02話 恩返ししたい初心者と、世話を焼きたい上級者
「松前くん、おはよー」
教室のドアが開く音に、リサは反射的に顔を上げていた。
目が合えば、考えるより先に声が出る。
仲がいい相手にも、そうでない相手にも、それがリサの標準だった。
松前くんが足を止め、リサのほうを見る。
「……おはよ」
短い返事が、すぐに返ってくる。
抑揚のない声。
松前くんはそれだけ言うと、まっすぐ自分の席へ向かっていった。
窓際の一番後ろ、窓からの光を浴びながら、外の景色を眺められる特等席。
席に着くと、もうスマホに視線を落としていた。
(相変わらずクールだなぁ)
他の男子なら、目が合った時点でもう少し話を続けようとする。
松前くんにはそれがない。
挨拶をしたら、それで終わり。
会話が続くこともなければ、続けてほしいという空気もない。
群れることをしない人、というのがリサの中の松前くんだった。
休み時間はイヤホンをしてスマホを操作している。
誰かに絡まれることもなく、自分から絡みにいくこともない。
周りに合わせて愛想を振りまかないところも含めて、松前くんは他の男子とはちょっと違う空気を持っている。
朝の教室は、まだ半分ほどしか席が埋まっていない。
窓際とは反対の、廊下に近い席では女子生徒たちが数人かたまって喋っていて、その輪の中心には決まってリサがいた。
誰かが話しかければ、途切れることなく相槌が返ってくる。
教室の中で一番声のトーンが高い場所は、大抵リサの周りだった。
読者モデルの仕事で撮った写真は、たびたびSNSで話題になる。
今日もその話題で盛り上がっていた。
「昨日の写真、可愛かったよねー」
「見た見た、いいねの数すごいの」
「俺もそれ見た」
通りかかった男子生徒が、輪の外から会話に混ざってくる。
一人が加わると、近くにいた別の男子生徒も釣られるように足を止めた。
気づけば、リサの机の周りに男子が数人集まっている。
「如月さんて、やっぱめちゃくちゃ可愛いよね」
リサは一瞬でいつもの笑顔を作る。
「ほんと? ありがとー」
「彼氏とかいないの、まじで」
「え、いないよー。ほんとに」
「じゃあどんな人がタイプなの」
「んー、優しい人かなあ」
「休みの日って何してんの」
「基本だらだらしてるだけだよー」
飛んでくる質問を、リサは大きく崩さず軽く受け流していく。
答えの中身よりも、間の取り方のほうが慣れていた。
誰の質問も拾いすぎず、切り捨てすぎない。
声のトーンも表情も、ずっと同じ高さのままだった。
「如月さんってさ、話しやすいよね。安心するわ」
誰かがそう言うと、周りが小さくうなずいた。
褒められているのに、リサの中では警報が鳴る。
こういう空気のあとに、少しだけ踏み込んだ質問が来ることを、リサは経験で知っていた。
「そういえばさ、如月さんって今好きな人とかいないの?」
軽い世間話のはずが、輪の中の空気が少しだけ変わる。
誰かが次の言葉を待っているのが分かった。
リサの指先が、一瞬だけ止まる。
でも顔には出さない。
出せない。
視線をわざと上に逃がして、考えているふりを一秒だけ挟む。
少し困ったように眉を下げて、冗談っぽく返す。
「えー、そんなのいないよー」
「え、なにその間」
「今のは絶対いるでしょ」
詰め寄る声に、リサは両手で大きく✕を作る。
「もー、詮索禁止ぃ」
語尾を伸ばして、いつもの調子で流す。
場は壊れない。
重くもならない。
誰も傷つけず、誰にも本当のことは渡さない。
「はいはい、これ以上は内緒でーす」
予鈴のチャイムが鳴った。
輪になっていた男子たちが、それぞれの席へ散っていく。
入れ替わるように、隣の席の女子生徒が席に戻ってきた。
「如月さん、朝から大変だね」
「えへへ、ありがと。慣れてるから平気だよ」
女子生徒が呆れたように笑うと、リサも笑い返す。
話を振られたら最後まで拾ってしまうし、誰かと誰かの間に立って、場の空気をならすことも多い。
今のやり取りも、突き放して終わらせるより、ちゃんと拾って終わらせるほうが性に合っていた。
拾ったぶんだけ、自分の中には残る。
誰にも見せない分だけ、あとで一人になった時にどっと疲れが出る。
それも含めて、いつものことだと分かっていた。
友人が席に着くのを見届けてから、リサは机に向き直った。
勉強はそんなに得意じゃない。
得意科目と呼べるものも特にない。
得意なのは、たぶん愛想笑いと相槌だけだ。
そんな調子で、学校生活もなんとなくやり過ごしている。
オンラインゲームを始めたのは、顔も声も知らない誰かとやり取りできるからだった。
<学校の如月さん>でも、<モデルのリサ>でもない。
顔も立場も知られていない場所でなら、愛想笑いを作らずにいられる。
その仮面を外せる場所を、リサはずっと探していた。
ノートを開きながら、意識だけが別のところへ流れていく。
(今日は早く帰ってゲームやりたいな)
昨夜のことは、まだはっきり覚えている。
助けてもらったこと、町まで送ってもらったこと、フレンドになってもらえたこと。
(そういえば、あのアイテムなんだったんだろ)
授業前の数分間、スマホを机の下でそっと開く。
検索バーに、昨夜自分に使われたアイテムの名前を打ち込んだ。
(確か……ユグドラシルのしずく、だったはず)
検索結果が表示された瞬間、指が止まった。
(相場1億ゴールド?!)
声が出そうになり、口元に手を当てる。
入手難易度、S。
高難度ダンジョンで、低確率でドロップする。
(え、待って。なにそれ、どういうこと?)
誰も足を止めてくれなかった。
あの時、Mだけが迷わず使ってくれた。
それがどれほど貴重なものだったのかを、今さらになって知った。
スマホをそっと閉じる。
授業開始のチャイムが鳴る中、リサは前を向いたまま、心の中でだけ決意を固めた。
このままじゃダメだ、絶対にダメだ。
もらいっぱなしのまま、なにもできないのは嫌だ。
(今日、帰ったらすぐログインして……とにかくレベル上げて、お金貯めよう)
六時間目が終わると、教室はすぐに部活へ向かう生徒と、まっすぐ帰る生徒とでざわめきが二層になる。
鞄を肩にかけ、リサは足早に廊下へ出た。
出口のところで、誰かと体がぶつかりそうになる。
「わっ」
半歩よけて道を譲ってくれた相手を見ると、松前くんだった。
どうやら、同じタイミングで教室を出ようとしていたらしい。
「ご、ごめん! ありがとー」
「……いや」
「松前くん、ばいばい。またねー」
「……またな」
短いやり取りのあと、リサが先に廊下を歩き出す。
頭の中はもう、今夜ログインした後のことでいっぱいだった。
◇ ◇ ◇
もともと、学校でのマサキは誰かと積極的に話すタイプではない。
休み時間はイヤホンをつけて音楽を聴きながら、窓の外かスマホを見ている。
話しかけられれば短く返すが、自分から輪に入っていくことはほとんどない。
人付き合いが苦手だしなにより、そこに労力を使う理由が見つからない。
今日、帰り支度をする手がいつもより速い。
教科書を鞄に押し込みながら、頭の中では別のことを考えていた。
(……あの初心者、今日もログインするのかな)
考えても仕方のないことだと分かっている。
昨日フレンドになったばかりの、名前くらいしか知らない相手だ。
そんなに気にする関係でもない。
それに、来るかどうかは向こうの都合次第で、マサキが考えたところで変わるものでもない。
それでも考えは勝手に続いていく。
昨日初めてフレンドになったやつが、今日いきなり来なかったら、ショックだろうな。
(もし待ってたら、悪いっていうか……)
小さくため息をつく。
(いや、待ってるとかないと思うけど)
どうせ顔も知らない赤の他人だ。
それでも気になるのは、たぶん相手が本当に初めてのプレイヤーだからだ。
オンゲどころか、ゲーム自体まともにやったことなさそうだった。
(一人にしといて、まともに続けられなかったら……楽しくないまま、辞めるのか)
顔も知らない相手のことを、今日はずっと考えていた。
自分でもよく分からないまま、鞄を持って廊下へ出る。
出口のところで、誰かと体がぶつかりそうになった。
「わっ」
声のした方を見て、マサキは半歩よけた。
如月さんだった。
「ご、ごめん! ありがとー」
「……いや」
「松前くん、ばいばい。またねー」
「……またな」
軽く返しながら、マサキは遠ざかっていく背中を目で追った。
如月さんは、自分から見ても目立つ人だ。
読者モデルの仕事をしているらしい。
可愛いというより、綺麗な子だと思う。
いつも友達に囲まれて、明るく笑っている姿しか見たことがない。
自分は目立つタイプではないし、話しかけられるようなキャラでもない。
それでも如月さんは、朝目が合えば他の人と同じように「おはよー」と声をかけてくる。
自分も短く返すだけで終わらせる。
名前と顔は分かるけれど、遠い側の人間だ。
それだけの関係だった。
頭の中は、またすぐ初心者のことに戻っていた。
帰り道、信号待ちの数十秒すらやけに長く感じた。
考えたところでどうにもならないと分かっていても、気持ちだけが先に立った。
自宅に着くと、そのまま自室の机に向かってノートを広げる。
コーラをコップに注ぐ音だけが、静かな部屋に響いた。
パソコンで攻略サイトをいくつも開き、昨日の初心者の職業とレベル帯に合いそうな情報を一つずつ拾っていく。
(聞かれた時にすぐ答えられるようにしないと)
魔法職。
初期装備。
今のレベルは十二から十五あたり。
花の丘、ランタンラビット。
一度に複数出てくるから、低レベルでも範囲技を持っている魔法使いならここがちょうどいい。
その先は青の洞窟、しびれコウモリ。
麻痺耐性があると立ち回りが安定する。
(オレは回復だけ、危なくなったら補助。絶対に攻撃しない)
と書いて、その下に線を引いた。
狩り場、立ち回り、防具、武器。
それらを教えるタイミング、順番まで組み立てる。
そこまで書いたところで、シャーペンが止まった。
自分でも呆れる。
頼まれたわけでもない。
会う約束をしたわけでもない。
ただの、一晩ですぐに解散したパーティーの相手に、ここまで時間を使う理由なんてどこにもないはずだった。
(いや、これ調べる意味あるか?)
(気持ち悪くないか、これ)
(……こんなの、聞かれてもないのに)
それでも、ノートを閉じる気にはなれなかった。
もう一度パソコンのモニターに向き直り、マサキはシャーペンを握り直す。
今まで一度も、こんなふうに誰かのために攻略情報をまとめたことなんてなかった。
強くなるための情報は、いつも自分のためだけに集めていた。
最適な狩り場、必要な耐性、スキル回し、敵の行動パターン。
突き詰めた先に残ったのは、ギスギスしたパーティーチャットと、もう終わりにするつもりだった自分。
今書いているメモは、誰かに強さを求めるためのものではない。
むしろ逆だった。
無理をさせず、飽きさせず、楽しいまま続けさせるための情報。
今までの自分の遊び方とは、真逆の方向を向いている。
それに気づいて、マサキはコップを手に取った。
冷えたコーラを一口飲む。
炭酸が喉を抜けても、考えていたことは頭から離れなかった。
再びノートへ視線を戻す。
誰かのために時間を使うことに、慣れていない自分がいる。
それでも、手を止める理由にはならなかった。
やることは、まだ残っていた。
書き出した情報を、もう一度上から読み返す。
字が汚いところは書き直し、順番が前後している箇所は矢印で繋いだ。
抜けている部分があれば、あとで直せばいい。
今日話しかけられた時、少しでも役に立てるように。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
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