間に合うか、間に合うか
宿に落ち着くと、ロイドさんは、用があるから半日ほど出かけてくる、と言った。
「君たちは、気楽に観光でもしていたらどうだい。この辺りなら、被害もなかったようだし、空気も殺伐としていないよ」
「私はそうしたいんですけど……」
フラワが俺を見る。
「デートしたいんだけどなあ。彼氏が機嫌悪いしなあ。デートしたいんだけどなあ」
「博物館や美術館もあるし、のぞいてみたら楽しいと思うよ。それじゃあ、夜には戻るよ」
ロイドさんが出ていった。
マントの下に神官着を着込んでいたから、組織関係か。それとも王様に会いに行ったのかもしれない。
「デートしたいな。デートしたいな」
フラワが、大きな声でひとり言を、言っている。
いや、ひとり言っぽく、俺に言っている。
俺は、大きく息を吸った。
ちょうどいい。二人きりになれた。
まっすぐにフラワを見る。
フラワが、わざとらしく、目をパチパチさせた。
「なに? デートしてくれるの? しゃべってくれなくてもいいから、デートしてよ」
「きちんと話したいんだ。フラワ」
声がかすかに震えた。
フラワが、目を見開いた。
俺が話したから、驚いたのかな。
「なんか、久しぶりにルースの声聞いた」
えへへへっ、と嬉しそうに笑う。
くそっ、なんでこんなに可愛いんだよ。
決意が。覚悟が。鈍るじゃないか。
「ロイドさんのこと……」
しばらく、間を置いて、やっと言った。
「うんうん、ロイドさんのこと?」
また、長い間。フラワが黒い瞳を向けて、じっと俺の言葉を待ってる。真っ黒いインクのような瞳。
あれ、フラワの瞳。こんなだったっけな。
「ロイドさんのこと……。ロイドさんのこと好きなの?」
「えっ、そりゃあ、好きか嫌いかで言ったら好きだよ。ルースへの気持ちがドラゴン級だとしたら、ロイドさんへの好きはラビットボール級だけど。うん? スライムくらい、いくかな。いい人だしな」
人を食ったような態度に、カチンときた。
「フラワ、正直に答えてくれ。俺、真面目に聞いてるんだ。フラワに他に好きな人ができたんなら、俺は……。俺は、諦めるから、フラワのこと」
怒鳴るように言った。
視線を床に落とす。
怖くて、フラワの顔が見れなかった。
「さっきから正直に答えてるよ」
フラワの声は真剣そのもので。
茶化すような感じはまったくなかった。
「私が好きなのは、ルースだけ。私が恋してるのはルースだけだよ。ロイドさんとは、本当になんにもないし。ルースが、なんでそんな誤解するのか、わけがわからないんだけど」
顔を上げた。
フラワが、微笑んでた。幸せそうな顔で俺を見ていた。
「本当だよ。ルース以外いらないくらい、君が大好きなんだから」
幸福感が、ずっと心の中に居座っていたイガイガを、消し去ったみたいだった。
だけど、すぐに、頭の中に、上半身裸になったフラワと、ロイドさんの様子が浮かんだ。
「お、俺、見たんだ。フラワが裸で、ロイドさんといるの」
俺は、目を閉じて言った。
げっ、とフラワの声。見られてた、って驚いてる。
心が冷えていく。
やっぱり、そうなんだ。
騙されるところだった。
ずぼっ、と変な音がしたので、目を開けると、フラワが何かを目に突っ込んでいた。
あれ、なにしてるんだ。眼球を目に入れてるような……。
フラワが、顔を両手で覆った。
見間違い、だよな。
「ええと、ね。あれ、見てたんだね。あれについては、ルースが考えてるようなことじゃないよ。詳しくは言えないけど、ロイドさんに治療してもらってたの。あと、別に、私、裸、見せてないから。背中向けてたから。ここ、超重要だから」
「治療? なんの? どこか悪いのかい?」
思わず、フラワに近づいて、その肩に触れた。
ぐにゃっ、と妙な感触がした。
それに、あの臭い。
ときどきする、なにかが腐ったような臭いがした。
「ごめん、ルース。ちょっと離れて。できれば、部屋から出て行って欲しい。お願い」
その声が、あまりにも切羽詰まっていて。
本気で懇願していることがわかって。
俺は、フラワから離れると、部屋を出た。
ドアを背にして、両手で顔を覆う。
誤解だったんだ。俺の誤解。
たぶん、フラワは、ベルゼベルズになにかをされたんだ。
そうだ。あの時、フラワはひどい様子だったじゃないか。
ロイドさんに裸の背中を向けてたのは、治療してもらうため。
でも、それなら、あんな風に俺に隠れてやらなくても良かったのに。
そもそも、フラワの状態を俺に隠す必要がない。
それでも、はっきりとつながったんだ。
はっきりとわかったんだ。
フラワの気持ちは、変わっていないって。
ロイドさんを好きになったわけじゃないって。
涙が出そうなくらい嬉しかった。
フラワは、まだ俺の恋人でいてくれる。
俺を好きでいてくれる。
ギヤアアっと、建物を揺らすような轟音が響いた。
頭が真っ白になるような、大きな音だった。
直後に、吹っ飛ばされる。ドアがすごい勢いで開いたせいだ。
「ルース、今のなに?」
フラワが言った。
「わからない。爆発音みたいな気もするし、なにかの吠え声みたいな気もするし」
「ドラゴンかも。外へ出よう」
部屋から次々と人が出てくる。ドラゴンだ、なんて声がする。
みんな一階のロビーに向かうものだから、廊下は込み合った。
俺はフラワの手を握ると、人ごみに流されるように進んだ。
フラワの手は、なにか変な感触で。それにとても冷たかった。
だけど、俺には、関係なくて。
ただ、フラワと手をつなげたことが嬉しかった。
宿を出ると、通りには人があふれていた。
みんなして、空を見上げている。
遠くの空に、黒いものが飛んでいる。
鳥のような。十字のシルエット。
また、轟音。
あまりの音に、倒れる人が何人もいた。
空の十字が、どんどん大きくなる。
それとともに、形がはっきりとしてきた。
広げた翼。長い尻尾。
ドラゴンの下に白い文字が浮かんでいる。
アナンテア。
あれ、これって、ベルゼベルズの時と同じ感じだ。
「あれが、ドラゴンかあ」
フラワが、のんきな声で言った。
空を見上げたその顔に、青黒い斑点のようなものができている。
それがなにか、と考える前に、いきなり半透明の枠が視界に現れた。
白い文字が書かれている。
――――――
魔王の眷属を確認。制約を一時的に解除しますか?
――――――
はい、いいえ、の選択肢。
ロベリアンネ神殿で、ベルゼベルズを見た時と同じだ。
つまり、あのドラゴンは、魔王の眷属だっていうわけか。
俺は、はい、と強く答えた。
ドクン、と大きく心臓が跳ねた。
前回と同じ、耳鳴り。頭痛。動悸。
体が熱くなり、視界は真っ白になる。
音も消えて。
ただ耳鳴りだけが残り続ける。
体の熱が消えた。
耳鳴りも頭痛も消えた。
視界が戻った。音も戻った。
身内に力があふれているのがわかる。
「ル、ルース。それって……」
フラワの驚いた声。
彼女だけじゃなかった。周囲の視線が俺に集まっている。
だけど、それに構っている場合じゃなかった。
もう、ドラゴンは、その凶悪な頭の形がわかるほど近くに来ている。
街に被害が出る前に倒さないと。
ロベリアンネ神殿の時みたいには、させない。
「あいつは、魔王の眷属だ。俺、行ってくる」
フラワに言うと、俺は跳んだ。
高く高く跳べるって、体が知っている。
四階建ての宿屋の屋根よりも高く跳び上がった俺は、宙を踏んで、その場に留まる。
足元に見える、人ごみ。
フラワに手を振った後、もう、体を覆う鱗まで見えるドラゴンに向かって飛んだ。
鳥よりも速く飛んで、ドラゴンに一直線に向かう。
そうしながらも、いつも肌身離さずつけている腰の収納袋に手を突っ込むと、剣を取り出した。
ドラゴンが大口を開いた。
俺に向かってオレンジ色の炎を吐く。
炎をかわして、ドラゴンに接近。
ベルゼベルズを倒した時のように、ただ、ドラゴンを斬ること願った。
体が鳥から風に、風から光に、変わったような感覚。
ドラゴンの巨大な頭部を通過し、そのまま後ろに回り込む。
剣を振り下ろした姿勢で止まった。
ドラゴンの頭が、俺の後ろで縦に二つに割れるのが分かった。
そのまま地上へ落ちていく。
魔王の眷属は死んだ瞬間、黒い塵になり、宙に消える。ドラゴンも地上へ落ちる前に消えるはず。
倒した。
やっぱり、勇者の力はすごい。
誇らしい気持ちが湧いてきて、今の俺を、フラワが見ていてくれたかどうか気になった。
つい、飛んできた辺りに目を向けてフラワを探す。
油断だった。
次の瞬間、落ちていくドラゴンの巨体が白く輝いたんだ。
まずい。
それがなんの予兆なのか、俺には分かる。
爆発する気だ、あいつ。
街を巻き添えに自爆する気だ。
くそっ、させない。
俺は光となって、強烈な輝きを発するドラゴンに突撃した。
爆発を押さえこめ。
勇者の力ならできる。
できるはずだ。
光が一度収まり、より強く弾ける。
その直前に、俺はドラゴンの巨体に触れた。
爆発を空へ。
地上を守れ。
街を守れ。
強く念じる。
世界が白く溶けた。
視界はすぐに戻った。
落ちている。勢いよく地上に向かって落ちている。
地面に叩きつけられた。
石畳が割れて、道路にへこみができるのがわかった。
立ち並ぶ建物が見える。
ああ、間に合った。
今回は、大丈夫だった。
守れたよ、フラワ。
それにしても痛いな。
爆発のせいよりも、落下の衝撃のせいだよ、これ。
勇者の力が無くなったあとに、受けたダメージだからかな。
よく生きてたよなあ。
フラワが俺を呼ぶ声がした。
青い空を影が覆う。
フラワだ。
「今、治すから。今、治すからね」
接触治癒と叫ぶ。
白い光が輝いて、そのまぶしさに目を閉じた。
ああ、気持ちいい。温かいお湯に浸ってるような、心地よさ。
体だけじゃなく、心まで、癒されていくような気がする。
ぼてっ、と何かが俺の胸に落ちてきた。
なんだ?
目を開けると、フラワの右腕が無くなっていた。
顔を見ると、両耳と、左目がない。
顔全体がぐじゅぐじゅとしていて、青い斑点ができている。
そして強烈な腐敗臭。
まるで俺に命を捧げたみたいに、彼女の顔が急速に崩れていく。
「ご、ごめん、ね。わた、し、ベルゼ・ベル、ズに、呪いを……。目、目を閉じ、て……。み、見られたく、ない……」
かすれて、どうにか聞き取れるくらいの小さな声。
俺は目を閉じた。
そうか、やっぱりそういうことだったのか。
体が腐る呪い。ずっとそれを受けていて。
だから、あの時、ロイドさんに治療をしてもらってたんだ。
「ごめんね、もういいよ」
俺は目を開けた。
フラワの顔は治っていた。
ただ、微笑みは引きつっていて。
今にも泣き出しそうな感じがした。
「体が腐る呪いなの。ベルゼベルズの奴にやられて。ずっと治癒をかけてるんだけど、それでも追いつかなくて」
ポタポタと涙がこぼれた。
「ごめんね、ルースにだけは知られたくなくて。気持ち悪いって、思われたくなくて。体も臭いしさ」
フラワが泣いた。声をあげて。
俺は体を起こすと、顔を覆うフラワの手をどかした。
少し顔が崩れていた。
紫色になった唇にキスをする。
それから抱きしめた。
強烈な眠気がきた。
「間に合って、良かった……」
意識が吸い込まれるように、俺は眠りに落ちた。




