第二十二章 死んだはずの娘
帝都へ戻る船の中。
リナは芋を抱えていた。
「兄ちゃん」
「何だ」
「これ何個ある?」
「見れば分かるだろ」
「数えて」
「自分で数えろ」
「算術の勉強」
「それはただの数え物だ」
「勉強には違いない」
「帝国語を勉強しろ」
「やだ」
「即答するな」
座席の上。
布に包まれた芋。
一つ。
二つ。
三つ。
リナが結局、自分で数え始める。
向かいではアルベルトが端末を見ていた。
村を出てから。
ずっと。
顔が怖い。
普段より。
少しだけ。
「父ちゃん」
「何だ」
「仕事?」
「ああ」
「帰ってからじゃ駄目?」
「今確認する必要がある」
「そっか」
リナはまた芋へ戻った。
「四、五……」
「六だ」
ユリウスが言う。
「今五」
「そこに一個ある」
「あ」
「算術得意なんじゃなかったのか」
「布の陰は算術じゃない」
「何だその理屈」
リナが笑う。アルベルトはその声を聞きながら、端末に表示された文章をもう一度読んだ。報道機関から届いた取材照会。
まだ記事ではない。
質問だった。
だが。
一つ目から笑えなかった。
『リナリエッタ・レーヴェン嬢について、約十年前に死亡記録が存在することを確認しました』
アルベルトの指が止まる。
続く。
『現在のリナ嬢が同一人物であるならば、死亡記録が作成された経緯をご説明ください』
さらに。
『当時、実父である侯爵閣下ご本人による遺体確認が行われていないとの資料もあります』
そして。
『母セレナ・アルシェ様の死亡と、乳児リナリエッタ嬢の移送、その後の死亡報告について、時系列に不自然な点が見られます』
最後。
『侯爵家として、記録改竄の可能性を認識しておられますか』
「……」
アルベルトは端末を閉じた。
「父ちゃん?」
リナが見ている。
「何でもない」
「その顔で?」
「元からだ」
「今日二倍くらい怖い」
「三倍ではないのか」
「今日は二倍」
「細かいな」
「何かあった?」
アルベルトは一瞬答えに詰まった。
嘘をつく気はない。
だが。
今。
ここで。
十歳の娘へ説明する話でもない。
「古い書類の確認だ」
「私の?」
アルベルトの目がほんのわずかに動いた。リナは気づいた。
「私なんだ」
「……少し関係がある」
「悪いやつ?」
「お前が悪い話ではない」
「じゃあいいや」
「いいのか」
「父ちゃんがその顔する時、だいたい私が悪いかと思うから」
「お前は私を何だと思っている」
「怒る人」
「……」
「でも怒ってないならいい」
また、芋を数える。
「七、八……」
アルベルトは娘を見る。
死んだことにされた娘。
十年。
信じてしまった。
その記録が今外から掘り起こされようとしている。
*
侯爵邸へ戻ると、クラウディアが待っていた。
いつもなら。
リナの服についた土を見て。
一言。
二言。
三言くらいは言う。
今日は。
言わなかった。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「芋もらった」
「そうですか」
「いっぱい」
「そうですか」
「……クラウディアさん?」
「何です?」
「今日ちょっと変」
クラウディアの表情がほんの少し止まる。
「そうでしょうか」
「うん」
「疲れているだけです」
「ほんと?」
「ええ」
リナがじっと見る。
「父ちゃんも変だった」
アルベルトが後ろで眉を寄せる。
「お前はよく見ているな」
「みんな分かりやすい」
「お前だけには言われたくない」
「私分かりにくい?」
「いや」
「じゃあいいじゃん」
ユリウスが横から言う。
「リナ」
「何?」
「芋、台所へ持っていこう」
「一緒に焼く?」
「今日は料理人に任せろ」
「えー」
「お前がやると全部焼く」
「前は焦げただけ」
「十分だ」
「兄ちゃんひどい」
ユリウスが妹の背中を押す。
「行くぞ」
「はいはい」
二人が廊下の向こうへ消える。
声が遠ざかる。アルベルトはクラウディアを見る。
「届いたか」
「ええ」
それだけで通じた。
*
書斎。
扉が閉じる。
クラウディアは端末を机へ置いた。
同じ質問。
同じ報道機関。
「いつ出ますか」
「回答期限は明日の昼だ」
「随分、良心的ですね」
「いきなり記事にしなかっただけな」
「……ええ」
アルベルトは椅子へ座らなかった。
窓際に立つ。
「公表されている記録だけで、ここまで辿れるものなのか」
「今までは、誰も調べようとしなかったのでしょう」
「なぜ今」
「神子だからです」
アルベルトが振り返る。クラウディアは自嘲するように笑った。
「死んだはずの少女が辺境から現れ、空で歌い、敵国の特級を退ける。物語としては出来すぎています」
「リナは物語ではない」
「分かっています」
だから。
怖い。
誰かにとって。
都合のいい物語にされることが。
「死亡記録について、どこまで知っている」
アルベルトが聞いた。クラウディアの指がわずかに震えた。
「どの死亡記録ですか」
「リナだ」
「……」
「半年後、第七植民星から届いた流行病による死亡報告」
「詳しくは知りません」
「詳しくは?」
「死んだとされたことは知っていました」
アルベルトの目が鋭くなる。
「いつ知った」
「侯爵様が知った後です」
「誰から」
「実家から」
「何と」
クラウディアは一度、目を閉じた。
「これで後継問題は終わった、と」
アルベルトの顔から表情が消えた。
「……それを」
「黙りました」
クラウディアは答えた。
「私は黙りました」
「なぜだ」
「怖かったからです」
「何が」
「全部が」
声は静かだった。
「セレナが死んだ後でした。私はもう、自分が何を求めた結果なのか知っていた」
アルベルトは何も言わない。
「その上で、侯爵様が逃がした娘まで死んだと聞かされた」
「……」
「私には」
クラウディアの手が自分の服を握る。
「確認する勇気がありませんでした」
「確認ではないだろう」
アルベルトの声が低くなる。
「疑う勇気だ」
「……そうですね」
「生きている可能性を」
「はい」
「考えなかったのか」
「考えました」
即答だった。アルベルトが初めて言葉を失う。
「考えました」
クラウディアはもう一度言った。
「だから、黙ったのです」
「……」
「もし生きていたら」
喉が震える。
「ユリウスの立場が、また揺れると思った」
言ってしまった。
十年間。
胸の底に沈めていた。
醜い部分。
「セレナが死んでも」
クラウディアは続ける。
「娘が生きていれば、何も終わらないと」
「クラウディア」
「分かっています」
「何をだ」
「最低です」
アルベルトが机へ手をついた。
「そんな言葉で終わらせるな」
「終わらせません」
クラウディアも逃げなかった。
「終わらせるつもりはありません」
しばらくどちらも喋らなかった。
*
「セレナのことは」
アルベルトが言う。
「どこまで知っていた」
クラウディアの顔から血の気が引いた。
「……それも、今聞きますか」
「今だから聞いている」
「リナへ話すつもりですか」
「その前に、私が知らなければならない」
「侯爵様は」
クラウディアが顔を上げる。
「毒だと聞いたのでしょう」
「ああ」
「それ以上は?」
「知らされていない」
「……そうですか」
クラウディアの口元が歪む。
「侯爵様まで」
「何だ」
「私と同じです」
アルベルトの目が細くなる。
「何も知らなかった」
「私はお前とは違う」
「ええ」
クラウディアは頷く。
「侯爵様は知らされなかった」
自分は。
知ろうとしなかった。
その差は。
大きい。
「セレナは」
クラウディアがゆっくり言った。
「リナを産んだ直後でした」
「ああ」
「女性魔導士が、出産直後に魔力を安定させにくいことは知っていますね」
「当然だ」
高位であっても、出産直後は魔力の流れが乱れる。出力も制御も普段通りにはいかない。それ自体は珍しいことではない。
「セレナも上級でした」
「……ああ」
「普通なら」
クラウディアは一度、言葉を止めた。
「簡単な毒で死ぬような人ではありません」
アルベルトの呼吸が止まる。
「何を知っている」
「全部ではありません」
「知っていることを言え」
「実家が」
声が小さくなる。
「産後の薬に手を入れたと」
アルベルトの手が机の縁を掴んだ。木がきしんだ。
「誰が」
「分かりません」
「誰の命令だ」
「分かりません」
「何を使った」
「それも」
「クラウディア!」
部屋が震えた。
魔力が。
一瞬。
漏れた。
窓が鳴る。
クラウディアは逃げなかった。
「知りません!」
初めて、声を上げた。
「私は!」
息が乱れる。
「私は、セレナを殺せとは言っていない!」
「……」
「消えてほしいと思った!」
吐き出す。
「屋敷から!」
「……」
「侯爵様のそばから!」
「……」
「私より上にいるように見える場所から!」
涙は。
出なかった。
まだ。
「でも」
声が崩れる。
「死ねなんて」
クラウディアは唇を噛んだ。
「……言っていない」
アルベルトは何も返さなかった。
「実家へ」
クラウディアは続ける。
「追い出してほしいと頼みました」
「……」
「嫌がらせでも何でもいい。侯爵家にいられなくしてほしいと」
「それを」
「利用された」
クラウディアは首を振った。
「違う」
自分で訂正する。
「そんな言い方をしてはいけませんね」
利用された。
それでは。
自分が被害者になる。
「私が入口を作った」
アルベルトを見る。
「その先へ進んだのが実家だっただけです」
「……」
「そして」
さらに。
重い言葉。
「死んだ後」
クラウディアの目が落ちる。
「私は、黙った」
*
廊下。
扉の向こう。
リナは。
立っていた。
芋を一個。
両手で持って。
「……」
台所で一個だけクラウディアにも渡そうと思った。
村でもらった芋。
昔よく食べたやつ。
焼いたら美味しい。
ただ。
それだけだった。
書斎の前まで来て、声が聞こえた。
最初は。
聞くつもりなんてなかった。
でも。
聞こえた。
母ちゃん。
セレナ。
毒。
産んだ直後。
実家。
追い出してほしい。
死んだ後。
黙った。
「……」
手の中の芋が。
少し。
重くなった。
扉を開けるべきか。
帰るべきか。
分からない。
分からないまま。
立っていた。
その時。
「リナ?」
後ろからユリウスの声がした。
リナが振り返る。
「兄ちゃん」
いつもの顔。
だったはずなのに。
今は。
どう見ればいいのか。
少しだけ。
分からなかった。
「どうした?」
ユリウスが近づく。
「それ、母上に?」
芋を見る。
「……うん」
「入らないのか」
リナは扉を見る。
また。
中を見る。
それから。
小さく聞いた。
「兄ちゃん」
「何だ」
「私の母ちゃんって」
ユリウスの顔を見る。
「どうやって死んだの?」
ユリウスが止まった。
*
帝都。
報道機関。
「返答は?」
記者が聞く。
「侯爵家からはまだです」
「皇室府は」
「個別の貴族家記録について回答しない、と」
「魔力管理院」
「現在確認中」
「……そうか」
記者は画面を見る。記事はまだ公開していない。
今なら。
止められる。
だが。
資料は。
目の前にある。
リナリエッタ・レーヴェン。
出生。
その直後。
母セレナ・アルシェ死亡。
乳児は記録から一度消える。
その後。
辺境へ移された形跡。
半年後。
流行病による死亡報告。
遺体確認不能。
そして十年後。
本人が生きて戻った。
記者は一つの資料を拡大した。
「これだけじゃない」
同僚が見る。
「何が?」
「母親だ」
「セレナ・アルシェ?」
「ああ」
「死亡理由は?」
「記録によって表現が違う」
「違う?」
「産後の急変」
一つ。
「病死」
もう一つ。
「それから」
記者が別の古い記録を開く。
「毒物反応の疑い」
同僚の顔が変わった。
「それ、公開資料か?」
「違う。古い医療監査の索引だけ残ってる。本文は封鎖」
「じゃあ断定できない」
「分かってる」
「記事にするなよ」
「しない」
記者はしばらく画面を見た。
「まだな」
そこへ、端末が鳴った。
新着情報。
差出人。
不明。
「……何だ?」
短い文章。
添付された古い記録番号。
そして。
一文。
『死んだ娘より、死んだ母親を調べろ』
記者の顔から笑みが消えた。




