04話 理想のMさんと現実の松前くん
昼休みのチャイムが鳴っても、リサの意識はまだ戻ってこなかった。
(Mさん、今ごろ何してるのかな)
今日は、朝からずっとこの調子だった。
授業中もノートを取りながら、頭の隅では昨夜のことばかり繰り返し再生されていた。
机を合わせて弁当箱を広げる周りの声に、リサも「いただきまーす」と手を合わせる。
輪の中に加わっているのに、会話はどこか遠くで鳴っているように聞こえた。
誰かが喋れば相槌は打つ。
でも、話を拾って広げるところまでは、今日はできていない。
火の灯ったランタンラビットが、頭の中でまだふらふら揺れている。
目の前にあるはずの卵焼きが一瞬ぼやけた。
顔も知らない相手のことを、リサは好き勝手に想像し始めていた。
(Mさん、きっと大人なんだろうなぁ)
ひとつは、高額な蘇生アイテムを返そうとした時のことだ。
惜しむ様子もなく、恩着せがましくもなく、ただ「返さなくていい」とだけ言われた。
それどころか、<代わりに強くなって>と返された。
それに、こっちの操作が遅くても、急かされたことは一度もない。
町へ向かう道中も、あたしの歩幅に合わせて歩いてくれた。
いい狩り場を教えてくれた時も「無理にとは言わない」と、断っても気まずくならないようにしてくれる。
戦い方を教えてくれる時も、押しつけがましさがなかった。
必要なことだけを、短く分かりやすく伝えてくれる。
あたしが同じミスを繰り返しても、出来るようになるまで何度も付き合ってくれた。
危ない時だけそっと手を貸してくれて、それ以上は踏み込んでこない。
勝った、っていう気持ちまで持っていかない。
こっちがはしゃいでも、浮かれた感じにならない。
いつも同じ温度で、ちゃんと返してくれる。
あの余裕は、少なくとも年の近い男の子からは出てこない。
一度そう思い込むと、想像は次々と続きを描き足していく。
仕事終わりの部屋。
明かりを少し落として、モニターの光で顔を照らしながらキーボードを叩いている。
机の端にはコーヒーカップ、湯気がまだ細く立っている。
椅子の背もたれに体重を預けて、片手だけでマウスを操作しながら、涼しい顔でモニターを見つめている。
(現実でも、困ってる人放っておけないタイプなんだろうな)
落ち着いてて、頭がよくて、無駄なことは言わない。
効率とか関係なく、初心者のペースに合わせてくれる。
(やっぱり社会人かな。彼女とかいるのかなぁ……)
そこまで考えて、リサは自分の頬に手を当てた。
(いやいやいや、なに考えてんの)
打ち消そうとしても、想像の中のMさんは椅子の背もたれに深く座ったまま、動いてくれない。
(いいなぁ、そういう人。きっとすごいモテるんだろうな)
結局、また同じところに戻ってくる。
何度も打ち消そうとする自分を、Mさんは涼しい顔で見ている気がした。
こうなったらもう、止める気もなくなってきた。
開き直ると、急に楽しくなってくる。
休みの日は、きっと家でゆっくりしているタイプだ。
難しい本を読んでいたり、コーヒー豆にはこだわっていそう。
豆から挽くタイプ。
筋トレも趣味で、腹筋バキバキだったりして。
でも自慢はしない。
聞かれたら「まぁ、多少は」とか言う。
(……いや、スペック盛りすぎ。RTX6090並じゃん)
想像の中のMさんが、都合よく<理想の男性像>に仕立て上げられている。
会ったこともないくせに、ここまで作り込んでる自分がちょっとおかしくて、口元がゆるんだ。
でも、こんなことを考えてる暇があるなら、やることがあるはずだ。
まだお礼らしいお礼ができていない。
(お返ししなきゃって思ったのに、また面倒みてもらっちゃった)
昨日、花の丘まで連れていってもらって、レベル上げにも付き合ってもらって、装備のことまで教えてもらって、こっちは「ありがとうございました」しか返せていない。
もっと何かできたはずなのに、結局甘えっぱなしで終わっている気がする。
情けない。
自分からフレンドになってほしいって言い出しておいて、結局教わりっぱなし。
頑張るって言った割に、まだ自力で何もできていない。
それでも、今のままでいたいと思う。
助けてもらってるのに、上から目線を感じない。
隣で見ててくれてる、というのが近い。
その距離感に、あたしはいつのまにか甘えている。
(甘えすぎ、かな)
申し訳なさと、心地よさ。
二つが同時に胸の中にあって、どっちつかずのまま収まりが悪かった。
早く恩を返したい。
でも、今の自分にできることなんて、レベルを上げて、迷惑をかけないくらいしかない。
そこまで考えて、リサは小さくため息をついた。
弁当箱の蓋を閉じたところで、視界の端で何かが動いた。
窓際の席で、松前くんが席を立っている。
財布をズボンのポケットに押し込んだ拍子に、白い紙が一枚、ひらりと落ちた。
松前くんは気づかない。
購買にでも行くのか、そのまま廊下側へ歩いていく。
耳にはいつものイヤホン。
誰かに声をかけることもなく、自分から動くだけの、いつも通りの姿だった。
リサはすぐに椅子を引いていた。
「松前くん、なんか落ち…」
言いかけた声は、途中で止まった。
イヤホンをした耳に、リサの声は届いていない。
振り返る様子もなく、松前くんはそのまま廊下へ出ていく。
呼び止める間もなく、後ろ姿は人の流れに紛れて見えなくなった。
教室は昼休みのざわめきに満ちている。
落ちた紙のことなんて、他の誰も気にしていない。
リサは紙の近くまで歩いていき、拾い上げた。
松前くんのだよね、と確かめるつもりで、そのまま開いてみる。
目に入った瞬間、指先が止まった。
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魔法職→Lv12〜15
花の丘→ランタンラビット
Lv15〜25
敵複数・素材売れる
範囲技の練習向き
複数巻き込みを覚える
青の洞窟→しびれコウモリ
Lv25〜40
麻痺耐性あれば
避けながら攻撃の練習
床が赤くなったら離れる
回復と補助だけ
倒させる
〇灯草のローブ→フルセットで
✕夜鳥のローブ→高レベルだけど性能ゴミ
麻痺は必須・上下で100にする
靴転び必須・無理に100にしなくてもいい
武器→
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(まさか……)
いや、たまたまだ。
<ファイナルフロンティア>をやってる人なんて、いくらでもいる。
魔法職の初心者向けメモくらい、攻略サイトを見れば誰でも書けるはずだ。
そう思い直そうとするのに、読み進めるたびに、その言い訳が薄くなっていく。
レベルは、Lv12〜15。
自分と、ほとんど同じ…。
花の丘で、ランタンラビットで、範囲技の練習。
昨日、連れていってもらった場所だ。
複数の敵を範囲技で巻き込むと、そう教えてもらった。
回復と補助だけ、倒させる。
(……これ、自分用じゃない。誰かに教えるためのメモだ)
それが、こんな風に文字として、松前くんのメモの中に書かれている。
灯草のローブ、麻痺は上下100、靴転び必須。
昨日、装備のことで言われた基準と似ていた。
最後の「武器」という二文字だけが、そこで途切れている。
続きは、何も書かれていなかった。
紙を持つ手に、じわりと汗がにじむ。
(いや、ないないない)
そもそもMさんは大人の人だから、同じクラスにいるわけがない。
うちのクラスの男子なら、なおさらだ。
入学したばかりでまだ顔も名前もろくに覚えていないうちから、やたら距離を詰めてくるのが早かった。
それは今も変わらない。
彼氏いるのとか、連絡先教えてとか、今度二人で遊ぼうとか。
仲がいいわけでもないのに、平気でそういう話を振ってくる。
Mさんみたいな大人っぽさなんて、欠片もない。
あの人は最初からずっと、聞き役に回っていた。
景色の話も、コーデ装備の話も、こっちが一方的に喋っているだけなのに、ちゃんと拾って返してくれる。
適当な相槌じゃない。
ハウジングの話をすれば「詳しいな」、可愛いと頑張れるという話をすれば、少し間を置いてから「そういうのいいな」と答えてくれる。
画面の向こうの、名前も顔も知らない相手のほうが、よっぽど話をちゃんと聞いてくれていた。
あんな大人っぽい振る舞い、同い年の男の子にできるわけがない。
いつも机の周りに集まってくる男子たちの顔が浮かぶ。
(え、待って…松前くんは)
松前くんは、その輪の中にいたことがない。
そもそも会話自体、朝と帰りの挨拶以外にほとんどない。
(……いや、それは喋らない人ってだけで)
そう思い直そうとしても、大した否定材料にはならなかった。
踏み込んでこない。
急かさない。
適当に流さない。
(松前くんがMさん? そんな偶然あるわけない)
でも、目の前の文字は、昨日Mさんから聞いたことと重なっている。
字がきれいだった。
角が丸くて、読みやすい。
(松前くん、字きれいなんだ)
(……いや、そこじゃない)
指先に、じわりと力がこもる。
その時。
「それ、オレの」
松前くんに横から声をかけられて、リサはびくっと肩を揺らした。
反射的に、紙を胸元へ引き寄せそうになる。
誰にも見せたくない、その気持ちで手が先に動いていた。
すぐに、自分が今何をしようとしたのか気づいて、慌てて紙を差し出す。
「ご、ごめん。落ちてたから」
声がわずかに上ずったが、表情だけは崩さなかった。
愛想笑いの下に、動揺を隠す。
誰にも気づかれないように。
「……どうも」
松前くんは紙を受け取ると、折り目を確認するように視線を落とした。
それだけで、それ以上は何も言わない。
そのまま紙を財布と一緒に鞄へしまった。
購買帰りらしく、片手にはコーラのペットボトルが握られている。
特に何かを気にした様子もなく、椅子を引いて席に着く。
リサはその場に立ったまま、しばらく動けなかった。
我に返って、自分の席へ戻る。
教室のざわめきが、急に遠くなったように感じた。
友達に呼ばれた気がしたが、うまく反応できたかどうか自信がない。
自分の席に戻ってからも、心臓の音がまだ落ち着かなかった。
(青の洞窟、しびれコウモリ、床が赤くなったら離れる)
(次、Mさんがこれ言ったら……)
もし。
もし本当にそうだったら。
窓際の一番後ろの席を、リサはそっと盗み見る。
松前くんは何事もなかったように、スマホの画面に視線を落としている。
イヤホンをつけて、いつも通り誰とも関わらずにいる。
昼休みが終わるチャイムが鳴っても、午後の授業が始まっても、意識しないようにすればするほど、窓際の一番後ろの席が視界の端に入ってくる。
先生の声が、耳を素通りしていく。
(青の洞窟、しびれコウモリ……)
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