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雨巫女さまじゃなくて、秋雨ちゃんと呼びたかった。  作者: 氷澄そら
第5章 雨巫女さまと、秘密の気持ち。
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23/43

第23話 雨巫女さまと、   。

 その夜、パジャマ姿のまひるは、宿の窓を半分だけ開けていた。

 海から吹いてくる風は、昼間より冷えていた。

 潮の匂いが混じっていて、カーテンの端が揺れている。

 スマホを耳に当てると、向こう側で紙の擦れる音がした。


秋雨(あきさめ)ちゃん、今なに見てるの?」


 まひるが聞くと、秋雨は紙をめくってから答えた。


「祭りの予定表。チハルの空いてる時間、分かると思うから」

「そうなんだ」


 口に出してから、まひるは窓の外へ視線を向けた。

 宿の前の道は暗い。街灯の下でだけ、アスファルトが白く浮かんでいる。

 島の夜は、まひるの町よりずっと静かだった。


「チハル、自分のスケジュールだけ詰めすぎなんだよね。祭りの準備も、神社の手伝いも」

「すごいね、チハルちゃん」

「すごいんだけど、ちょっと心配になるよ」


 秋雨はすぐに答えた。

 まひるは窓枠をなぞっていた指を止めた。

 まひるの知らない予定表の中に、秋雨とチハルの時間が当たり前みたいに並んでいる。

 それは、まひるがこの島に来る前からずっと積み重なってきたものだった。


「――うん。チハル、明日の午後なら余裕ありそう」


 秋雨が言った。


「話すなら、その時かな」

「うん」


 まひるは返事をして、窓枠から指を離した。

 チハルに話す。

 秋雨が、雨巫女を辞めたいかもしれないと思っていることを。

 まだ決めたわけではないことを。

 でも、方法があるなら知りたいと思っていることを。


「秋雨ちゃん」

「なに?」

「わたしが、切り出そうか」


 まひるが言うと、電話の向こうで紙の音が止まった。


「まひるちゃんが?」

「うん。いきなり秋雨ちゃんが言うより、本屋の店主さんの時みたいに、わたしが先に切り出した方が話しやすいかなって」

「それは、うーん」

「それにほら、わたし、島の外の人だし。変なこと言ってもまあ許されそうだし」

「それは違うと思う。まひるちゃんはもう立派に島の人だよ」


 秋雨の声は真面目だった。

 まひるは肩をすくめる。

 でも、すぐに、小さな鼻息みたいなものが聞こえる。

 笑ったのだと、まひるはそれで分かった。


「でも、もしもの時はお願いしてもいい?」


 秋雨は言葉を選ぶように続けた。


「私、本当は自分で言いたい。でも、最初の一言を出せる自信がないから……」

「うん。じゃあそうなったら、わたしが切り出すよ」


 まひるは頷いた。

 電話だから秋雨には見えていないけど、頷きたかった。


「でも、辞めたい気持ちがあることや私の思ってることは、私が言う。言わせてほしい」


 秋雨の声は芯があった。

 小さくても、逃げてはいなかった。


「わかった」

「明日、一緒に来てくれてありがとうね」

「友達だからね」

「うん、ありがとう」


 夜風がカーテンを膨らませる。おやすみを告げて、電話を切る。

 布の端がまひるの頬に触れて、まひるは窓を閉めた。



 翌日の午後、空は晴れていた。

 白い雲が流れて、木々の影が石畳の上で揺れている。


 神社の境内には祭りの準備の気配が増えていた。

 倉庫の前には折りたたまれた机や木箱が積まれている。

 社務所の軒先には、紐で束ねられた紙垂が置かれていた。


「まひるちゃん、こっち」


 秋雨が手招きした。

 秋雨は白いTシャツに、薄い水色の羽織もの。下は色の落ちたジーンズ。

 雨巫女さまというより、休日に神社の手伝いへ来た同年代の子に見えた。


 まひるは自分の服の裾を軽く引いた。

 宿で選んできた薄い黄色のブラウスは、島の日差しの中では少しだけよそ行きに見える。

 短めのパンツにスニーカーを合わせてきたのは正解だった。

 境内の石畳は、晴れていても思ったより歩きにくい。


 その先に、チハルがいた。

 チハルは片手にバインダーを抱えて、もう片方の手でメモを確認している。

 紺色のTシャツに動きやすそうな七分丈のパンツ、腰には薄いタオルを引っかけていた。

 祭りの準備に混ざるための格好で、見た目だけなら一番忙しそうだった。

 近くにいた大人に何かを聞かれ、顔を上げて答える。

 答え終わると、すぐ次の紙へ目を移していた。


「チハル」


 秋雨が声をかけると、チハルは顔を上げた。

 そして、まひると秋雨を見比べる。

 目が丸くなる。


「あれ」

「なに?」


 秋雨が聞き返す。

 チハルはバインダーを胸元に寄せて、にやっと笑った。


「いや。ちゃんと仲直りしたんだなって」


 まひるは返事に詰まった。

 秋雨も視線を横に逃がす。

 その反応が並んだせいで、チハルの笑みが深くなった。


「え、なにその反応。分かりやす」

「別に、喧嘩してたわけじゃないし」


 まひるが言うと、チハルは片眉を上げた。


「へえ。そういうことにしとく?」

「そういうことにしといて」


 まひるの照れ隠しに、チハルは笑った。

 その明るさを見て、まひるは一度だけ息を整える。

 今日話すことは、その明るさに甘えていいものではなかったからだ。


「チハル、時間ある?」


 秋雨が聞いた。

 チハルはバインダーを開き、挟んである紙に目を落とす。


「このあと社務所に行くんだけど、今日はゆとりあるから、三十分ないぐらいなら時間取れるよ」


 その返事は早かった。

 いつものチハルだった。

 だからこそ、これから言うことが重たく感じた。


「大事な話があるの」


 まひるが言うと、チハルの表情から笑みが引いた。

 相手の言葉を、きちんと受け取る顔になった。


「うん。三十分で足りる?」

「足りなかったら、また時間を作ってほしい」


 チハルはバインダーを閉じた。


「わかった、いいよ。場所、変える?」

「お願い」


 秋雨が答え、三人は境内の端へ移動した。

 社務所から離れた、木陰になっている場所だった。

 石段の横に低い石垣があり、その上に落ち葉が溜まっている。

 祭り準備の声は聞こえるけれど、言葉までは届かない。


 チハルは石垣に腰を預けた。

 秋雨は立ったまま、手を前で重ねている。

 まひるは二人の間に立ちかけて、足を止めた。


「チハルちゃん」


 秋雨の隣で、まひるは息を吸った。


「わたしと秋雨ちゃん、調べたいことがあるの」

「調べたいこと?」

「雨巫女さまのこと」


 チハルの目が、まひるから秋雨へ移った。

 その動きは速かった。

 秋雨は逃げなかった。ただ、重ねた手に力を入れた。


「秋雨ちゃんが、雨巫女さまのことを、ちゃんと知りたいって思ってる」


 まひるは言葉の端を探しながら、チハルに伝えようとしていた。

 どこまで言えばいいのか。どう言えば、秋雨の気持ちを勝手に決めつけずに済むのか。


「チハルちゃんにも、知っておいてほしいと思った」

「そうなんだ」

「う、うん」

「で、なんでそれをまひるちゃんが教えてくれるの?」


 チハルの目線が鋭くなった。秋雨は小さく頷いた。

 木陰に半歩入ったせいで、秋雨の頬だけ色が抜けて見えた。

 それでも、重ねた手はほどかない。

 視線も、チハルから外さなかった。


「チハル」


 秋雨が口を開いた。


「私、雨巫女を辞めたい気持ちがある」


 風が、木の葉を揺らした。

 遠くで、誰かが荷物を置く音がした。

 チハルは何も言わなかった。

 まひるは、自分の手のひらが汗ばんでいることに気づいた。


「でも、辞めるって決めきれてるわけじゃない。方法があるのかも分からない」


 秋雨は一つずつ、言葉を置くように続けた。


「中途半端なこと言ってるのは分かってる。ごめん」


 チハルの指が、バインダーの角を押さえた。

 表情は大きく変わっていない。

 けれど、その指先だけが白くなっていた。


「ただ、もし方法があるなら、知りたい。知った上で、どうするか決めたい」


 秋雨は頭を下げなかった。

 謝っているような姿勢と声なのに、目は逸らさなかった。


「でも、チハルには、黙っていたくなかった」


 まひるは息を止めていた。

 怒られるかもしれない。

 責められるかもしれない。

 そんな覚悟を、昨日から重ねていた。


「そっか」


 チハルは、バインダーの表紙を親指で一度なぞった。

 それから、口を開いた。

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