第十五章 授業参観に特級が来た日
その日、帝国中央魔法学院では授業参観が行われていた。
「父ちゃん、絶対笑わないでね」
「何をだ」
「私が帝国語で当てられても」
「笑わん」
「兄ちゃんも」
「僕は生徒側なんだけど」
「高等部でしょ。来られるじゃん」
「なぜ僕まで初等部の授業参観に参加するんだ」
「家族だから」
「便利な言葉だな、それ」
リナは制服の襟を直しながら、後ろの席に座るアルベルトとユリウスを睨んだ。さらにその隣にはクラウディアまでいる。
「クラウディアさんも笑わないでね」
「私は笑いません」
「ほんと?」
「あなたが授業中に変なことをしなければ」
「条件ついてる!」
教壇の教師が咳払いした。
「レーヴェン家の皆様。そろそろ始めます」
「すみません」
リナは素直に前を向いた。
カイルが隣で小声を出す。
「家族全員来てんの、お前くらいじゃない?」
「父ちゃん暇なのかな」
後ろから低い声が飛んだ。
「聞こえているぞ」
「暇じゃなかった」
「当たり前だ」
教室に小さな笑いが起きる。
国葬から、少し時間が経っていた。エルネストの死はまだ帝国中に残っている。共和国への報復を求める声も消えていない。
それでも。
学校では授業がある。
宿題がある。
昼食がある。そういう毎日を続けることをリナは少しずつ覚えていた。
「では昨日の続きです」
教師が板書する。
「帝国建国初期の星間開拓政策について――」
リナの顔が露骨に曇った。
カイルが笑う。
「お前、もう死んでる」
「歴史、多すぎ」
「まだ始まったばっかだぞ」
「昔の人、事件起こしすぎじゃない?」
「事件起こしてない日は歴史に残らないんだよ」
「じゃあ平和な日の方が多い?」
「……たぶん」
「そっち教えてほしい」
教師が振り返る。
「リナさん」
「はい!」
「何か質問が?」
「ありません!」
「では今説明した政策の目的を」
「……」
後ろで、ユリウスが口元を押さえた。
リナの目が鋭くなる。
「兄ちゃん」
「何も言ってない」
「笑った」
「笑ってない」
「顔!」
「授業中ですよ」
教師の声。
「はい……」
リナは立ち上がった。
なんとか、授業で聞いた言葉を頭の中から探し出す。
「えっと……」
その時だった。
学院中の空気が変わった。
*
最初に気づいたのは特級ではなかった。
帝都外縁の監視網だった。
帝国領外。
共和国方面。
一つの反応。
速度。
異常。
所属識別。
照合。
結果。
共和国特級。
《星喰》。
アナスタシア・ローデン。
単独。
帝都へ向けて。
直進。
「――最高警戒態勢!」
帝国軍防衛司令部に警報が響く。
「白冠殿下へ緊急連絡!」
「天壁閣下は!」
「帝都内!」
「星喰の予想到達時間!」
「通常迎撃部隊では間に合いません!」
「分かっている! 市民避難を――」
「待て!」
指揮官が叫ぶ。
「大規模避難を始めれば混乱が先に出る。特級対応班の判断を待て!」
艦隊が動く。
上級魔導師が発進準備へ入る。
結界施設が起動する。
それでも。
全員が知っていた。
もし《星喰》が本気で帝都へ攻撃するつもりなら通常戦力で止められる時間ではない。
そのための特級だった。
*
教室でアルベルトが立ち上がった。
ほぼ同時に、リナも窓を見る。
「……来る」
教師の顔が変わる。
「何が?」
アルベルトの端末が鳴った。
表示を確認した瞬間、その表情が硬くなる。
「全員、席を立つな」
「父上?」
「共和国特級だ」
教室が凍りついた。
その瞬間。
リナから。
表情が消えた。
アルベルトの胸が冷えた。
見たことがある。
第七植民星。
ゴルの亡骸の前で。
空から一国の艦隊が消えた、あの時と同じ顔だった。
「――《断界》?」
いつもの天真爛漫な響きは声のどこにもなかった。
怒りとも。
悲しみとも違う。
感情そのものがすべて抜け落ちてしまったような声だった。
薄い赤の瞳が。
ほんのわずかに光る。
空気が。
震えた。
窓硝子が低く鳴り。
机の上の紙が一斉に揺れる。
壁が。
かすかに軋む。
リナは指一本動かしてすらいない。
手も上げていない。
魔法を使おうともしていない。
ただ。
その小さな身体から漏れ出した魔力だけで、教室全体が何か巨大なものに掴まれたように震えていた。
「リナ」
アルベルトの声が飛ぶ。
強く。
だが。
怒鳴らない。
リナの光る瞳が。
父へ向いた。
「違う。《断界》ではない」
一言ずつ。
はっきり伝える。
「《星喰》アナスタシア・ローデンだ」
「……アナスタシア?」
「ああ」
一度、リナが瞬きをした。
薄い赤の光が消える。
張り詰めていた空気がふっと緩んだ。
紙が机へ落ちる。
窓の震えも止まった。
「……そっか」
いつものリナの声だった。
本人は小さく息を吐いただけだった。
だが、教室の中では誰もすぐには動けなかった。
カイルが隣の席からリナを見ている。
初めてだった。
魔力球を天井へ飛ばして頭を抱える少女ではない。
共和国を震え上がらせた。
帝国第四特級《虚空》を。
ほんの一瞬だけ。
見た気がした。
「断界じゃない?」
リナが改めて確認する。
「違う」
アルベルトが答えた。
少しだけ、リナの肩から力が抜ける。
けれど。
安心はできない。
「何しに?」
「分からん」
アルベルトは窓へ向かう。
その瞬間、学院上空の空間が大きく歪んだ。
*
「やっぱり大騒ぎになるわよねえ」
アナスタシアは帝都を見下ろしながら、ため息をついた。
周囲には。
帝国の防衛結界。
遠く。
艦隊。
上級魔導師。
そして。
目の前。
一人の男。
黒髪。
眼鏡。
無表情。
「帰れ」
「こんにちはくらい言えない?」
「帰れ」
「二回言った」
「必要なら百回言う」
「相変わらず堅いわね、《天壁》」
サイラス・フォン・ヴェルナー。
帝国第三特級。
《天壁》。
彼の周囲には薄い膜のようなものが何層も帝都全体へ広がっている。
アナスタシアはそれを見て笑った。
「本気じゃない」
「それを私に信じろと?」
「信じなくていいわよ」
「では帰れ」
「だから話が進まない」
「進める必要がない」
「サイラス」
「何だ」
「私、戦いに来てない」
「証明しろ」
「武器持ってない」
「お前自身が武器だ」
「その言い方嫌い」
「私も嫌いだ」
アナスタシアが一瞬目を細める。
サイラスの声には冗談がなかった。
「……そうね」
彼女は小さく言った。
「私も嫌い」
その時、別方向から。
白い光。
アナスタシアの顔がほんの少し引きつる。
「うわ」
銀髪。
白い軍装。
頭上の冠状魔導環。
《白冠》ミレイア。
「ずいぶん堂々と来たな」
「久しぶり」
「久しぶり、ではない」
「怖い顔」
「共和国特級が単独で帝都へ突入してきた。笑顔で迎えろと?」
「お茶くらい」
「砲撃なら用意できる」
「それは結構です」
アナスタシアは両手を上げた。
「降参」
「特級がその言葉を軽々しく使うな」
「戦う気ないって分かりやすいでしょ」
ミレイアはじっとアナスタシアを見る。
「目的は」
「《虚空》に会いに来た」
空気が一段冷たくなった。
「帰れ」
サイラス。
「嫌」
「帰れ」
「だから嫌」
「サイラス」
ミレイアが止める。
「本人に聞く」
サイラスの顔が明らかに嫌そうになる。
「十歳です」
「知っている」
「敵国特級を面会させる必要はない」
「だから本人へ選ばせる」
「選択肢として提示すること自体が圧力になります」
「……お前、本当に教師向きだな」
「教師ではありません」
アナスタシアが吹き出した。
「何、その話」
「お前には関係ない」
「すっごく気になる」
「帰れ!」
*
数分後、リナは学院の応接室にいた。
アルベルト。
ユリウス。
クラウディア。
学院長。
教師。
帝国軍関係者。
人が多い。
「……狭い」
「我慢しろ」
アルベルトが答える。
「それで」
サイラスが言う。
「共和国特級アナスタシア・ローデンが、リナに面会を求めている」
「私に?」
「ああ」
「なんで?」
「本人は話したいと言っている」
「何を?」
「それは会わなければ分からない」
リナは少し考えた。
「断ってもいい?」
「当然だ」
即答したのはサイラスだった。
ミレイアも頷く。
「会う義務はない」
「父ちゃんは?」
「私は」
アルベルトが少し迷う。
「会わせたくない」
「なんで?」
「共和国がエルネスト閣下を殺した直後だ」
「……」
「お前が何を感じるか分からん」
「父ちゃん」
「何だ」
「それ、私の心配?」
「ああ」
「国のじゃなくて?」
「両方だ」
「そっか」
リナはしばらく膝の上の手を見る。
「会う」
サイラスが眉を寄せた。
「理由は」
「聞きたいから」
「何を」
「共和国が」
少し。
声が低くなる。
「なんで、お爺ちゃん殺したのか」
先ほどの光のない声ほどではない。
だが、アルベルトは娘から目を離さなかった。
誰も止められなかった。
*
「こんにちは」
アナスタシアが言った。
学院の応接室。
長机の向こう。
帝国側。
リナ。
アルベルト。
ミレイア。
サイラス。
少し離れてユリウス。
共和国側。
アナスタシア一人。
「……こんにちは」
リナは笑わなかった。
アナスタシアはそれを見て自分も笑顔を少し薄くした。
「リナでいい?」
「うん」
「私はアナスタシア」
「知ってる」
「有名人だから?」
「星喰」
「そっちか」
「あと共和国の特級」
「うん」
一拍。
「断界の仲間」
アナスタシアの笑顔が消えた。
「……そう」
「カールさんって人、生きてるんでしょ」
「生きてる」
「知ってる」
「うん」
「お爺ちゃんは死んだよ」
部屋が静かになった。
アルベルトがリナを見る。
サイラスも止めない。
アナスタシアは目を逸らさなかった。
「……うん」
それだけだった。
「共和国が殺したの?」
「そう」
「カールさんって人が?」
「最後に手を下したのはカール」
「アナスタシアさんは?」
「私は戦ってない」
「じゃあ関係ない?」
アナスタシアは少しだけ苦そうに笑った。
「その質問、結構きついわね」
「ごめん」
「謝らなくていい」
背もたれへ少し身体を預ける。
「関係ある」
リナが見る。
「私は作戦に反対した」
「……」
「でも止められなかった」
「うん」
「それで今も共和国の特級をやってる」
「うん」
「共和国が怖がってたことも分かる」
アナスタシアはゆっくり言葉を選ぶ。
「だから『私は反対しました。悪いのは他の人です』って言うつもりはない」
リナが少しだけ目を丸くする。
「私も共和国側よ」
「……」
「無関係ではいられない」
リナは机の下で手を握った。
「私が特級になったから?」
アナスタシアはすぐには答えなかった。
逃げない。
でも。
簡単にも言わない。
「きっかけの一つにはなった」
「やっぱり」
「でも」
アナスタシアの声が少し強くなる。
「あなたが悪いとは思ってない」
「……」
「生まれたことも。特級になったことも。帝国に四人いたことも」
「でも共和国は怖かった」
「怖かった」
「だから殺した」
「そう」
リナが眉を寄せる。
「それ、変じゃない?」
「変よ」
「じゃあなんで」
「国ってね」
アナスタシアがそこで少し自嘲する。
「いや。この言い方、嫌いだった」
「?」
「『国ってそういうものだから』で終わらせるの」
ミレイアがわずかにアナスタシアを見る。
「怖がった人がいた。戦争になったら共和国が消えると思った人がいた。今動かなければ手遅れになると思った人がいた」
「……」
「その人たちが決めた」
「アナスタシアさんは?」
「反対した」
「でも共和国にいる」
「うん」
「難しいね」
「ものすごく」
リナは少し考えた。
「私、今共和国嫌い」
「うん」
「カールさんって人も嫌い」
「うん」
「アナスタシアさんは……」
「うん」
「まだ分かんない」
アナスタシアがほんの少し笑った。
「合格」
「何が?」
「正直さ」
「試験だったの?」
「違う違う」
「紛らわしい」
初めて、リナの口元がほんの少しだけ緩んだ。
*
「カールさんって人」
リナが聞く。
「うん」
「なんて言ってる?」
アナスタシアは一瞬。
迷った。
「エルネストのこと?」
「うん」
「自分が殺したって」
「……」
「国家命令だから自分は悪くない、とは言ってない」
「謝ってる?」
「あなたに?」
「うん」
「まだ」
「なんで?」
「本人と話してないから」
「私に謝りたいって言ってる?」
「それも、まだ」
リナの顔に少し不満が出る。
「謝ってないじゃん」
「そうね」
「悪いと思ってない?」
「それは違うと思う」
「じゃあ謝ればいいのに」
「カール、そういうとこ不器用なのよ」
アナスタシアが少し笑う。
「あと、あいつ『謝れば許されるわけじゃない』とか考えるタイプだから」
「許さないよ」
「うん」
即答。
リナが少し驚く。
「いいの?」
「何が?」
「許さなくて」
「いいでしょ」
アナスタシアは当たり前のように言った。
「今すぐ許す必要なんかないわよ」
「……」
「嫌いでもいい」
「共和国の人なのに?」
「だから何」
「怒らない?」
「怒る理由ないもの」
アナスタシアは少しだけ目を伏せる。
「私だって、立場が逆なら嫌いになる」
リナはそれを聞いて肩の力を少し抜いた。
*
「で」
しばらくして、アナスタシアが急に声を明るくした。
「せっかく来たから授業見ていい?」
サイラスが。
即座に。
「駄目だ」
「早い」
「帰れ」
「またそれ?」
「目的は済んだ」
「せっかく帝国中央魔法学院まで来たのよ?」
「誰も頼んでいない」
「授業参観って今日なんでしょ?」
リナが目を丸くする。
「なんで知ってるの?」
「学院の予定くらい公開されてるわよ」
アルベルトの目が細くなる。
「狙って今日来たのか」
「半分」
「残り半分は」
「カールが起きたから」
少しだけ、声が優しくなる。
「死なないって分かったから、こっちへ来る余裕ができた」
リナはその顔を見た。
「心配してた?」
「死ぬほど」
「泣いた?」
アナスタシアが固まった。
「……誰から聞いたの」
「今の顔」
「何その観察力」
「泣いたんだ」
「泣いてない」
サイラスが。
小さく。
「嘘だな」
「天壁!」
「魔力反応が変わった」
「そういう使い方ずるくない!?」
ミレイアが口元を隠す。
「珍しいものを見た」
「白冠まで!」
リナが少し笑った。
*
結局、アナスタシアは授業を見ることになった。
条件。
サイラス同席。
ミレイア同席。
帝国軍警護。
学院指定席から動かない。
魔力使用禁止。
通信禁止。
「多くない?」
「嫌なら帰れ」
「はいはい」
教室へ入る。子供たちが一斉に固まる。
共和国第一特級。
《星喰》。
その後ろに。
《白冠》。
《天壁》。
さらに。
アルベルト侯爵。
ユリウス。
授業参観の密度として明らかにおかしい。
カイルがリナへ囁く。
「今日なんなの?」
「私も知らない」
「特級三人いるんだけど」
「私入れたら四人」
「数えるな!」
言いながら、カイルは一度だけリナの目を見る。
もう光っていない。
いつもの隣の席のリナだった。
「カイル?」
「何でもない」
「変なの」
教師が顔を引きつらせながら授業を開始する。
「で、では魔法基礎を」
「先生頑張って」
リナが言う。
「あなたが頑張ってください!」
*
課題は、魔力球を一定の高さへ三十秒浮かせる。
「……」
アナスタシアは真剣な顔で見ていた。
リナが両手をかざす。
「ちょっとだけ……」
球が浮く。
一センチ。
二センチ。
三センチ。
「……え?」
アナスタシアが小さく声を漏らす。
サイラスが横から。
「静かにしろ」
「いや」
「静かに」
「これ」
「静かに」
「共和国が国運賭けて怖がってる第四特級よね?」
リナの眉がぴくりと動く。
「今集中してるから!」
「あ、ごめん」
球が。
ぐらり。
「アナスタシアさん!」
「私!?」
「喋ったから!」
「ごめんって!」
球が。
落ちる。
ころん。
「あー!」
リナが頭を抱える。
「もう!」
「ほんとにごめん!」
アナスタシアが声を出して笑いそうになって、止めた。
「……」
ほんの少し前。
帝国軍人から学院到着時に起きたことを聞かされていた。自分の反応が《断界》だと思われた瞬間《虚空》の瞳が光り、何もしていないのに教室そのものが震えた、と。
目の前にいる少女とその話がうまくつながらない。
いや、つながってしまうからこそ怖かった。
もう一度リナが始める。
浮く。
今度は、四センチ。
五センチ。
少し震える。
でも、落ちない。
アナスタシアは今度こそ何も言わず見ていた。
額に汗。
唇を結んで。
一つの小さな球へ。
必死に。
力を合わせている。
三十秒。
教師が言う。
「成功です」
「やった!」
リナが顔を輝かせる。
教室から拍手。
カイルが。
「今日は天井無事!」
「当たり前!」
「成長した!」
「うるさい!」
子供たちが笑う。
アナスタシアは笑わなかった。
その光景をじっと見ていた。
*
「……何?」
授業後、リナが聞いた。
「ずっと見てた」
「うん」
「変だった?」
「逆」
アナスタシアが少し困った顔をする。
「普通だった」
「?」
「学校で、球を浮かせるのに必死な十歳だった」
「私十歳だよ?」
「知ってたんだけどね」
「じゃあ何?」
「共和国では」
アナスタシアは少し離れた場所にいる帝国軍人たちを見る。
「《虚空》の資料ばっかり見てたから」
「……」
「惑星破壊能力。空間干渉。魔力量。帝国第四特級」
それから、少しだけリナの薄い赤の瞳を見る。
「さっき、あなたが私を《断界》だと思った時のことも聞いた」
リナが少し固まる。
「……聞いたの?」
「うん。あと、第七植民星の報告も読んだ」
「……ゴル爺の時?」
「そう」
アナスタシアの声から、軽さが少し消えた。
「リューベックの艦隊が消えた時も、同じだったんでしょう。表情がなくなって、赤い目が光って、知らない言葉を歌った」
リナは自分の手を見る。
「私、あの時のこと、ちゃんとは覚えてない」
「でも結果は残った」
「……うん」
「怖かったって?」
「そこまでは言われてない」
「じゃあ?」
「教室が震えたって」
リナは自分の手を見る。
「私、何もしてないよ」
「それが一番怖いのよ」
アナスタシアは冗談めかして言った。
けれど、目は笑っていなかった。
リナが少しだけ不安そうになる。
「……怖い?」
アナスタシアは誤魔化さなかった。
「怖い」
「そっか」
「でも」
少女を見る。
「今はちゃんと、リナも見てる」
「どう?」
「帝国語苦手そう」
「そこ!?」
「あと球浮かせるの下手」
「もう!」
アナスタシアがようやく笑う。
「でも、それも含めて」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「共和国は《虚空》を見て、リナを見てなかった」
リナは黙って聞く。
「今日来てよかった」
「……」
「友達になれそう」
リナが少し考える。
「まだ」
「厳しい」
「共和国嫌いだもん」
「そうだった」
「でも」
「うん?」
「また話すくらいならいい」
アナスタシアの笑顔が少し大きくなる。
「十分」
「あと」
「何?」
「カールさんって人に言っといて」
アナスタシアの表情が少し真面目になる。
「何て?」
リナは少し迷った。
「……まだ嫌いって」
「うん」
「それと」
拳をぎゅっと握る。
「死ななくてよかったって」
アナスタシアが目を見開いた。
「なんで?」
「分かんない」
「殺した相手なのに?」
「うん」
「嫌いなのに?」
「うん」
「矛盾してない?」
「してる?」
「してるわねえ」
「じゃあ言わない方がいい?」
アナスタシアはゆっくり首を振った。
「そのまま伝える」
「うん」
「たぶんあいつ、ものすごく困る」
「じゃあ言って」
「任せて」
ニカッ。
リナが笑った。アナスタシアも笑った。
*
帰り際。
学院上空。
アナスタシアはミレイアとサイラスの間に立っていた。
「今日はありがとう」
「二度と無断で来るな」
サイラス。
「はいはい」
「返事が軽い」
「次は連絡する」
「次がある前提なのか」
「リナがまた話していいって」
「外交権を十歳児に与えるな」
「個人的な話」
「なお悪い」
ミレイアが少し笑う。
「アナスタシア」
「何?」
「今日見たことを、共和国へ報告するのか」
笑顔が少し消える。
「する」
「全部?」
「全部」
アナスタシアは学院を見る。
「第七植民星の時と同じように、《断界》だと思っただけで、本人が何もしていないのに教室が震えたことも」
サイラスの目が少し鋭くなる。
「そして?」
「魔力球を五センチ浮かせるのに、あれだけ必死だったことも」
「……」
「どっちかだけ報告したら、嘘になるでしょ」
ミレイアはわずかに頷いた。
「そうだな」
「怖いわよ、あの子」
アナスタシアはあっさり言った。
「正直、共和国が怖がった理由も分かる」
「……」
「でも」
窓の向こうカイルと何か言い合っている青銀の髪の少女を見る。
「だからって、怖がった相手を先に殺し始めたらどうなるか」
笑顔が消える。
「私たちはもう、一回答えを間違えた」
ミレイアも。サイラスも。
何も言わなかった。
「じゃあ帰るわ」
「星喰」
サイラスが呼ぶ。
「何?」
「断界へ伝えろ」
アナスタシアの目が少し鋭くなる。
「何を」
「次はない」
「……」
「共和国が再び我が国の特級を暗殺するなら」
天壁の周囲にほんの一瞬圧倒的な魔力が壁のように立ち上がる。
「今度は私が行く」
アナスタシアは笑わなかった。
「伝える」
「頼む」
彼女は空間へ身体を向ける。
そこで。
一度だけ。
学院を見る。
《虚空》。
帝国第四特級。
惑星を壊せる存在。
共和国が。
恐れた少女。
殺した仲間の名を聞いただけで。
何もせず。
教室を震わせる少女。
そして。
魔力球を。
三十秒浮かせただけで。
あんなに嬉しそうに笑う。
十歳の子供。
「……まったく」
アナスタシアは小さく呟いた。
「先に見に来ればよかったわね」
誰にも聞こえないまま《星喰》は共和国へ帰っていった。




