第18話 side:秋雨
朝から、雨が降っていた。
窓を叩くほどでもなく、屋根を鳴らすほどでもない。
ただ、細くて、白くて、肌にまとわりつく霧雨だった。
秋雨の部屋には、漫画と小説が散らばっていた。
読みかけの本が枕元に積まれて、脱いだ服が椅子の背に引っかかっている。
昨日読み始めた文庫本は、本屋のレシートがしおり代わりに挟まっていた。
雨巫女さまの部屋という、厳かな雰囲気はなかった。
ただ、秋雨の中では少なくとも、友達に見せられる状態ではなかった。
秋雨は、枕元に置いたスマホがずっと気になっていた。
画面には、まひるからのメッセージが残っていた。
『今日、会える?』
メッセージが届いた瞬間、心臓が高鳴ってすぐに開いた。
たぶん、一時間くらい前だった。
なんて返事をしよう、打っては消してを繰り返すうちに誤送信が怖くなった。
既読の文字だけが付いて、返事はまだしていない。
秋雨は、自分の部屋の真ん中で布団にくるまっていた。
今日の天気予報は晴れ、だけど、実際の天気は雨。
それがどうしようもなく情けなくて、布団の中に顔を半分埋める。
秋雨は小さく唸った。
「うぅ……」
まひるに会いたくないわけではない。
顔を見て、声を聞いて、昨日言えなかったことを言いたい。
でも、どんな顔をして会えばいいのか分からなかった。
昨日の自分は、きっと嫌な人だった。
まひるが自分のために言ってくれたのに、怖くなって受け止めきれなかった。
最後には、逃げるみたいに神社の方へ戻ってしまった。
そんな自分が、今さらまひるの前に立っていいのか決められない。
しかも、メッセージには既読をつけて一時間も経ってしまった。
今さら返すからには理由が欲しいのに、良い言い訳が思いつかない。
秋雨は、起きてからずっと、布団の中でぐずぐずと丸まっていた。
部屋の扉が軽く叩かれる。
ノックの返事を待たず、そのまま扉が開かれた。
「秋ちゃん、生きてる?」
チハルの声だった。
秋雨は布団から顔だけ出した。
「うぅ〜〜〜……ちーはーる〜〜〜〜」
「うっわ。めんどくさい時の秋ちゃんだ……」
「めんどくさくない……」
「島民アンケートしたら全員がめんどくさいに入れるよ」
そう言いながら、チハルは部屋に入ってきた。
散らかった床を見て、器用に漫画の山を避けながら歩く。
こういう時、チハルは何も言わない。
ベッドで漫画を読んでいたら、片づけなよくらいは言う。
けれど、本当に責めるようなことはしない。
チハルは、秋雨の布団のそばに腰を下ろした。
「雨、止んでないね」
「……言わないで」
「言わなくても窓見ればわかるし」
「いじわるチハル」
「今の秋ちゃんに優しくしても、布団から出てこないでしょ」
チハルは、秋雨が雨巫女さまだと知っている。
それは本当だ。でも、秋雨はこうだ。
まひるからのメッセージに即既読をつけておきながら一時間も返せず、漫画と小説と脱いだ服に囲まれた部屋でめそめそしながら布団にくるまっている子。
秋雨は布団を握りしめる。
たぶん、こっちの方が本質に近い。
少なくとも、チハルの中ではこのだらしないのが秋雨だ。
「まひるちゃんから連絡来たんでしょ」
「……なんで知ってるの」
「全身で表現してる」
「してないもん」
「布団越しでも分かるよ。何年一緒にいると思ってるの」
チハルは秋雨のスマホをちらりと見た。
「返してないの?」
「返せないの」
「なんで」
「どんな顔で会えばいいか分かんないし……」
秋雨の声が布団の中に吸い込まれていく。
秋雨は、さらに布団の奥へ潜ろうとした。
けれど、チハルに端を掴まれて、それ以上は逃げられなかった。
「会わないと顔は見えないでしょ」
「そういうことじゃないの〜〜〜」
「はいはい。で、そのメッセージはいつきたの? あたしと入れ違いぐらい?」
「…………」
秋雨が布団から顔を出し、手を伸ばし、おそるおそるスマホを開く。
まひるからのメッセージは増えていなかった。
「……一時間くらい前」
「さっさと返しなよ!?」
「だってぇ! もう今さら返したら変だよ! いいこと言おうとしてるみたい!」
「そんなことないから返しなよ」
正論だった。
秋雨は、亀みたいに布団の中へ籠もった。
チハルのため息が、布団越しに聞こえる。
「いじわるチハルはいじわるるる」
秋雨は布団の中で丸くなった。
けれど、チハルは部屋を出ていこうとはしなかった。
散らかった漫画を足でよけて、布団のそばに座り直す。
秋雨の背中に、チハルはちょっとだけもたれかかる。
「秋ちゃんはさ」
「……うん」
「まひるちゃんのこと、嫌いになったの?」
秋雨は、布団の端を握った。
引っ張って、顔だけを布団から出した。
チハルと、目尻の赤くなった目を合わせる。
「……なってない」
「じゃあ、話しなよ」
「でも、嫌われたかもしれない」
「嫌いだったら連絡してこないでしょ」
「……そうかな」
「少なくとも、『今日、会える?』なんて送ってこないと思うけど」
秋雨は返事をしなかった。
まひるが連絡をくれた時点で、全部が終わったわけではない。
たぶん、まひるも昨日のままにしたくないと思ってくれている。
秋雨は布団の縫い目を、寝転がったまま指先でなぞった。
チハルは相づちを急がない。
答えを先に出さない。秋雨が泣いている理由も自分からは聞かない。
秋雨が言葉を探している時、ちゃんと待ってくれる。
「……雨巫女って、嫌なだけじゃないの」
「うん」
「苦しいし、怖いし、逃げたいって思うことはある。だけど、それだけじゃなくて」
秋雨は、布団の縫い目から指を離した。
身体を起こし、視線を窓の外に向ける。
「まひるちゃんがそんなつもりじゃなかったのは、分かってるつもり」
「まあ、まひるちゃんは外の子だもんね。言い方間違えることあるよね」
「うん。でもね、今まで降ってきた雨とか、島の人が喜んでくれたこととか、そういうのまで、全部いらないものみたいに聞こえてしまって」
チハルは、秋雨の顔をじっと見ていた。
雨音は細いままだった。
「不安で胸が一杯になって、ちゃんと聞けなかった。まひるちゃんの言いたかったこと、きっと違ったのに」
窓の外で、霧雨が白く揺れている。
「……それ、まひるちゃんに言いなよ」
「……言えるかな」
「言わないと、まひるちゃんは分からないでしょ」
「でも、私が言うとまひるちゃんを責めてるみたいにならない?」
「気持ちを伝えるのと、責めるのは違うと思うよ」
チハルの言葉に、秋雨はゆっくり瞬きをした。
まひるの言葉に胸を痛めたことと、まひるが自分を思ってくれたことは、同じ場所にある。
どちらか片方だけにすることはできないと、伝えなければいけない。
「メッセージ、返しなよ」
「……うん。ありがとう」
「あたしは、なにもしてないよ」
布団の中で丸くなっていても、雨は止まない。
まひるからのメッセージも消えない。
返さないまま時間だけが増えていく。
それが、怖かった。
秋雨は布団から手を出して、スマホを取った。
画面を開く。
まひるのメッセージが、まだそこにある。
『今日、会える?』
秋雨は文字を打つ。消した。また打つ。
ゆっくりと、打っては消してを繰り返す。
謝罪を入れようとして、長くなりすぎて、また消した。
秋雨は口下手だ。だから、会って、言わなければいけないと思った。
だから、返事は一言。
だけど、送信ボタンを押す前に、秋雨はちらりとチハルを見た。
「チハル、これだけって、変じゃない?」
「短いけど、いいんじゃない」
「冷たくない?」
「会って話したいんでしょ」
「……うん」
「じゃあ、大丈夫だよ」
チハルは、送信ボタンを押すまで、ただ隣で待っていた。
秋雨は小さく息を吸って、送信ボタンを押す。
画面に、送信済みの文字がついた。




