第14話 "秋ちゃん"の幼なじみ。
二人が歩き出そうとした、その時だった。
「秋ちゃん、こっちこっち!」
明るい声が、境内の向こうから飛んできた。
まひるは足を止めた。
「秋ちゃん?」
口に出してから、秋雨の方を見る。
秋雨は照れたような、困ったような顔をしていた。
まひるの知らない表情だった。
声のした方から、まひるより背の高い女の子が手を振りながら近づいてくる。
Tシャツにショートパンツ。短めにまとめた髪。日焼けした肌。
表情は明るく、こちらへ向かってくる足取りにも迷いがない。
その子は秋雨の前で止まると、まひるを見た。
物珍しそうに見るのではなく、頭の中で何かが一致したようだった。
「この子が秋ちゃんの言ってた、新しい友達のまひるちゃん?」
秋雨が、トートバッグの紐を指先で引いた。
まひるはその横顔を見て、胸の奥がふわりと浮くのを感じた。
秋雨が、自分のことを話していた。
友達として。
そのことが、嬉しい。
けれど同時に、この子は秋雨を「秋ちゃん」と呼ぶ。
まひるの知らない時間が、その呼び方の中にある。
だから、秋雨のことを、もっと知りたいと思った。
秋雨を「秋ちゃん」と呼んだ女の子は、まひるの前で足を止める。
近づいてくる時の勢いそのままに、にこっと笑った。
「あたしは日下チハル。チハルでいいよ。秋ちゃんの幼なじみ」
「はじめまして。朝倉まひるです」
まひるが頭を下げると、女の子はぱっと手を振った。
「まひるちゃん、ね。よろしく」
「えっと、幼なじみって?」
「そのままの意味だよ? 小さい頃からずっと一緒。ね、秋ちゃん」
チハルが秋雨の肩を軽く叩く。
秋雨は返事に迷って、口元だけで笑った。
「うん。チハルは、昔からずっと一緒にいるの」
「秋ちゃん、こういう紹介するとすぐ真面目になるんだよね。もっとこう、仲良しです、みたいに言えばいいのに」
「仲良し……」
「そこは即答していいんだよ、秋ちゃん」
チハルがすかさず突っ込む。
秋雨はまばたきをして、それから小さく笑った。
まひるは、そのやり取りを見ていた。
秋雨が言葉を選ぶ前に、既に構えてくれている相手。
言葉に詰まっても、すぐに汲み取ってくれる相手。
まひると秋雨とは違う。気の置けない関係の秋雨が、そこにいた。
「まひるちゃんのこと、秋ちゃんから聞いてたよ」
「えっ」
「島の外から来た子と友達になったって。最近、秋ちゃん、暇さえあればまひるちゃんの名前出してたし」
「チハル」
秋雨の声が一段高くなった。
チハルは悪びれず、肩をすくめる。
「だって本当じゃん」
「そんなに話してない」
「『まひるちゃんが写真を撮ってくれたんだよ』『まひるちゃんが外の話をしてくれたんだぁ』『まひるちゃんがねぇ』」
「チハル」
「はいはい、ごめんて」
秋雨の強い語気に、チハルは両手を上げてみせた。
まひるは、鞄の肩紐を握り直した。
秋雨が自分の話をしていた。
それも、何度も。
そして秋雨が目の前で慌てている。
なんだか、胸の奥がふわふわする。
「ねぇ、まひるちゃんって、写真撮るんでしょ?」
「あ、うん。趣味ってほど、ちゃんとしてるわけじゃないけど」
「秋ちゃんが言ってた、外の写真ってどんなの?」
「普通のやつだよ。駅とか、コンビニとか」
「あー、秋ちゃんが好きそう」
「やっぱりそうなんだ」
「秋ちゃん、都会を舞台にした小説とか漫画とか好きなんだよね」
「それって、感動するやつ?」
「そうそう! お涙ちょうだいって感じのシンプルなやつ」
「やっぱり秋雨ちゃん、純朴系女子なんだね」
「まひるちゃん」
秋雨が困ったように呼ぶ。
ちょっとだけ、不貞腐れていた。
まひるとチハルは一度顔を見合わせて、笑いかけた。
「まあ秋ちゃんの趣味は今度語るとして、あたしがびっくりしたのはまひるちゃんかも」
「わたし?」
「うん。だって、秋ちゃんと仲良くなれる子なのに、こんなに話しやすいと思わなかったから」
「そっか、初対面だったねわたしたち」
「秋ちゃんともこんな感じだったの?」
「全然。トータル沈黙の方が多かったよ」
「まひるちゃん……」
秋雨の声が、しりすぼみに縮んでいった。
チハルはまひるの冗談を聞いて、満足そうに頷いた。
秋雨だけが、落ち着かない顔で二人を見比べていた。
それでも、止めようとはしなかった。
まひるとチハルの言葉が噛み合うたび、秋雨の肩から少しずつ力が抜けていった。
「でも、秋雨ちゃんとのお喋りは楽しかったよ」
まひるが言うと、秋雨の肩がまた小さく揺れた。
秋雨は何か言おうとしたけれど、頬だけはもうゆるんでいた。
「う、うん! 私も楽しかった」
「ねー、あの日からわたしたちも仲良しだもんね」
「仲良し……」
「秋雨ちゃんはなんでいつもそこで詰まるの」
「ねぇねぇ、まひるちゃん」
「なあに、チハルちゃん」
「今更なんだけどさ、まひるちゃんって、高校生……だよね?」
チハルは明るく声をかけた割に、慎重なおもむきで言葉を紡いだ。
「うん。高一だよ」
「やっぱり?」
チハルは腑に落ちた顔で、まひるを上から下まで見る。
悪意のある視線ではないけど、まひるは反射的に背筋を伸ばした。
帽子のつば。跳ねた髪。秋雨やチハルより低い背。
けれど、さっきまでの返し方や秋雨との距離は、チハルと同じ中学生のものには思えなかった。
チハルはまひるを見て、それから秋雨を見た。
「……なに?」
「いや、あたし中三だから。先輩かぁって」
「中三?」
「なに、その反応。まひるちゃんより背はあるけど?」
「これから伸びるからいいんだよ、チハルちゃん」
「小さいお口でよく言うもんだね」
チハルは楽しそうに、片手をひらひらさせた。
まひるはむっとした顔を作ったまま、口元だけが崩れそうになった。
「でもさ、秋ちゃん。まひるちゃんのこと、あたしと同じくらいって言ってなかった?」
チハルの悪気のない声が、まひると秋雨の間に落ちていった。
まひるは、ゆっくり秋雨を見る。秋雨はゆっくりと視線を反らしていた。
「……秋雨ちゃん?」
秋雨の肩がぴくりと跳ねた。
「違うの」
「違うんだ?」
「その、チハルは春生まれで、まひるちゃんは小柄で、だから……」
「秋ちゃん、今かなり無理あるよ」
「見た目だけじゃわからないこともあって……」
秋雨は弁解を繰り返すが、説得力はなかった。
まひるは、口を尖らせたまま秋雨を見た。
「ふーん。そっか。秋雨ちゃんは、わたしをチハルちゃんと同じくらいかそれより年下だと思ってたんだ」
「まひるちゃん」
秋雨の声が、しょげた犬みたいになった。
まひるは笑いそうになって、唇を結ぶ。
すぐに許してあげるのも悔しい。
だから、もう一言だけ拗ねておく。
「じゃあ、タメ同士でいこっか。チハルちゃん、案内してくれる?」
「え、いいの? やったぁ! じゃあ、これからも敬語なしね」
「おっけー、チハルちゃん」
「おっけー、まひるちゃん」
「まひるちゃん……」
秋雨がもう一度、情けない声で呼んだ。
その声があまりに弱くて、まひるはとうとう口元を緩めた。
チハルもつられて、けらけらと笑った。
「大丈夫。わかってるよ、秋雨ちゃん」
秋雨は、まひるの右手を両手で包むように握った。
「本当?」
「本当。友達だもん。わたしこそ、やりすぎちゃってごめんね」
秋雨が、ほっとした顔をする。
あの日、傘の中で話したことが、なかったことになったわけではない。
けれど、触れたら壊れるだけのものではなくなっていた。
まひるは秋雨に冗談が言えるようになった。
秋雨はそれを受け取れるようになった。
「……二人、思ってたより仲いいね」
チハルが横から言った。
「思ってたより?」
「だって秋ちゃんが話してた感じだと、最近友達になったばっかりって聞いてたから」
「友達になったのは確かに最近だけれど」
「だからこう、もっとぎこちないかと思ってた」
その言葉を聞いて、まひるは秋雨の方を見た。
秋雨もこちらを見ていた。目が合う。
二人で、視線を外しきれないまま笑った。
「ぎこちなくない?」
「ぎこちなくなくない」
「ぎこちなかったらそんな会話しないよ」
秋雨は返事に詰まり、まひるは帽子のつばを下げた。
日差しのせいにできるものが多くて、まひるは助かると思った。




