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灰の星の神子  作者: Tatsumaru


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第十三章 送る日

 国葬の朝。


 リナは、鏡の前でじっとしていた。


 黒い服。


 黒い靴。


 青銀の髪にも、今日は飾りがほとんどない。


 いつもなら、とっくに文句を言っているところだった。


「首、苦しくない?」


 クラウディアが後ろから尋ねる。


「ちょっと」


「少し緩めます」


「いいの?」


「今日は構いません」


 リナが鏡越しに彼女を見る。


「いつもダメって言うのに」


「いつもと今日は違います」


「……そっか」


 クラウディアは襟元をほんの少し整え直した。


 いつもなら姿勢も髪も靴も確認する。


 今日はしなかった。


「終わりました」


「うん」


 リナは鏡を見る。


 自分なのに。


 少し知らない人みたいだった。


「クラウディアさん」


「何です?」


「国葬って、いっぱい人来る?」


「ええ」


「どのくらい?」


「見れば分かります」


「それ、父ちゃんもよく言う」


「侯爵様と一緒にしないでください」


 いつもなら、ここで少し笑えた。


 今日は。


 リナは小さく「うん」とだけ答えた。


     *


 皇宮へ向かう車列は、途中からほとんど進まなくなった。


「何これ」


 リナが窓の外を見る。


 人。


 人。


 人。


 大通りの左右を埋めている。


 軍服姿。


 普通の服。


 老人。


 若者。


 子供。


 花を持つ者。


 《破軍》の徽章を模した小さな旗を持つ者。


 建物の窓にも。


 高架にも。


 人がいる。


「全部、お爺ちゃん?」


 向かいに座るユリウスが頷く。


「元帥を見送る人たちだ」


「こんなに?」


「ああ」


 リナは窓へ顔を近づけた。


 ゴルの葬式を思い出す。


 村の墓地。


 木の棺。


 小さな墓標。


 あの時も、リナには世界全部が悲しんでいるように見えた。


 でも。


 世界はこんなに広かった。


 一人を見送る形も。


 こんなに違う。


「……お爺ちゃん、有名だったんだ」


「帝国第一特級だぞ」


「それは知ってる」


「元帥でもある」


「それも聞いた」


「何十年も帝国軍にいた」


「……」


「お前が会った時のエルネスト元帥は、お前にとっては面白い爺さんだったかもしれないけどな」


「うん」


「この国には、あの人に助けられた人がたくさんいる」


 沿道に年老いた男が立っていた。


 片脚がない。


 軍服。


 杖をつきながら車列に向かって敬礼している。


 その隣では女性が泣いていた。


 リナは少しだけ窓から離れた。


「兄ちゃん」


「何だ」


「私、お爺ちゃんのこと全然知らなかった」


「会ったばかりだからな」


「もっと聞けばよかった」


 ユリウスは答えなかった。


 それに答えはなかった。


     *


 皇宮前広場へ近づくにつれ、人の声が変わった。


 最初は。


 静かな泣き声。


 名前を呼ぶ声。


 敬礼。


 それだけだった。


 やがて。


 別の声が混ざる。


「共和国に報復を!」


 リナが顔を上げた。


「《断界》を殺せ!」


「破軍閣下の仇を!」


 周囲の警備がわずかに緊張する。


「共和国に思い知らせろ!」


「《白冠》を出せ!」


「《天壁》を!」


 そして。


 聞こえた。


「《虚空》を出せ!」


 リナの身体が止まった。


「……」


 もう一度。


「《虚空》を戦場へ!」


「共和国を滅ぼせ!」


「第四特級を遊ばせておくな!」


 リナは隣のユリウスを見る。


「兄ちゃん」


「……ああ」


「あれ」


 声が少し小さくなる。


「私のことだよね」


 ユリウスは嘘をつかなかった。


「そうだ」


 リナは窓の外を見る。


 知らない人たち。


 誰一人。


 リナを知らない。


 なのに。


 《虚空》は知っている。


「私、あの人たちと話したことない」


「ああ」


「なのに、私に戦えって言ってる」


「ああ」


「……変なの」


 それ以上は言わなかった。


 ユリウスも何も足さなかった。


     *


 国葬は、リナが想像していたよりずっと静かだった。


 巨大な式場。


 黒。


 白。


 帝国旗。


 軍旗。


 中央に置かれた棺。


 その上には、エルネストが使っていた軍帽と《破軍》の黒い特級徽章。


 大勢いるのに、ほとんど誰も喋らない。


 リナはアルベルトの隣に座っていた。


 父の反対側にはユリウス。


 少し離れてクラウディア。


 前方には皇帝。


 白冠ミレイア。


 天壁サイラス。


 皇帝が立つ。


 長い追悼文だった。


 リナには全部は分からない。


 戦争の名前。


 作戦の名前。


 勲章。


 守った星。


 救った艦隊。


 何十年。


 何百の戦場。


 でも。


 一つだけ。


 よく分かった。


 お爺ちゃんは。


 本当に。


 ずっと戦っていた。


 皇帝の後、軍人たちが次々に弔辞を読む。


 泣く人はいない。少なくとも、壇上ではみんな、ちゃんとした声で、ちゃんとした言葉を使う。


 リナは少し不思議だった。


 あんなに人が死んだのに、みんなよく喋れる。


「父ちゃん」


 小声で聞く。


「何だ」


「みんな泣かないね」


 アルベルトは前を向いたまま答えた。


「泣いている」


「どこで?」


「見えないところで」


「父ちゃんも?」


「……ああ」


 リナは父の横顔を見た。


 それ以上は聞かなかった。


     *


 最後に、参列者が一人ずつ棺の前へ花を置く。


 アルベルトの番。


 父は花を置き、敬礼した。


 長かった。


 リナが今まで見た。


 どの敬礼よりも。


 それから。


 小さな声で。


「ありがとうございました」


 それだけ。


 次はリナだった。


 花を持つ。


 前へ歩く。


 黒い靴。


 認定式の時みたいにつまずかないように。


 ちゃんと。


 ゆっくり。


 棺の前。


「……」


 何を言えばいいのか。


 考えてきた。


 ありがとう。


 さようなら。


 いっぱい教えてくれて。


 学校頑張る。


 全部。


 言おうと思った。


 でも。


 目の前に立ったら。


 出てこなかった。


「……お爺ちゃん」


 やっと。


 それだけ。


 ゴルの時にも。


 もっと話せばよかったと思った。


 同じ後悔を、こんなに早く、もう一度するとは思わなかった。


 周囲の軍人がほんの少し反応した。


 帝国第一特級。


 元帥。


 英雄。


 その棺へ。


 十歳の少女が。


 お爺ちゃん。


「昨日ね」


 リナは続けた。


「魔力球、浮かせられたよ」


 誰かが息を呑んだ。


「ちゃんと。天井壊さなかった」


 声が少し震える。


「学校、行っとれって言ったから」


 花を置く。


「行ってるよ」


 そこで、言葉が止まった。


 涙はまだ出なかった。


「……だから」


 唇を噛む。


「そっちも、ちゃんと休んでね」


 一礼する。


 クラウディアに習った。


 まだ。


 あまり上手くない礼。


 それでも。


 今日は。


 誰も直さなかった。


     *


 式が終わったあと、リナは皇宮の庭にいた。


 人の少ない場所。


 大きな木。


 石のベンチ。


 そこへ白冠ミレイアが来た。


「隣、いいか」


「うん」


 ミレイアが座る。


 今日は白い軍装ではない。


 黒い礼装。


 それでも、銀髪と薄く浮かぶ冠状の魔導環のせいで、すぐ彼女だと分かる。


「泣かないんだな」


 リナが言う。


「泣いた」


「いつ?」


「朝」


「そうなんだ」


「鏡の前で」


「一人で?」


「ああ」


「なんで一人?」


 ミレイアは少し考える。


「皇族だから、かな」


「よく分かんない」


「私も時々分からない」


 リナは少しだけ笑った。


「白冠さんも分かんないことあるんだ」


「たくさんある」


「特級なのに?」


「魔力と頭の良さは別だ」


「兄ちゃんも言いそう」


「賢い兄だな」


「うん。たまに」


「たまにか」


 今度はミレイアも少し笑った。


「エルネストは」


 しばらくして、彼女が言った。


「私が子供の頃から、あのままだった」


「お爺ちゃん?」


「そう。うるさくて、頑固で、人の話を聞かない」


「分かる」


「だろう?」


「でも謝れる」


 ミレイアがリナを見る。


「……そうだな」


「父ちゃんに嫌なこと言って、謝った」


「それは珍しい」


「珍しいの?」


「ものすごく」


「じゃあ父ちゃんすごい?」


「たぶんリナがいたからだ」


「私?」


「ああ」


 ミレイアは少し遠くを見る。


「エルネストは、強い人間だった」


「うん」


「ただ」


 声が少し変わる。


「強い人間ほど、間違えてはいけないと考えていた」


 リナは黙って聞く。


「私が若い頃、力があるなら何でも救えると思っていた」


「白冠さんも?」


「ああ」


「お爺ちゃんと同じだ」


「そうだな」


「みんな一回そうなるの?」


「特級は、なりやすいのかもしれない」


 ミレイアの手が膝の上で握られる。


「今でも私は思う。力があるなら、使う責任がある」


「戦うってこと?」


「戦うことも。救うことも。守ることも」


「……」


「力があるのに、『私は関係ありません』と言って全部から逃げるのは違うと思っている」


 リナは少し考えた。


「それ、私にも?」


 ミレイアはリナを見る。


「いずれは」


「今は?」


「十歳だ」


 即答。


 リナが目を丸くする。


「白冠さん、戦わせる派じゃないの?」


「誰がそんなことを言った」


「なんとなく」


「私は責任を持てと言っている。国の都合で子供を投げ込めとは言っていない」


「違うの?」


「全然違う」


「難しい」


「だから学校へ行け」


 リナは思わず笑った。


「お爺ちゃんもそれ言った」


「なら、元帥命令だ」


「元帥死んじゃったよ」


「……死んでも有効だ」


「ずるい」


「軍隊とはそういうものだ」


     *


「二人とも」


 低い声。


 サイラスが来た。


 黒い礼装。


 眼鏡。


 今日も。


 やっぱり先生っぽい。


「先生」


「先生ではない」


 反射だった。


 ミレイアが吹き出した。


「サイラス。こんな日くらい諦めろ」


「何をです」


「先生」


「嫌です」


 リナが少しだけ笑う。


 サイラスはその顔を見て、ほんの少し安心した。


「リナ」


「うん」


「外の声を聞いたか」


 笑顔が消えた。


「《虚空》を出せ、ってやつ?」


「ああ」


「聞いた」


「どう思った」


「嫌だった」


「なぜ」


「知らない人が私の名前使って、知らない人を殺せって言ってるから」


「……二つ名だ」


「私のだよ」


「そうだな」


 サイラスは訂正しなかった。


「共和国は嫌い?」


 リナがすぐ答える。


「今は嫌い」


「《断界》カールは?」


「嫌い」


「殺したい?」


 ミレイアがサイラスを見る。


 少し強い視線。


 だが、止めなかった。


 リナはしばらく考えた。


「……分かんない」


「そうか」


「ずるいって思う」


「何が」


「お爺ちゃんは死んだのに、殺しに来た人は生きてる」


「ああ」


「だから、死んじゃえばいいって思う時もある」


 リナは自分の手を見る。


「でも」


「うん」


「本当に私が殺すってなったら」


 顔をしかめる。


「嫌」


 サイラスは静かに頷いた。


「それでいい」


「いいの?」


「今、答えを決める必要はない」


「でも特級なんでしょ?」


「特級だからこそだ」


「……」


「十歳の怒りで国家の戦争方針を決めるな」


 リナがむっとする。


「子供扱い」


「子供だ」


「特級だけど」


「両立する」


「クラウディアさんと同じこと言う!」


 ミレイアが少し笑った。


「珍しく正論だ」


「珍しくは余計です」


     *


 三人。


 庭のベンチ。


 少し。


 妙な沈黙。


 リナ。


 ミレイア。


 サイラス。


 帝国の。


 残された三人の特級。


 昨日まで四人だった。


「ねえ」


 リナが言う。


「うん?」


 ミレイアが見る。


「これから三人で戦うの?」


 サイラスが答える。


「できれば戦わない」


「でも共和国、また来るかも」


「ああ」


「じゃあ?」


 ミレイアは少し考える。


「まず、私たちが前に出る」


「私たち?」


「私と天壁」


「なんで?」


「大人だから」


「私の方が強いかもよ?」


「それでもだ」


 サイラスが答えた。


「強さだけで順番を決めるな」


「……」


「戦場へ行くということは、敵を倒すことだけではない」


「お爺ちゃんもそんなこと言ってた」


「なら聞いておけ」


「二回聞いたら分かる?」


「三回目もある」


「えー」


「学校でもそうだろう」


「先生みたい」


「だから先生ではない!」


 ミレイアがまた笑った。


 リナも少しだけ笑った。


     *


 その日の夕方。


 皇帝の執務室へ三人は呼ばれた。


 リナは、アルベルトも一緒。


「リナリエッタ」


「リナでいいよー」


 アルベルトが額を押さえる。


「陛下の前だぞ」


「昨日我慢した」


「今日も我慢しろ」


「ではリナ」


 皇帝が言った。


「陛下」


 アルベルトが止めようとする。


「よい」


「でも」


「私も長い名を毎回呼ぶのは疲れる」


 リナの目が少し輝く。


「皇帝さん話分かる」


「リナ!」


「はっはっは」


 皇帝は笑った。


 だが、すぐ真顔へ戻る。


「外の声は聞いただろう」


「うん」


「《虚空》を戦場へ出せという声だ」


「うん」


「軍内部にもある」


 アルベルトの顔が硬くなる。


「陛下」


「隠しても仕方あるまい」


 皇帝はリナを見る。


「聞く」


「何?」


「共和国が怖くないか」


「怖い」


「断界が憎くないか」


「憎い」


 皇帝の目が少し細くなる。


「なら、戦いたいか」


 リナはすぐには答えなかった。


「……分かんない」


「そうか」


「でも」


「何だ」


「今すぐ殺しに行けって言われるのは嫌」


「理由は」


「怒ってるから」


「……?」


「今の私が行ったら」


 リナは黒い徽章を触る。


「たぶん、壊しすぎる」


 部屋が静かになった。


「お爺ちゃんが言ってた」


 リナは続ける。


「自分が怖くなくなった特級は信用しないって」


「……」


「今、私、カールさんって人を消したらすっきりするかもって思う」


 アルベルトが娘を見る。


「だから」


 リナは少し怖そうな顔で、自分の手を見る。


「行かない方がいいと思う」


 ミレイアがゆっくり目を閉じた。


 サイラスは何も言わない。


 皇帝も長いあいだ黙っていた。


「十歳にしては」


 ようやく、皇帝が口を開く。


「上出来な答えだ」


「子供扱い」


「十歳だからな」


「みんなそれ言う」


「皆が正しいのだろう」


「むー」


 そして。


 皇帝は軍務大臣へ向く。


「当面、《虚空》は軍籍に置かない」


「陛下!」


 軍人が立ち上がる。


「しかし共和国は――」


「知っている」


「我が国は第一特級を失いました!」


「知っている」


「だからこそ第四特級を――」


「十歳だ」


「特級です!」


「両方だ」


 皇帝の声が重くなる。


「どちらかだけを見るな」


 軍務大臣が歯を食いしばる。


「では、何もしないと?」


「誰が言った」


 皇帝が白冠と天壁を見る。


「教育する」


 リナが首を傾げる。


「学校?」


「学校もだ」


「も?」


「特級としての力の扱いを学べ」


 ミレイアが頷く。


「私が攻撃・広域制御を見る」


 サイラスも短く頷いた。


「私は防御と制御を」


「二人とも先生になるの?」


「教官だ」


 サイラスが即答する。


「先生じゃん」


「教官だ!」


 皇帝がほんの少し笑う。


「そして」


 空気が再び重くなった。


「帝国は共和国へ即時報復しない」


 軍務大臣が顔を上げる。


「陛下」


「ただし」


 皇帝は続ける。


「次に我が国の特級へ同様の攻撃が行われた場合」


 誰も口を挟まない。


「その時は、別だ」


 リナにも、それがどういう意味か、なんとなく分かった。


     *


 夜。


 リナは黒い特級徽章を机の上へ置いた。


 その隣。


 学校の教材。


 帝国語。


 算術。


 魔法基礎。


 黒い徽章と教科書。二つを交互に見る。


「……」


 扉を叩く音。


「誰?」


「僕」


「兄ちゃん」


 ユリウスが入ってくる。


「何してる」


「見てた」


「何を」


「これ」


 徽章。


「と、これ」


 教科書。


「どっちも嫌?」


「違う」


 リナは少し考える。


「どっちが私なのかなって」


 ユリウスは一瞬だけ黙った。


 それから。


「両方じゃないか」


「そうなの?」


「侯爵令嬢で、妹で、学生で、特級で」


「いっぱいあるね」


「人間はそういうものだ」


「兄ちゃんは?」


「僕?」


「お兄ちゃんと、侯爵になる人と、学生?」


「あと母上の息子」


「父ちゃんの息子」


「そうだな」


「私のお兄ちゃん」


「それは最初に言った」


「大事だから二回」


 ユリウスが少し笑う。


「なら」


 リナは黒い徽章を教科書の隣へ置いた。


「明日は学校行っていいんだよね」


「ああ」


「魔力基礎ある」


「天井は壊すなよ」


「もう壊さない!」


「この前は壊しただろ」


「あの時より上手くなった!」


「じゃあ期待してる」


「見てて」


「僕は高等部だ」


「見に来て」


「授業がある!」


 リナはニカッと笑った。


 外ではまだ、共和国へ報復しろという声が帝都のあちこちで上がっていた。


 《虚空》を出せ。


 第四特級を戦わせろ。


 その声はこれからもっと大きくなる。


 けれど。


 翌朝。


 帝国第四特級《虚空》リナリエッタ・レーヴェンは。


 制服を着て。


 鞄を持って。


 学校へ行った。

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