01話 引退するはずだった夜、初心者のフレンドができた
マサキは、パーティーチャットの流れをただ眺めていた。
『せめて装備揃えてから募集かけてください』
『そっちだって回復遅い』
『次ミスったら抜けますね』
文字が並ぶたびに、チャット欄の空気が一段階ずつ冷えていくのが分かる。
マサキは何も打たなかった。
指を止めたまま、画面の文字だけを追う。
(効率だけで言えば、みんな正しいけど)
正しいだけの空間は息が詰まる。
誰も間違ったことは言っていない。
装備は揃えるべきだし、回復は早いほうがいい。
ミスをすれば抜けたくなる気持ちも分かる。
分かるからこそ、返す言葉が見つからなかった。
(……そろそろ潮時か)
洞窟の最奥、ボスの間を出たところで足を止めていた。
勉強の合間の息抜きのつもりで始めたオンラインゲームだった。
効率よくレベルを上げて、効率よく素材を集めて、効率よく強くなる。
無駄なく積み上げてきたはずのその時間が、いつからか、ただの作業に変わっていた。
強くなるほど、周りに求められるものも増えていく。
装備の質、立ち回り、判断の速さ。
できて当然という空気の中に、いつまで自分がいたいのか、マサキ自身にも分からなくなっていた。
高難度コンテンツに潜るたびに、求められる基準は少しずつ上がっていく。
ついていけない人間は静かに抜けていき、残るのはできる人間だけになる。
それを繰り返した結果が、今のこの空気だった。
始めたばかりの頃の、楽しかったはずの部分はどこかに消えていた。
M:
『お疲れ様でした』
それだけ打って、パーティー解散の承認ボタンを押す。
指先が、いつもより重い。
ここ最近は、ログインするたびにストレスのほうが上回っている。
「引退するか…」
言葉にしてみても、どこか決めきれない自分がいる。
椅子の背もたれに体重を預けると、画面の光だけが部屋の中で明るい。
時計は見なかった。
見れば余計に、こんな時間まで何をやっているのかと思ってしまう。
洞窟の出口へ向かう足取りは、心なしか重かった。
外に出ると、フィールドの隅に人影がひとつ転がっている。
うつ伏せに倒れた体の脇に、木で出来た杖が投げ出されている。
まず目に入ったのは、飾り気のない初期装備。
それから、表示されたレベル10。
頭上のHPバーは赤く染まりきっていた。
(……初心者か)
このあたりは初心者が来る狩り場じゃない。
ここにいるということは、何かの拍子に道を間違えたか。
マサキは一瞬、素通りしかけた。
放っておいても、そのうち初期村に戻される。
所持金は半分になるだろうが、初心者ならどうせ大した額は持ってない。
今日でこのゲームを辞めるかもしれない人間が、わざわざ手を貸す理由もない。
関わったところで、得るものは何もない。
それなのに、足は止まったまま。
視線が、赤く染まったHPバーから離れない。
アイテム欄を開く。
滅多に使うことのない、蘇生用の高額アイテム。
パーティーを組んでいない相手に使える、唯一のアイテムだった。
売れば結構な金額になる。
効率だけを追いかける自分なら、絶対に見知らぬプレイヤーになど使わない。
でも、
(……引退するし)
迷いはなかった。
使用を選ぶ。
倒れていたキャラクターの体が淡く光り、ゆっくりと起き上がっていく。
光の粒が地面に散って、消えるまでの数秒間だけ、フィールドが少し明るくなった。
起き上がった初心者は、その場でしばらく突っ立ったまま動かなかった。
何が起きたのか分かっていないのか、それとも単に操作に不慣れなのか。
両手を持ち上げては下ろし、カクカクとした動きで自分の状態を確かめている。
ようやく状況を理解したらしく、その場で小さく飛び跳ねるモーションを一回だけ挟んだ。
『あ』
『ありがとうございます』
文字を打つのが遅い。
一文字ずつ確かめるようなテンポで、送信ボタンを押すのにも間が空く。
マサキはそれを急かさず、ただ待った。
待っている間、自分がこれまでどれだけ他人の入力速度を意識してきたか思い出す。
今はなぜか、それが気にならなかった。
『ここ、ひとりだと危ないから』
『町まで送る』
『いいんですか!』
文字の勢いだけが先に届く。
マサキはパーティー申請を送った。
受理も遅い。
初めての操作なのだろう、承認ボタンの位置を探しているような間があってから、ようやく通知が来た。
大きな拠点となる町へ向かう道中。
<リサ>というそのキャラクターは、何かに引っかかるたびに立ち止まり、慌てて追いついてくる。
段差でつまずき、茂みに引っかかり、そのたびに体勢を崩しては画面の中でよろけていた。
マサキはその都度、歩く速度を合わせて待った。
誰かと歩幅を合わせてフィールドを歩くことなど、最近はなかった。
『あたし、今日からこのゲーム始めたんです』
『絵がすごい可愛いじゃないですか』
『とくにモンスター!可愛くて!』
『あと、お家がもてるって聞いて』
『装備もおしゃれなの多いですよね』
文字の羅列に、途中から勢いがついていく。
打つのは遅いのに、内容は止まらない。
マサキはそれを一つずつ読みながら、合間に『そうなのか』『詳しいな』と短く打ち返していた。
『あ』
『戦士さん上級者の人ですよね』
『ごめんなさい、見た目でゲーム選んじゃって』
ハウジングも、おしゃれな装備も、マサキがこれまで一度も選んでこなかった遊び方だった。
効率と火力だけを詰めてきた自分とは、見ている場所がまるで違う。
(……そういう遊び方、したことないな)
『いや、それも楽しみ方の一つだよな』
打ち返した文章は短い。
それでも、リサの返事は変わらず勢いがよかった。
『あたしまだ何も分からなくて』
『でも可愛いと頑張れる気がするんです』
その一言に、マサキは少しだけ手を止めた。
可愛さで頑張れる、という発想自体が自分の中になかった。
強くなることが目的のゲームに、それ意外の理由を挟む余地はなかったはずだ。
『そういうのいいな』
返事を送ると、リサは待っていたように次の話題を送ってきた。
『ここ景色いいですね』
『湖に自分の姿うつせますよ』
立ち止まったリサの横まで歩いていき、マサキは短く打つ。
『どこ行く』
『あそこで倒れてた理由がわかった』
『えへへ』
『ここはまだ危ないから』
『はーい』
しばらくの間、景色の話、コーデ装備の話、ハウジングの話が途切れずに続いた。
マサキは聞き役に回りながら、いつの間にか自分の返信の数も少しだけ増えていることに気づいていなかった。
町<セントラルス>に着く。
中央の大きな噴水広場には、今日もプレイヤーで賑わっていた。
噴水の水音に混じって、いくつもの雑談チャットの通知が絶え間なく流れていく。
『ありがとうございました』
『あの、もしよかったら』
『フレンドになってもらえませんか』
マサキは当然、返事に迷った。
(どうせもう辞めるつもりだった)
(フレンドを増やす意味なんて…)
画面の向こうで、リサの入力中を示すマークが点いたり消えたりしている。
言葉を選んでいるのが、そのマークだけで伝わってきた。
『まだ弱いですけど』
今日初めてこのゲームに触れて、おそらく今日初めてパーティーを組んだ相手が自分だ。
右も左も分からない状態で、勇気を出して送ってきた申請だろう。
ゲームを続けていれば、これからパーティーを組む相手は何百人といるだろうし、フレンドも自然に増える。
断られることだって、この先いくらでもある。
それでも<初日の記憶>というものだけは、このゲームをやり続ける限り、ずっと鮮明に残り続けるものだ。
ここで断れば、この初心者にその<苦い思い出>が刻まれる。
言葉を整理する前に、指が動いていた。
『いいよ』
通知音が鳴る。
フレンドリストに新しい名前がひとつ増えた。
返事は、また少し遅れて届く。
『ありがとうございます!』
『嬉しいです!』
画面を見つめたまま、マサキはしばらく動けなかった。
辞めるつもりだった。
それなのに、引退するはずだった夜に、初心者のフレンドが一人増えていた。
フレンドリストを開く。
並んだ名前は、これまで一緒に潜ってきた人数分だけある。
今日増えた一人は、その中の一番上、真新しい位置にあった。
大勢の中の一人。
それだけのはずだ。
その画面を閉じる気になれないまま、マサキはしばらく椅子に座り続けていた。
◇ ◇ ◇
「この人、めっちゃ優しい……」
思わずこぼれた声は、誰に届くわけでもない。
それでも言わずにはいられなかった。
リサがこのゲームをダウンロードしたのは、今日のことだ。
インストールが終わるのを待つ間、少しだけそわそわしていた。
起動して、名前を決めて、髪型を選んで、チュートリアルのクエストを一つずつこなしていく。
黙々と一人で進めるだけの時間は、思っていたより静かだった。
はじめてのオンラインゲームで、はじめての世界のはずなのに、画面の中には誰の反応もない。
そんな一人の時間の延長で、景色の綺麗さと可愛いモンスターに気を取られて、気づけば様子のおかしい場所まで来ていた。
見たこともない魔物に囲まれ、何をする間もなく吹き飛ばされる。
次に気づいたときにはHPの表示はもう空だった。
倒れたまま動けないリサの横を、他のプレイヤーが何人も通り過ぎていった。
誰も足を止めてくれなかった。
倒れている間はチャットも打てない。
画面の端に表示される、初期村に戻されるまでのカウントを、ただじっと見ているしかなかった。
(あーあ…)
カウントを眺めながら、今日はもうログアウトしようかと思っていた。
そこに<M>が現れた。
迷いなく蘇生アイテムを使ってくれて、町まで送ってくれて、フレンドにまでなってくれた。
リサにとっては、今日一日で一番嬉しい出来事だった。
「顔も見えないのに、ああやって親切にしてくれる人いるんだ」
操作が遅い自分を、急かさずに待ってくれたこと、何を話してもちゃんと返してくれたこと。
そのひとつひとつに、<画面の向こうに本当に人がいる>のだと実感させられた。
初めてのオンラインゲームで、初めて味わう楽しさだった。
「オンゲって楽しいじゃん」
フレンドリストを開く。
並んでいる名前は、まだ一つしかない。
『M』
今日出会ったばかりの人。
それを確かめてから、リサは椅子の背もたれに体重を預けて、天井を見上げた。
明日も、この人と話せるだろうか。
そんなことを考えながら、リサはマウスに乗せていた手をそっと離した。
画面を閉じる気には、まだなれなかった。
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