第15話 雨を届ける飾り
「――それで結局、今日は何をすればいいの?」
まひるが話題を戻すと、チハルはぱっと顔を上げた。
「あ、そうだった。秋ちゃんとまひるちゃんにはね、飾り作り手伝ってもらう予定なんだ。こっちこっち」
チハルはすぐに歩き出した。
「お祭りそのものは再来週なんだけどね、飾りつけは早めにやっちゃいたいんだ」
境内の端には、長机がいくつか並べられている。
薄い紙、紐、小さな木札、色のついた布。
見ただけでは何に使うのか分からないものが、いくつも置かれていた。
チハルが、その中から一枚の紙をつまみ上げる。
「まずは、雨を届ける飾りからね」
雨を、届ける。
秋雨の手のぬくもりも、チハルの笑い声も、まひるの中に残っている。
それなのに、その言葉だけは、まひるの中に入ってこなかった。
「雨を届ける飾りって、どういうこと?」
まひるが聞くと、チハルはつまみ上げた紙をひらりと揺らした。
紙は、どれも光を透かして淡く色づいている。
白に近い青。薄い緑。水に落とす前の絵の具みたいな色だった。
「雨巫女さまの雨が、ちゃんと必要なところに届きますようにってやつ」
「必要なところ?」
「畑とか、山とか。あと、貯水場の方とかね」
チハルは紙を机の上に広げた。
「これは短冊みたいな四角に折って吊るすやつ。簡単そうに見えるけど、折り目がずれると目立つからね」
「わかった」
「でも、気負わなくて大丈夫だからね。チハルが作ったのなんて、いつも一目瞭然なんだから」
「秋ちゃん、なんで今あたしのを下げたの」
「下げてないよ。個性的だなって思ってるだけ」
チハルがすぐに顔をしかめる。
秋雨は真面目に首を傾げていて、本当に下げたつもりがなさそうだった。
まひるは紙を一枚手に取る。
指に乗せると、思ったより軽い。
息を吹きかけたら飛んでいきそうだった。
「まひるちゃん、一緒にやろっか」
「あ、うん。えっと、まず半分?」
「そう。端と端を合わせて」
秋雨が隣から覗き込む。
秋雨の声が、紙より先に指先へ落ちてくる。
まひるは紙の端を合わせようとして、指の動きが止まった。
「ここ、ずれると吊るした時に斜めになるの」
「……うん」
「力は入れすぎなくていいよ。跡が強くなりすぎるから」
「うん」
まひるは紙の薄さより、秋雨の指が近いことの方が気になっていた。
秋雨は真面目な顔で手元を見ている。
まひるが固くなっていることには、まったく気づいていない。
そして、秋雨に手元を支えてもらいながら、まひるは何枚か紙を折った。
三枚目でようやく、それらしい形になる。
「やっとできた……!」
「うん。綺麗」
「本当?」
「うん。まひるちゃん、上手。初めてなのにすごい」
秋雨はすぐに言った。
まひるは紙を持ったまま、目を瞬かせる。
「秋雨ちゃん、なんでも褒めてくれるね」
「だって、本当に綺麗にできてるよ」
「秋ちゃんはすぐ甘やかすからね」
「私、甘やかしてた……!?」
「秋ちゃん、なんでそんな深刻そうなの」
「甘やかされてないから大丈夫だよ、秋雨ちゃん」
吊るす飾りがいくつかできると、チハルは小さな木札も出した。
薄い紙を折って、木札の片側に貼る。
畑用、山用、水場用。
雨が必要な場所を示すものらしい。
「水場用?」
「うん。雨がちゃんと届くようにって。昔からそうなんだって」
「届く? 雨って、降ったら勝手にいろんなところに落ちるものじゃないの?」
「お願いするんだよ」
チハルは、迷わずそう言った。
まひるの手の中で木札の角が引っかかった。
「雨巫女さまの雨が、必要なところにちゃんと届きますようにって」
「そう、なんだ」
雨巫女さまの雨。
秋雨の雨。
そう言い換えてみても、同じにはならなかった。
「ねぇ、雨巫女さまって、秋雨ちゃんのことだよね?」
まひるが聞くと、チハルは紙を折る手を止めずに頷いた。
「うん。秋ちゃんのこと」
「でも、チハルちゃんは秋ちゃんって呼んだり、雨巫女さまって言ったりするよね」
「あー、それは別かな」
「別?」
「秋ちゃんは秋ちゃん。けれど、雨巫女さまは雨巫女さま」
チハルは当たり前みたいに言って、紙の角を揃えた。
まひるは、その言葉の意味が簡単にはほどけなかった。
隣で、秋雨はチハルの言葉をそのまま受け取っていた。
訂正もしない。
同じ机の前にいるのに、まひるの手元だけが少し遅れていた。
「不思議?」
「……まだ、ちょっと分からないかも」
「まひるちゃんは、来たばっかりだもんね」
「そのうち慣れるよ」
チハルは軽く言って、木札の束をまひるの方へ寄せた。
まひるの作った飾りは、箱の中に入った。
少し不揃いだけれど、他の飾りの中に入ると、祭りのものに見えた。
「使ってくれるの?」
「もちろん。まひるちゃんが作ったやつも祭りの飾りだよ」
「そうだよ、あたしのだって飾るんだから。まひるちゃんのも飾るよ」
まひるは、箱の中の少し歪んだ飾りをもう一度見た。
自分の手で作ったものが、祭りの一部になる。
祭りの準備に、自分も入れてもらえた。
それが、ちゃんと嬉しかった。
そのあと、チハルが机の下から別の箱を取り出した。
さっきまでの紙とは違う。
箱の中には、白い布が敷かれていた。
その上に置かれた紙は、薄いのに張りがある。
光を受けると淡くきらめいた。
同じ白でも、普通の白ではない。
「それも作るの?」
「これはあたしがやるよ」
「わたしも、ちょっとだけやってみてもいい?」
まひるが言うと、チハルは白い紙を見たまま考えた。
ほんの短い間だった。
けれど、その間だけ、机の上から笑い声が消えた。
「んー、これはやめとこっか」
「だめ?」
「だめっていうか、慣れてないと難しいんだよね。紙も薄いし、折り目も残りやすいし。失敗したら替えがきかないし」
チハルの声は明るかった。
まひるを遠ざけるための言い方ではなかった。
それでも、雨巫女さまの飾りを作る場所だけは、チハルが譲らなかった。
「これ、雨巫女さまの分だからさ」
チハルは白い紙の端を指先で揃えた。
さっきまでと同じ手なのに、動きが静かになる。
さっきまで口元に残っていた笑いが消えた。
紙が擦れる音まで、小さくなった。
「雨巫女さまの」
まひるが繰り返す。
チハルは頷いた。
「身につけるやつ。髪とか、袖とか。細かいところに使うの」
「秋雨ちゃんが?」
「うん。雨巫女さまが」
チハルは何気なく言った。
秋雨も、それを訂正しなかった。
「いつもチハルが作ってくれるんだよ」
秋雨が、当たり前みたいに言った。
「いつも?」
「うん。こういう時はいつも」
――いつも。
まひるの中に、その言葉が響いていた。
秋雨のいつもの中に、チハルがいる。
それは幼なじみだから当たり前なのかもしれない。
でも、その当たり前はまひるの知らない時間でできていた。
「別にたいしたことじゃないよ。慣れてるだけ」
チハルはその紙を折り始めた。
その手つきは、たいしたことがないものを扱う手ではなかった。
紙の端を揃える時も、折り目をつける時も、紐を選ぶ時も、一つひとつが丁寧だった。
祭りの飾りは作れた。
でも、雨巫女さまの飾りは、作れなかった。
その違いは、チハルと秋雨にとっては当たり前のことだった。
「……綺麗だね」
「でしょ。チハル、これはすごい上手なんだよ」
返事をした秋雨は、ほんの少しだけ誇らしそうだった。
白い飾りが、指先の動きに合わせて滑らかに揺れる。
まひるは飾りよりも、その指先の方を見ていた。
「……ふぅ、秋ちゃん、今年もこれでいい?」
「うん。チハルが作ってくれるものなら、大丈夫」
「そういうことさらっと言えちゃうの、ずるいよね」
「え?」
「なんでもない」
チハルは白い飾りを布の上に戻した。
秋雨は不思議そうにしていた。
「よし。こんな感じかな」
チハルは雨巫女用の飾りを白い布の上に並べた。
まひるたちが作った飾りは箱の中に入っている。
吊るす飾りも、木札の飾りも、まとめて運べるように準備されていた。
「じゃ、次は外に飾りつけ行くよ」
チハルが箱を持ち上げた。
まひるの作った飾りも、その中で揺れていた。
少しずれた折り目、大きすぎる結び目。それでも、他の飾りに混ざっていた。
まひるは立ち上がる前に、白い布の上を見た。
雨巫女さまの飾りだけが、そこに残っていた。




