第二十四章 私のこと
翌朝。
リナは食卓で芋を食べていた。
「……」
一口。
「……」
もう一口。
「リナ」
「何?」
「感想は」
クラウディアが聞いた。リナはしばらく噛んだ。
「普通」
「普通ですか」
「うん」
「昨日あれだけ大事そうに持っていたのに?」
「だって芋だもん」
「……そうですね」
クラウディアは少しだけ笑った。
昨日。
リナからもらった芋。
結局、厨房で焼いてもらい、今朝の食卓へ出した。
皮付き。
塩だけ。
侯爵家の朝食としては、ひどく素朴だった。
「でも好き」
リナが言う。
「そうですか」
「ゴル爺とよく食べたから」
「……ええ」
クラウディアはそれ以上何も言わなかった。
昨日までとは何かが違う。
けれど。
何が変わったのか、誰にもまだ分からない。
リナはクラウディアを許していない。
クラウディアも許されたとは思っていない。
それでも。
同じ食卓で。
同じ芋を食べている。
今は。
それだけだった。
*
「父ちゃん」
「何だ」
「今日学校?」
「お前はな」
「父ちゃんは?」
「仕事だ」
「兄ちゃんは?」
「学校」
「クラウディアさんは?」
「あなたの予定を確認したあと、来客があります」
「誰?」
アルベルトとクラウディアが一瞬だけ目を合わせた。リナがそれを見る。
「また私の?」
「……そうだ」
アルベルトが答えた。
「昨日の話?」
「ああ」
「母ちゃん?」
「それもある」
「私が死んだことになってるやつ?」
「それもだ」
リナはスプーンを置いた。
「私もいる」
「駄目だ」
即答だった。
「なんで」
「大人の調査だ」
「私のことなのに?」
「だからだ」
「意味分かんない」
「お前に見せる必要のない記録もある」
「私が死んだ記録なのに?」
「……」
「変じゃない?」
アルベルトが黙る。
リナは続けた。
「私、生きてるよ」
「ああ」
「なのに、知らないところで私が死んだことになってた」
「ああ」
「それ調べるんでしょ」
「そうだ」
「なのに私だけ駄目なの?」
「十歳だからだ」
「十歳だと、自分が死んだ話聞いちゃ駄目なの?」
「そういう言い方をするな」
「だってそうじゃん」
ユリウスがパンを持ったまま、二人を見る。クラウディアは静かに茶を置いた。
「侯爵様」
「何だ」
「リナの言うことにも一理あります」
「クラウディア」
「全てを見せる必要はありません」
「……」
「ですが」
クラウディアはリナを見る。
「自分のことを、また本人の知らないところだけで決めるのは」
一度。
言葉を切る。
「やめた方がいいと思います」
アルベルトの顔がほんの少し硬くなった。
十年前。
リナを守るため魔力を封じた。
辺境へ送った。
名前を隠した。
本人は赤ん坊だった。
何も選べない。
そして今。
また。
大人だけでこの子の人生を整理しようとしている。
「……全部は駄目だ」
アルベルトが言った。
リナが顔を上げる。
「じゃあちょっと?」
「お前に関係する部分だけだ」
「全部関係あるんじゃない?」
「屁理屈を覚えたな」
「学校行ってるから」
「帝国語もそれくらい覚えろ」
「それは別」
「別ではない」
ユリウスが小さく笑った。
*
来客は二人だった。
一人は皇室府から派遣された監察官。
もう一人は古い貴族籍と医療記録を扱う文官。
名前を聞いたリナは三秒後には忘れた。
「長い」
「リナ」
アルベルトが低い声を出す。
「だって長いよ」
「失礼だ」
「リナでいいよー」
「お前の話ではない」
「あ」
監察官は笑うべきか、迷っていた。
帝国第四特級。
《虚空》。
断界を圧倒した少女。
その本人が来客用の椅子で足をぶらぶらさせている。
「それで」
リナが聞く。
「私、何回死んでるの?」
文官が咳き込んだ。
「リナ!」
「だって昨日、一回だと思ってた」
アルベルトが眉を寄せる。
「何だ、その聞き方は」
「違うの?」
監察官が端末へ目を落とした。
「……実を申し上げますと」
「はい」
「記録上は」
止まる。
「少なくとも、説明が二種類あります」
「二回?」
「死亡した回数ではありません」
「よかった」
「良くない」
ユリウスが横から言った。
「そう?」
「普通は一種類もない」
「あ」
「生きてるからな」
「そっか」
監察官が少しだけ肩の力を抜いた。
*
最初の記録。
リナリエッタ・レーヴェン、出生。
父アルベルトの命令により、魔力を封印。
その後、母セレナ・アルシェが死亡。
既に魔力を封じられていた乳児は、第七植民星へ移送された。
ここまでは、アルベルト自身が知っている。
「うん」
リナが言う。
「父ちゃんが捨てたやつ」
アルベルトの顔がわずかに曇る。
「……そうだ」
「守るためね」
「ああ」
「分かってる」
簡単に許した言葉ではない。
ただ。
今は。
事実としてそう理解している。
「その後です」
監察官が言う。
中央の貴族籍。
そこには。
リナリエッタ・レーヴェンは。
幼くして死亡。
そう登録されている。
「理由は」
リナが聞く。
「記録の一つでは、事故死です」
「事故?」
「はい」
「何の?」
「詳細がありません」
「事故なのに?」
「はい」
「変」
「ええ」
監察官はあっさり認めた。
「変です」
次。
第七植民星から届いた報告。
こちらは。
移送からしばらく後。
流行病。
幼児死亡。
感染防止のため。
遺体の確認が困難。
「そっちは病気?」
「はい」
「事故と病気」
「はい」
「両方で死んだの?」
「ですから一度しか死ねません」
「私は死んでないけどね」
「……はい」
監察官の顔が少し疲れた。
「重要なのは」
文官が話を引き取る。
「中央の死亡登録と、第七植民星からの死亡報告の内容が一致しないことです」
「どっちか嘘?」
「少なくとも、その可能性があります」
「両方嘘かも?」
部屋が静かになる。
「……その可能性もあります」
「じゃあ」
リナは少し考える。
「誰が私を死んだことにしたの?」
「それを調べています」
*
アルベルトが腕を組んだ。
「中央登録を処理した者は」
「記録が古く、一部が欠落しています」
「署名は」
「あります」
「誰だ」
監察官がクラウディアを見る。その視線だけで空気が変わった。
「言え」
アルベルトの声が低くなる。
「当時」
監察官は答えた。
「登録変更を申請した窓口は、ヴァレンシュタイン公爵家と取引関係のある法務代理人です」
ユリウスの顔が固まる。クラウディアは動かなかった。
「名前は」
「すでに死亡しています」
「便利だな」
アルベルトの声には笑いがなかった。
「侯爵様」
クラウディアが言う。
「私に確認してください」
「何を」
「私が知っていたかを」
「知っていたのか」
「中央登録の処理までは知りません」
即答。
「本当に?」
聞いたのはアルベルトではない。リナだった。クラウディアが少女を見る。
「本当です」
「昨日みたいに、後から知って黙ってたとかじゃなくて?」
「違います」
「そっか」
リナはそれ以上追わなかった。
クラウディアの胸が少し痛んだ。
信じてもらえた。
ではない。
今は。
ひとまず。
答えを受け取っただけだ。
*
「では」
ユリウスが言う。
「母上の実家が、リナの死亡登録まで?」
「まだ断定できません」
監察官が答える。
「窓口が関係者だった。それだけです」
「十分怪しいだろ」
「怪しいことと、証明できることは別です」
「……」
「さらに」
監察官は別の記録を出した。
「問題はこちらです」
第七植民星。
流行病。
死亡報告。
「これ」
リナが言う。
「ゴル爺知ってたの?」
「現時点では不明です」
「村の人は?」
「確認中です」
「お医者さんは?」
「当時の診療記録を照合しています」
文官が一つの項目を拡大する。
「ただ」
「何?」
「この死亡報告に添付された証明書」
「うん」
「後から作られた可能性があります」
「後から?」
「書類そのものは、流行病が発生した時期のものです」
「じゃあ合ってるじゃん」
「ですが」
文官は別の数字を示した。
「中央へ送られたのは、それよりかなり後です」
「遅れただけじゃない?」
ユリウスが聞く。
「辺境ならあり得るだろ」
「はい」
「では」
「問題は」
文官がさらに記録を開く。
「送信元です」
帝国の星間通信中継記録。
古い。
欠損だらけ。
それでも。
一部だけ残っている。
「第七植民星から直接ではありません」
アルベルトの目が細くなる。
「どこだ」
「途中の中継拠点です」
「誰が送った」
「分かりません」
「認証は」
「第七植民星行政のものです」
「なら現地だろう」
「普通なら」
文官が答える。
「ですが、当時その認証権限を持つ担当者の一人は」
一度止まる。
「報告が送られた時点で、すでに死亡しています」
部屋が。
静まり返った。
「……え?」
リナが言う。
「死んだ人が送ったの?」
「そう見える記録です」
「幽霊?」
「違う」
ユリウスが即答する。
「分かってるよ」
「お前なら本気で言いかねない」
「失礼」
アルベルトは笑わなかった。
「認証が盗まれた」
「可能性があります」
「あるいは」
監察官が言う。
「後から、死んだ担当者の権限を使って報告を作った」
「誰が」
「まだ」
分からない。
そこだけは。
変わらない。
*
「待って」
リナが言った。
「何だ」
アルベルトが見る。
「母ちゃん殺した人が」
「……」
「私も死んだことにしたの?」
監察官と文官が顔を見合わせる。アルベルトが答えようとする。
「まだ――」
「分からない?」
「ああ」
「でもクラウディアさんの家の人、私が弱いと思ってたんでしょ?」
「そう考えられる」
「じゃあ」
リナは眉を寄せる。
「わざわざ死んだことにする必要ある?」
アルベルトが止まった。ユリウスもクラウディアも少女を見る。
「だって」
リナは続ける。
「魔力ない赤ちゃんだと思ってたなら」
「……」
「ほっとけばいいじゃん」
監察官がゆっくり椅子へ座り直した。
「確かに」
「え?」
「その疑問は重要です」
「ほんと?」
「はい」
リナがちょっと嬉しそうになる。
「私、頭いい?」
「そこですぐ調子に乗るな」
ユリウスが言う。
「でも合ってた」
「合っていたな」
「やった」
「喜ぶ内容じゃない」
「あ」
また、少しだけ空気が緩む。
だが。
疑問は残った。
セレナを殺した側から見て。
魔力を失ったように見える乳児。
辺境へ消えた。
後継争いへの脅威がないなら。
なぜ。
わざわざ。
死亡記録まで必要だったのか。
「別の誰か」
ユリウスが言う。
「……」
「リナを殺したことにした理由が、別にある?」
「可能性はある」
アルベルトが答えた。
「守るため、とか?」
リナが言う。全員が彼女を見る。
「何でそう思う」
「父ちゃんも私隠したじゃん」
「……」
「名前消して。魔力隠して。遠くに送った」
「ああ」
「それと同じで」
リナは自分の胸を指す。
「死んだことにしたら、探されないから」
今度こそ、誰もすぐには返せなかった。
「……あり得る」
監察官が言った。
「ただし」
「うん」
「そうだったとしても、誰が、何から守ろうとしたのかが分かりません」
「父ちゃんじゃない」
「私は知らなかった」
「クラウディアさんでもない」
「はい」
「ゴル爺?」
アルベルトが少し考える。
「可能性は低い」
「なんで?」
「あの男が、帝国中央の記録を操作できたとは思えん」
「ゴル爺、字もあんまり好きじゃなかった」
「そういう問題ではない」
「そっか」
「だが」
アルベルトは少し遠くを見る。
「お前をゴルへ預けるまでには、何人か人間が関わっている」
「誰?」
「調べる」
*
会議が終わった後、監察官たちが帰る。リナは玄関までついていった。
「ねえ」
「はい」
「また来る?」
監察官が少し戸惑う。
「調査が進めば」
「じゃあ次も聞いていい?」
アルベルトが後ろから言う。
「内容による」
「父ちゃんに聞いてない」
「私の家だ」
「私の話だ」
「……」
監察官が口元を押さえた。
「笑った?」
「いえ」
「笑った」
「リナ」
「はい」
アルベルトの声が低くなる。
「でも」
監察官が少し真面目な顔になる。
「侯爵令嬢の言うことにも、一理あります」
「また?」
アルベルトが嫌そうな顔をした。
「本人に知らせるべき範囲は、今後も考慮します」
「うん」
「ただし」
「何?」
「知らない方が楽なこともあります」
「知ってる」
即答だった。監察官が少し驚く。
「昨日知ったから」
「……」
「でも」
リナは少しだけ笑った。
「知らないまま優しくされるのも、変だった」
クラウディアの表情が後ろで、静かに揺れた。
*
午後。
学院。
「それで」
カイルが返された答案を見る。
「何点?」
「言わない」
「見せろ」
「やだ」
「テストの後、あれだけ騒いでたじゃん」
「過去は過去」
「今日返ってきたんだよ!」
リナが答案を胸へ隠す。
「見せない」
「じゃあ当てる」
「無理」
「六十」
「……」
「当たった?」
「違う」
「五十」
「違う」
「四十」
「違う!」
「三十?」
「カイル嫌い!」
「下がるの!?」
教室が笑う。リナも最後には笑った。
昨日。
母が殺されたことを知った。自分が死んだことにされた理由を調べている。
それでも。
学校はある。
小テストも返ってくる。
「で、何点」
「教えない」
「赤点?」
「違うもん!」
たぶん、こういう時間も必要だった。
*
その頃。
侯爵邸。
アルベルトは一枚の古い人員記録を見ていた。
リナを第七植民星へ送った時、関わった人間。
軍人。
家臣。
医療関係者。
行政官。
連絡役。
一人ずつ洗い直している。
「閣下」
副官が言う。
「一人、見つかりました」
「誰だ」
「当時、移送後の連絡を担当していた文官です」
「生きているか」
「はい」
「所在」
副官が少し言いにくそうにする。
「帝都です」
「呼べ」
「それが」
「何だ」
「現在」
副官が端末を見る。
「帝国軍の軍務部門に勤務しています」
アルベルトの目が細くなる。
「軍?」
「はい」
「十年前からか」
「いえ」
「では」
「数年前に軍へ移っています」
「何の仕事だ」
副官は一瞬、黙った。
「機密作戦に関する情報管理です」
部屋の空気が。
変わった。
「……名前を出せ」
副官が端末を差し出す。アルベルトは表示された人物名を見た。
知らない名ではなかった。
最近。
どこかで。
見た。
「これは」
「はい」
副官の声が低くなる。
「共和国攻撃作戦の情報取扱者一覧にも」
一度。
止まる。
「同じ人物がいます」
アルベルトの指が動かなかった。
十年前。
娘が死んだことにされた記録。
そして。
今。
娘を戦場へ引き出した作戦。
二つの間に。
初めて。
一本の細い線が見えた。




