一方、その頃
大きな窓から中庭の花園を見下ろしていた少年は、部屋に現れた気配で振り返った。
紺色の瞳と赤い髪。透き通るような白い肌。浮世離れした雰囲気。ゾッとするほどの美しい少年である。年齢は十代半ば。
絹のシャツの胸元は開き、光沢のある黒いズボンを履いている。
「一人になりたい。下がれ」
少年の言葉に壁際に控えていた侍女たちが出ていく。
最後の一人が部屋から出ると、少年は人差し指を軽く振った。
部屋の空気が、かすかに変わった。
防音の結界を張ったのだ。
「ルファスか?」
はい、と虚空が返事を返した。
そこに人影が現れる。
青い光沢のある肌。額から二本の角が生えている。
「勇者が聖都を立ちました。現在、我が国へと向かい北上しています」
少年が首をかしげた。
「なにゆえ、我が正体を見破られた」
それは自身への問いかけであった。
「陛下の存在は未だ誰も知り得ません。勇者がこちらへ向かっているのは、聖女に会うためでございます」
「聖女……。ああ、余の復活を予言したとかいう女か」
「勇者の恋人が、ベルゼベルズの腐敗呪を受けているのです。魂手入が使えるのは、聖女だけであるとのこと」
「なるほど、な。その聖女はどこにいるのだ?」
「クロノスのロベリアンネ神殿に。誰か、差し向けましょうか?」
ふむ、と魔王と呼ばれる少年は、顎に手を当てた。
「勇者は手強い。なにしろ、余を滅ぼすための存在だからな。余、自ら手を下さねばなるまい。聖女について探らせろ」
「はっ」
「これ以上、手駒を減らすわけにはいかぬ。ベルゼベルズはともかく、アナンテアは余計な真似をしたものだ」
「あれは、眠らず、陛下の復活を待ち続けていましたゆえ。気が早ったのでしょう」
「他の者を呼び戻しておけ。この機に蹴りをつけたい。ルシディア神の遊びに付き合う趣味はないでな」
魔王の腹心、ルファスは、頭を下げると、姿を消した。
「さて、今回の勇者はどの程度かな。恋人を作るとは、多少は人間味があるようだが」
魔王はつぶやいた。
光と闇の神ルシディアは、500年に一度、魔王と勇者を戦わせる。勇者は毎回、新たに生まれるが、魔王は記憶を保持したまま転生を繰り返す。
そのため、勇者が大人になる前に、戦いを挑んだ方が有利に運ぶことが多い。
実際に、完全勝利となった五回目は、そのようにして勝ったのだ。
魔王が防音の結界を解除し、侍女たちを呼び戻すと、父の部下が部屋へやってきた。
「殿下、陛下がお呼びでございます」
「わかった。すぐ行こう」
魔王の今生での転生体の名はラウエル・ゴルト。ガルレムト王国第一王子である。
◇◇◇
ポニーテイルの茶色い髪に深緑色の瞳の女が、自身に振り下ろされた剣を無造作に弾いた。
斬撃を弾かれたルースは、大きく態勢を崩した。剣を構えようとするが、遅い。
長身の女戦士の剣が、ルースの頭上へ落ちる。
剣は、ルースの明るい金髪に触れる前に、ピタリと止まった。
「次」
女戦士ベルカーラは、不愛想にそれだけ言うと、距離をとった。
ルースはまだ呼吸も整わないままに、剣を正眼に構えた。
「お願いします」
二人の稽古を、馬車に背を預けて見ていたフラワは、たき火の側で夕食の準備をしているロイドを振り返った。
「ちょっと、厳しすぎませんか。あの人」
「ベルカーラは不器用だからね。だが、ルース君とは相性が良さそうだよ」
ロイドが、せっせと鍋に切った野菜を入れながら言った。
はあ? っとフラワがロイドを睨む。
「なんですか、それ。私の方が、ルースと相性バッチリなんですけど。超お似合いな二人なんですけど」
「いや、それについては異論はないけどね。ともかく、今のルース君は頑張りたいんじゃないかな。素敵な恋人のためにね」
「ちょっと、素敵とか、さりげなく口説かないでくれませんか? また誤解されたら嫌なんですけど。ルースはナイーブなんですから」
「大丈夫、まったく口説いていないから。君たち二人が仲良くやってくれると、私も大助かりだ」
「じゃあ、あの人のあのかっこうどうにかしてくださいよ。思春期の男の前で、ビキニアーマーとかありえなくないですか? 乳揺らしすぎじゃないですか?」
聖騎士ベルカーラが身に着けているのは、露出度が極めて高い金属鎧。ビキニアーマーであった。しかも赤。
胸と腰元を覆うだけの煽情的な鎧である。
「う、うん。私も、なぜ彼女があんなかっこうをしているのかわからないんだが。彼女なりの理由はあるはずなんだ。なんというか、君とは逆方向に個性的な子でね」
「元恋人と、有望なイケメン少年を、挑発してるに決まってるんじゃないですか。聖騎士の癖に、ふしだら。あっ、またルースが転んだ。やりすぎですよ」
ロイドは、後ろを振り返った。
ルースが、地面に尻餅をついているところだった。剣は彼の側で地面に刺さっている。
それを鋭い目つきで睨むように、冷然と見下ろすベルカーラ。
「次」
フラワが、だっ、と駆けて、ルースの元へと行った。
ルースをかばい、ベルカーラに文句を言う。
ルースがそれを止めている。フラワがここぞとばかりにルースに抱き着く。
そんな様を無言で見ていたベルカーラが、ロイドを見た。
目が合う。
ルースに向けていたものなど、比べ物にならないほどの鋭い視線。
ロイドはそれから逃れるように前に向き直った。
背中に、ベルカーラの視線を感じながら。
◇
長い口づけのあと、ようやくフラワはルースから離れた。
月灯りに光る二つの唇の間に、細い糸が引かれ、切れる。
「臭くなかった?」
フラワは言った。
目が回ったような顔で、ぼ~、としていたルースが、ブンブンと首を横に振った。
「ぜんぜん。ぜんぜん、臭わないよ」
「良かった。完全回復のおかげだね」
四人がルシディア教皇国聖都ルシディアナを立ってから、六日が過ぎている。
一行は、ルシディアナへの道中と同じく、金持ちの子息と侍女、護衛の戦士という装いで、北のガルレムト王国へと向かっている。
勇者一行が聖都を立つ前に、教皇ガリオンは、対魔王組織『光の矢』の幹部会議を開いた。
遠方と通信する魔法道具『遠見の鏡』を使っての、リモート会議である。
教皇ガリオンは、そこで、勇者を手元には置かず、自由にさせる旨を報告。引き続き勇者の存在を秘匿することを提案した。
組織の者の中には、勇者の存在を公けにし、それによって魔王をあぶり出すべし、という意見もあった。
だが、それは魔王復活を公けにすることになる。大混乱を引き起こすだろう。
「今は、勇者の信頼を得ることこそが重要ではないかと思う。彼の双肩に我ら人間の運命がかかっているのだから」
引き続き、影ながら勇者を補佐し、その動向を小まめに報告する、として、会議は終了した。
『光の矢』の幹部である各国の王の中には、魔王の復活に対して、懐疑的な者も多かった。500年前の戦いなど、それこそ、おとぎ話のように思えたのだ。
ルシディア教皇国が主導して造った『光の矢』へ属したのも、かの国を敵に回したくないだけのこと。
結果、魔王や勇者のことは、ルシディア教皇に任せるという空気があった。
魔王がその存在を世に現すまでは、仕方がないことだろう、と教皇ガリオンは思うのだった。
「臭くなったら言ってね。中級治癒をかけるから」
フラワは言った。
中級治癒をついに習得したのだ。これで、常時かけ続けていた接触治癒を、中級治癒にランクアップできる。
すでにフラワの【SP】は、100万に達している。上級治癒師でレベル40のロイドの【SP】が、1500程度なので破格である。
中級治癒くらいなら常時かけ続けても、まるで問題はないSP量であった。
ルースが無言でフラワを抱きしめた。
フラワも、ルースの背中に手を回し、ギュっと抱きしめる。
ああ、幸せ。超幸せ。
◇
一方、彼らから少し離れたたき火の前では、ロイドとベルカーラが話していた。
たき火を間に挟んで、向かい合って座っている。
「予想はしていたが、大神殿の状況はそこまでひどいか……」
ロイドがため息をついた。
ベルカーラから、教皇ガリオンを取り巻く状況を聞いたところだ。
各国のスパイがところどころに入り込んでいるという。
それぞれの国に、ルシディア神殿や眷属神の神殿がある。ルシディアナの大神殿には、そういった者たちが巡礼や、修行のために訪れる。スパイはそれらに混じって入り込み、情報を持ち帰っているのだ。
「『光の矢』が逆効果になったかもしれないな」
対魔王組織『光の矢』は、各国の王が幹部を務めている。組織を、ルシディア教皇国が自身の影響力を強めるために作った、と見ている王も多い。
「ガルレムト王がたきつけているみたい」
ベルカーラが下を向いたまま言った。
「ガルレムト王か。協力的だと思っていたがな。そういえば、あそこにも勇者がいたな」
もちろん、勇者の可能性があると噂になっただけで、本物ではなかった。第一王子ラウエル。神童と名高い子供であった。
「なんにしても、あまり目立ちたくはないな」
言って、ロイドは苦笑いした。
「ところで、なんでそんなかっこうをしているんだ。フラワ君が文句を言っていたぞ」
「こういうの、好きかと思って」
「残念ながらルース君はフラワ君にぞっこんだよ。君が美しいのは認めるし、その鎧を着るに値する見事な体だと思うけどね」
ベルカーラの顔に朱が差した。それから、下から睨むように、ロイドを見る。
じっ、と見る。
「なんだい?」
「違う」
「君は、もう少し自分の意見をはっきりと言った方がいい。その目つきだ。誤解されるよ」
「あなたに見せたかった」
ロイドは驚きのあまり、思わず咳き込んだ。
「わ、私にかい? だが、私は別にそういうかっこうが好きだと言った覚えはないが。いや、別に嫌いというわけではないが」
「惜しくなるかと思って」
ロイドは目を閉じた。
元恋人の一途さに打たれて、さすがに動揺した。
すっ、と腕に手が乗せられた。
細い指先がさわさわと肌を撫でていく。
ベルカーラがロイドの隣に移動したのだ。
「あのまま結婚しても辛いだけだったから」
「魔王の眷属と戦ったよ。一瞬で、神殿を跡形もなく破壊してのけた。あんな連中とやりあわなくてはならない。命がいくつあっても足りやしない。君には……」
唇に柔らかい感触。ベルカーラの唇の感触だ。
ロイドは目を開いた。間近に、緑色の瞳があった。たき火を映し、煌々(こうこう)と輝いている。
「ほかの誰かと生きるより、あなたと死にたい」
ベルカーラが言った。
ロイドは、もう、白旗を上げるしかなかった。
◇
「どうしたの?」
ルースがフラワを見て言った。
月明りに照らされた恋人の横顔。なにやら、ニヤニヤとしている。
長い抱擁のあと、寄り添うように歩いて、たき火に戻ろうとしたところで、フラワが足を止めたのだ。
「私、ロイドさんから、中級治癒のほかにもいくつかスキル習ったんだ。そのひとつに、周辺感知ってスキルがあってね。周囲100メートル範囲くらいの状況を知ることができるんだ。【SP】に余裕があるから、これ、最近ずっと使ってるんだけど。ほら、イチャイチャしてる時に邪魔が入ると嫌だし。でね、でね、今、ロイドさんとベルカーラさんが、くっついてるの。もうピッタリって感じ。ウェヘヘヘ、これはいったい、どういう状況なんでしょうなあ」
最後は下衆っぽい顔でフラワ。
「えっ、ど、どういうって。ええっ。ロイドさんとベルカーラさんが?」
「くくくっ、ビキニアーマーはそういうことでしたか。これは、わたくし、一本取られましたな。くくくっ」
「フラワ、顔がなんか……」
汚いよ、とさすがに言わないルースであった。
「くくくくっ、まあ、邪魔しちゃ悪いし。私たちも、もうちょっとイチャイチャしてとこうよ。くくくくっ」
「フラワ、その顔やめない?」
「えっ、私の顔、腐ってきた? 中級治癒の出番かな」
「いや、表情が、なんか、アレな感じで……」
「もう、ルースに変な顔見られちゃった。私の馬鹿馬鹿馬鹿」
ポカポカポカと両手で頭を叩く。
例のあの変顔で。
それに、ルースが吹き出した。笑い声が響き渡り、ロイドとベルカーラの復縁の抱擁を分かつのだった。




