95話 リセット
神様サバイバル14日目
地下水路。
湿った空気が肌にまとわりつく。
天井から一定の間隔で水滴が落ち、その音だけが静かな通路へ響いていた。
不知火は天涯の背中を追いながら歩く。
奥へ進むにつれ、薄暗い地下道には段ボールやブルーシートで作られた小さな家々が並び始めた。
一つ。
また一つ。
まるで、一つの街だった。
社会から見捨てられた者たちだけが暮らす、小さな集落。
「おや。」
優しい声が聞こえた。
振り返ると、白髪混じりのおばあさんが、買い物袋を抱えて立っていた。
「天涯さん、お客さん?」
天涯は軽く笑う。
「あぁ、田所さん。そんなところだ。」
「そうかい。」
田所は不知火を見ると、にっこりと微笑んだ。
「こんな所じゃ何もないけど、ゆっくりしていきな。」
その笑顔は、どこにでもいる優しい祖母のようだった。
不知火は思わず頭を下げる。
「ありがとうございます。」
「ちょっと待ってな。」
田所は自分の段ボール小屋へ入ると、しばらくして湯気の立つ湯呑みを二つ持って戻ってきた。
「熱いから気を付けて。」
「ありがとうございます。」
両手で受け取る。
温かさが掌へ伝わる。
こんな場所で。
見ず知らずの自分に。
なぜ、ここまで親切にしてくれるのだろう。
その疑問が、不知火の胸をよぎった。
田所が自宅へ戻るのを見届けると、不知火は静かに口を開く。
「……なぜ。」
「俺によくしてくれるんですか?」
天涯は湯呑みに口をつけ、小さく息を吐いた。
「人ってのはな。」
「弱い生き物なんだ。」
その声は穏やかだった。
説教をするような口調ではない。
ただ、昔話を語る老人のように続ける。
「あの婆さんな。」
天涯は田所の背中へ視線を向けた。
「旦那が他に女を作って出ていった。」
「借金だけ、自分名義で残されてな、子どもにも見捨てられたて、気付けば、ここにいた。」
不知火は思わず田所を見る。
さっきまで笑っていた。
あの穏やかな笑顔からは、そんな人生は想像もできなかった。
天涯は今度は少し離れた場所で新聞を読んでいる男性を指差した。
「あいつは違法カジノでイカサマにはめられた。」
「ギャンブルなんて一度もしたことがない、一流企業で働くエリートだった。」
「全部失って、ここへ来た。」
不知火は唾を飲み込む。
胸の奥が、少しずつ締め付けられていく。
「あっちは建設現場で片足を失った。」
「労災も出なかった、働けなくなって、そのままホームレス。」
「あっちは酒で一度失敗して会社をクビ、家族も友達も離れていった。」
天涯は淡々と語る。
悲劇を語っているはずなのに。
そこには同情も憐れみもなかった。
まるで。
当たり前の人生を話しているようだった。
不知火は黙って聞いていた。
目の前で笑い合うホームレスたちを見る。
誰も過去を恨んでいない。
誰も、自分の不幸を叫ばない。
笑いながら。
助け合いながら。
今日を生きている。
天涯は静かに湯呑みを置いた。
「で、要するにな。」
少しだけ間を置く。
「甘えんな。」
その一言が。
不知火の胸を真っ直ぐ貫いた。
「悲劇の主人公を気取るな。」
「お前より不幸を身体中に浴びながら、それでも毎日笑って、必死に足掻いて、朝を迎えられたことに感謝して生きてる奴なんて。」
天涯は周囲を見渡す。
「腐るほどいる。」
静かな声だった。
だからこそ重い。
「過去を受け入れろ。」
「誰に罵声を浴びせられようが、どれだけ後悔しようが、後ろ指をさされようが。」
「全部だ、全部抱えて生きろ。」
「自分くらい、過去のお前を認めてやんなきゃ、可哀想だろ?」
不知火の視界が滲む。
気付けば涙が零れていた。
止めようとしても止まらない。
肩が震える。
「俺だって……。」
掠れた声。
「頑張ったんだ……。」
「俺だって必死に……。」
最後まで言わせてもらえなかった。
「違う。」
天涯が静かに遮る。
「この世の人間は全員頑張って生きてる。」
「頑張ることは特別じゃねぇ。」
「泣きながらでも、這いつくばりながらでも。」
「生きてる奴は、みんな頑張ってる。」
「だから。」
天涯は真っ直ぐ不知火を見つめる。
「変われ、そこからだ。」
地下水路に静寂が訪れる。
不知火は俯いたまま涙を拭う。
そして、ゆっくりと息を吸った。
あぁ……。
そうか。
俺は……。
頑張ってるつもりになっていただけだった。
教師だった自分。
千夏を救えなかった自分。
仲間の前で悲劇の主人公を演じ、自分を哀れみ続けていた自分。
全部。
全部、自分だった。
逃げ続けていた。
「変わりたい……。」
不知火は拳を握る。
震えていた手に、少しだけ力が戻る。
「いや、変わる。」
その声は、小さかった。
それでも。
確かに前を向いた声だった。
しばらく沈黙が流れる。
不知火は天涯へ視線を向ける。
「あんたは。」
「これから、どうするんだ?」
天涯は少しだけ空を見上げるように目を細めた。
そして。
ゆっくりと口角を上げる。
「決まってる。」
その笑みには迷いがなかった。
「この国を。」
一拍置く。
「一度、リセットする。」
地下水路に流れる水音だけが、静かに響いていた。
消滅ワード
1日目 “法律 ”
2日目 “ 電気”
3日目 “ 罪悪感”
4日目 “ 鍵”
5日目 “ 痛覚”
6日目 “ 肉”
7日目 “ 地図”
8日目 “ 鏡”
9日目 “ 約束”
10日目 “ アルコール”
11日目 “ 血の繋がり”
12日目 “ 疲れ”
13日目 “ 財産”
14日目 “ 嘘”




