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灰の星の神子  作者: Tatsumaru


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第十一章 破軍2

 《破軍》が、本気になった。


 その事実を最初に理解したのは、カール本人だった。


 次に共和国の観測班。


 そして数秒遅れて、レオニス回廊に存在するあらゆる軍用観測機が同じ結論へ到達した。


 数値ではない。


 数値は、とっくに意味を失っていた。


 ただ。


 それまで広がっていた魔力が一点へ集まった。


「退避!」


 共和国側の観測員が叫ぶ。


「全艦、さらに後退! 射線予測不能!」


 遅い。


 エルネストが腕を振った。


 それだけだった。


 魔法陣もない。


 詠唱もない。


 何かが飛んでくるようにも見えない。


 だがカールは、ほとんど反射だけで空間を切り開いた。


 自分の正面。


 そこに存在する距離そのものを、横へずらす。


 直後。


 カールがいた場所の後方。


 何万キロも離れていた無人天体が。


 消えた。


 砕けたのではない。


 一瞬で圧潰し、灼熱の破片となって四散した。


「……冗談だろ」


 カールの口から珍しくそんな言葉が漏れた。


『カール!』


 通信にアナスタシアの声が飛び込む。


『今の何!?』


「破軍だ」


『見れば分かるわよ!』


 第二撃。


 カールは身体を捻った。


 空間転移。


 一度。


 二度。


 三度。


 全部。


 読まれている。


「逃げ足だけは昔から一流じゃな!」


 エルネストの声が響いた。


「褒め言葉として受け取っておく」


「そうしろ!」


 第四撃。


 逃げる。


 第五撃。


 切る。


 第六撃。


 受け流す。


 七撃目で、カールの右脚が消えた。


「っ……!」


 腰から下。


 半分。


 再生が始まる。


 だが。


 その前に、エルネストが目の前にいた。


「遅い」


 拳。


 ただの拳に見えた。


 カールは両腕を交差させる。


 空間障壁を十三層重ねる。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 全部。


 破られた。


「がっ!」


 身体が飛ぶ。


 背後の空間を切り、勢いを殺す。


 殺し切れない。


 胸骨が砕け、肺が潰れた。


 再生。


 追いつかない。


『カール!』


「うるさい」


『誰が心配してると思ってんの!』


「知っている」


『撤退して!』


「できない」


『できるでしょ! 空間切って帰ってきなさい!』


「追ってくる」


『……』


 それだけで、アナスタシアも黙った。


 今、背中を向ければ、《破軍》は追う。共和国領まで追える。


 そして、今のエルネストを共和国本土の近くへ連れて帰るなど、できるはずがなかった。


「お前さん」


 エルネストが血まみれの口元を拭った。


「最初からこれを狙っとったんじゃな」


「何を」


「儂が守りに回ることじゃ」


 カールは答えない。


「艦隊。惑星。民間船。全部」


 エルネストの胸から、まだ血が流れている。


 先ほど、身体の内側へ直接入れられた切断。


 傷自体はほぼ塞がっていた。


 だが。


 魔力の流れが完全には戻っていない。


「最初の数手で儂の内側を切る。その後は逃げながら傷を積む」


「……」


「長引けば儂が勝つ。だから最初で決めに来た」


「そうだ」


 カールは認めた。


「まともに正面からやれば、俺の方が不利だ」


「はっ」


 エルネストが笑う。


「ずいぶん素直じゃないか」


「勝ちに来たのであって、誇りを見せに来たわけではない」


「そういうところは嫌いじゃない」


「光栄だ」


「じゃが」


 老人の目が鋭くなる。


「人を殺しに来た奴が、殺される覚悟だけ置いてくるなよ」


 魔力が再び収束した。


     *


「……あれ」


 帝国中央魔法学院。


 リナは窓の外を見ていた。


 授業は中断されていた。教室の端末では緊急報道が続いている。詳細な戦況は、当然、子供たちには流されない。


 ただ。


 交戦継続。


 周辺宙域避難。


 軍の警戒。


 それだけ。


「どうした?」


 カイルが聞く。


「さっきより」


 リナは胸へ手を当てた。


「大きくなった」


「何が」


「分かんない」


 遠く。


 見えない。


 場所も知らない。


 でも。


 感じる。


 昨日。


 エルネストの近くに立った。


 巨大な山みたいだと思った。


 今。


 その山が。


 燃えている。


「先生」


 リナが立った。


「座っていなさい」


「でも」


「あなたへ出動命令はありません」


「分かってる」


「なら」


「聞くだけ」


 教師を見る。


「私が行ったら、邪魔?」


 教師はすぐには答えられなかった。


 子供へ。


 何を言えばいい。


 十歳。


 だが。


 特級。


「……分かりません」


 教師は正直に答えた。


「私には、特級同士の戦闘を判断する知識がありません」


「そっか」


「ただ」


「うん」


「今ここから飛び出すのは違うと思います」


 リナは少し考えた。


「なんで?」


「あなたは状況を知らない」


 その言葉はリナへ届いた。


「誰がどこにいるか。何を守っているか。どちらが何をしようとしているか。何も知らない」


「……うん」


「力があることと、正しい判断ができることは同じではありません」


 リナはゆっくり座った。


「分かった」


 カイルが少し驚いた顔をする。


「行かないの?」


「うん」


「いいのか?」


「分かんないから」


 リナは自分の手を見る。


「分かんないのに行って、もっと大変になったら嫌だし」


 怖かった。


 待つのも。


 怖い。


 だけど。


 昨日。


 エルネストは言った。


 学校へ行っとれ。


 だから。


 今は。


 ここにいる。


     *


 戦場では、守る側と殺す側の差が、ようやく消えていた。


 エルネストはカールだけを見ている。


 帝国艦隊は遠い。


 民間船も避難が進んだ。


 居住惑星への射線も可能な限り外した。


 そのために、最初の傷を負った。


 なら。


 後は。


「行くぞ、若造」


「俺は四十六だ」


「儂から見りゃ若造じゃ!」


 カールが空間を切る。


 十六の斬撃。


 上下左右。


 さらに。


 距離を無視して内側へ。


 エルネストは避けなかった。


 魔力を全身から放つ。


 切断された空間が押し戻される。


「な――」


 カールの目が初めて大きく開いた。


「空間を……押した?」


「知らん!」


「知らんでやるな!」


「邪魔じゃったから押しただけじゃ!」


 理屈も。


 技巧もない。


 カールにとって最も嫌な相手だった。


 自分が積み上げてきた技術を圧倒的な魔力で無理やり成立しなくする。


「化け物……!」


「それ二回目じゃぞ!」


 破軍の一撃。


 カールは空間を十二回飛んだ。


 追ってくる。


 十三回。


 まだ。


 十四。


 十五。


 十六。


 視界が白くなる。


「くっ!」


 回避を諦める。


 空間切断を。


 正面へ集中。


 破軍の魔力を。


 切る。


 切る。


 切る。


 それでも。


 残った。


 ほんの一部。


 直撃。


 カールの身体が。


 半分。


 吹き飛んだ。


     *


「――カール!」


 アナスタシアが叫んだ。


 観測画面。


 《断界》の魔力反応が一瞬、ほとんど消えた。


「生体反応!」


「あります!」


「魔力器官、深刻な損傷!」


「空間転移を確認!」


「どこ!?」


「戦域内です!」


「なんで帰ってこないのよ!」


「座標固定が安定していません!」


 アナスタシアの顔から完全に笑顔が消えていた。


「救援に出ます」


「星喰閣下!」


「行く」


「命令がありません!」


「知るか!」


「あなたまで戦域へ入れば帝国側の白冠か天壁が動きます!」


 その一言で、アナスタシアの足が止まった。


「……」


 そうだ。


 自分が行けば。


 二対一になる。


 帝国は。


 必ず動く。


 白冠。


 天壁。


 あるいは。


 《虚空》。


「……最悪」


 アナスタシアが両手で顔を覆った。


「こうなるから嫌だったのよ……」


 行けば。


 助けられるかもしれない。


 行けば。


 さらに戦争が広がる。


 自分が動けば。


 誰かが動く。


 誰かが動けば。


 その誰かを止めるため。


 別の誰かが動く。


 特級という存在そのものが鎖のように国と国を結んでいる。


「カール」


 小さな声。


「死んだら許さないから」


     *


 カールは自分の身体を正確に把握していた。


 右腕。


 ない。


 左脚。


 再生途中。


 胸部。


 欠損。


 魔力器官。


 損傷。


 再生能力が露骨に落ちている。


 このままでは。


 負ける。


 いや。


 もう。


 戦闘能力だけなら。


 負けている。


 エルネストも。


 無傷ではない。


 最初の内側への切断。


 その後。


 カールが積み上げた傷。


 魔力器官へ。


 確実に。


 残っている。


 なのに。


 まだ。


 あの老人は。


 立っている。


「……強いな」


 カールが言った。


「今さらか」


 エルネストも息は荒い。


「共和国の評価よりずっと強い」


「なら帰って評価書き直せ」


「そうしたい」


「なら帰れ」


「できない」


「頑固者じゃな」


「お前に言われたくない」


 エルネストは少し笑った。


「そうじゃな」


 一瞬。


 戦場とは思えない静けさ。


「一つ聞く」


 エルネストが言った。


「何だ」


「あの赤毛は元気か」


 カールはほんのわずか目を細めた。


「アナスタシアか」


「あいつ以外におるか」


「元気だ」


「相変わらず口が多いか」


「多い」


「そうか」


「会いたいなら生きろ」


「共和国へ行ったら撃たれるじゃろ」


「お前なら普通に来そうで困る」


「はっはっは」


 老人が。


 笑う。


 その直後。


 咳き込んだ。


 血が口元へ流れる。


 カールは見逃さない。


 エルネストも隠さなかった。


「時間がないな」


「お互いな」


 カールが。


 立つ。


 再生途中の身体。


 それでも。


 空間が。


 もう一度。


 彼の周囲で歪む。


「次で決める」


「奇遇じゃな」


 エルネストが。


 腕を上げる。


 巨大な魔力は、もう最初ほど安定していない。


 それでも。


 カールがこれまで受けたどの攻撃より、大きい。


「来い」


 《破軍》は言った。


「共和国特級《断界》」


 カールも構える。


「行くぞ。帝国第一特級《破軍》」


 二人の魔力が同時に動いた。


     *


 後世。


 この瞬間を、共和国側の記録は十二種類の分析で残した。帝国側は、二十七の観測記録と三名の上級観測者の証言を照合した。


 それでも、何が起きたのか完全には再現できなかった。


 ただ、結果だけは明確だった。


 エルネストの魔力が宇宙を埋めた。


 真正面。


 カールは逃げなかった。


 逃げれば終わる。全ての空間切断を一点へ集める。破軍の魔力を切る。


 十。


 百。


 千。


 空間そのものが悲鳴を上げる。


 それでも。


 押してくる。


「――っ!」


 切り切れない。


 カールは。


 最後に。


 一つだけ。


 自分のために残していた空間を。


 使った。


 防御ではない。


 回避でもない。


 エルネストの。


 身体の内側。


 最初に傷をつけた場所。


 そこへ。


 もう一度。


 刃を通す。


 エルネストの目が見開かれた。


 同時に、破軍の魔力がカールへ届いた。


     *


 共和国司令部。


 観測画面が真っ白になった。


「反応消失!」


「どっち!?」


「分かりません!」


「観測網が!」


「再接続!」


「急いで!」


 アナスタシアは息をしていなかった。


 数秒。


 十秒。


 たった。


 それだけ。


 なのに。


 一生のように長かった。


「反応一!」


 誰かが叫ぶ。


「誰!?」


「断界!」


 アナスタシアの膝から一瞬、力が抜けた。


「カール……」


「ただし極端に弱い!」


「位置は!」


「戦域外へ転移開始!」


「誘導して! 医療班全部!」


「はい!」


「破軍は!?」


 返事がない。


「エルネストは!」


 観測員がゆっくり振り返った。


「……反応」


 声が震える。


「ありません」


 アナスタシアは。


 動かなかった。


 喜べなかった。


 カールが生きている。


 その事実だけなら。


 叫びたいほど嬉しい。


 なのに。


「……馬鹿」


 誰へ言ったのか。


 自分でも。


 分からなかった。


     *


 エルネスト・バルトは。


 まだ。


 生きていた。


 ほんの。


 わずかに。


 魔力反応が消えたのは魔力器官がほぼ完全に切断されたからだった。


 再生。


 しない。


 特級でも。


 治せない傷がある。


「……やりおった」


 声が。


 出た。


 自分でも。


 少し笑った。


 カールの姿は。


 もう見えない。


 最後の一撃。


 殺し切れなかった。


 いや。


 あれで生きているなら。


 大したものだ。


「若造が……」


 身体が。


 動かない。


 それでも。


 感知だけは。


 まだ少し残っていた。


 帝国艦隊。


 遠い。


 無事。


 民間航路。


 ほぼ退避完了。


 居住惑星。


 残っている。


 よかった。


「元帥!」


 通信。


 誰かが叫んでいる。


「元帥! 応答してください!」


「うるさい」


『閣下!』


「聞こえとる……」


『救助を! 今すぐ向かいます!』


「来るな」


『しかし!』


「まだ……空間が荒れとる」


『元帥!』


「待て」


 自分でも。


 分かっている。


 もう。


 待っても。


 助からない。


 それでも。


 艦隊を。


 最後まで。


 遠ざける。


「……まったく」


 思い出す。


 昨日。


 銀髪の。


 小さな少女。


『お爺ちゃんも食べる?』


 焼き菓子。


 甘かった。


「学校……」


 息を吸う。


 苦しい。


「行っとれよ」


 聞こえる相手はいない。


 それでいい。


 十歳の子供に、こんな戦場の最後の言葉を背負わせる必要はない。


 エルネストは目を閉じた。


 帝国第一特級。


 元帥。


 《破軍》。


 敵軍から。


 星を守り。


 何度も。


 人を殺し。


 何度も。


 人を助けた。


 七十四年。


「……まあ」


 老人は最後に、ほんの少し笑った。


「悪くない」


 そして。


 魔力が完全に消えた。


     *


 帝国中央魔法学院。


 リナは突然、顔を上げた。


「……あ」


 何か。


 消えた。


 遠くにあった。


 大きな山。


 燃えていたもの。


 それが。


 なくなった。


「リナ?」


 カイルが呼ぶ。


 リナは答えなかった。


 教室の端末が数分後、新しい通知を表示した。


 教師がそれを見る。


 顔が変わった。


 そして。


 すぐには。


 読み上げなかった。


「先生?」


 リナが聞く。


 教師は一度、目を閉じた。


「……リナさん」


「うん」


「こちらへ」


「何?」


「……」


 教師は。


 迷った。


 だが。


 この子だけ後から知ればいいとは思えなかった。


「帝国軍から、正式発表がありました」


 教室中が静かになる。


「帝国第一特級、エルネスト・バルト元帥が」


 そこで、声が詰まった。


 リナは、もうなんとなく分かっていた。


「共和国特級《断界》との交戦により――」


 昨日。


 笑っていた。


 頭を叩かれた。


 学校へ行っとれと言われた。


「戦死されました」


 リナは。


 何も言わなかった。


 泣きもしなかった。


 ただ。


 しばらく。


 机の上に置かれた。


 小さな訓練球を。


 見ていた。


 ようやく。


 壊さず。


 浮かせられた球だった。

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