二人の覚悟
上空で勇者を観察していた魔王ラウエルは、顎に手を当てた。
クロノスの街は、大量に出現したモンスターに蹂躙されている。
モンスターで埋め尽くされた街を、二組の男女が、それぞれ別方向へと高速で移動している。
ひとつは、『光の矢』の戦士二人。勇者の護衛を務めていた二人だ。
人間にしては相当に腕が立つ方で、モンスターを蹴散らしながら進んでいる。
もうひとつは、勇者を背負った少女。
スキル心手を使って、モンスターを吹き飛ばしながら、高速で走っている。
人間ではありえないステータス。
眷属たちと同程度の数値だ。
シュペルシュペラスとの戦いで彼女の力を見た魔王ラウエルは、一瞬、勇者が二人いるのかと思ったほどだ。
ベルゼベルズから腐敗呪を受けた少女。規格外のステータスだとは聞いていたが、これほどまでとは思わなかった。
ルシディア神がなにか細工をしたのだろうが、その意図が分からなかった。
強いとはいっても、回を重ねて強力になった自分には手も足も出ない。勇者の露払いをさせるつもりか?
「勇者は眠ったままか。なるほど」
魔王ラウエルはつぶやいた。
勇者の力を発揮した後は眠りにつく。その制約があるからこそ、今回の勇者は歴代、最強のステータスを誇るのだろう。
問題はいつ、目を覚ますか、だ。
命の危機に陥った時。あるいは魔王の眷属を感知した時。
一定時間、絶対に目を覚まさない、というならば楽なのだが、そう簡単にはいかないだろう。
「ドロンカロス」
魔王ラウエルの声に、湖で指示を待っていたドロンカロスが動いた。
閃光が起こり、その存在が消える。
転移した先は、山道。
今まさに、ルースを背負ったフラワが駆け上ってきた道の先だ。
フラワは突如現れた気配に、急停止した。
見えない敵がいる。
それも強い。
「隠れてないで出てきたら? 気配で丸わかりなんですけど」
気配が動いた。
なにかが空気を切り裂いて、高速で飛んでくる。
フラワはそれを心手で弾いた。
攻撃は防げたが、心手は消滅した。
でも、まだ99本残ってるんだから。
フラワは見えない気配に向かって、心手でラッシュをかけた。
拳を握った99本の手が、気配を殴りつける。
だが、心手の拳が届く前に、ふっと気配が消えた。
次の瞬間、フラワは胸から腹にかけて、痛みを覚えた。
体の前面がスプーンでえぐられたように、削れている。
私の防御力800万なのに。
フラワは、中級治癒をかけながら、心手をバタバタと振り回した。
敵を近づけさせないためだが、治した側から、今度は左腿を削られた。
気配もなく、見えない攻撃。
しかも防御力を無視したようなダメージ。
空間をコントロールすることに長けた、ドロンカロスならではの攻撃だった。
フラワは自身を治すのを諦め、地面に心手を叩きつけた。土が舞い上がり、地面が大きくへこむ。
同時に高く跳んだ。
「甘い」
すぐ側で声がした。
次の瞬間、フラワは、自分の体が上下二つに割れる感覚を味わった。
ダメ、ルースまで届いちゃう。
黄色い光が視界を覆った。
削り、ちぎれたはずの体は、傷ひとつついていなかった。
地上に向かって落下していくはずなのに、ピタリと宙で静止していた。
背負っていたはずの恋人が、フラワを守るように立っていた。
「ルース」
ルースの放つ黄金の光によって、ドロンカロスは、その姿を現していた。
ボロボロのローブをまとった、紫色の肌の老人。両目は閉じ、代わりに額に三つ目の目がある。
「フラワを傷つけたな」
ルースが叫び、剣を抜いた。
高速の斬撃。
空に黄金の一本線が引かれ、ドロンカロスは真っ二つに割れた。
黒い塵となって消えていく。
◇
魔王ラウエルは笑みを浮かべた。
勇者が再び力を振るいドロンカロスを倒した時、彼のステータスは大幅に下がっていた。
シュペルシュペラスと戦った時の三分の一以下。今ならば軽く倒せるだろう。
それでも魔王ラウエルは、まだ仕掛けない。次なる配下を呼んだ。
「ゾーラシオ。次はお前が、削れ」
「はい。陛下」
宙にマントを羽織った骸骨が現れた。
手には大鎌を持っている。
骸骨はマントをなびかせ、ルースと少女の元へと向かって飛んでいった。
◇
フラワはルースとともに宙を走った。
ルースはまだ黄金の光を放っている。
「ルース、大丈夫? 眠らなくていいの?」
「まだ敵がいるかもしれない」
手をつないで走る二人は、徐々に地上へと降りていく。それにつれてルースの光も弱くなっていった。
やがて地に足がつく。
「まだ、眠れない」
ルースが声を振り絞る。
「大丈夫だよ、ルース。私、なんとか、逃げきってみせるから」
フラワは笑顔で言った。
ルースは唇をかみしめ、吸い込まれるような眠気に耐える。だが、それにも限界があった。
フラワの手を握って走っていたルースの足が止まった。首がカクンと落ちて、そのまま体も崩れる。
フラワはルースを背負うと走った。
ルースは、もう二度も覚醒している。
きっと無理をしているのだ。
これ以上、無理をさせたら、死んでしまうかもしれない。
山道を走る。
木々の間を駆け抜け、岸壁を駆け上がり、谷を飛び越える。
もう、クロノスからずいぶんと離れただろう。
ロイドとベルカーラのことが気にかかる。
二人は死ぬ気だ。ルースのために。
ロイドやベルカーラと語らった日々がよみがえる。ともすれば、足を止めて振り返りたくなった。
聖女のことも気がかりだ。彼女がもう間もなく息を引き取ることはわかっていた。
せめて看取ってあげたかった。
祖母の代わりに。
フラワはクロノスに戻りたくなる気持ちを振り切った。
ルースの寝息を首筋に感じる。
「すべてを守り切ろうと思ってはダメ。自分にとって大切なものを守りなさい」
ベルカーラが言った言葉。
フラワはさらにスピードを上げた。
◇
魔王ラウエルはクロノス上空から移動している。勇者を追いかけているのだ。
クロノスの街は、大量の降下したモンスターにより、さんさんたる有様になっている。
『光の矢』の戦士二人は、勇者とは別方向に移動し、今や、魔王ラウエルの探知外へと出てしまった。
囮にしてはお粗末なものである。
魔王ラウエルは二人の戦士に興味がなく、追っ手も差し向けなかった。
すでに前回から持ち越した眷属は二体になっている。確実に勝利を収めるために、その二体も使い捨てるつもりである。
「ゾーラシオ、やれ」
魔王ラウエルは言った。
返事の代わりに、眼下の山が瞬時に赤く染まった。
炎。山全体が燃え上がった。
◇
魔王ラウエルの眷属、炎のゾーラシオは、紅蓮に燃える木々の中に立っていた。
マントを羽織り、大鎌を構えた骸骨。
髑髏の中の空虚な眼下に、赤い光が灯っており、対峙する少女を見つめている。
「勇者は起きぬか?」
ゾーラシオは言った。
外見とは裏腹に、はっきりとした肉声だった。
「さっき眠ったばかりだからね」
フラワは言った。
「ならば、無理にでも起こすまでだ」
ゾーラシオが言って、大鎌を振った。
炎が割れる。木々が割れる。
虚空を斬ったその斬撃は、半径百メートルほどの木々を一斉に刈り取った。
フラワはそれを受けきった。
先ほど戦った眷属の、削り取る攻撃とは違い、純粋な物理攻撃。それはフラワの防御力を突破しきるほどの威力はなかった。
「なるほど。強い」
「これでも、勇者の恋人なんで」
フラワは、えっへん、と胸を張った。
内心では、防げて良かった、とホッとしている。
ていうか、攻撃範囲広すぎだよ。
「では、これはどうかね」
ゾーラシオが左手を天に掲げた。その手の平の上に黒い球体が現れる。
炎の光を吸い込むような漆黒。
フラワは直感で危機を感知した。
飛んでくる黒い球体を大きく跳んでかわす。
黒い球体が爆発した。
もし、魔王ラウエルのように彼らの戦いを俯瞰する者がいたら、赤く染まった山の一部が、黒く変色したかのように見えただろう。まるでそこだけ大量のインクをぶちまけたかのように。
大きく跳んでその場から離脱したフラワだったが、黒く染まった足元の一帯を見て、このまま着地するのは危険だと感じた。
心手で、自分とルースの体を繭のように包み込む。そのまま地面に叩きつけられ、ボールのように跳ねて、ゴロゴロと転がる。
外側の心手が、朽ちていくのを感じた。周辺感知では、木々のエネルギーを吸い取られて枯れていく様を感知した。
攻撃範囲外に逃れたフラワは、心手の繭を開いた。
炎に包まれていた景色が、一変していた。
黒く枯れて朽ち果てた木々。土すら黒く変色している。
その中に立っていた骸骨が笑う。
「よくかわした。勇者の恋人」
「ファンタジー世界なら、環境破壊で大問題よ」
フラワの言葉に首をかしげるゾーラシオ。
「今度はこっちの番よ。骸骨さん」
フラワは、ゾーラシオに向かって、矢のように一直線に跳んだ。
片手を前にかざす。その手の平から白い光の柱が伸びる。光槍のスキル。
だが、それは途中で直角に曲がった。上に伸び、そこからさらに曲がってゾーラシオに向かう。
「器用なことをする」
感心するゾーラシオ。
片手で宙を薙ぐ。半透明の壁が現れた。攻撃を反射する防壁。
フラワの光槍が防壁にぶつかる。その直前に弾けた。光の爆発。
強烈な閃光が、世界を白い光に包み込む。
フラワは全力で走った。
ゾーラシオを迂回し、その場を離脱。黒枯れた一帯を抜け、炎の中に飛び込む。
だが、その前に巨人が立ち塞がる。
青い光沢のある肌。額から二本の角が生えている。その巨体は5メートルを越えるだろう。
魔王の眷属最後の一体、ルファスである。
ルファスは燃え上がる木々を、手にした大剣の大振りで吹き飛ばした。
その斬撃がフラワを襲う。
フラワはそれを身をかがめてかわした。
風圧だけで、周囲の土が吹き飛んだ。
「次から次へと、なによ」
フラワは跳ぶと、ルファスの顔を心手で殴った。
ルファスの巨体が吹っ飛んで木々をなぎ倒す。
そこへ今度は背後からゾーラシオが迫ってきた。
大鎌を構えながら宙を滑るように飛んでくる。
フラワは心手を伸ばしてゾーラシオを殴る。
ゾーラシオはそれを大鎌で切り裂き、さらにスピードを上げて迫る。
その間にもルファスが大剣を振り回し、フラワを追い込む。
フラワは両手でルファスの大剣を受け止めた。
体が大きく地面にめり込み、周囲にクレータが広がる。
背後からゾーラシオの大鎌の斬撃が襲う。
それにはフラワも対応しきれず、背中のルースを大鎌の斬撃にさらすことになった。
だが、それが命の危機を察したルースを起こすことになった。
目を覚ましたルースは、フラワを守るように防御の結界を張った。
半透明の黄金の膜が周囲に広がり、ゾーラシオの鎌を弾く。
さらにはルファスの大剣が宙に溶ける。
ルファス、ゾーラシオともに距離をおいて、フラワの背から降りるルースを見る。
ルースの目にはゾーラシオとルファス、それぞれの名前が見えている。
どちらも魔王の眷属だ。
「ようやくお目覚めか、勇者よ」
ゾーラシオが言った。
「女の背でよく眠れたかね」
ルースは無言でゾーラシオに向けて剣を振った。
その刃をゾーラシオが受け止める。
フラワも動いた。
ルファスの懐に飛び込むと、スキル流星群拳を振るう。
人食いネズミで使った時とはステータスが違う。
フラワの両腕はそのあまりの速さのために消え、金属光沢のある青黒い肌にめり込んだ無数の拳の跡だけが残る。
ルファスは再び吹っ飛んだ。
今度はすぐに起き上がれずに、膝をついたまま着地するフラワを見る。
一方、ルースもゾーラシオを圧倒していた。
三回目の覚醒。ステータスはシュペルシュペラスの時に比べ、二十分の一以下にまで下がっている。
それでも強い。
燃え盛る木々の間を光の軌跡だけを残して、高速で移動し、剣を振るう。
ゾーラシオはそれを大鎌で受けながら逃げるが、完全には防ぎきれない。
空から光線が落ちるように、高速で上方から落ちてきたルース。大上段に構えた剣を振り下ろす。
ゾーラシオはそれを鎌で受けようとするが、受けきれない。
骸骨の体は二つに割れる。
勇者の斬撃の威力はそれだけにとどまらず、ゾーラシオの後方の地面まで、一直線に割った。
ルースはすぐにフラワの元へ戻った。
ちょうどルファスが立ち上がったところだった。
大剣を、ブン、ブン、と大振りしてフラワに迫る。大振りとはいえ速い。
それによって巻き起こる風と、風圧によって砕かれた木々や岩。
ルースは跳んで一気にルファスとの間合いを詰めると、一振りで大剣を割り、もう一振りで、その巨体を斜めに割った。
地に降りるルース。
ルファスの体が斜めにズレて、落ちる。
剣を収めフラワを振り返った。
音もなく。
ルースの左胸に手が生えた。
少年の手。
ルースの体内を貫き、真っ赤に染まった貫手。
ルースは、なにが起こったのか理解できなかった。
心臓を貫いて飛びだした手を見る。振り返る前に、その体は青い炎に包まれた。
「ルース」
フラワが飛びつく。同時に中級治癒をかける。
青い炎に包まれたルースの頭部と、フラワの頭部が同時に飛んだ。
二つの頭はクルクルと回転し、地に落ちると、そのまま転がった。
青い炎はルースの体からフラワの体へ移り、燃やしていく。
やがて、少年と少女の首のない体は、灰も残さずに消えた。
そこにはただ、ルースと同じ年頃の少年が立っていた。
魔王ラウエルだ。魔王は姿を消し、気配を隠して、ルファスの背後で勇者の隙をうかがっていた。必殺の一撃を撃ち込むために、最後の眷属をも捨て駒として使ったのだ。
魔王ラウエルは転がるルースの頭に近づくと、無造作にそれを踏みつぶした。
「余の勝ちだな。勇者よ」
◇
ロイドが足を止めた。
隣を走っていたベルカーラも足を止める。
ルースとフラワが逃げた方角と逆方向の山道。こちらに追っ手はなかった。二人は、クロノスから大きく離れることができていた。
ロイドは無言でベルカーラを見た。
ベルカーラがうなずく。
時がきたのだ。
ロイドはベルカーラの頬に手をやった。
ベルカーラがその手に手を重ねる。
ロイドの視界には、彼女の顔に重なるようにウインドウが浮かんでいた。ベルカーラにも同じものが見えているだろう。
――――――
スキル、身代りの対象が死亡しました。
スキル、身代りを使用しますか?
――――――
はい、と、いいえの選択肢がある。
二人は唇を重ねた。
その体が淡い光に包まれて、溶けるように消えていく。
やがて、彼らはなにも残さずに消えてしまった。




