第十九章 英雄と災厄
リナが侯爵邸へ戻った時、最初に待っていたのは英雄を称える言葉でも軍からの事情聴取でもなかった。
「リナ!」
「父ちゃん」
アルベルトだった。玄関を入った瞬間、抱きしめられた。
「くるしい」
「黙っていろ」
「でも」
「黙れ」
「はい」
今日は逆らわない方がよさそうだった。
肩越しにユリウスが見える。
その隣。
クラウディア。
二人とも微妙な顔をしている。
「兄ちゃん」
「何だ」
「父ちゃん泣いてる?」
「言うな」
「泣いてない」
「父上、それは無理があります」
「泣いていない!」
声が震えている。
「やっぱり泣いてる」
「リナ」
「はい」
アルベルトはしばらく娘を放さなかった。
*
「それで」
居間。
家族全員。
リナはソファへ座らされていた。
「説明しろ」
アルベルトが言った。
「何を?」
「全部だ」
「長いよ?」
「構わん」
「学校で球浮かせてたら」
「そこからか」
「二個だった」
「重要ではない」
「私には重要」
ユリウスが横から言う。
「続きを」
「カールさんが来た」
空気が少し重くなる。
「だから行った」
「迎撃許可は私が出した」
アルベルトが言う。
「そこまではいい」
「うん」
「なぜ通信端末が壊れている」
「あ」
リナがポケットから二つに割れた端末を出す。
「カールさんが切った」
「……」
アルベルトの顔がさらに怖くなった。
「父上」
ユリウスが止める。
「本人は無事です」
「分かっている」
「じゃあ次」
リナが言う。
「ちょっと戦った」
「ちょっと?」
クラウディアが初めて口を挟む。
「報道では周辺空域の観測機器が十七基停止したそうですが」
「……ちょっと大きかった」
「ちょっと?」
「クラウディアさん怖い」
「侯爵様より?」
「今日は同じくらい」
「光栄です」
「褒めてない」
ユリウスが頭を抱えた。
「それで」
アルベルトが続ける。
「断界を殺さなかった」
「うん」
「なぜだ」
リナは少し考えた。
「殺したくなかったから」
「それだけか」
「それだけじゃ駄目?」
アルベルトが黙る。
「私、カールさん嫌いだよ」
「……」
「今も」
自分の膝を見る。
「でも、死ななくてよかったってアナスタシアさんに言った」
「聞いた」
「そこで殺したら変じゃん」
「……」
「あと」
「何だ」
「私、途中からちょっと変だった」
アルベルトの表情が変わる。
「覚えているのか」
「少し」
リナは自分の手を見る。
「何にも感じなくなった」
「……」
「前にもあった」
アルベルトが低く言った。
「第七植民星で」
「うん」
リナは膝の上で手を握る。
「ゴル爺が死んだ時」
「……あの時は、止まれなかった」
「うん。でも今回は止まれた」
そう言ってから、リナは少しだけ眉を下げた。
「カールさんがいて。お爺ちゃん殺した人って分かって」
手を握る。
「それだけ」
「怖かったか?」
「後から」
リナが答えた。
「その時は怖くなかった」
エルネストの言葉。
自分が怖くなくなった特級は信用しない。
「だから」
「……」
「戻った時、私怖かった」
アルベルトはしばらく何も言わなかった。
やがて。
「なら」
「うん?」
「今はそれでいい」
それだけ言った。
*
「ところで」
ユリウスが部屋の端末を見る。
「もう出てるぞ」
「何が?」
「お前」
「私?」
「戦闘映像」
「え」
ニュース画面をつける。リナが止まった。
『帝国第四特級《虚空》による帝都防衛戦――』
画面の中。
宇宙。
青銀の髪。
制服。
赤く光る目。
「……」
リナの顔がみるみる赤くなる。
『――天より火は降り――』
「消して!」
「待て」
「消して!」
「なぜだ」
「恥ずかしい!」
ユリウスが本気で分からない顔をする。
「そこなのか?」
「歌ってるじゃん私!」
「もっと気にするところがあるだろ!」
『――硫黄の雨は、人の地を覆い――』
「うわあああ!」
リナがクッションを掴み、自分の顔へ押しつける。
「なんで字幕までついてるの!」
「解析班が翻訳したんだろう」
「いらない!」
「歴史的映像だぞ」
「もっといらない!」
クラウディアが真面目な顔で画面を見る。
「映像としては、とても絵になりますね」
「クラウディアさん!?」
「青銀の髪。赤い瞳。星空。そして詠唱」
「分析しないで!」
「神秘的です」
「やめてー!」
クラウディアは、画面の中の横顔を見た。
黙っていればセレナに似た顔。
その子が今度は、何億という人間から神の使いのように見上げられている。
母を失わせるきっかけを作ったのは自分だった。
育ての親まで失った少女へ、自分はどんな顔で優しくすればいいのか。
いまだに分からない。
それでも。
分からないまま、ここにいるしかない。
アルベルトは娘ではなく、映像の向こうに広がる巨大な暗黒領域を見ていた。
「……」
笑えなかった。映像で見ると、改めて分かる。あれが。
もし帝都へ向いていたら。
もしリナが。
最後に正気へ戻らなかったら。
「父ちゃん?」
「何でもない」
「ほんと?」
「ああ」
嘘だった。
*
帝国内で同じ映像が何億回も再生された。
『帝都の守護者』
『第四特級、断界を圧倒』
『十歳の英雄』
『破軍の後を継ぐ者』
『リューベック事件の再現か――二度目の“消失”』
そんな見出しが並ぶ。街ではリナの名を叫ぶ者がいた。
「虚空が帝都を守った!」
「共和国の特級を退けた!」
「さすが帝国第四特級!」
国葬の時。
《虚空》を戦場へ出せ。
そう叫んでいた者たちの一部が今度は英雄として彼女を称え始めた。
だが。
全員が同じものを見たわけではない。
『あれが防衛?』
『最後の攻撃が帝都側へ向いていたらどうなった』
『断界より虚空の方が危険ではないのか』
『十歳の子供にあの力を持たせたままでいいのか』
『リューベックの主力艦隊を一度消した子供だ。今回は止まれただけではないのか』
『国家による管理を強化すべきだ』
同じ映像。
同じ少女。
同じ戦闘。
見た者によって意味が変わった。
英雄。
守護者。
兵器。
災厄。
*
帝国軍最高司令部でも評価は割れた。
「大成功だ」
一人の将官が言う。
「虚空は帝都を完全に防衛した。《断界》を一方的に退け、民間被害もゼロ」
「大成功?」
別の将官が眉を寄せる。
「断界を生還させた」
「戦闘不能寸前まで追い込んだ」
「殺せたのに殺さなかった」
「それが問題か?」
「当然だ」
星図。
共和国。
《星喰》。
《断界》。
「断界を殺していれば、共和国は特級一名」
「そして共和国はどうする?」
「……」
「星喰が報復に動けば?」
「白冠と天壁で対処する」
「また特級戦を始めるのか!」
声が荒くなる。
「共和国が先に始めた!」
「だから我々も同じことを続けるのか!」
皇帝は黙って聞いていた。
ミレイア。
サイラス。
アルベルトもいる。
「天壁」
皇帝が呼ぶ。
「はい」
「現場を見たお前の評価は」
サイラスは少しだけ言葉を選んだ。
「軍事的には」
一度止まる。
「断界を殺せた可能性は極めて高い」
「可能性?」
「いや」
訂正した。
「殺せました」
室内が静かになる。
「ではなぜ殺さなかった」
「本人が決めたからです」
「十歳の判断を優先したと?」
「戦闘中に、我々は現場にいませんでした」
「結果論だ」
「そうです」
サイラスは珍しくあっさり認めた。
「しかし結果として」
共和国首都。
帝都。
二つの表示を見る。
「断界は帰還。星喰は生存。白冠も私も生存。帝都も共和国首都も残った」
「……」
「特級五名全員が生きています」
少しだけ声を低くする。
「それを失敗と呼ぶのは、私は嫌です」
ミレイアが頷いた。
「私もだ」
*
皇帝は、その日の夕方、リナを呼び出した。
「また?」
皇宮。
「私最近ここ来すぎじゃない?」
「第四特級だからな」
「学校の方がいい」
「知っている」
「皇帝さん学校来る?」
「行っていいのか?」
「たぶん」
アルベルトが即座に割り込む。
「陛下、話が進みません」
「そうだった」
「父ちゃん今日先生みたい」
「誰のせいだ」
皇帝はリナを見る。
「一つ聞く」
「うん」
「断界を殺せたな?」
部屋が静かになる。
「うん」
リナはすぐ答えた。
「なぜ殺さなかった」
「殺したくなかったから」
「国家の利益より?」
「分かんない」
「……」
「でも」
リナは少し考える。
「殺した後どうなるかも分かんなかった」
皇帝の目がわずかに細くなる。
「どういう意味だ」
「カールさん殺したら」
指を一本立てる。
「アナスタシアさん怒るでしょ」
「ああ」
「共和国も怒る」
「ああ」
「先生たちもまた戦うかも」
「……」
「私も」
少しだけ声が小さくなる。
「次、誰か殺されたらまた怒る」
皇帝は何も言わない。
「それ」
リナが言う。
「ずっと終わらないじゃん」
「……そうだな」
「だから殺さなかった」
「それが正しいと思うか」
「分かんない」
即答。
「分からない?」
「うん」
リナは皇帝を見る。
「次も同じでいいかは分かんない」
その言葉に皇帝がほんの少し笑った。
「上出来だ」
「また子供扱い」
「今のは褒めた」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあいいや」
*
共和国側の評価はもっと冷たかった。
「断界、完全敗北」
情報部の報告。
会議室。
カール。
アナスタシア。
大統領。
軍上層部。
「言い方」
アナスタシアが言う。
「事実です」
「もうちょっとあるでしょ」
「では」
情報部員が端末を見る。
「《断界》は《虚空》との交戦において、有効打をほぼ与えられず、空間切断・転移ともに複数回無効化」
「もっと悪くなった」
「事実だ」
カールが言った。
「本人が認めないでよ」
「負けた」
「知ってる!」
「しかも」
情報部員が続ける。
「虚空は最終攻撃を意図的に逸らした可能性が高い」
部屋が静かになる。
「可能性?」
大統領が聞く。
「九割以上」
映像。
カールを包む暗黒領域。
直後。
軌道変更。
無人空域への発射。
「……つまり」
将官の一人が言う。
「断界は」
「殺されなかった」
アナスタシアが言った。
「負けただけじゃない」
笑顔はなかった。
「生かされたのよ」
誰もそれを否定できなかった。
「なぜだ」
大統領が聞く。
カールを見る。
「本人に聞け」
「お前は何と聞いた」
「聞いた」
「答えは」
カールは少しだけ視線を逸らした。
「アナスタシアに」
「私?」
「俺が死ななくてよかったと言ったから」
アナスタシアが小さく笑う。
「律儀ねえ」
「それだけではない」
「何?」
「自分が怖かったとも言っていた」
アナスタシアの笑顔が消える。
「……そっか」
「自分が何をしようとしていたか気づいた後」
カールは淡々と続ける。
「怖がっていた」
「それで止まれた」
「ああ」
情報部長が資料を切り替える。
古い記録。
第七植民星。
リューベック連星国主力艦隊消失事件。
「前回は、止まらなかった」
「そうね」
アナスタシアが画面を見る。
「今回の一番大きな違いは、出力じゃない」
暗い欠落領域。
そして、生きて戻ったカール。
「止めたことよ」
「……」
アナスタシアがゆっくり息を吐く。
「よかった」
大統領が聞く。
「何がだ」
「まだ」
彼女は言う。
「人間だった」
誰も笑わなかった。
*
「共和国の戦略評価を更新します」
情報部長が言う。
「《虚空》は、従来の特級戦闘理論での評価が困難」
「それは前から分かっていた」
「今回、確定しました」
資料が切り替わる。
「《断界》の空間切断を停止」
「転移先の封鎖」
「広域空間の固定」
「推定消滅領域」
最後だけ数字が表示されない。
「測定不能?」
「観測情報自体が欠落しているため、正確な範囲を出せません」
「……」
「最悪の場合」
情報部長が少し声を落とす。
「共和国首都圏で同じ攻撃を使用された場合」
誰も先を聞きたくなかった。
「防御方法は現時点で存在しません」
沈黙。
「だから」
アナスタシアが言う。
「敵にしないでって言ったのよ」
今回は誰も感情論とは言わなかった。
*
そして。
戦闘から三日後、さらに面倒なものが現れた。
「リナ」
「何?」
朝食。
ユリウスが端末を見ている。
「お前」
「うん」
「神の使徒になったらしい」
「……?」
リナがパンを齧りながら首を傾げる。
「誰が?」
「お前」
「私?」
「お前」
「なんで?」
ユリウスが記事を見せる。
見出し。
『灰の星より来たりし神子――虚空は天罰の代行者か』
「……」
リナがしばらく見た。
「……またそれ?」
「また?」
ユリウスが聞く。
「村の人たちも、私が空から帰った時に神子様って言ってた」
「初耳だ」
「ゴル爺だけ笑ってた」
ほんの少し、リナの声が柔らかくなる。
「『昨日まで飯ねだってたクソガキが何の神子じゃ』って」
クラウディアが紅茶を置く。
「今回の“神子”は、もう少し厄介な意味を付けられているようです」
「神に仕える、あるいは神意を受ける者、と考えればよいでしょう」
「私、神様と喋ったことないよ」
「でしょうね」
「じゃあ違うじゃん」
「世の中はそう簡単ではありません」
アルベルトが新聞を閉じる。
「一部宗教団体が、お前の戦闘映像を神罰の顕現だと主張している」
「宗教団体?」
「ああ」
「まだあるんだ」
全員が止まった。
「……まだ?」
ユリウスが聞く。
「宇宙まで来たのに?」
「宇宙へ来たから宗教がなくなるわけではない」
「へー」
クラウディアが静かに頭を抱えた。
「お願いですから『へー』で済ませないでください」
「なんで?」
「あなたを崇拝し始めている人間がいるのですよ」
「会ったことないのに?」
「そこが問題なのです!」
リナは記事をもう一度見る。
『灰の星の神子』
「灰の星って」
「お前が育った植民星のことらしい」
「勝手に呼んでる」
「そうだな」
「神子も勝手」
「そうだな」
「虚空も最初みんなで決めた」
「……それはまあ」
「私の名前、勝手につけられすぎじゃない?」
ユリウスが笑いを堪えた。
「確かに」
「笑わないでよ」
「無理だ」
*
宗教団体は一つではなかった。
ある者は。
リナを神の使徒と呼んだ。
ある者は。
星々を裁く者と呼んだ。
ある者は。
終末の前触れだと恐れた。
そして。
ある新興宗派は。
彼女を。
《灰の星の神子》。
そう呼び始めた。
根拠はあの戦闘映像だけではなかった。
第七植民星には、ずっと前から妙な噂が残っていた。
空へ連れていかれた少女が、上等な服と神々の食物を持って空から帰った。
村人は彼女を神子と呼び、その直後、少女を奪おうとした国の主力艦隊が、残骸一つ残さず消えた。
辺境の素朴な信仰として片づけられていたその話が今回の映像によって、星間社会へ掘り起こされた。
そして。
あの戦闘映像だった。
青銀の髪。
赤く光る瞳。
星の海に一人。
古い祈りのような言葉を歌い、その言葉の終わりと共に星空の一部を暗闇へ変えた少女。
映像だけなら、確かに神話の一場面にも見えた。
*
本人は学院で机に突っ伏していた。
「もうやだ」
カイルが端末を持っている。
「見ろよ」
「見ない」
「再生回数すごいぞ」
「見ない!」
『――天より火は降り――』
「消してー!」
「うわ!」
リナがカイルの端末を奪う。
「なんで学校でも流すの!」
「ニュースだから!」
「恥ずかしい!」
「お前、そこ気にするの!?」
「歌ってる!」
「そこじゃないだろ!」
「何が!」
「後ろ!」
映像の中。
星空が消える。
「……」
リナが見る。
「……すごいね」
「お前がやったんだよ!」
「あんまり覚えてない」
「怖っ!」
「言わないで!」
カイルは少しだけ笑う。
そして。
映像を止めた。
「でも」
「何?」
「帰ってきてよかった」
リナがカイルを見る。
「うん」
「断界も生きてるんだろ」
「うん」
「じゃあ」
カイルは教科書を開く。
「次は帝国語」
「戦争より嫌」
「先生ー!」
「カイル!」
教師がこちらを見る。
「リナさん」
「はい」
「戦争より嫌とは?」
「言ってません」
「言ったぞ」
「カイル!」
教室が笑った。
*
帝国では。
英雄と呼ばれた。
共和国では。
最大級の戦略脅威と記録された。
宗教者は。
神の使徒と呼んだ。
恐れる者は。
災厄と呼んだ。
軍は。
第四特級と呼ぶ。
学院では。
帝国語が苦手な五年生だった。
その全部が。
同じ少女のことだった。
そして。
その少女本人は。
自分が何と呼ばれているかより。
翌日の帝国語の小テストの方を。
ずっと気にしていた。




