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灰の星の神子  作者: Tatsumaru


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第二十六章 一人分

「会わせる」


 翌朝、アルベルトが言った。リナはパンを齧る手を止めた。


「ほんと?」


「ああ」


「誰に?」


「昨日お前が会いたいと言った男だ」


「あ」


 エドガー・ヴァイス。


 十年前。


 リナを死んだことにした人。


 そして今。


 リナを戦場へ出すために共和国へ情報を流した人。


「ただし」


 アルベルトが続ける。


「条件がある」


「何?」


「私が同席する」


「うん」


「軍監察官もだ」


「うん」


「お前が嫌だと思った時点で終わる」


「うん」


「相手が何を言っても、お前が答える必要はない」


「うん」


「それから」


「父ちゃん」


「何だ」


「多い」


「大事なことだ」


「分かったから」


「まだ終わっていない」


「えー」


 ユリウスが横で笑う。


「諦めろ。父上はこうなると長い」


「兄ちゃん助けて」


「無理」


「役立たず」


「ひどいな!」


 アルベルトが咳払いする。


「聞け」


「はい」


「絶対に一人になるな」


「ならない」


「勝手に近づくな」


「うん」


「相手は拘束下だが――」


「父ちゃん」


「何だ」


「私とその人、どっちが強い?」


 アルベルトが黙った。ユリウスが顔を背ける。


「兄ちゃん笑った?」


「笑ってない」


「肩揺れてる」


「揺れてない」


 アルベルトが額を押さえた。


「そういう問題ではない」


「でも」


「そういう問題ではない」


「はい」


     *


 帝国軍拘置区画。


 リナが来ると知った時、ヴァイスはしばらく何も言わなかった。


「拒否できます」


 監察官が言う。


「……いいえ」


「本当に?」


「会います」


「侯爵令嬢本人ですよ」


「分かっています」


「あなたが十年前に死亡偽装した」


「はい」


「今回、戦場へ出そうとした」


「……はい」


「その本人です」


 ヴァイスは目を閉じる。


「だからです」


     *


 面会室。


 机。


 椅子。


 それだけ。


 ヴァイスはすでに座っていた。


 魔力抑制具。


 軍服ではない。


 簡素な拘留服。


 扉が開く。


 最初にアルベルト。


 監察官。


 そして。


 小さな少女。


 ヴァイスは。


 初めて。


 直接。


 リナを見た。


「……」


 青銀の髪。


 薄赤の目。


 十歳。


 映像より。


 ずっと小さい。


「あ」


 リナが言った。


「普通のおじさん」


 アルベルトが目を閉じた。


「リナ」


「だって」


「本人の前だ」


「本人に言わないと分かんないじゃん」


 ヴァイスの口元がほんの少し動いた。


 管理艦で、アルベルトが娘と向き合った時にも、似たやり取りがあった。


 そんなことを、ヴァイスは知らない。


「エドガー・ヴァイスです」


「知ってる」


「……そうですか」


「中佐?」


「現在は」


 監察官が言う。


「職務停止中です」


「じゃあ中佐じゃない?」


「階級自体はまだ剥奪されていません」


「難しい」


「ヴァイスでいい」


 本人が言った。リナが見る。


「じゃあヴァイスさん」


「はい」


「私、リナ」


「……はい」


「知ってる?」


 ヴァイスの喉がわずかに動いた。


「十年前から」


 リナの表情が少し変わった。


     *


 全員が座る。


 リナはヴァイスの正面。


 アルベルトは隣。


「聞きたいことがある」


 リナが言った。


「はい」


「十年前」


「……はい」


「私を守ったの?」


 ヴァイスは少し考えた。


「そのつもりでした」


「そのつもり?」


「結果として、本当に私のしたことがお嬢様を守ったのか」


「リナでいい」


「……リナ様」


「様いらない」


「それは」


「いらない」


「……リナ」


「うん」


 アルベルトが何とも言えない顔になる。


「続けて」


「はい」


 ヴァイスは言った。


「結果として、本当にあなたを守ったのかは、私には分かりません」


「でも死んだことにした」


「はい」


「なんで?」


「探されないようにするためです」


「誰に?」


「あなたを利用しようとする人間に」


「クラウディアさんの家?」


「それも含みます」


「他にも?」


「いました」


「誰?」


「当時、レーヴェン侯爵家の後継争いに関心を持つ貴族。高い魔力を持つ子供の存在を知りたがる軍関係者。婚姻材料として見ていた家」


「赤ちゃんだよ?」


「だからです」


 リナが眉を寄せる。


「分かんない」


「貴族社会では」


「赤ちゃんと結婚するの?」


「今すぐではありません」


「じゃあ変」


「……そうですね」


 ヴァイスが少しだけ目を伏せる。


「今考えると」


「その時は変じゃないと思った?」


「普通だと思っていました」


「大人、変なの多いね」


 アルベルトが何も言えない。


     *


「それで」


 リナが言う。


「父ちゃんも騙した?」


「はい」


「父ちゃん、ずっと私死んだと思ってた」


「……はい」


「悲しかったって」


 ヴァイスの目がアルベルトへ動く。すぐに戻る。


「知っています」


「知ってたの?」


「後から」


「でも言わなかった」


「はい」


「なんで?」


「言えば」


 ヴァイスが答える。


「あなたを迎えに行くと思ったからです」


「父ちゃん?」


「はい」


「行くよね」


「行く」


 アルベルトが即答した。


「ほら」


 リナが言う。


「だからです」


 ヴァイスが答える。


「当時は、それでは危険が戻ると思いました」


「だから父ちゃんにも決めさせなかった?」


「……はい」


「勝手に?」


「はい」


 リナは少し黙った。


「父ちゃんと似てる」


 アルベルトの眉が動く。


「またそれか」


「だって」


 リナが指を折る。


「私の魔力、勝手に封じた」


「……」


「勝手に遠くへ送った」


「……」


「ヴァイスさんは、勝手に死んだことにした」


「……」


「二人とも守るため」


 アルベルトが苦い顔をする。


「否定はできん」


「でも」


 リナはヴァイスを見る。


「今は違う」


「……」


「今度は私を戦わせたかった」


「はい」


「なんで?」


 ヴァイスは答えをすでに用意していたはずだった。


 帝国の安全。


 破軍の戦死。


 共和国の脅威。


 特級戦力。


 抑止。


 全部。


 昨日まで。


 何度でも。


 言えた。


「帝国を」


 ヴァイスが口を開く。


「守るためです」


「うん」


「共和国は一線を越えました」


「お爺ちゃん殺した」


「はい」


「知ってる」


「帝国の特級は」


 言葉を続ける。


「三人になった」


「私入れて?」


「はい」


「先生と教官と私」


「はい」


「だから私も戦わないと駄目?」


「私は」


 一瞬、止まる。


「そう考えました」


「なんで?」


「三人しかいないからです」


「私、一人だよ」


 ヴァイスが止まった。


「……はい」


「三人の中の一人」


「はい」


「でも」


 リナは自分の胸へ指を当てる。


「私から見たら、私は一人だよ」


「……」


「帝国何人いるの?」


「正確な人口は」


「いっぱいでしょ?」


「はい」


「いっぱいの人を守るためなら」


 リナが聞く。


「一人は戦わせていいの?」


 ヴァイスは答えなかった。


     *


「私は」


 少しして、ヴァイスが言った。


「そう考えていました」


「今は?」


「……」


「今も?」


「分かりません」


 初めて、その言葉が出た。リナが少しだけ目を丸くする。


「分かんないの?」


「はい」


「大人なのに?」


「大人でも分からないことはあります」


「最近みんなそれ言う」


 リナが少し嫌そうに言った。


「便利だね」


 アルベルトが咳払いする。ヴァイスは苦く笑った。


「そうですね」


「でもさ」


 リナが続ける。


「十年前は?」


「はい」


「私一人だったよ」


「……」


「赤ちゃん一人」


「はい」


「帝国の役に立たない」


「……はい」


「魔力も隠れてた」


「はい」


「なのに守った」


 ヴァイスの手が膝の上で少し動く。


「なんで?」


「子供だったからです」


 答えた。


「赤子だった」


「今も子供だよ」


 即答。ヴァイスは何も言えなくなった。


「十歳」


 リナが言う。


「昨日小テスト三十二点だった」


 アルベルトが娘を見る。


「三十二だったのか」


「あ」


「リナ」


「今そこじゃない!」


「帰ったら話をする」


「やだ!」


 監察官が下を向く。肩が少し震えている。


「笑った?」


「いえ」


「みんなそれ言う!」


 リナが頬を膨らませる。それからまたヴァイスを見る。


「私、まだ子供だよ」


「……はい」


「なのに」


 今度は、少し声が静かになる。


「いつから、守らなくていい子になったの?」


 ヴァイスの顔が変わった。


     *


「……守らなくていいとは」


「思ってない?」


「はい」


「じゃあ守りながら戦わせる?」


「……」


「それできる?」


「軍は」


「ヴァイスさん」


「……」


「軍じゃなくて」


 薄赤い瞳。


「ヴァイスさんは、できると思った?」


 何も。


 出てこない。


「私は」


 やっと。


 ヴァイスが口を開く。


「あなたが強いと思いました」


「うん」


「誰よりも」


「たぶん」


「だから」


「強い人は守らなくていい?」


「違う」


「じゃあ何?」


 ヴァイスは自分でも、初めて答えを探していた。


「……守る側に」


「うん」


「なったのだと」


「誰が決めたの?」


「……」


「私?」


「いいえ」


「父ちゃん?」


「いいえ」


「皇帝?」


「いいえ」


「じゃあ誰?」


 ヴァイスは俯いた。


「私です」


「勝手に?」


「……はい」


「やっぱり」


 リナが言う。


「十年前と同じだ」


 その言葉にヴァイスが顔を上げる。


「勝手に私のためって決めて」


 一つ。


「勝手に死んだことにして」


 二つ。


「今度は勝手に帝国のためって決めて」


 三つ。


「勝手に戦わせようとした」


「……」


「反対みたいだけど」


 リナは言う。


「同じじゃん」


 アルベルトが目を閉じた。その言葉は自分にも刺さる。


     *


「私」


 リナが言った。


「帝国嫌いじゃないよ」


 ヴァイスが見る。


「父ちゃんいるし」


「……」


「兄ちゃんいる」


「……」


「クラウディアさんも」


 一瞬。


 少しだけ声が揺れる。


「学校ある」


「……」


「カイルもいる」


「……」


「先生と教官も」


「……」


「お爺ちゃんも、帝国守ってた」


 エルネスト。


「だから」


 リナはちゃんと考えて、言った。


「帝国が危ない時、助けたくないわけじゃない」


 アルベルトが娘を見る。


「でも」


 リナはヴァイスを見る。


「私、帝国の物じゃないよ」


 静かだった。


「特級でも」


「……」


「第四でも」


「……」


「《虚空》でも」


「……」


「私だよ」


 ヴァイスの唇が少し震える。


「戦う時は」


 リナが言う。


「私にも聞いて」


「……」


「十歳だから全部決めさせろとは言わない」


 父を見る。


「学校行くのも父ちゃんが決める時あるし」


「当然だ」


「野菜食べるのもクラウディアさんが決める」


「当然です」


 なぜか、後ろにいたクラウディアが答えた。


「いたの!?」


「最初からいます」


「喋らないから忘れてた!」


「リナ」


「はい」


 少し、空気が緩む。


 リナはもう一度、ヴァイスを見る。


「でも」


「……」


「人を殺すかもしれないことは」


 笑わない。


「私に聞かないで決めないで」


     *


 ヴァイスは長く何も言わなかった。


 やがて。


「私は」


 声が少し掠れた。


「破軍閣下が死んだ時」


 リナの表情が少し硬くなる。


「怖かった」


「うん」


「共和国が」


「うん」


「帝国が負けることが」


「うん」


「次に白冠殿下が死ぬかもしれない」


「……」


「天壁公が死ぬかもしれない」


「……」


「その次は」


 ヴァイスは目を閉じる。


「帝都かもしれない」


「怖かったんだ」


「はい」


「リューベックみたいに」


 ヴァイスの顔が歪んだ。


「……はい」


「共和国みたいに」


「はい」


「帝国も」


「……はい」


「怖くて、先に何かした」


「はい」


 リナは少し考えた。


「私も怖かったよ」


「……何がですか」


「カールさん」


「……」


「お爺ちゃん殺したから」


「はい」


「だから殺しそうになった」


「……」


「でも」


 手を見る。


「止まった」


 ヴァイスがその手を見る。


「怖くても」


 リナは言う。


「止まらないと駄目な時あるんだね」


 十歳の言葉だった。


 難しい政治の話ではない。


 それでも。


 ヴァイスには何も返せなかった。


     *


「ごめんなさいって言う?」


 リナが突然聞いた。ヴァイスが目を見開く。


「え?」


「私に」


「……」


「言う?」


「私は」


 口を開く。


「謝罪する資格が」


「それ嫌」


「……」


「最近みんな資格って言う」


 クラウディアが少しだけ目を伏せた。


「謝りたいなら謝ればいいじゃん」


「……」


「許すかは私が決める」


 ヴァイスは長く少女を見た。


 そして。


 椅子に座ったまま、深く、頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」


 リナはじっと見る。


「十年前?」


「それも」


「今?」


「それもです」


「父ちゃん騙したのも?」


「はい」


「私を勝手に戦わせようとしたのも?」


「はい」


「全部?」


「全部です」


「そっか」


 リナは少し考えた。


「まだ許さない」


「……はい」


「十年前のは」


 さらに考える。


「ちょっとありがとう」


 ヴァイスが顔を上げる。


「今のは」


「……」


「すごく怒ってる」


「はい」


「だから」


 リナは言う。


「別々」


 十年前。


 今。


 守ったこと。


 傷つけたこと。


 一つにして。


 全部いい人。


 全部悪い人。


 そうする必要はない。


「分かりました」


 ヴァイスの目が少し赤くなっていた。


     *


 面会の帰り。


 リナはアルベルトと歩いていた。


「父ちゃん」


「何だ」


「怒ってる?」


「誰に」


「ヴァイスさん」


「怒っている」


「私にも?」


「なぜだ」


「勝手にいっぱい喋った」


「それは」


 アルベルトが少し考える。


「……少し」


「やっぱり!」


「三十二点の方にな」


「そっち!?」


「帰ったら勉強だ」


「今日いっぱい頑張ったじゃん!」


「帝国語とは別だ」


「父ちゃん鬼!」


「共和国の特級と戦うより安全だ」


「またそれ!」


 廊下にリナの声が響く。


 少し後ろ。


 クラウディアが小さく笑った。


     *


 拘置室へ戻ったヴァイスは一人椅子へ座った。


 十年前。


 一人の赤子を国の都合から隠した。


 正しいと思った。


 十年後。


 一人の少女を国の都合で戦わせようとした。


 それも。


 正しいと思った。


 守る側になった。


 そう決めたのは。


 誰だったのか。


『私、帝国の物じゃないよ』


 少女の声が残っている。


『人を殺すかもしれないことは、私に聞かないで決めないで』


「……十歳に」


 ヴァイスが額へ手を当てる。


「何を教えられているんだ、私は」


 笑った。笑って。少し。泣いた。


     *


 その夜。


 監察部とは別の軍施設の会議室に、まだ拘束されていない軍人たちが集まっていた。ヴァイスが拘束されたことは伝わっていたが、聴取の内容までは分からなかった。


「ヴァイスが、どこまで話したか分かるか」


 一人の軍人が言った。


「分からん」


「名前は」


「それも分からん」


「ならまだ」


「時間の問題だ」


 別の男が、机を叩く。


「最初からあいつを入れるべきではなかった」


「問題はそこじゃない」


 女性士官が、低い声で言う。


「ヴァイスが黙っていても、経路と記録は残っている」


 部屋が静かになる。


「次は」


 女性士官が言う。


「私たちだ」


 共和国へ情報を流した者たち。


 だが。


 同じ目的ではない。


 帝国の奇襲を止めたかった者。


 戦争そのものを止めたかった者。


 《虚空》を戦場へ出したかった者。


 帝国のため。


 そう言いながら違うものを見ていた人間たち。


「どうする」


 誰かが聞いた。女性士官は少し考える。


「証拠を消すのはやめろ」


「なぜ」


「それをやった瞬間」


 彼女は言った。


「本当にただの反逆者になる」


「もう十分反逆だ」


「違う」


「何が」


「私たちは」


 女性士官は机の上、帝国章を見る。


「帝国を守るためにやった」


 一人が苦い顔をする。


「ヴァイスも、そう思っていたんだろうな」


 誰も返事ができなかった。

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