度、言葉を選ぶ。
「我々の判断を信用しなかった」
軍高官が顔を上げる。
「天壁殿、それは」
「違うか」
「命令違反です」
「それは事実だ」
「国家機密の漏洩です」
「それも事実だ」
「なら」
「処罰すべきだ」
サイラスは言った。
「だが」
続ける。
「処罰すれば、我々の判断が正しかったことになるわけではない」
室内が静かになる。
*
「私は」
ミレイアが言った。
「破軍閣下が亡くなった直後、報復へ反対した」
皇帝が見る。
「覚えている」
「虚空を軍籍へ入れることにも」
「そうだ」
「それでも」
ミレイアは自分の手を見る。
「私は共和国へ行った」
あの日。
白い軍装。
サイラス。
星喰。
共和国首都。
「自分が行くのならよいと思った」
「……」
「リナではなく」
声が少しだけ苦くなる。
「私なら」
力を持つ者の義務。
ずっとそう考えてきた。
「だが」
ミレイアが顔を上げる。
「私が正しいから行ったわけではない」
「何が言いたい」
軍高官が聞く。
「怖かったんだ」
ミレイアははっきり言った。
「共和国が」
破軍を殺した。
禁忌を越えた。
次は。
誰か。
「また奪われるのが怖かった」
「……」
「だから」
先に危険を減らそうとした。
「リューベックと」
アルベルトが静かに言う。
「同じではない」
ミレイアが答える。
「分かっている」
「共和国とも」
「ああ」
「条件も違う」
「分かっている」
「だが」
アルベルトは娘の言葉を思い出す。
『ちょっと似てる』
「似ている」
ミレイアが自分から言った。
*
「余が承認した」
皇帝が言った。全員が老人を見る。
「共和国首都への攻撃を」
「陛下」
「事実だ」
「しかし」
「破軍が死んだ」
皇帝の声は静かだった。
「共和国は禁忌を破った」
「……」
「断界は長く動けぬと報告された」
「……」
「今なら」
二特級を出せば、共和国を圧倒できる。
そう判断した。
「余が」
皇帝は自分の胸へ手を当てる。
「承認した」
「陛下の責任では」
「黙れ」
軍高官が止まる。
「部下が情報を漏らした」
皇帝は続ける。
「それは彼らの罪だ」
「……」
「ヴァイスが虚空を戦場へ引き出そうとした」
「……」
「それも彼の罪だ」
「……」
「だが」
老人の目が鋭くなる。
「その前に」
共和国首都へ。
二人の特級を。
送ったのは。
「余だ」
誰も否定できない。
「彼ら七名を処分し」
皇帝が言う。
「これで帝国は正しかったと」
机を指で叩く。
「そのような報告を余へ上げるな」
*
「では」
軍務高官が慎重に聞く。
「作戦そのものを誤りと?」
「結果だけを見れば」
皇帝が答える。
「共和国首都は陥落せず」
「……」
「星喰も死なず」
「……」
「断界は帝都へ侵入した」
「はい」
「こちらは虚空が防衛した」
「はい」
「戦術的には?」
「帝都防衛は成功です」
「攻勢は」
「目標未達」
「なら」
皇帝は少し笑った。
「成功だったと余に言わせたいのか」
「……」
「失敗だったと?」
「……」
「違う」
皇帝が言う。
「その言葉だけでは足りん」
破軍の死。
共和国の恐怖。
帝国の報復。
カールの侵入。
リナの迎撃。
不殺。
「一つずつ」
老人は言った。
「分けろ」
サイラスがわずかに目を細める。
リナがカールのことをまだ嫌いだと言った。
それでも。
殺さなくてよかったとも言った。
相反して見えるものを一つに潰さない。
「首都を守れたこと」
皇帝が言う。
「それは成功だ」
「はい」
「十歳の少女へ首都防衛を委ねたこと」
サイラスの表情が硬くなる。
「それは」
皇帝が少し止まった。
「余が今後考え続けるべき判断だ」
「……」
「共和国首都へ攻め込んだこと」
ミレイアを見る。
「それもだ」
*
「虚空について」
軍務高官が言った。
「今回の実戦結果を踏まえ、正式な軍籍編入を求める声があります」
アルベルトがすぐに顔を上げる。サイラスも眉を寄せた。
「またか」
「しかし」
高官は続ける。
「断界を圧倒した」
「知っている」
「帝都の民間被害を防いだ」
「知っている」
「現状」
帝国の生存特級。
三名。
「戦力として扱わない方が不自然です」
「戦力ではある」
ミレイアが言った。
「なら」
「人でもある」
高官が止まる。
「十歳の」
ミレイアは続ける。
「学校へ通っている」
「敵国は待ってくれません」
「それも知っている」
「では」
「だから難しいと言っている」
サイラスが低く言った。
「もう」
全員が見る。
「簡単な答えを出そうとするな」
*
「簡単な答え?」
皇帝が聞く。
「はい」
「例えば」
「戦力だから戦わせる」
一つ。
「子供だから絶対に戦わせない」
二つ。
「どちらも」
サイラスは言う。
「楽です」
「……」
「決めてしまえばよい」
「……」
「本人に聞かなくて済む」
アルベルトが少し目を伏せた。
昨日。
娘が言った。
『私のことなのに』
あれは自分にも向けられていた。
「リナは」
アルベルトが言う。
「戦いたくないとは言っていない」
「侯爵」
「戦いたいとも言っていない」
「……」
「なら」
軍務高官が聞く。
「どうする」
「本人に聞く」
アルベルトが答えた。
「十歳に国家防衛の判断を?」
「全部を決めさせるとは言っていない」
「では」
「説明する」
一つ。
「聞く」
二つ。
「それから」
アルベルトは少しだけ声を強くした。
「大人が責任を取る」
*
皇帝がしばらくアルベルトを見た。
「それを」
老人が言う。
「本人の前で言えるか」
「言えます」
「本当に?」
「……」
アルベルトが少しだけ詰まる。皇帝の口元がわずかに上がる。
「侯爵」
「はい」
「お前も」
「……」
「娘を守るという理由で」
十年前。
何も聞けない赤子へ封印をした。
遠くへ送った。
「勝手に決めた男だ」
「……はい」
「ヴァイスを責めるだけでは済まんな」
「分かっています」
「なら」
皇帝が椅子へ深く座る。
「次は本人を呼べ」
軍務高官が目を上げる。
「陛下?」
「虚空ではない」
皇帝が言った。
「リナリエッタでもない」
一瞬。
考える。
「……いや」
少し笑った。
「本人は怒るかもしれんな」
ミレイアが僅かに笑う。
「おそらく」
「何と呼べばよい」
「リナでいいそうです」
「そうだったな」
皇帝は頷いた。
「では」
次の会議。
初めて。
国家が。
少女について話す席へ。
「リナを呼べ」
*
会議が終わった。
ミレイアとサイラスは皇宮を出ると、それぞれの用務を片づけた後、午後遅く学院へ向かった。次にリナを皇宮へ呼ぶことはまだ本人へ伝えていない。
そして。
その本人は二人がどんな話をしてきたのかも知らず。
「先生!」
学院の訓練区画で、叫んだ。
「何だ」
ミレイアが答える。
「聞いてない!」
「何を」
「赤三個!」
「前に言っただろう」
「冗談だと思った!」
「なぜだ」
「先生だから!」
「意味が分からない」
透明な訓練箱。
赤い球。
三個。
青い球。
二個。
模型の街。
そして。
今回は、家の一つがゆっくり動いている。
「家も動いてる!」
「前に言った」
「冗談じゃなかった!」
「私は授業で冗談を言わない」
「嘘!」
「何がだ」
「年齢教えてくれなかった!」
「それは授業ではない!」
少し離れた場所。
サイラスが眼鏡を押し上げる。
「始めるぞ」
「教官助けて!」
「私は今日、採点側だ」
「敵が増えた!」
「敵ではない」
「全部止めれば勝ち?」
「失格だ」
「じゃあ赤だけ?」
「そうだ」
「青は?」
「触れるな」
「家は?」
「守れ」
「人形は?」
「当然守れ」
「難しい!」
「だから訓練だ」
リナが頬を膨らませる。
「もうちょっと簡単なのない?」
ミレイアが笑った。
「大きく壊す方か?」
「……」
リナが訓練箱を見る。
「やる」
さっきまでの文句が消えた。
「赤だけ」
「ああ」
「壊さない」
「ああ」
「やってみる」
三つの赤球が動き出した。リナの薄赤い瞳が真剣に、それだけを追った。
皇宮ではこれから彼女に国家を守るとは何かを聞こうとしている。
だが今、リナが考えているのは目の前の三つだけだった。
余計なものに触れず、壊す必要のないものを壊さず、危ないものだけを止める。
それは、たぶん、大人たちが今日一日かけてもまだ上手くできていないことだった。




