12話 リサの一歩と、松前くんの誤解①
昼休みのチャイムが鳴る。
教室のあちこちで、椅子を引く音と弁当箱を広げる音が重なった。
松前くんが鞄から包みを取り出したのを横目に、リサは自分の机の上で一度だけ大きく息を吸った。
(少しずつ)
先日、ゲームの中でMくんに言われた言葉が頭をよぎる。
『急に詰めすぎると驚くから、少しずつがいい』
『なるほど、じゃあ少しずつにします』
あの時、自分でそう返した。
だから今日も、その「少し」だけなら。
今まで何度も、次こそはと思って、話しかけようとした。
その度に、松前くんまであと数歩というところで、誰かに声をかけられ、輪に引き戻され、教室の空気に流されて終わってしまった。
(絶対行く、振り切ってでも行く)
勢いにまかせるように椅子から立ち上がった。
しかし、
「如月さん、どうしたの? どっか行くの?」
いつものお昼のメンツの女の子に声をかけられて、リサはお弁当箱を持ったまま固まった。
「あ。ごめん、今日ちょっと」
言い切る前に、視線が窓際の一番後ろへ流れる。
女の子は不思議そうな顔をしたけれど、それ以上は聞いてこなかった。
リサは弁当箱の結び目を指先で意味もなく撫でながら、窓際の一番後ろへ向かう。
「あ、あの……松前くん」
蓋を開けかけていた松前くんの手が止まった。
見上げた顔が、わずかに驚いたように見える。
「え、なに…」
「お昼、一緒に食べていい?」
一瞬、教室の音が遠くなった。
(さすがに、これは急だった? 詰めすぎた?)
数秒の沈黙が、いつもよりずっと長く感じられる。
「………なんで?」
聞き返され、頭の中が真っ白になる。
(そりゃそうだよね)
挨拶くらいしかしたことないのに。
いきなりお昼なんて、飛ばしすぎたかも。
『急に詰めすぎると驚くから』
本人にそう言われたはずなのに。
言葉に詰まって出てこない。
そう思っていると、松前くんが少しだけ目をそらした。
「ごめん、言いたくなかったらいい」
「ち、違うの」
慌てて首を振る。
言葉が追いつかないだけで、言いたくないわけじゃない。
「その……まだ松前くんと、あんまり話したことないから」
一度、息を整える。
「もう少し、お話してみたくて」
言えた。
松前くんは少しの間黙ってから、困ったように口の端をゆるめた。
「オレ、面白いこと言えないんだけど……それでいいなら」
自分の方を、下げるような言い方だった。
でもそれは、思っていたよりずっと優しい。
自然と笑顔がこぼれた。
「いいよ、一緒に食べよ」
言ってから、リサは考える。
机を二つくっつけて向かい合うか、それとも椅子だけ借りて松前くんの机を二人で使うか。
(近い方がいい)
迷った素振りも見せずに、リサは空いていた椅子だけを引きずった。
松前くんの机の前に、その椅子を置く。
机一つを、二人で挟む形になる。
向かい合わせに机を並べるより、ずっと距離が近い。
松前くんが手を止めて、こっちを見た。
驚いたような、それでいてどこか困ったような顔。
リサは何でもないことのように笑って、椅子に腰を下ろした。
松前くんは何か言いたげに口を開きかけたけれど、結局そのまま視線を弁当へ戻す。
リサは弁当箱の蓋を開けながら、さっきの言葉に、口の中だけで返事をする。
(Mくんと話すの、面白かったけどなぁ)
ゲームの中では、あたしがどんなくだらないことを言っても、ちゃんと返してくれた。
『それ、悪いのはリサじゃない』
昨日かばってくれたことも。
『なら、オレも敬語で返します』
意地でも譲らない感じの、あの返しも好き。
同じクエストのストーリーを見て、同じ感想を言って。
その時間が、すごく楽しかった。
(……言えないけど)
俯いた拍子に肩から流れた髪を、リサは指先で耳にかけ直した。
リサは箸を止めて、松前くんの方を見た。
何か話したくて、話題を探す。
「今日の小テスト、どうだった?」
「ん…まぁまぁ」
「まぁまぁってなに? 出来たの?出来ないの?」
「出来ない」
「ふっ」
思わず笑いがこぼれた。
(Mくんのときも、こういうトーンで喋ってる感じなのかな)
低めで、落ち着いた声。
画面越しの文字だけだったチャットに、今初めて声が重なっていく。
急に笑ったあたしに、松前くんは箸を止めて、怪訝そうな顔をした。
何がおかしいのか分からない、というふうに眉が寄る。
リサは追及される前にと、話題を変えた。
「松前くん、味濃いから揚げ好き?」
「うん」
「食べてみる?」
「……いや、いい」
「いいから食べて」
「わかった」
断ったくせに、あっさり折れる。
しかも変に食い気味に頷くから、なんだかおかしい。
リサはまた小さく笑った。
差し出したから揚げを、松前くんは口に運んだ。
「うま?」
「……うまい」
そう言った松前くんの視線が、弁当箱の上を意味もなく彷徨った。
「松前くんは、帰ったら何してるの?」
「……寝てる」
「ほんとは何してるの?」
「ゲームしてから寝てる」
「もー、なんで寝てるだけみたいに言ったの」
「……ゲームの話されても、困ると思って」
(なにそれ)
そんなこと気にしなくていいのに。
そう思うのに、そこまで気にしてくれることがなんだか嬉しい。
自分の話ばっかりしたがる人は、たくさんいる。
小テストの点も、部活の自慢も、新しく買った時計も、誰かのモノマネも、みんな聞いてほしいことばかり話してくる。
松前くんは、こっちがどう思うかを気にしてる。
(あたしのことを、困らせたくないって…)
じわじわと、頬のあたりが熱くなる。
視線をどこかに逃がそうとしても、机一つ分の距離しかない。
顔を上げれば、松前くんの顔がすぐそこにある。
(近い近い近い)
いやこの距離、あたしが選んだんだった。
今さら気づいたみたいに、頭の中がぐるぐる回る。
落ち着いて食べてる姿が、ちょっと大人っぽい。
咀嚼音すら静かで、育ちのよさも感じる。
指が長くて、箸の持ち方まで綺麗。
手の甲の血管まで、なんかかっこいい。
(いやいやいや、見すぎだから)
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