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雨巫女さまじゃなくて、秋雨ちゃんと呼びたかった。  作者: 氷澄そら
第2章 友達になったばかりの雨。
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第9話 撮りたいもの、撮れないもの。

 翌朝の神社は、昨日より乾いていた。

 昨日、秋雨(あきさめ)と座った木陰のベンチも、今日は最初から乾いている。

 まひるはスマホを握り直して、社務所の前に立つ秋雨を見つけた。

 白いシャツに、薄い青のカーディガン。

 手首には、白と青の紐が結ばれている。


「秋雨ちゃん」

「まひるちゃん。おはよう」

「おはよう。眠そう」

「うん。今日は布団を倒してきた。やるぞーってね」

「布団は敵じゃないよ」

「でも、朝は敵だから」


 秋雨はそう言って、小さく笑った。

 その笑い方は、昨日の雨の中にいた雨巫女さまではなく、まひると並んで話している秋雨ちゃんのものだった。

 だからこそ、まひるは少し安心した。


「今日は、どこから見る?」

「雨巫女に関係ありそうなところ」

「ざっくりしてるね」

「まだ何が手がかりになるか分からないし」

「それもそうだね」


 秋雨は少し考えてから、社務所の裏手へ視線を向けた。


「じゃあ、水盤からにしようか」

「すいばん?」

「水を張ってある場所。お役目の前に行くことがあるの」

「作法的な?」

「うん。手を清めたり、少し気持ちを整えたりする場所」


 水盤は、社務所の裏手にあった。

 石でできた浅い鉢のようなものに、水が張られている。

 陽が当たると、水面が小さく揺れて光った。

 綺麗だった。まひるはすぐに、そう思った自分に戸惑う。

 ここは、秋雨がお役目の前に来る場所だ。

 泣く前に、手を清める場所だ。


「ここで、手を洗うの?」

「うん」

「涙を流すのに、清めるのは手なんだ」

「涙を拭くのは、指先だからじゃないかな」

「なるほど」


 秋雨は水盤を見ていた。

 嫌なものを見る顔ではなかった。

 それが、まひるには少し不思議だった。


「秋雨ちゃんは、ここ嫌いじゃないの?」

「うん。別にそういうのはないよ」

「泣く前に来る場所なのに?」

「だからかも。ここに来ると、少しだけ気持ちを整えられるから」


 まひるは返事に困った。

 水盤は、秋雨が泣きに行く場所へ続いている。

 でも、秋雨にとっては、泣く前に呼吸を整える場所でもある。

 嫌なものだと決めつけたかったのに、秋雨はそう見ていなかった。

 まひるはスマホに触れかけて、やめた。


「撮らないの?」

「うん。まだ、撮れないなって」


 綺麗だと思えないわけではない。

 でも、ここを写真にしてしまったら、秋雨の涙まで自分のものにしてしまうような気がした。

 それは、なんだか秋雨に悪い気がした。


 秋雨は何も言わなかった。

 ただ、水盤の前に立ったまま、まひるを見ている。

 まひるはスマホをしまいかけて、もう一度持ち直した。


「でも、秋雨ちゃんは撮っていい?」

「私?」

「うん。水盤は撮れないけど、水盤の前にいる秋雨ちゃんは撮りたい」


 秋雨は少しだけ目を丸くした。

 それから、困ったように笑う。


「変な分け方だね」

「そう?」

「うん。でも、まひるちゃんが撮りたいならいいよ」


 まひるは画面を覗いた。

 水盤は、画面の端に少しだけ入る。

 けれど、真ん中にいるのは秋雨だった。

 白と青の紐が、手首で静かに揺れている。

 シャッターを押す。


 小さな音がして、秋雨が写真の中に残った。

 水盤は撮らなかった。

 でも、水盤の前にいる秋雨は撮った。

 今は、それでよかった。


「午後は、準備?」

「うん。少し戻らないといけない」

「……今日は、泣くやつじゃない?」

「今日も、まだ違うよ」

「よかった」


 まひるは息を吐いた。

 安心したのか、そうではないのか、自分でもよく分からなかった。


「終わったら連絡するね」

「うん。じゃあ、それまで探索してる」

「一人で大丈夫?」

「大丈夫。変なところには入らない」

「本当に?」

「たぶん」

「そこは、ちゃんと言い切ってほしいんだけどな」


 秋雨が小さく笑った。

 それから社務所の方へ向き直る。

 まひるは、その背中に声をかけた。


「秋雨ちゃん」

「うん?」

「連絡、待ってる」


 秋雨は振り返って、頷いた。


「うん。待ってて」


 秋雨が社務所へ戻っていく。

 まひるはスマホを握ったまま、水盤の方をもう一度見た。

 雨巫女を辞める方法は、まだ何も分からない。

 でも、水盤を見て、撮れなかった。

 それでも、水盤の前にいる秋雨は撮りたいと思った。


「さて、どこを見て回ろうかな」


 秋雨から連絡が来るまでの時間は、ぽかんと空いていた。

 さて、と言ってみたものの、まひるに行き先があるわけではなかった。

 でも、ただ待っているだけだと落ち着かない。

 まひるはスマホを握り直して、境内の端へ向かった。


 まひるは雨巫女を辞める方法が、そんな簡単に見つかるとは思っていない。

 それでも、手がかり探しという目的があると、足取りが軽くなった。

 それに、秋雨にとって当たり前すぎて通り過ぎてしまうものでも、まひるには違って見えるかもしれない。

 そう思うと、いつもより色んなものが見えてくる気がした。


 社務所の裏手を回ると、軒先に雨合羽が何枚か吊るされていた。

 青、紺、白っぽい灰色。黒は逆に暗夜に馴染みすぎて危ない気もした。

 どれも使い込まれていて、袖の先が日に焼けている。

 まひるは、それらをまとめて一枚撮った。

 秋雨が着たら、青が似合いそうだと思った。


 次に撮ったのは、石段の端に落ちていた木漏れ日だった。

 乾いた石の上に、葉の影が細かく揺れている。

 昨日まで濡れていた場所が、今日は何もなかったみたいに白く光っていた。


(秋雨ちゃんは、こういうの見るのかな)


 まひるは画面を確認しながら、そんなことを思う。

 秋雨は、水の冷たさを「落ち着く」と言った。

 なら、こういう乾いた光のことは、どう言うのだろう。

 「眩しい」だろうか。それとも「朝は苦手」だろうか。


 まひるはまた歩いた。

 神社の端から細い道へ出ると、石垣の隙間に小さな白い花が咲いていた。

 名前は知らない。

 知っていたら、秋雨に教えられたのにと思った。

 秋雨が知っているなら、教えてほしいと思った。


 道の向こうには、古い木の看板が立っていた。

 文字は日に焼けていて、読みづらい。

 雨巫女に関係ありそうで、近づいてみる。


 それは神社の裏手には車を停めないでください、という内容だった。

 手がかりではない。まひるは、がくりと肩を落とした。

 でも、文字のかすれ方が面白かったので撮った。

 秋雨に見せたら「それも撮るんだ」と言われそうだった。


 ――言われたい気がした。

 まひるは、はっとしてスマホを下ろす。


「いや、手がかり探しだから」


 誰に言い訳をしているのか分からない声が、乾いた道に落ちた。

 それでも、足は止まらなかった。



 しばらく歩いて、日差しが真上から少し傾いたころ。

 まひるは神社の外れの小さな東屋を見つけた。

 木の椅子と、低い机。近くに自動販売機はない。

 観光地ではなく、島の人が途中で腰を下ろすための場所なのだろう。


 まひるはそこに座り、ポーチから包みを取り出した。

 宿を出る前に持たせてもらったおにぎりだ。

 ひとつは梅で、もうひとつは塩むすび。

 小さめに握ってもらったから食べやすい。


 まひるは塩むすびの包みを開いた。

 海苔の匂いがする。

 一口かじると、思ったより塩が効いていた。

 朝から歩き回っていた体に、ちょうどよかった。

 おにぎりを食べながら、まひるはスマホの写真を見返した。


 青い雨合羽。乾いた石段。木漏れ日。白い花。かすれた看板。

 水盤へ続く道の曲がり角。石垣の上で丸くなっていた猫。風で揺れていた紙垂。


(手がかりらしいもの、ひとつもなさそうだなぁ)


 まひるは、しばらく画面を見つめた。

 青い雨合羽は、秋雨に似合いそうだった。

 木漏れ日は、朝が苦手だと言っていた声を思い出した。

 白い花は、名前を知らないから一緒に調べたかった。

 かすれた看板を見せたら、少し困った顔で笑ってくれそうだ。

 まひるは、おにぎりを持ったまま固まった。


「……これ、秋雨ちゃんに見せたいやつばっかじゃん」


 声に出したら、余計にそうとしか思えなくなった。

 手がかり探しをしていたはずだった。

 雨巫女を辞める方法につながるものを探していたはずだった。

 なのに、写真の向こうに浮かぶのは、秋雨の反応ばかりだった。


「……笑ってくれるかな」


 この写真を見たら、秋雨は笑うだろうか。

 首を傾げるだろうか。

 それとも「まひるちゃんは面白いところを撮るんだね」と言うだろうか。

 どんな反応でも、まひるはきっと得意になる。


 まひるは残りのおにぎりを口に入れた。

 頬の内側に米粒がくっついて、慌てて水筒のお茶を飲む。

 一人で食べているのに、一人でいる感じがしなかった。


 秋雨はここにいない。

 それなのに、まひるが見たものの先には、何度も秋雨がいた。

 秋雨と一緒に見たら、きっと今とは違う写真になる。

 秋雨に見せたいものが、増えていた。

 それが何なのか、まひるにはまだよく分からない。

 でも、スマホを胸の前で抱えたまま、しばらく離せなかった。



 スマホが震えた。

 画面には、秋雨の名前があった。

 準備が終わったらしい。

 まひるは畳みきっていなかった包み紙を慌てて折り、ポーチにしまった。


 それから、写真の一覧をもう一度だけ見る。

 見せたいものが、思ったよりたくさんある。

 まひるは立ち上がった。


 秋雨ちゃんに会ったら、どれから見せよう。

 そう考えながら歩き出した足は、さっきより弾んでいた。

 雨巫女の手がかりを探すと息巻いた最初の一歩より、秋雨に会いに行くだけの方がよく弾んでいた。


 秋雨からの連絡には、社務所の近くで待っていることが書かれていた。

 まひるがスマホを握ったまま境内の端まで戻ると、社務所の前に秋雨が立っていた。

 服装は午前と同じだった。

 白いシャツに、薄い青のカーディガン。

 けれど、髪は朝よりきれいに整えられていた。

 襟元も、袖口も、さっきよりきちんとしている。

 布団を倒してきた、と笑っていた朝の緩さがそこにはなかった。

 まひると話していた秋雨ちゃんのままなのに、社務所の前に立つ秋雨は、もう雨巫女の顔をしていた。


「秋雨ちゃん」


 まひるが呼ぶと、秋雨は顔を上げた。


「まひるちゃん。待たせた?」

「ううん。探索してたから」

「手がかり、見つかった?」

「うーん」


 まひるはスマホを見下ろした。

 雨巫女を辞める方法は見つかっていない。

 でも、何もなかったわけではない。


「手がかりは見つかってないけど、秋雨ちゃんに見せたい写真はいっぱい撮れた」

「私に?」


 秋雨がまばたきをした。

 まひるは頷いて、写真の一覧を開く。

 青い雨合羽。乾いた石段。木漏れ日。白い花。かすれた看板。石垣の上の猫。

 指で送るたび、秋雨の表情が少しずつ変わった。


「これ、秋雨ちゃんは青が似合いそうだなって」

「雨合羽が?」


 秋雨は複雑な表情を浮かべていた。

 まひるの褒め言葉を受け止められていなかった。


「あとね、こっちは朝が苦手な秋雨ちゃんに見せたかったやつ」

「眩しいね。木漏れ日?」

「うん。眩しいって言うかなって思ったんだけど、本当に言うんだ」

「……綺麗だね」


 まひるは、さっき一人で見返した時とは、写真の見え方が違っていた。

 どの写真も色彩が鮮明になっていて、秋雨の言う通りきれいだなと思った。

 白い花は、名前知らないから一緒に調べたくなったから。

 看板は、秋雨ちゃんに『そこを撮るんだ』って言われそうだったから。

 まひるは一つひとつに、秋雨に見せたくなった理由を伝えた。


「まひるちゃんの写真で見ると、ウチの神社じゃないみたいだね」

「そうなの?」

「なんとなく、ね」


 探索の結果、手がかりは掴めなかった。

 でも、見せてよかった。

 秋雨と一緒に見ると、写真の中にあるものがまた別の意味を持つから。


「ありがとう。見せてくれて」

「次は、歴代の雨巫女の名前があるところ?」

「うん、行こう」


 見せたいものはまだ残っている。

 でも、全部を今見せなくてもいい。

 またあとで、一緒に見ればいい。

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