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灰の星の神子  作者: Tatsumaru


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第二十三章 母のこと

「兄ちゃん」


「何だ」


「私の母ちゃんって」


 リナは書斎の扉を見た。


「どうやって死んだの?」


 ユリウスが止まった。


「……僕は」


 少し言葉を探す。


「病気だと聞いていた」


「病気?」


「出産の後に体調を崩した、と」


「毒じゃなくて?」


 ユリウスの表情が変わった。


「毒?」


 その瞬間、書斎の扉が開いた。アルベルトが立っていた。


 その後ろ。


 クラウディア。


「リナ」


 父の声。


「父ちゃん」


 リナは逃げなかった。


「聞こえた」


「……どこからだ」


「母ちゃんって言ったあたり」


 アルベルトが目を閉じる。


 ほとんど最初からだった。


「盗み聞きするつもりじゃなかったよ」


「分かっている」


「芋持ってきただけ」


 両手を見る。まだ一個持っていた。


 クラウディアへ渡そうと思った。


 第七植民星でもらった。


 昔食べていた。


 何でもない芋。


「クラウディアさんにあげようと思って」


 クラウディアの顔がほんの少し歪んだ。


「……そうですか」


「でも」


 リナは芋を見る。


「今、どうしたらいいか分かんない」


 クラウディアは何も言えなかった。アルベルトが娘の前へしゃがむ。


「リナ」


「うん」


「今すぐ聞く必要はない」


「でも聞いちゃった」


「全部ではない」


「だから気になる」


「……」


「父ちゃん」


 薄赤の瞳がまっすぐ父を見る。


「母ちゃん、殺されたの?」


 もう、誤魔化せなかった。


「ああ」


 アルベルトは答えた。


「そう考えている」


「毒?」


「ああ」


「クラウディアさんが?」


「違う」


 アルベルトより先にクラウディアが答えた。


「私は、毒を入れていません」


 リナがクラウディアを見る。


「じゃあ誰?」


「私の実家です」


「……」


「ヴァレンシュタイン公爵家の人間が関わっています」


「クラウディアさんのお父さんとか?」


「誰が最終的に命じ、誰が実行したのか。そこまでは、私も確実には知りません」


「知らない?」


「ええ」


「家族なのに?」


「家族だから、全てを教えてもらえるわけではありません」


 リナにはそこがよく分からなかった。村では隠し事など大体すぐにばれた。


「でも」


 リナが聞く。


「さっき、クラウディアさんが入口作ったって言ってた」


「……はい」


「何したの?」


 クラウディアは目を逸らさなかった。


「あなたのお母様を」


 一度、息を吸う。


「侯爵家から追い出してほしいと、実家へ頼みました」


「なんで?」


「嫌いだったからです」


 リナの眉が下がる。


「前も言ってたね」


「ええ」


「母ちゃんのこと嫌いだったって」


「はい」


「どのくらい?」


 難しい質問だった。


 十歳だから、簡単な言葉で聞く。


 だから。


 逃げ道がない。


「いなくなってほしいと思うくらいです」


「死んで?」


「いいえ」


 クラウディアの声が少し強くなった。


「死んでほしいとは思っていませんでした」


「でも、いなくなってほしかった」


「はい」


「それって違うの?」


「……違うと思っていました」


「今は?」


 クラウディアは答えるまでに時間がかかった。


「違う、と言うだけでは済まないと思っています」


 リナにはまだ難しかった。


「母ちゃんがいなくなったら、何がよかったの?」


 今度は、クラウディアではなくユリウスの顔が青くなった。


 答えを。


 もう。


 少し予想している。


「私が」


 クラウディアは言った。


「安心できると思いました」


「安心?」


「侯爵夫人でいられる」


「今もそうじゃん」


「そういう意味ではありません」


「じゃあ何?」


 クラウディアの指が震える。


「私は」


 昔。


 セレナがいた。


 自分より美しく。


 自分より勉強ができ。


 自分より人から好かれ。


 そして。


 夫が心から愛していた女。


「あなたのお母様に負けることが怖かった」


「何に?」


「全部です」


「全部?」


「そう思っていました」


 リナは少し考える。


「母ちゃんと競争してたの?」


「……私の中では」


「母ちゃんも?」


 クラウディアの口が閉じた。


「おそらく」


「おそらく?」


「セレナは、私と競争しているつもりなどなかったでしょう」


 リナが首を傾げた。


「じゃあクラウディアさん一人で競争してたの?」


「……はい」


「変なの」


「ええ」


 クラウディアは苦く笑った。


「本当に」


     *


「でも」


 リナが言う。


「母ちゃん、上級だったんでしょ?」


「ああ」


 アルベルトが答える。


「父ちゃんと同じくらい?」


「魔力量だけで単純には比べられないが、上級だった」


「じゃあ毒くらい治せなかったの?」


 アルベルトが黙る。


「私、胸刺されても治ったよ」


「お前は特級だ」


「上級は治らないの?」


「そういう話でもない」


 アルベルトが娘の目線に合わせる。


「女性魔導士は、出産の直後、魔力が安定しにくくなる」


「みんな?」


「程度の差はある」


「クラウディアさんも?」


「ええ」


 クラウディアが答えた。


「ユリウスを産んだ後、しばらくは普段のようには魔力を扱えませんでした」


「弱くなるの?」


「弱くなる、というより」


 アルベルトが言う。


「身体と魔力の流れが噛み合わなくなることがある」


「……ふらふらする?」


「それに近い」


「母ちゃんも?」


「ああ」


 リナが自分の手を見る。


「私を産んだから?」


「お前が悪いわけではない」


 アルベルトがすぐに言った。


「でも産んだ後だったんでしょ?」


「そうだ」


「じゃあ」


「リナ」


 父の声が少し強くなる。


「出産は原因の一つではある。だが、セレナが死んだ原因はそこではない」


「毒?」


「ああ」


「誰かが入れなかったら生きてた?」


 アルベルトが答えられなかった。クラウディアが代わりに答える。


「生きていた可能性は高いと思います」


 リナがクラウディアを見る。


「どうやって毒入れたの?」


「産後に使う薬です」


「薬?」


「身体と魔力を安定させるためのもの」


「治す薬に?」


「……はい」


「毒入れたの?」


「後から知った範囲では」


 クラウディアの声が低くなる。


「一度に殺す量ではなかったそうです」


 少しずつ。


 体調不良に見えるように。


 産後の不安定さに紛れるように。


 普段の上級魔導士なら、気づくか、耐えるか、魔力で排除できたかもしれない。


 でも。


 産後だった。


「何回も?」


「そう聞いています」


「……ずるい」


 リナが言った。大人たちが黙る。


「母ちゃん弱い時だったんでしょ」


「はい」


「その時にやったんでしょ」


「はい」


「ずるい」


 もう一度、リナは言った。


 戦争の理屈も。


 後継争いも。


 貴族の都合も。


 分からない。


 でも。


 それは。


 分かった。


「すごくずるい」


     *


「私も?」


 リナが突然聞いた。


「何がだ」


 アルベルトが答える。


「母ちゃん殺した人、私も殺そうとした?」


 部屋が静かになる。


「だって」


 リナは父を見る。


「私、母ちゃんの子でしょ」


「ああ」


「邪魔だったんじゃないの?」


 ユリウスの手が握られる。クラウディアが答えた。


「私が後から知った範囲では」


 慎重に、言葉を選ぶ。


「最初の標的は、セレナでした」


「私じゃない?」


「ええ」


「なんで?」


 アルベルトが苦い顔をした。


「私が、お前の魔力を封じたからだ」


「……あ」


「生まれたばかりのお前の魔力は、異常だった」


「特級?」


「認定できる年齢ではない。だが、少なくとも尋常ではなかった」


「だから隠した」


「ああ」


「それで」


 リナは少しずつ繋げる。


「クラウディアさんの家の人は、私が弱いと思った?」


「そうだ」


「じゃあ母ちゃんだけいなくなれば」


 ユリウスを見る。


「兄ちゃんが次?」


 ユリウスは顔を強張らせた。


「僕は」


「ユリウス」


 クラウディアが止める。


「これは私の話です」


「でも僕のためだったんだろ」


「違います」


 今度は、はっきりクラウディアが言った。


「あなたのためだった、と言ってはいけない」


「でも後継争いが」


「それを理由にしたのは私です」


「母上」


「あなたが望んだわけではない」


 ユリウスが黙る。


「あなたは五歳でした」


 クラウディアの声が少し震えた。


「何も知らない子供でした」


「……」


「私が勝手に」


 息を吸う。


「あなたのためだと言って、自分の不安と嫉妬を正当化しただけです」


 ユリウスは母を見ていた。


 知らなかった。


 ここまで。


 知らなかった。


「じゃあ」


 リナが言う。


「兄ちゃん悪くない?」


 ユリウスの顔を見る。


「当たり前です」


 クラウディアが即答した。


「一切」


「そっか」


 リナは少しだけ安心したようだった。


 ユリウスが逆に苦しい顔をした。


「……僕の心配してる場合か」


「兄ちゃんは兄ちゃんだから」


「お前は」


 言葉が詰まる。


「本当に……」


「何?」


「何でもない」


     *


「クラウディアさん」


 リナが呼ぶ。


「はい」


「毒のこと知ったの、いつ?」


「セレナが亡くなった後です」


「すぐ?」


「しばらくしてから」


「その時、父ちゃんに言った?」


「いいえ」


「なんで?」


 知っている。


 さっき扉越しにも聞いた。


 それでも。


 本人から聞きたかった。


「怖かったからです」


「父ちゃんが?」


「それもあります」


 アルベルトの眉が動いた。


「怒るから?」


「当然でしょう」


「うん」


「ですが」


 クラウディアは自分の胸へ手を置く。


「それ以上に」


 言う。


「私が、今の立場を失うのが怖かった」


「侯爵夫人?」


「ええ」


「兄ちゃんのお母さんなのは変わらないよ?」


「そうですね」


「じゃあそれでいいじゃん」


 クラウディアが少し笑った。


 悲しそうに。


「今なら」


「?」


「今なら、私もそう思えます」


「昔は?」


「思えませんでした」


「……そっか」


「それから」


 クラウディアは自分から続けた。


「あなたが第七植民星で死んだという報告が届いた時」


 アルベルトの顔が硬くなる。


「私は、その報告を疑うべきでした」


 リナが聞く。


「疑った?」


「少し」


「少し?」


「生きている可能性を考えました」


「じゃあ探した?」


「……いいえ」


「なんで?」


 答え。


 もう。


 分かっている。


 でも。


 聞く。


「あなたが生きていれば」


 クラウディアの声は小さかった。


「また、全てが始まると思ったからです」


「全部?」


「後継のこと」


「兄ちゃん?」


「ええ」


「父ちゃんと母ちゃんのこと?」


「……ええ」


「クラウディアさんが怖いこと?」


「はい」


 リナの顔から少しずつ表情が消えた。


 あの。


 冷たい顔ではない。


 瞳も光っていない。


 ただ。


 傷ついた子供の顔だった。


「じゃあ」


 声が。


 小さい。


「私、生きてたら困った?」


 クラウディアの息が止まる。


「当時の私は」


「うん」


「……困ると思いました」


 嘘をつかなかった。


 だから。


 余計に。


 痛かった。


「今は?」


「生きていてくれてよかった」


 すぐだった。


「本当に?」


「はい」


「母ちゃんに似てるのに?」


「はい」


「特級なのに?」


「はい」


「兄ちゃんより強いのに?」


「それは少し腹が立つ時があります」


「母上!」


 ユリウスが叫んだ。クラウディアがほんの少し笑う。


「嘘をつかないと決めましたので」


「そこまで正直にならなくていい!」


 リナは一瞬、ぽかんとしてでも。


 笑わなかった。


「……そっか」


 それだけだった。


     *


「私」


 リナが言った。


「分かんない」


 誰も口を挟まない。


「クラウディアさん」


「はい」


「母ちゃん嫌いだったの、本当」


「はい」


「追い出そうとしたのも本当」


「はい」


「そのせいで母ちゃん死んだ」


 クラウディアの目が揺れる。


「……はい」


「毒入れたのはクラウディアさんじゃない」


「はい」


「でも知って黙ってた」


「はい」


「私が死んだって言われた時も、ちゃんと探さなかった」


「……はい」


「でも」


 リナは眉を寄せる。


「私にご飯食べろって言った」


「……」


「服直してくれた」


「……」


「学校のこと聞いた」


「……」


「襟苦しい時、緩めてくれた」


 国葬の日。


「私が悲しい時」


 エルネストが死んだ時。


「何も言わず一緒にいてくれた」


 クラウディアの目から初めて、涙が落ちた。


「それも嘘?」


「いいえ」


「じゃあ」


 リナが本当に困った顔をする。


「もっと分かんない」


「……そうですね」


「どっちなの?」


「どちらも私です」


 クラウディアは涙を拭かなかった。


「あなたのお母様を嫌った私も」


「……」


「自分の立場を守るために黙った私も」


「……」


「今、あなたに生きていてほしいと思っている私も」


「……」


「全部」


 声が震える。


「私です」


 リナはしばらく何も言わなかった。


     *


「今日」


 やがて、リナが言った。


「クラウディアさんのこと、嫌い?」


 自分で聞いて、首を傾げる。


「違う」


 考える。


「私が?」


「リナ」


「今、私、クラウディアさんのこと嫌いなのかな」


 誰にも分からない。


「怒ってる」


「はい」


「悲しい」


「はい」


「母ちゃんかわいそうって思う」


「……はい」


「クラウディアさんずるいとも思う」


「はい」


「でも」


 手の中。


 芋。


「これあげようと思って持ってきた」


 クラウディアがそれを見る。リナは芋を机の上へ置いた。


 ころん。


 場違いなほど普通の芋だった。


「これ」


「……」


「あげる」


「リナ」


「最初からあげるつもりだったから」


「ですが」


「でも」


 リナがクラウディアを見る。


「許したって意味じゃないよ」


 クラウディアの涙がまた、一つ落ちた。


「はい」


「私、今すぐ許せない」


「はい」


「明日も分かんない」


「はい」


「ずっとかもしれない」


「……はい」


「でも芋はあげる」


 クラウディアが泣きながら、少しだけ笑った。


「ありがとうございます」


「うん」


 リナは扉へ向かう。


「リナ」


 クラウディアが呼ぶ。リナが振り返る。


「何?」


 言いたい。


 ごめんなさい。


 許してほしい。


 嫌わないで。


 どれも。


 今。


 言ってはいけない気がした。


「……おやすみなさい」


 それだけ。


 リナは少し考えて。


「おやすみ」


 部屋を出た。


     *


 廊下。


 ユリウスも少し遅れて出てきた。


「リナ」


「何?」


「一人でいたい?」


 リナは考えた。


「分かんない」


「そっか」


「兄ちゃんは?」


「何が」


「一人でいたい?」


 今度は、ユリウスが考える。


「……分かんない」


「同じだね」


「そうだな」


 二人で、廊下を歩く。


「兄ちゃん」


「何だ」


「今日、一緒に寝ていい?」


 ユリウスが少し驚いて、すぐ答えた。


「ああ」


「私の部屋?」


「僕の部屋でもいい」


「じゃあ兄ちゃんの」


「何で」


「前もそうだったから」


「……そうか」


 最初に。


 兄と会った頃。


 ゴルを失った夜。


 兄の部屋で眠った。


 今度は。


 母のことを知った夜。


「でも」


 ユリウスが言う。


「蹴るなよ」


「蹴ってない」


「前、朝起きたらお前の足が僕の腹にあった」


「兄ちゃんが入ってきたんじゃない?」


「寝てる人間がどうやって入るんだ!」


 リナがほんの少し、笑った。


 母の死の事情を聞いてから、初めてだった。


     *


 書斎。


 机の上。


 一個の芋。クラウディアはそれを見ていた。


 アルベルトは窓際に立っている。


「……食べるのか」


「当然でしょう」


「そうか」


「もらったのですから」


「そうだな」


 クラウディアはそっと、芋へ触れた。


「許したという意味ではないそうです」


「ああ」


「当然ですね」


「ああ」


「それでも」


 声が少し震える。


「もらってしまいました」


 アルベルトは何も言わなかった。


 ただ。


「クラウディア」


「はい」


「ここからは」


 振り返る。


「全部調べる」


「……はい」


「セレナの死も」


「はい」


「リナの死亡記録も」


「はい」


「お前の実家もだ」


 クラウディアが目を閉じる。


「分かっています」


「庇うか」


「いいえ」


 即答だった。


「もう庇いません」


     *


 帝都。


 報道機関。


 深夜。


 記者は匿名で届いた記録番号を追っていた。


「見つかった?」


 同僚が珈琲を置く。


「半分」


「半分?」


「記録そのものは封鎖されてる」


「じゃあ駄目じゃん」


「でも移動履歴は残ってる」


 画面。


 十年前。


 医療監査。


 産後治療薬。


 セレナ・アルシェ。


「薬の納入記録?」


「ああ」


「何がおかしい」


「同じ時期に」


 記者が別の画面を開く。


「通常の倍以上、同じ薬が入ってる」


「患者が増えたとか」


「侯爵家の私的療養区画だぞ」


「……」


「しかも」


 もう一つ。


 記録。


「一部の薬だけ、納入元が違う」


 同僚の顔が真剣になる。


「どこ」


「今は分からない」


「会社名は?」


「十年前に清算済み」


「怪しいな」


「怪しいだけだ」


 記者は画面を閉じた。


「まだ記事にはしない」


「珍しい」


「人が死んでる話だぞ」


「神子の記事なら売れる」


「だから嫌なんだよ」


 記者が椅子にもたれる。


「今、あの子は何をしてても記事になる」


 学校。


 食事。


 墓参り。


 笑顔。


 戦闘。


 何でも。


「だからこそ」


 記者は言った。


「間違えたくない」


 端末がまた鳴った。


 匿名。


 同じ送り主か。


 分からない。


 今度は。


 短い文章だけ。


『薬だけを見るな』


「……」


『誰が母親を殺したかより、誰が娘を死んだことにしたかを調べろ』


 記者の指が止まった。


 セレナの死。


 リナの死亡記録。


 二つ。


 別の事件だと思っていた。


 だが。


「……繋がってる?」


 誰も答えなかった。

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