諦められるわけないっしょ
「本当に行くのかい?」
「うん。ちょっと大変かもだけど、頑張ろうよ。それで、次はゴブリン」
明るく笑ってフラワが言った。
目の前には、閂のかけられた鋼鉄の扉。かすかに聞こえる水の音。無視できないほどの強烈な悪臭。
この扉の先は下水道になっている。
まだフラワと出会う前に、大怪我を負った場所。まあ、その怪我のおかげでフラワと出会えたんだけど。
人食いネズミ。
下水に住む大ネズミのこと。
ラビットボール、スライムときて、次に狩るモンスターは人食いネズミ。
ブレン・ブルー一帯のモンスターの強さでいえば、それが順当らしいんだ。
人食いネズミを飛ばすと、次はゴブリンになる。
ゴブリン退治には、毒治療のスキルを覚えていった方がいいらしい。
ゴブリンの中には、毒を使ってくるやつもいるらしいんだ。
治癒師の使う回復系スキルは、本当なら、ロベリアンネ神殿で覚えるらしいんだけど、フラワはそれを拒否してる。
俺のことで、ロベリアンネ神殿を、ものすごく嫌ってるんだ。
神殿からの呼び出しの手紙も無視してるくらい。
神殿以外で覚えるとなると、スキル本が必要になる。そして、これがものすごく高い。
人食いネズミを飛ばして、ゴブリン退治にする案を諦めたのはそんな理由なんだ。
人食いネズミか。
はっきり言って、気が進まない。
理由は二つ。
一度、死にそうな目にあったから、ちょっと怖いってのがある。
情けない話だけど、人食いネズミの名前を聞いただけで、齧られた脇腹がうずくんだ。
もう一つは、臭い。下水道は、はっきりいってものすごく臭い。しばらく鼻が効かなくなるくらい、すごい臭いなんだ。臭いはしみつくし。
好きな子に、そんな辛い思いさせたくないよ。
だけど、フラワは、俺だけで行くっていっても、ぜんぜん聞いてくれないんだ。
それは、俺、弱いけどさ。
「じゃあ、開けるね。下水道へ、ご招待」
フラワが元気いっぱいに言った。
閂を外して、扉を開く。
顔を真正面から殴られたようなショック。
強烈な臭いって、痛みにも似てるんだな。
フラワが鼻を押さえた。目から涙があふれている。
扉を閉めようとしたら、フラワがそれを止めて、首を横に振る。
ランプを灯して進む。
以前、嗅いだせいか、俺の方は、すぐ慣れてきた。
ただ、フラワは顔色が、どんどん悪くなっている。足が、少しずつ遅くなってきて。
とうとう、うずくまった。
フラワに肩を貸して、来た道を戻る。
今は、来るなよ、人食いネズミ。
頼むからさ。
入り口まで戻って、扉を閉めて。
フラワが嘔吐した。
その背中をさする。
とにかく、上に行こう。
ここだと、まだ臭いがある。
ううっ、ううっ、って、うめくフラワの肩をかついで、階段を上る。
こういう時、ひょいと抱っこできたらいいんだけどな。
地上に戻ると、そこでもまた、フラワは吐いた。
ごめんな、きつい思いをさせて。
女の子が、あんなところ行きたくないよな。
フラワの背中を優しく撫でたり、水で口をゆすいだりしながら、申し訳なくてたまらなかった。
だけど、その気持ちはフラワも同じだったようで、ごめんね、ごめんね、と謝りながら吐いていた。
嘔吐が落ち着いてからも、フラワの顔色は悪かった。ぐったりとして座り込んで。
「俺、一人でやってみるよ」と何度も提案したんだけど、フラワはそのたびに、ダメっと大声で拒否した。
「一人で行っちゃダメ。絶対にダメ」
結局、午後にもう一度挑戦してみることにした。
「さっきは油断してたから。次は堪えるから大丈夫よ」
青ざめた笑顔でそんなことを言う。
すごい根性。
俺も、見習わないとな。
◇
昼食を挟んで、もう一度、下水道へ。
あんなことがあった後だけど、フラワはガッツリ食事を取った。
「しっかり食べて、人食いネズミをぶち殺してこないとね」
また吐くかもしれないから、あんまり食べない方がいいと思うんだけど。
フラワの考えは違った。
「だって、いっぱい食べておいたら、もったいなくて吐けないもの」
なんだろう、その理屈。無茶苦茶なんだけどフラワが言うと、なんか説得力があるような気もした。
閂を外して、下水道へ再挑戦。
フラワは、最初は顔をしかめて鼻を押さえていたけど、すぐにその手を外した。
今度は大丈夫みたいだ。
さすがに話す気にはなれないみたいで、黙々と歩く。
暗い中、まん中を流れるどぶ川の水音に交じって、俺たちの靴音が響く。
ふいに、大きな音が響いた。
地響きみたいな低い振動音。
それが、どんどん大きくなっていく。
ガリガリ。そんな音がいくつも重なっているような。
いったい、なんの音だ、これ。
まるで大量のなにかが走ってくるような。
そこまで考えた時、体がふわっと浮かび上がった。
フラワが俺を抱き上げたんだ。
「えっ、フラワ?」
なにを、と聞く前に、彼女は走っていた。
俺が持ってるランプに照らされた、四角い下水道を、ものすごい速さで走る。
後ろから、どんどん音が迫ってくる。
我慢できずに、振り返った。
毛だ。闇の中で、なにか毛の塊のようなものが動いているのが見えた。
それで、俺も分かった。
人食いネズミの大群。それが壁も天井も埋め尽くして、迫ってきているんだ。
扉の外に出た。
フラワが閂をかけて、扉を押さえる。
俺も押さえた。
ドカンと扉が大きな音をたてて揺れた。
それが、何度も来る。
手が痺れる。肩が痛い。
だけど、あんな人食いネズミの大群が外へ出たら大変なことになる。
しばらく、鉄の扉を二人で押さえていた。
やがて、音も衝撃もやんだ。
人食いネズミたちは諦めたみたいだ。
二人で、はあ、と息を吐く。
「すごい数だったね」
「本当に大量発生だよ。あんなの無理無理」
ふと視界に入った左腕。はっ、として、目を向ける。
「あれ? リボンが……」
ない。
ない。腕に巻いてていたステータスアップのリボンが、ない。
【HP】が50上がる、黒いリボンがないじゃないか。
「逃げるときにほどけて落ちたのかも。ごめんね、ヤバいって思ったから、バタバタ動いちゃって。ひっかけちゃったのかも」
フラワが言った。
その笑顔に元気がない。
当たり前だよ。40万エネルもしたんだから。
俺は扉を睨んだ。
音はもう聞こえない。ネズミたちは去ったみたいだ。探しに行ってこよう。
「しょうがないね。諦めよう」
フラワが言った。
その顔は、もう元気いっぱいのフラワで。
それが、俺のことを思っての笑顔だってわかるんだ。
「フラワは待ってて。俺、探してくるよ」
「ダメ。さっきの見たでしょう。あんなの危なすぎるよ。もし、逃げるのが遅れてたら、死んじゃってたよ」
「でも、ネズミの大群はどっか行ったみたいだし」
「そんなのすぐ戻ってくるよ。ネズミはすばしっこいんだから」
そのまま、しばらく、言い合った。
暗い中、黒いリボンなんて見つかりっこない。ネズミの大群が戻ってきたら、死んでしまう。
そう説得するフラワに、俺は探しに行くの一点張り。
40万エネル。
フラワが、頑張ってモンスターを倒して稼いだ40万エネル。
俺と同じように田舎からでてきたフラワだ。街で欲しい物なんてたくさんあるはずなのに。
昨日だって、一万エネルの靴を物欲しそうに見てて。
買おうよ、って言ったけど、フラワは首を横に振って。
「もう、二足も持ってるもの。そんなにたくさん持っててもしょうがないよ」
なんて笑って。
だけど、その二足だって、昨日履いてた可愛い靴と、いつもの実用一点張りのブーツの二足なんだ。
未だに、フラワは食前に干しスライムを齧る。少しでも節約しようとしてさ。
「私、食べるの大好きだから。欲望のまま食べ過ぎちゃうの。だから、干しスライムで、調整しないと」
そんな風に、節約して、我慢して、俺のステータスアップのために買ってくれたリボンなんだ。
諦められるわけ、ないだろ。
だから、俺は、嘘をついた。
諦めるって。
また、頑張って稼ごうよって。




