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雨巫女さまじゃなくて、秋雨ちゃんと呼びたかった。  作者: 氷澄そら
第5章 雨巫女さまと、秘密の気持ち。
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第24話 雨巫女さまに、待ってもらうこと。

「……秋ちゃん、ちゃんと考えてるんだね」


 声は、静かだった。

 秋雨(あきさめ)の肩が揺れた。


「……怒らないの?」

「怒るっていうか……あたしが怒ることじゃないでしょ」

「でも、チハルはいつも頑張ってくれてたし」


 その言葉が、木陰に落ちた。

 まひるは口を挟めなかった。


「いやだって、そもそも、あたしは雨巫女さまじゃないし」


 チハルは笑っている。

 でも、その笑い方は、踏み込んでもいい線を引いているようだった。


「秋ちゃんが決めることなら、あたしには止める権利ないよ」

「チハル」


 秋雨が名前を呼んだ。

 チハルはすぐに手を振った。首も横に振った。


「いや、変な意味じゃなくて。秋ちゃんの人生だしさ」

「それは、そうなんだけど」

「雨巫女さまって、島のものみたいに言われがちだけど、秋ちゃん自身のことでもあるでしょ」


 秋雨の強張っていた表情が緩む。


「だから、知りたいってことだよね?」


 チハルはそう言って、バインダーを開いた。

 秋雨は頷いて応える。


「そういうことなら、見られそうな場所はいくつかあるよ」


 チハルはバインダーから、祭りに使う神社の見取り図を見せてくれた。


「ここに神社の古い記録とか、祭りの道具を置いてる倉庫とかがある。あと、総代さんまわりの資料も、聞き方を考えれば少しは当たれるかも」


 チハルはバインダーの余白に、指で見えない線を引くみたいに順番を作っていった。


「神社の記録は、たぶん古いだけで読めるものもあると思う。でも、しまってある場所がばらばらなんだよね。倉庫にあるものと、社務所に残ってるものと、総代さんの家に移ってるものがあるはず」


 まひるは瞬きをした。

 話が、急に動き出した。

 さっきまで、秋雨の気持ちをチハルに伝えるだけで精いっぱいだった。

 けれど、チハルの口から出てくる言葉は、もう場所と手順を持っていた。


「祭りの道具の倉庫は、あたしも今年から入れるようになったから見られると思う。ただ、勝手に漁ると怒られるから、祭り準備の確認って形にした方がいいかな」

「そんなことまで考えるんだ」


 それはチハルらしい速さだった。

 大事な話を受け取ったら、立ち止まらない。すぐに次の段取りへ移る。

 まひるが言うと、チハルは当然みたいに頷いた。


「考えるよ。聞き方ひとつで、出てくるもの変わるから」


 まひるが頷くより先に、チハルの指は次の項目を叩いていた。


「総代さんまわりは、ちょっと慎重にした方がいい。秋ちゃんが何を調べてるか、そのまま言うと話が大きくなるかもしれないし」


 秋雨の指が、重ねた手の上で小さく動いた。

 チハルはそれを見て、すぐに声を軽くする。


「だから、最初は昔の雨巫女の記録を探してる、くらいでいいと思う。聞かれても嘘はつかないけど、全部は言わない」

「……そういうの、チハルちゃん得意そう」

「得意っていうか、ここだと必要なんだよね。誰に何をどこまで言うかって」


 チハルはそう言って、バインダーの紙を一枚めくった。


「あと、研究所に昔の資料もあるかもしれない。でも、あたしだとツテないんだよね」


 チハルは一瞬だけ、考えるような素振りを見せた。

 そして、すぐにまひるを見て言った。


「だから、研究所の資料は、まひるちゃんから紗和さん経由で聞くのが自然だと思う」


 急に名前を出されて、まひるは背筋を伸ばした。


「お母さんに?」

「うん。まひるちゃんからなら聞きやすいでしょ。雨巫女さまの制度そのものっていうより、昔の記録とか、島に残ってる観測資料とか」


 まひるは、チハルの指先を目で追うだけで精いっぱいだった。

 さっきまで曖昧だった話に、場所と人の名前が次々に結びついていく。


「そういう聞き方なら、変に大ごとにはならないと思う」

「え、あ、うん。聞いてみる」


 まひるは慌てて頷いた。

 返事をしながら、頭の中で母の顔を思い浮かべる。

 何と聞けばいいのか、すぐには分からなかった。

 けれど、チハルはもう次の項目に目を移している。


「あとは……前総代さまも、昔のことはかなり知ってると思う。でも、すぐには難しいかも。会うなら段取りしたいし、秋ちゃんも――」


 そこでチハルの言葉が止まった。

 秋雨の表情が硬くなっていた。

 まひるはその変化に気づいた。


 前総代さま。

 その名前に、秋雨は反応した。

 好き嫌いというより、身体が先に身構えたみたいだった。


「まあ、そこは後で考えよ」


 チハルは軽く言って、バインダーを閉じた。


「いきなり全部は無理。今は祭りの準備もあるし、そもそも誰に何を聞くか考えないとね。下手に聞いて、話が広がっちゃうとよくないし」


 まひるが黙ると、チハルは肩をすくめた。


「雨巫女さまのことだからね。秋ちゃんが何か調べてるってだけで、気にする大人はいると思う」


 チハルの声は軽かった。

 けれど、まひるの手のひらに残っていた汗は引かなかった。


「だから、三日くらいちょうだい」


 チハルは言った。


「調べられる場所と、聞けそうな人を整理する。祭りの準備のシフトも見とく。全部合わせて、秋ちゃんとまひるちゃんが動ける時間、作れると思う」

「チハルちゃん、そこまでしなくても」


 まひるが言うと、チハルは不思議そうにこちらを見た。


「そこまでって?」

「いや、だって、チハルちゃんも忙しいでしょ」

「うんまあ忙しいっちゃあ忙しいけど、これくらいなら平気」


 チハルはさらっと答えた。


「あたし、こういうの得意だから」


 その声は明るかった。

 まひるは頷きかけて、隣の秋雨が動かないことに気づいた。

 チハルもそれに気づいたのか、すぐに笑った。


「そんな顔しないでよ、秋ちゃん。別に無理してないから」

「まだ何も言ってない」

「秋ちゃんは追いつけないとすぐ顔に出るよ」


 チハルはそう言って、バインダーの角で軽く秋雨を指した。

 秋雨は眉を寄せた。

 そのやり取りは、幼なじみらしかった。

 チハルは笑って、秋雨は困ったように受け止める。

 まひるだけが、笑うタイミングを逃した。


「じゃ、今日のところはここまででいい?」


 チハルが言った。


「そろそろ社務所に戻らないと。おじさんたち、放っておくと去年の配置で机並べようとするから」

「去年の配置だと駄目なの?」


 まひるが聞くと、チハルは真顔になった。


「駄目。去年、風通し悪くて奥が暑かった」

「それは駄目だね」

「でしょ。今年は雨の降り方も読みにくいし、雨除けの位置も見直した方がいいんだよね」


 チハルはそこでようやく、いつものように笑った。

 秋雨の表情も緩む。

 まひるはその笑顔を見た。

 けれど、チハルの指はまだバインダーの角にかかったままだった。


「チハル」


 秋雨が呼ぶと、チハルは振り返った。


「ありがとう」


 短い言葉だった。

 チハルは一度だけまばたきをして、それから軽く手を振った。


「まだ何もしてないよ。お礼は、何か見つかってからでいいからね」


 そう言って、チハルは社務所の方へ戻っていった。

 歩き方はいつも通りだった。

 背筋が伸びていて、迷いがない。

 途中で誰かに呼ばれると、すぐに返事をして、バインダーを開く。

 もう次の段取りに入っている。


 まひるはその背中を見送った。

 秋雨も、黙って見ていた。

 晴れた境内の中で、チハルの声が遠くから聞こえる。

 明るくて、よく通る声だった。


「……怒られなかったね」


 まひるが小さく言うと、秋雨はすぐには答えなかった。

 少ししてから、ぽつりと言う。


「うん」


 その返事は低く、そこで止まった。

 まひるは秋雨の横顔を見た。

 秋雨はチハルの背中を見たままだった。

 その目は、さっきチハルが笑った場所から動かなかった。


「でも」


 秋雨が言った。


「チハルは、何も言わなかった」


 チハルはたくさん話した。

 調べる場所も、必要な段取りも、三日ほど時間がいることも。

 けれど、チハル自身がどう思ったのかは、ほとんど言わなかった。


「三日、か」


 まひるは空を見上げた。

 雲はゆっくり流れている。

 雨は降りそうになかった。

 それでも、チハルが残していった三日という言葉だけが、晴れた空の下で重く残っていた。

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