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第21話 好きなもの、好きな場所。

 翌日、雨は止んでいた。

 けれど、道の端にはまだ水が残っている。

 軒先の雫が、時々、ぽたりと落ちていた。


 秋雨(あきさめ)は、神社の坂道の下で待っていた。

 今日はレインコートではなく、薄手の上着を羽織っている。

 まひるを見ると、片手を上げた。


「おはよう、まひるちゃん」

「おはよう、秋雨ちゃん」


 昨日より、名前を呼ぶのが楽だった。

 けれど、それだけで全部が軽くなったわけではない。

 だから、ただ仲直りして終わりではない。


 ここから、考えなければいけない。

 雨巫女さまのことを。

 秋雨が背負ってきたものを。

 それから、秋雨がこれからどうしたいのかを。

 まひるは秋雨の隣に並ぶ。


「さっそくだけど、考えるって言ってもさ」


 まひるは、濡れた石垣を見ながら言った。


「まず、もっと知らないといけないよね」

「雨巫女のこと?」

「うん。秋雨ちゃんのことだけじゃなくて、雨巫女さまがどういうものなのか」


 秋雨は、濡れた道の先を見ながら考えた。


「私も、知らないことが多いと思う」

「この島って、博物館とか研究所とかないの?」

「博物館はないかな」

「じゃあ研究所は?」

「昔はあったって聞いたことある。でも今は、水質調査とか、そういうのがほとんどだったはず」

「じゃあ、雨巫女さまのことを調べる場所って感じじゃないんだ」

「うん」

「図書館は?」

「図書館も、ない」

「ないんだ」


 まひるが同じ言葉を返すと、秋雨は不思議そうにまひるを見た。


「そんなに変?」

「いや、変っていうか。調べものって言ったら、そういう場所かなって」

「まひるちゃんは、外の子だね」

「まだそれ言う?」

「わ、悪い意味じゃないよ」


 秋雨の声に、昨日よりいつもの調子が戻っていた。

 まひるは肩をすくめる。

 秋雨は、上着の袖口に触れた。

 声の調子が、そこで変わる。


「……うーん、本屋かなあ」

「本屋?」

「うん。新しい本もあるし、取り寄せもしてくれるし、古い本も少し置いてある。店主さん、昔のことにも詳しいから」


 雨巫女さまの話をしている時とは違う声だった。

 まひるは、肩に入っていた力を抜いた。


「秋雨ちゃん、本屋好きなんだね」

「うん、好き」


 雨巫女のことは分からない。

 自分の気持ちも分からない。

 それでも、好きなものは好きだと言える。

 秋雨の中に、そういう場所がある。

 まひるはそれが、なんだかうれしかった。


「じゃあ、とりあえず本屋行こっか」


 秋雨は頷いた。

 それから、何かを思い出したようにまひるを見た。


「……まひるちゃん」

「なに?」

「さっそくワガママ言ってもいい?」


 秋雨は、言いにくそうに視線を横へ逃がした。


「……ちょこっとだけ、新刊出てるか見たい」


 まひるは目を瞬いた。

 それから、笑ってしまった。


「いいよ。どうせ行くんだし」

「ほんと?」

「秋雨ちゃん、ずっとそわそわしてそうだし」

「ずっとは気にしないよ」


 二人は、濡れた道を並んで歩き出した。

 昨日とは違う。

 同じ雨の中ではない。

 雨が止んだあとの道を、同じ方向へ向かっていた。



 島の本屋は、短い通りの端にあった。

 木の看板は雨に濡れたあとで、色が濃くなっている。

 入り口の横には、手書きの紙が貼られていた。

 注文できます。取り置きできます。貸本あります。


 秋雨が戸に手をかける。

 からん、と小さな鈴が鳴った。


「いらっしゃい、また来たね」


 奥から声がした。

 カウンターの向こうに、白髪の混じった店主が座っている。

 眼鏡をかけたお爺さんで、膝の上に開いた本を置いていた。


「「はい」」


 まひると秋雨の声が重なった。

 二人は顔を見合わせる。

 店主は、その様子を見て目元をゆるめた。


「二人で来るのは初めてだね」

「まひるちゃんも、ここよく来るの?」

「わたしは、秋雨ちゃんがお役目でいないときに来てる」

「だから会わなかったんだ」


 秋雨は納得したように頷いた。

 同じ場所に来ていたのに、会わなかった。

 同じ島にいても、同じ本屋に来ていても、使っている時間が違えばすれ違わない。

 それは、昨日までの二人にも似ていた。


「秋雨ちゃん、前に読んでたシリーズの続き、入ってるよ」


 店主がそう言うと、秋雨の顔がぱっと明るくなった。


「本当ですか」

「取り置きのところに入れてある。あと、好きそうなのも一冊置いておいた」

「ありがとうございます!」


 秋雨は、早足にならないように奥の棚へ向かった。

 雨巫女さまの話をしていた時とは違う。

 本の棚へ向かう足取りは軽かった。


 まひるは、店の奥にある古い棚へ向かう。

 背表紙の焼けた文庫や、手書きの値札が貼られた薄い冊子が並んでいる。

 まひるは、こういう場所が嫌いではなかった。

 どうせなら写真を撮りたい。と、思った。

 でも、それを我慢して、スマホに触れかけた手を戻す。

 代わりに一冊、薄い冊子を手に取った。


「まひるちゃん」


 秋雨が本を抱えて戻ってきた。

 表紙には、駅前の横断歩道が描かれていた。

 制服姿の女の子たち。夕方のコンビニ。電車の窓に映る街の光。

 どれも、まひるにとっては見慣れた景色だった。

 けれど、秋雨はそれを大事そうに持っている。


「秋雨ちゃん、こういうの好きなんだ」

「うん」

「めちゃくちゃ普通の日常系漫画じゃない?」

「普通なんだ」


 秋雨は、表紙の駅前を指先でなぞった。


「これって、駅前があって、放課後に寄り道して、コンビニで何か買って、電車に乗って帰るんだよね」

「うん。まあ、そういう日もあるけど」

「そういうの、好き」


 まひるは、秋雨の手の中の本を見た。

 それから、ふと思い出した。

 最初に写真を見せた時、秋雨が、駅前やコンビニの写真をじっと見ていたこと。

 まひるにとっては、ただの写真だった。

 でも秋雨はあの写真を、今の本と同じ目で見ていた。


「じゃあ、今度また見る?」

「いいの?」

「いいよ。駅前とか、コンビニとか、そういうばかりじゃないけど」

「まひるちゃんが撮ってくれたものなら、きっと私も好きだと思う」


 まひるは胸の奥が温かくなる。

 秋雨の好きなものは、派手なものばかりではない。

 まひるが通り過ぎてきた普通の道。

 けれど、それは秋雨が好きな外の世界だった。


「ところで、まひるちゃんは何見てたの?」


 秋雨が、まひるの手元を覗く。


「古い本。こういうの、ちょっと好きなんだよね」

「なんだか、写真を撮るときと同じ手付きだね」

「え、そう?」

「うん。気になったものを少しずつ見て、まひるちゃんはいいところを覚えてる」


 まひるは、冊子の角を指でなぞった。

 自分では、そんなふうに思ったことはなかった。

 けれど、秋雨の言葉は指先に残った。


 手に取った冊子を開く。

 島の昔話をまとめたものらしい。

 印刷は古く、紙は黄ばんでいる。

 目次の中に、見慣れた言葉があった。


「……これ、雨巫女さまのことが書いてある」


 まひるの指が、そこで止まった。

 隣で、秋雨の抱えていた本の角が少し沈んだ。

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